猫をかぶった仔猫の日々

2001年09月30日(日) おさまらない気持ち

昨日、あんな状態で一日が終わってしまった。

そして今日は・・・ますます鬱になってしまった。
怖い、不安、色々襲ってくる。
これではいけないと、気分転換に重〜い腰をあげ、買い物に行った。
しかし・・・やっぱり行かなければよかった。
信号待ちの間、となりの人の喋っている大きな声にまで
おびえてしまっている。
やっと目的のお店に行き、買い物をしたのだが・・・
いきなりおなかが痛くなり、買い物どころではなくなった。
しかし、今日買わないといけないものがあったので
少し落ち着いたところでまた、買い物を開始した。
やっと目標は果たせたのだが、帰り際、またもや発作が起こった。
家に帰るのが怖いのだ。
歩いていてもフラフラ状態。
結局、駅まで主人に迎えに来てもらった。
私の病気の原因は主人にある。
しかし、私が頼れるのは主人しかいない。
なんて悪循環なんだろう。
私がこうなってしまってから、主人のため息が増えた。
私のせいだ。
これでは主人も病気になってしまう。
私はどうしたらいいのか?
やっぱり気持ちはおさまらない。
わからないのだ。
主人はきっと、かなり気を使ってくれているのだろう。
だけど・・・彼が発する言葉が、怒っているように聞こえ、
責められているとしか、今は思えないのだ。
なんだかドンドンはまってきてしまっている。
私の中では今まで一番のうつ状態になっている。
自分が変わらないと・・・・
わかっていてもどうしていいのかわからない。

私はこの先、どうしたらいいのだろうか?



2001年09月29日(土) わからない・・・

あれほど嫌だと思っていた会社も気持ちよく退職し
ルンルンなんて思っていた矢先にやってきた。

鬱と言うかパニックと言うか発作と言うか・・・・

そもそも、ことの発端は明日行こうとしていたお墓参りのことだった。
本当はお墓参りはお彼岸に行くはずだったのだが
主人がその日は夜勤で行くことが出来ず、明日行くことに決まったのだ。
そして、その時、一緒に主人のいとこも行くことになっていたのだが・・・
いとことは、義母のお姉さんの娘さんで一ヶ月に一度くらい2人で
こちらに遊びに来る。
そして今回はお墓参りの帰りにそちらの家に遊びに来てほしいと
言うことになったのだ。

このような病気になる前は人前に出ることは全然平気で
どこにでも飛んで行けたのだが、今の状態で自分の意思でない所に
行くのはとても辛い。
ましてやあちらの家には・・・・

なぜここまで嫌かと言うと、おじさんに問題があるのだ。
おじさんは警察官をやっていて、今は定年で隠居生活をしているのだが
人に命令する話し方しか出来ない。
それはいいのだが、何か自分の気に食わないことがあると怒ってしまう。
そんなことが多々重なっているのだ。
まず、私達夫婦の結婚式。
主人の両親がその日は用事があるので手伝えないと前もって言ってるのに
引越しに手伝いに来なかったと言うことで、ずっと根に持ち、欠席をした。
そしておばさんまでも。結局、娘さんが一人で出席した。
そして主人の姉の結婚式にもおじさんは欠席し、おばさんと娘さんだけで
来た。それはそれでかまわない。

しかし、義父の葬儀の時にまでも大騒ぎしたのだ。
葬儀の会場はおじさんの家から遠いのでお通夜、告別式と朝早くは
高齢の方なのできついと思い、ホテルを用意した。
他の親戚は何も言わず、泊まってくれたのだが、
前日になって母に『俺は泊まらない。』と電話がかかってきた。

いつもなら気丈な義母なのだが、義父が亡くなった悲しみと
忙しさのあまり、泣きながら
『そんな気持ちで来るのなら、お父さんも喜ばないから来ないで』と
泣き叫び、大騒ぎになったのだ。
そんな時、娘さんが間に入り、『こんな両親、情けない絶対行かせます』と
言うことでことは丸く(わだかまりはあるが)おさまったのだ。

そんなおじさんの所に明日、遊びに行くと言う。
これは嫁として失格なのかもしれないのだが、9月の仕事があまりにも
忙しく、先週は土曜日出勤、その前の週はそのおばさんと娘さんが
遊びに来ていたため、土日ともお付き合いをしなければならなかった。
なので私の体力も持たないので、お墓参りには行くが遊びには行けないと
言ったのだ。なんせ、家から2時間もかかる場所だから。

そして今日になって、義母がこんなことを言い出した。
『お墓参りだけ行って、遊びには行かないと、おじさんがまた文句を言うから
あなた達は今回は来なくていいからまた改めて3人で行きましょう』
義母なりに考えたことだと思う。
でもそこで、嫁なら我慢して行くべきだったのだろう。
考えてパニックになってしまった。
その時、主人は実家にちょっと行かないと行けなかったので
出かけようとするときだったのだが、電話でそのことを言われたのだ。
行く前に私が泣き喚き、主人も困った様子。
でも、主人は義母の考えに賛成のようで
『何でお前が泣いているのかわからない』と言われた。
『私はお嫁さんなんだよ、立場が違うんだよ』そう言っても主人は
わからないようで『立場は一緒だろ』とまで言う。
言ってくれないとわからない、何で泣いているのかわからない?
そう言われて『それがわかってたら、私だって病気になんかなってない』と
泣き叫んだが、話し合いも終わらぬまま、主人は出かけてしまった。

今までは嫌でも仕事をしている時は気がまぎれていた。
でもこれからはどうなるのだろう?
気持ちが焦り、不安が襲ってきた。
こんな時は落ち着かないと・・・そう思い、時間は早いのだが眠剤を飲んだ。
その時、ふと思っていしまったのだ。
『これをどれだけ飲めばいつまでも寝ていられるのかな?』

最初は規定の量だけ飲んだのだがあまりにも興奮していたため
眠ることが出来ない。
そうしてるうちに主人が帰ってきてしまった。
ちょっとお使いで出かけただけなのに・・・
きっと義母と色々話していたんだと思う。
そう考えたら、もういてもたってもいられなくなり、
もう一回眠剤を飲んでしまった。
これは私の主人に対する、小さな抵抗だった。
でも主人は気づいていないだろう。

何度も喧嘩で『お酒はやめて』と言い泣いてわめいても
『お酒をやめろと言うのなら、別れるしかないんじゃない』とまでも
言われ続けてるのに、私は何が理由で主人といるのだろう?

私が病院で診察してもらった時、先生から
『あなたの病気の原因はご主人ですね』ときっぱり言われた。
なのに彼は気づいていない。

そんな彼の態度や気持ちこそ私からしたらわからない。
わからない・・・・
本当に限界に来てしまったのかもしれない。
どうしたらいいのかわからない。
助けてほしいけど、誰に頼ったらいいのかわからない。
誰に頼るのではなく自分で決めなくては行けないと言うことだけは
わかっているつもりだ。

でも・・・今はどうしていいのかわからない。



2001年09月28日(金) 最後はいい人

明日、出勤するはずだったのだが、日曜にならないと処理が出来ないと
言うことなので、今日が最後となった。

は〜辞めるまでは『早く辞めたい』と言う思いでいっぱいだったが
いざ辞める日となると・・・やっぱり寂しい。
なんだかすっきりしない。
もっと我慢できたのではないか?
そんなことばっかり考えてしまう。
でも・・・これは自分で考えたこと。

冷静になって考えると、課員には恵まれていなかったが
他部署の方には大変お世話になり、とても恵まれていた。
本日、退職するとメールをしたところ、自分の部署から返事が来たのは
たった3通、それに対して他部署の方からは30通近くお返事をいただいた。
他部署の方とは営業の方が多いので、メールを見ずに
本日が終わってしまった方も多いかと思う。

私は課員の方でとても険悪の方がいた。
もう、1年は仕事以外、いや仕事上でも口をきいていなかったと思う。
来週になるのだが、私の送別会をやってくれることになっている。
その会にはその方は出れないとのことで、今日の今日まで
『こない方が楽だ』と思っていた。
しかし、帰り際、その方からいきなり声をかけられた。
『仔猫さんにはお世話になったから・・・・』そう言って
図書券を差し出された。
『お世話になった気持ちです』とたんに目頭が熱くなった。
相手を見てみるとその方の目もかすかに潤み・・・・
言葉にしたくても私はたまらなくなり、ただありがとうございましたの
連発だった。
そして、電話が鳴った。私が担当してる営業の方からだった。
しかも出先から・・・『ちゃんと言ってなかったから、お疲れ様』
もう涙が止まらなかった。
あんなに嫌がっていたのに、最後になると嫌なことなど忘れて
みないい思い出となってしまう。

でもそれは結果論であり、結果だからこそ言えることなのかもしれない。

幸い、私は一緒に働く派遣仲間に恵まれた。
私が愚痴って弱音を吐いても、いつも見守っていてくれた。
それがなかったら、きっともっと早く挫折していたに違いない。

就業時間となった。
部長より声がかかり、私が挨拶することになった。
その前に花束をいただいた。
思いもよらぬことだったので、またもや涙が溢れ出した。
そして挨拶の時となったのだが・・・話したいことはいっぱいあった。
なのに涙が邪魔をして、言葉がまったくでないのだ。

そこは部長がうまくまとめてくれて、来週やる送別会で挨拶することに
なった。

今までやだった会社、そして課員、みんなが愛しく思えた。
辛いことはいっぱいあったけど、そんなことばかりは言ってられない。
いい経験をさせてもらった。勉強させてもらったと思わないと。

皆様、今までお世話になりました。そして、どうもありがとうございました。


追伸
私の辞める原因となったマラソン男は挨拶もなく、普通通りに定時で
帰ってしまった。
彼のことはやっぱり最後までいい人とは思えない。



2001年09月27日(木) 無神経なやつ

昨日とは打って変わって今日は気分がすごく良かった。
と、言うのもあと2日で会社を辞めるため、お世話になった方に
メールで挨拶をしたら、皆様から涙が出るような返信をいただいたからだ。
私はコールセンターで働いている。
コールセンターは全国展開で私は西日本を担当していた。
本日、クール便で私宛に荷物が届いた。
見てみると九州支店からだった。
そして中を見ると・・・明太子。
こんなことまでしてもらえるなんて。
本当に嬉しかった。
自分の部署では意見も聞いてもらえず、結局辞めることを決意したのだが
支店の方々からは温かいお言葉、そして寛大な心で受け入れてもらった。

なのに・・・
ある支店の方で、私の特に仲が良かったからこうなったのだろうが
とっても無神経なことを言われたのだ。

『先がない人は気が楽でいいですね、僕だって辞めたいですよ』

・・・・無言・・・・怒り・・・・切れた。

『はぁ〜私だって色々考えた上で決めたことなんですよ。』

彼は私の精神状態など知っているはず。
なんて無神経な言葉!!
それでもうんじゃらかんじゃら言ってくるから
『だったら辞めればいいじゃないですか?私、あなたじゃなかったら
とっくに電話機ってますよ。はっきり無神経すぎます。怒ってます』
と言ったら『そうですか、それは申し訳ない』と言うから
『申し訳ないって思ってる時はちゃんとごめんなさいって言うもんです』
とまで言ってしまった。

これは仲がいいからこそ言えた事なのだが。
彼はすごく言葉ベタな人だ。
でもそれが分かっているからって、言っていい事と悪いことがある。

あなたが私にいつも愚痴っていたこと、私から見たらはっきり言って
『あなたも悪いんじゃない?』って思うことが多々あった。
でもそれは人それぞれの考え。
だから否定せずに聞いていたのに、あなたは私の地雷を踏んだ。
それも今は絶対踏んではいけない地雷。

私が休んでる時、メールまでしてきて、私が辞める理由の人のこと
愚痴ってきたじゃない。
あなたはたった一回でもそう感じたんでしょ?
私はそれが毎日だったんだよ。
それぐらい分かるでしょ?
なのにそんな無神経なこと言って・・・
仲が良いから言ってももいいけど他の人には通用しないよ。
そのくらいはいい加減わかってほしかったな。

気持ちよく仕事を終えようとしたのに、あなたの一言で私は今日もブルー。
明日はブルーにさせないでね。



2001年09月26日(水) 助けて〜

いきなり不安が襲ってきた。
どうしよう?お酒を飲んだせいなのか?
こんな時、抱きしめてくれる人もいない。
私の心の隙間はどうしたら埋まるのだろう?

隙間の向こうに見える未来、それが暗いのか明るいのかさえ分からない。

ふ〜なんだかやばい傾向。
明日は元気でいられるのだろうか?
素直に笑えるのだろうか?

それは明日になってみないと分からない。

分からない・・・・そんなの分からない。



2001年09月25日(火) どんなことでも理由があるの。

なんだか、疲れたなと思ったら、ちょっと熱っぽい。
これは風邪なのか?精神的なものなのか?

仕事を辞める日が刻一刻と近づいてきた。
そのため、色々な人に辞めることを伝えないといけない。
部署の人は口も聞かないから良いのだが、他部署の方には大変お世話に
なったのでちゃんと挨拶をしないといけない。
でも、私がどんな気持ちで辞めていくのかはみんな分からないようだ。
そして、どんな気持ちで仕事をしていたかも分からないようだ。
ある人からこんなことを言われた。
『いいな、これからは旦那様に養ってもらうのね。私もそうなりたい。』
そんなこと言われて・・・『違います』とは言えない。
養ってもらえる状況ならとっくに私は仕事など辞めていた。
そしてこんなに苦しんでいなかった。
以前にも仕事を辞めたいと主人に言ったら『次、決めてから辞めて』と
言われてしまった。
私が働かないと生活できない、私が働くのが当たり前と考えてる主人。

パンクしそうだった。
だけど、どうにかここまでやってこれた。
なのに・・・始めることにも辞めることにも理由があるのよ。
そんな甘えた考えで辞めることを決めていたら、とっくに辞めていたのよ。
あなたも辛いの分かるけど、人には色々な考えがあって
あなたが笑ってしまうような内容でも、私は辛かったの。

私が辛いなんて思っていない。
でも今はなんだか自分だけ取り残された気分。
こうやってこんなこと考えていることも何か理由があるに違いない。
あせっては駄目、ゆっくり行くって決めたんだから。
振り出しに戻ったわけじゃないよね。



2001年09月24日(月) 何もしない一日

何もしない一日、そんな日もあっていいかな?
今日はそんな日だった。
午前中から掃除をしようと張り切っていたのだが
夜勤明けの主人が帰宅して出来なくなってしまった。
私が掃除をしようと思うのは結構珍しいこと(笑)
それなのに中断することになったから(主人がこれから寝るので)
今日はダラダラダラダラ〜
本当はHPを更新しようと思ったんだけど勉強不足で
もうちょっと時間がかかるみたい。
と言うより、欲が大きいのかしら?
載せたいものを作るのにかなり時間がかかるので
出来上がるまであと・・・2週間はかかるだろう。
でも10月からは仕事も辞めるので色々なことをやりたいと
考えている。
まずハローワークに行って、訓練学校に行こうと思っている。
一般的にはPCを使いこなせるのだが、私が属している
派遣業界はレベルが高すぎて、何か資格を持ってないと
不利になってしまうようだし。
PCもそうなのだが本当はやりたいことが前々からあった。
でも、その職業は私の体力では無理なものだった。
元々、腎臓の機能が弱いせいで、人より疲れやすく、体力だってない。
私は軽い方で普通の生活が出来ているのだが、風など引いたら
大変なことになってしまう。
現に先日、とても大変だったし。

そう考えると10月からの空いた時間はしばらく『ご褒美』として
ゆっくり、自分のしたいことをしたいと思う。

あと一週間だけど・・・早く10月にならないかな〜



2001年09月23日(日) 仔猫はカレーがお好き!

今日は友人の家で麻雀大会だった。
と言ってもお遊びなのだが、仔猫は役も分からず点数も数えられないくせに
一人勝ちとなった\(^o^)/
(分からずやっているので、みんな、私が何を集めているのか読めないらしい?)

久しぶりに友人一家とあったせいか、私もかなりハイテンションで
麻雀どころではなく話しまくってしまった。
そこで一つ笑う話を思い出した。

私が勤める会社は移転前は住宅街にあり、お昼にとっても困った。
スーパーとコンビニしかない。
そんな時にインドカレーの店が出来た。
注文してからナンを焼いてくれて、カレー好きな私としては
とても嬉しくてたまらなかった。
家などでカレーを作ると、作りすぎると飽きてしまうのだが
さすがインドカレー!しかも本場のインド人が作っているのだ。
私ははまってしまい、週に2〜3回はカレーだった。
そしていつの間にか常連になり、テイクアウトだと待っている間に
ミルクティーまでサービスで出してくれるようにまでなった。

そんなある日、会社の帰りにカレー屋さんのインド人と会った。
そして通りすがりに、挨拶までされるようになった。
会社では「仔猫ちゃんって、カレー好きだよね」と言われるほど
カレー生活が続いた。

そんな時、部署が移転となり、カレー屋さんに挨拶することも出来ず
移転していってしまった。

あのカレー屋さんは今頃、どう思っているだろう?
「あの子、カレー好きだよね。俺達、インド人もビックリだよね。」
なんて言われていたらなんて一人で考えて笑ってしまった。

そのことを友人に話したら「おなかが痛い」と笑っていた。
「あなたは天然?」とよく聞かれるのであえて「いえ、計算です」と
言い張っているが・・・どうやら私は天然らしい?
と言うより、天然とはまた違う何か仔猫節があるらしい。

話は戻るが、とてもやさしいインド人(本当はインドの上の方の人らしい)
だったので、また食べに行きたいと思っている。

やっぱりカレー好きはやめられないからね。



2001年09月22日(土) 朝帰り!!

今日は他のHPで知り合った方とミニミニオフ会をした。
オフ会と言っても家が近いので二人で一回飲もうと言うことになったのだ。
あってビックリ!!彼女は私より3つ年上なのだがとっても可愛い。
女性の私から見てもうっとりしちゃうくらい可愛いのだ(^_-)-☆

とりあえず、お店に入ろうと言うことになり、入ったのだが
かっこつけすぎた。
牛タンの塩焼き(5枚ぐらいのってるだけ)が2,000円くらい
するお店に入ってしまったのだ。
積もる話もあったし、笑える話もしたかったのだが、
とても素敵すぎるお店に入ってしまったため、馬鹿笑いすら出来ない。

3杯ほど飲んで場所を変えようとお店を出た。
カラオケボックスなら大きな声を出してもOKだと入った。
のはいいのだが・・・やっぱり銀座だった(@_@;)
3時間いただけなのになっなんと15,000円もかかってしまったのだ。
本当に(@_@;)←こんな感じ。
でも、何だか不完全燃焼の二人。
もっと話したい、お互い今日は旦那に許しをもらってきているので
朝まで語ろうと言うことになったのだが・・・お金が足りない。
時間は12時、銀行などやってない。
でも最近はコンビニでお金をおろせると気づき、いざコンビニさがし!!
しかし、銀座のど真ん中ではなかなかコンビニが見つからなかった。
通りすがりの人に聞いて、30分ほどしてやっと見つけることが出来た。
そして、やっぱりかっこいいお店は私達には合わないと居酒屋へGO!!
語った語った!そして笑った。

会うまではちょっとドキドキしていたのですが、会ってみて本当に良かった。
とっても楽しくて、おなかが痛くなるぐらい笑い、そして真面目な話もした。
彼女は私とは違う感性を持っていて、色々なことをアドバイスしてくれた。
そして、色々なことを受け止めてくれた。

病気になってから、人と会ったり、話をすることに不安や恐怖を感じていた
私だったのだが、ここでも心の中で何かが変わった気がした。
そして、彼女を今まで以上にもっと好きになり、もっと仲良くなりたいと
思った。

10月に女性軍団5人ほどでオフ会をすることになっている。
私はもしかしたら予定が合わずいけないかのしれないのだが
早くみんなと会いたいと今からうずうずしています。

大人になってから、人との出会いってなかなかないからね。
こうやって色々な人と出会えてとても嬉しいし、会えるようになったことが
もしかしたら、私の中に変化がおきているのかもしれない。



2001年09月21日(金) 自信がつきますよ!

先日からずっと会社でのことを日記に書いている。
それは今月に入って残業が多すぎて、他のことをしてないからだろう。
本当にこの一ヶ月は私にとっては心身ともにきつかった。
一応、何もしていないのだが主婦なので毎日残業が8時9時だと
家についた時にはグロッキー状態(@_@;)

しかし・・・ちょっと考えが変わった。
それは『この会社で勤められたんだから、どこでも働ける』と
思いだしたのだ。
働き始めて12年、派遣を始めて6年がたち、色々な会社に行った。
やはりどこの会社でも良い面もあり、悪い面もある。
しかし今の会社は悪い面ばかり。
なんてったって、人見知りしない私が、初めて人見知りを
おぼえたくらいだから。

もし、自分に自信のない人、私の勤める会社で働いてみてください。
絶対、自分に自信が持てますよ!!!

でも・・・お薦めできないんだけどね。



2001年09月20日(木) チョーむかつく!!

昨日、私の会社のPCにウィルスが発生した。
その前から、台風、テロと続いて発注業務をしている私の会社は
出荷に影響が出てしまい、毎日謝るのが仕事になっていた。

ウィルスは軽かったものの、とっても重要な部分がやられてしまった。
出荷指示がかからなかったのだ。
本当に忙しくて目が回るほどだった。

でも、忙しかったのはごくわずかな人だけ。
ほとんどの人が見て見ぬふりをしていたのだ。

は〜なんであんた達はそうなわけ?
それでいいの?
私が上司だったらあんた達なんて即刻首だね。

なんて思いながら今もちょっと発作が出てきてしまっている。



2001年09月19日(水) 心の変化

昨日、退社の日を決めるため話し合った結果、今月で辞めることになった。
そのことが今日、課内会議で発表された。
私の中ではもう辞めることを考えていたので、できればもっと早く伝えて
もらいたかったのだが、やっと伝える場が出来たのだ。

何処も一緒と言われてしまえばそれまでなのだが、
私が勤める会社の課員は本当に常識とかその場に合わせてということが
出来ない人ばかりだ。
例えて言うなら・・・以前、退社する方の送別会があった。
その時の明細を辞める本人にまで
いくらかかったとメールで回してしまったり
私の義父が亡くなった時すら何もやってもくれず(これはいいのだが)
私が長く休みをもらっていて、いざ出勤したら課員は目を合わそうとしない
見て見ぬふりをしていたのだ。
そんな、課から離れられるのは、私としてはとても嬉しいことなのだが
他部署の方にはとっても良くしてもらい、それを考えると
心苦しい気持ちになった。
しかし私の精神状態ではこれ以上続けることができないので
結論としたらこうするしかなかったのだ。

良いことがあるから悪いこともある。
これはどこでどんな生活をしていてもしょうがないことだ。
しかし、そうだから人間は成長していくんだろう。

私はこの会社で辛いことばかり口にしていたが、
辞めると決まった今となると良いことの方が記憶に多い。
この会社に勤めるまで私は、仕事に対してとても不真面目な考えだった。
私がさぼったくらいで、何も変わるわけじゃないし・・・
なんていつも考えていた。
若いころは、女は笑ってれば良いとまで思っていた。
確かに笑顔は大切なことだと思う。
でも私が考えていた笑顔はとても不純だったのだ。
しかし、この会社で勤めて、最初はヘトヘトで続かないかな?なんて
考えたりもしたが、やりがいというものが芽生えた。
そして必要としてくれる人たちから、自信というものをもらった。
でも私はまだまだ勉強しなければいけないと思っている。

10月から私は無職になる。
ちょっと不安ではあるが、私にとって何かが変わる時なのかもしれない。
今考えていることは、学校に行くことだ。
もっと色々な技術を学びたいと思う。
そして、もっと自分を見つめなおしたいと思う。
仕事ではなく自分自身に自信がつくように。



2001年09月18日(火) ちょっと美味しいお酒

私は派遣会社に登録してそこから今の会社を紹介してもらった。

今、働いている会社・・・私にとってはとても勉強にもなったが
それ以上に精神的にまいってしまった。
それが限界に来て今月中で辞めることになった。
そのことで今日は派遣会社の営業の方とお話をすることになった。
しかしお互いバタバタしてしまい、会えたのは7時過ぎ。
本当はこの予定が入っていなかったら私は9時近くまで
残業となっていたのだが、なんとか片付け会うことになった。

会う前まで私は派遣会社にも不信感を持っていて
「今日こそはずばっと言ってやる!!」って思っていた。
そんな気持ちで、話し合うためにお店に入ったのだが・・・
「もう、仕事終わったんだからいっぱいどうぞ」と言われた。
最初は「???」って感じだったのだが、ご馳走してくれるなら
いただきましょうと二人でお酒で乾杯をした。

酔う前に大事なことは言わないと・・・と思い早速仕事の話を始めた。
今までの話し合いは、仕事の合間だったりして要件だけを感情的に
伝えるという感じできっと彼女(営業さん)も私のことを
「神経質で扱いにくい子」と思っていたと思う。
しかし、時間に余裕があったせいか、
自分の意見を素直に言うことが出来た。
そのことを彼女も素直に受けいれこう言ってくれた。
「本当だったら、引き止めたいところなんだけど、あなたにとって
ここは良くない。もう楽になろうね」
何だかホッとした。
私の中にあったこだわりがすーとほどけてきた。

そうして仕事の話は無事解決し、無礼講と言わんばかり
色々な話をした。
人生として、女性として先輩の彼女から色々な話を聞き私も話した。
彼女はとても苦労した人だった。
私が彼女だったらとっくに挫折していただろう。
でもその苦労が今の彼女を作ったのだろう。

「素敵な女性」そういえる人と久しぶりにあった。
そして最後に彼女はこう言った。
「仔猫さん、今までそんしていたね。こんな性格の人だと思わなかった」
彼女も今回の話し合いでやっと私のことを理解してくれたんだろうと思う。
そして二人で
「今日は美味しいお酒だったね、これからもよろしくね」
と言いあい、さよならをした。

なんだか今日はとっても気分が良い!

なんて思いながら鼻歌まじりで帰宅したのですが・・・・
酔っぱらって困ってしまった・・・私ではなく主人なのでした(笑)





2001年09月17日(月) 夜勤の日は私のパラダイス

今日は体調不良のため、仕事を休んだ。
と言ってもすごく体調が悪かったわけではなく
薬を飲む時間が悪かったせいで朝とても起きれる状態ではなかったのだ。

私は一人の時間がとても好きだ。
誰とも会わないと言うことではなく自分の好きなことをする時間が
とても好きなのだ。
私は結婚しているので普段は家には主人がいる。
当たり前のことなのだが、仕事もしていてなおかつ今は忙しい時期。
8時9時まで仕事が終わらないので、帰宅するとすでに主人は
晩酌をしている状態だ。
実は主人が晩酌をしていることが、私にとってとても苦痛になっている。
主人はお酒がないと絶対駄目な人だ。
そのため、喧嘩になったときなどは冷静に話すことさえ出来ない。
まあ今となっては慣れてしまったので冷静に見れるようになったのだが
(慣れた事はあまりよくないのだが)今日は主人が夜勤のためいない。

うふふふ、主人が嫌いなわけではないのだが、主人が夜勤の日は
私にとってはパラダイス。
しかも今日は仕事まで休んじゃってるし。

昼頃起きて、ご飯を食べ、さてさて何をしましょうか?
久しぶりに天気が良かったので洗濯はしないとな。
なんてやることだけやってホッと一息。
でもどうしても外に出る気になれなかった。
あらら??ちょっとやばい傾向かしら?なんて思ったものの
こんなチャンスはないと思い、本日はHP更新日に熱中した。
本当はもっと載せたいものがいっぱいあるのだが、時間がなく
なかなかアップすることが出来なかったので
私としては充実した休日を過ごすことが出来た。

来週の日曜日も主人は夜勤で泊まりだ。
主人には悪いのだが、夜勤の日はやっぱり私のパラダイス!
来週は次の日も休みなので実家に泊まりに行こうと思っている。

なんて考えながらニヤニヤしている。



2001年09月16日(日) 楽しい時思い出

今日は義母と親戚と私達夫婦で食べ放題&カラオケに行ってきた。
義母のお兄さんとお姉さんとその娘さん・・・
嫁の立場で考えると正直こんなことは苦にしか感じないだろう。
しかし幸せなことに私は義母ととても仲が良い。
主人に言わせるとちょっと異常なくらい仲良しなので
逆に怖いと言われている。

そんな訳で午前中から出かけたのだが、昨日はなかなか眠れず
朝起きた時、今日はきついななんて思いながら出かけた。

しかし・・・楽しい時って忘れてしまうのよね。

今日、みんなでこんな話をした。
笑ってると長生きする、これはある説だと本当のことらしい。
怒ってばかりだとやはり心身ともに支障が出るそうだ。

私達は月一回集まってこのような会をしている。
お兄さんとお姉さん達はちょっと離れたところに住んでいるので
この日を待ってましたと言わんばかりに楽しみにしている。
そして会うと本当にみんな楽しんでいる。

みんなで食事をして美味しいと言い、馬鹿騒ぎをして・・・
こんな時は具合が悪いことさえ忘れてしまう。
毎日こんなだったらと思うのだが、これが毎日だと楽しさも
半減してしまうだろう?
たまにやるから楽しい!とてもいい関係でみんなが楽しんでいる。

いつまでもこの関係が続いたらと思っている。
しかし、そうはいかないことは分かっている。
でもこの楽しい思い出はずっと心に残っている。

そしてこれからもいっぱい楽しい思い出を作って行きたいと
思っています。



2001年09月15日(土) 健康サンダル

昨日、友人と飲みに行った。

よく座敷などのあるお店は履いてきた靴はしまわれてしまい
サンダルが置いてあったりしますよね?
昨日行ったお店はそのサンダルが健康サンダルだったんです。
健康サンダル・・・不健康な仔猫はもっとも苦手なもの。
トイレに行ったもののサンダルのせいで足が痛くて
泣きそうになりました。
そして帰るとき、靴に履き替えたら何故か右の親指がしびれて
なんだか変な感じ。
まあすぐ治るだろうと甘く考えていた。
しかし今日起きてみると・・・まだしびれている。
これは健康サンダルのせいなのか?
わからない?
いまだにしびれていて親指が自分の物ではないみたいです。

そこで教訓!!
健康サンダルは健康な人しか履けない。
不健康な人はまず健康になりましょう!

私はそう思ったんだけど、他の人はどうなのかしら?
そして親指のつぼって何なんだろう?

本日、本屋にレッツゴーと思っています。



2001年09月14日(金) 彼女が決めること

私の友人で苦しんでいる人がいる。

彼女は一見、姉御肌ですごく強く見えるタイプだ。
しかし本当はすごく繊細で臆病な人なのだ。
なぜ彼女が強く見えるのか・・・
それは強くしていないとやっていけないからなのだ。
そうしていないと彼女はとたんに崩れてしまう。

どんなに強い人間でも必ず弱い心は持っている。
それは恥ずかしいことではないのだ。
人間として当然のことなのだ。
しかし彼女は頑張った、頑張って頑張って崩れかけてしまった。

頑張ってほしい、いや頑張れたと彼女の口からその言葉を聞きたい。

実は私は頑張ると言う言葉があまり好きではない。
しかし、彼女には使いたい。自信を持ってほしいのだ。
彼女が自信を持てるのならいくらだって応援してあげたい。
でも、その先は彼女自身が決めることなのだ。

すごく辛いよね、怖いよね。
でもね、もっと自信を持って。
あなたが決めたことなら私はいくらでも応援するから。

だから自分でちゃんと決断するんだよ。




2001年09月13日(木) 病気になるはず・・・

今日はちょっと真面目な話をしたいと思います。

本日、精神科(心療内科)に行ってきました。
それも新しい病院。
今まで行っていたところは家からも近いし
とても優しい先生だったのですがだんだん疑問が出てきたのです。
まずかなり高齢の先生(70歳は越している)なので
物おぼえが悪かった。
診療内科とは色々話して患者の状態を判断しなければならない。
しかし先生は前に話したことを忘れる事が多く
同じ説明を何回もしないといけないことがたびたびあった。

通院中、私は腎盂炎になり他の薬も服用することになったのだが
その薬が体に合わなかったようで薬疹が出てしまった。
そのことは忘れずに覚えてくれていたのだが
私にとってあまり良く思えないことが続いてしまったのだ。
先生がやたら湿疹が出ていないか体中を見だしたのだ。
治ってからも行く度・・・・『もう治りました』と言っても
『ちょっとごめんね』と言ってスカートをめくられたり
ブラジャーの中まで毎回毎回見られるのだ。

患者としての立場なのでなんとも言えないのだが
心療内科に来る人達はそうゆう事に敏感な人が多いと思う。
その一人が私だったのかもしれない。
しかし、やはり少し疑問に思い、知人などに相談して
新しいところにも行くことに決めたのだ。

今日行った病院はとてもきれいでまさしく心療内科って感じの
病院だった。
先生もとても若い方で私と変わらないぐらいだったと思う。
今日は初診だったので色々お話をした。
ここでは書けないことをいっぱい話した。
そうしたら先生はこう言った。
『こんな状況で何もならなかったら、そっちの方が怖いですよ』
私が病気と認めず、悩んで知人などに相談していた時
何人からも同じ言葉を聞いた。
なのに私は認めなかったのだ。ある意味、自業自得なのだ。
先生は『これは難しい問題なのであせることはありません』と言った。

先日まで年配の先生で今回は若い先生、どちらが自分に合っているかは
まだ判断できない。
しかし、今日の病院はかなり好印象だった。
これからこの先生と一緒に自分を見つめなおせたらいいなと
今日は希望をもてた気がする。
病院だけではなくて物事はやってみないと結果がわからない。
最初から駄目だと思ったらいけないのだ。
駄目ならまた始めてみればいいのだから・・・

今日はなんとなく自分が強くなった気がした。







2001年09月11日(火) 晴れの日はなし(-_-;)

私の職場が移転した。
してから3週間ほどたつのだがその期間、からっと晴れた日が
ないことに気づいた。
ちょこっと晴れては曇って・・・
何だか私の気持ちみたい(T_T)

会社の仲間と『今日も変な天気だね』って話していて
『私の気持ちがそうだから』と言って笑っていた。
しかし最近、本当にそうだねって話になった。
まあ天気と私の気持ちは偶然なのかもしれないが
台風が過ぎ去った今、私の心はパンパンになってしまった。

そんな訳で今月中で会社を辞める決心をした。
この先どうなるか不安なのだがそんなことばかり考えてられない。
新しいことを見つけて楽しい未来が待っているかもしれない。
辛いことがあっても今なら大丈夫な気がする。
会社を辞めることで私の気持ちが軽くなったのかもしれない。

でも・・・やっぱりちょっぴり不安。



2001年09月10日(月) コスメ好き!

私はとてもコスメ好きだ!
コスメに関してはエステから色々とお金をかけてきた。
しかしPCを買ってコスメのサイトを検索してとても驚いた。
コスメ好きの方は皆さん本当に詳しい!
そしてHPもおしゃれ(^_-)-☆

私はHPを作ってまだ間もないのでどうやって作っていいのか
分からないし、正直センスもあまりない(-_-;)
コスメ以外にも皆さんのHPを見るととっても感動してしまいます。
皆さんのセンスってどこから出てくるのでしょう?
私も早く皆さんのような素敵なHPが作れたらと思っています。
でもやはり・・・もともとの才能がものを言わせているのかもしれません。

私がコスメに関心を持ち始めたのは意外に遅かったのですが
昨日も日記に書いたようにはまりやすい性格。
もう、10ウン年ぐらいはたつのだが熱しやすく冷めやすい私にとって
これはかなりはまったものです。
そうして今もはまりまくっています。
私の場合は使ったものも数知れずなのですが、肌分析に
かなり力を入れました。
今では肌を触ってその人の肌質が分かるようになりました。
よく友達から『そういう仕事につけばいいのに』と言われますが
趣味というかはまっているから楽しくはまっていられるのかのしれません。

これからも色々な方のHPなどで勉強して今まで以上に
はまりまくりたいと思っています。



2001年09月09日(日) はまりやすい性格。

今日はHPの更新をひたすらしていた。
実は私はHPを2つ持っていて一つはPHSのものだ。
そちらはもうHP用のパットがあって比較的簡単に出来る。
しかし、PCの方は自分でデザインしたりするので
センスのない私としては初めてのこともあってとても苦労している。

そんな訳で昨日からずっと更新に力を入れていた。
昨日は気づいたら午前3時になりかかっていた。
寝たのは朝の6時(-_-;)
お昼に起きてやることはやりながらも時間が出来ては
PCを立ち上げ更新に取り組んでいた。
私はコスメがとても大好きなのでそれに関しての更新は
なぜだかスムーズに行く。
しかし、他のものとなると手が遅くなってしまう。
きっとそれは『あれもやりたい、これもやりたい』って
欲ばかり出てしまうからだと思う。
そして今日も時計を見たら1時を回っていた。

なんてはまりやすい性格。
こんなにはまりやすいならもっと違うことにもはまってくれると
本人的には嬉しいのだけど・・・

てな訳で今日もこんな時間になってしまったので
そろそろ寝ましょう。



2001年09月08日(土) 渡る世間は鬼ばかり?

世の中にはお姑さんとうまくいっていない方のほうが多いと思う。
私の友人もそういう人のほうが多く、まさに渡る世間は鬼ばかりの
ようだと訴えている。
しかし、私はとってもお姑さんと仲が良い。
良いなんてもんではない。
主人に言わせると『こんな嫁と姑が仲良いと気持ち悪い』と
言われるくらいなのだ。
なぜこんなこと言うかというと、何を言われているか分からない
からみたいです。
でも仲良い事はいいこと!
今日もお昼頃、電話がかかってきて夜ご飯を一緒に食べに行った。
4月に義父が亡くなり、主人と二人で考え、義母が心配だと
近くに引っ越してきた。
しかし、義母はとても前向きな方で、心配していた私達の方が
むしろ義母に助けられている。
その前は、私の実家のそばに住んでいて、引越しが決まった時は
正直、とても不安になった。
しかし、今ではこちらの暮らしの方が快適になっている。
私の母はとても苦労した人で今まで頑張ってきた。
それに関しては私は尊敬しているし、誇りに思っている。
しかし私が情緒不安定になった時、時代が違うのか、辛いことに
絶えてこれた母は理解することがなかなかしてくれなかった。
一番わかってほしい人に分かってもらえないのはとても辛かった。
母の言っている事も確かに分かる。
しかし、その時の私にはそのことが受け入れられる余裕がなかった。
でも義母の近くに引っ越してきてこれ以上は隠せないと思い
正直に相談をした。
そしたら義母はちゃんと私の言っている事を受け入れてくれた。
私はなにも出来ない悪妻なのに義母は私をすごく愛してくれている。
義父が生きている頃からそうだった。
私は義父と義母に本当に愛されていた。そして今もとても愛されている。

主人の両親と私の両親もとても仲良く4人で旅行に行くほどだったのだ。
年に2〜3回ほど6人で食事会をしてボーリングやカラオケなどをして
みんなで馬鹿騒ぎしていた。
そんな時、義父は私の両親にこう言った。
『うちの娘が迷惑かけてすみません』
この時、私は義父にとても愛されていると感じた。
そして義父が亡くなった時、私の父は夜中眠れず泣き続けていた。
入院中義父はいつも主人に『仔猫は元気か?大事にしてあげなさい』と
主人に言っていたそうだ。
私は義父が亡くなる1ヶ月ほど前から風邪をこじらせてお見舞いに
行くことができなかった。
私はそのことを今でも後悔している。
しかし、義母は『お父さんは二人ともにとても感謝しているのよ。
こうして近くに引っ越してきたんだから隠し事せず楽しくいきましょうね』
と言ってくれた。

そうして今、義父のことを忘れずことなく3人で仲良くやっている。
主人に内緒の話も義母とこっそり話している。
そう思うと私はとても幸せだと思う。
いつも元気で前向きな義母、私は義母を見るたび、
こんな女性になれたら、なりたいと思っているのでした。



2001年09月07日(金) ぎゃゆ〜

もうやってられない!
ぎゃゆ〜って感じ。

君達はそれでいいのか?
電話の音が聞こえないのか?
誰も気づかないのか?

ねえねえねえ、それでいいと思っているの?
私は駄目だと思うんだけど。
きっとみんな駄目だって分かってると思うんだけど。

これじゃ、次が続かないよ。
ねえねえ、分かってよ。
いい加減、気づいてよ、言ってよ。

なんて感じ、怒り狂っていた一日でした。

あ〜疲れた、今日は早く寝ましょ(-_-)zzz



2001年09月06日(木) 自信を持ちましょう。

今日、久しぶりに病院に行った。

何だか色々バタバタしていたので気がついたら
2週間以上行っていなかった。
病院に行かない間、家庭のこと、仕事のこと何だか私にとって
苦痛になってきていた。
家庭に関しては、おそらく意見のくい違いなのでそのうち元に
戻ると思う。でも仕事に関してはかなり苦痛になってきていた。
そんな時、病院に行き、先生から
“何でもっと早くこなかったの?”と言われて涙が止まらなくなった。

私はあることがコンプレックスでずっと殻に閉じこもってる。
多かれ少なかれ、誰にでもコンプレックスはあるものだと思う。
それをいちいち気にしていたらやっていけないのも事実だ。
しかし、それが気になるから病気になりこうして通院しているのだ。
先生は私に“もっと自信を持ちなさい”と言う。
正直、自信と言うのは何処から出てくるのか私には分からない。
それなのに気の強い私は、いつも自信を持って仕事をしている
ふりをしている。
強い人間のふりをしていて、生活をしている。

もっと自信があったら・・・あんなことやこんなことも出来るのに。
自信って、何かを達成したらきっと持てるものなのかもしれない。
何かを達成する、その何かを探そうよ。
そうしたらきっと自信が持てるかな?

自信があったら、きっと今より楽しくなる。
楽しみたいなら、まずは自分が楽しまないとね。

今日、病院に行ってなんとなく自信の考え方が変わった。



2001年09月05日(水) 存在

先日、日記にも書いたのだが、会社を辞めることですごく迷っている。

自分を認めてもらうことは簡単にはいかない。
しかし、自分が相手を認め、相手も自分を認めてくれたら
とても嬉しく思うし、やりがいなどもでてくる。
会社を辞めること、私の立場上すごく簡単なことなのだが
それは、会社側が辞めさせるのに簡単な立場であり
自分から辞めることに対してはかなり困難なことだと実感した。

私が辞めたい理由・・・それは人間関係が主になってしまった。
人間関係なんて言うと私のわがままもあるのでは?と思われると思うが
私が悩んでる相手はただ者ではないのだ。

マラソンに命をかける青年!!

それはいいのだが、会話がマラソンの事しか出来ない。
以前、彼と共通の知り合いがいて、私は電話でしか面識がなかったので
『この人、どんな人?』と尋ねたら
『こいつは走ってないよ』と言われたことがあった。
そしてどんなに仕事が忙しくとも、年に3度は外国にマラソンをしに
行ってしまう。
そんな彼は、喋ったことない人でも『怪しい人』と皆から言われている。

彼と以前、仕事を組んだ時、自分はマラソンのあと観光もして旅行に
行ってしまうのにもかかわらず、私が有給で一日だけ休みをもらおうと
彼に確認したら『仕事に支障がなければ休んでいいよ』などと
勘違いな答えを返されてしまった。

気にしないようにしていれば良かったのだが、私も感情が激しい方なので
今回、抑えることが出来なかった。
この人とは一緒に仕事できないと・・・・

そのことを心許せる社員さん2人にちょっとだけ話した。
その時、二人から出た言葉は『やめちゃったら困る、見捨てないで〜』
とのことだった。
二人とも支店の方で電話でのやり取りがメインなので、そこの地域を
担当する人によってかなり左右されてしまうのだ。
そう言ってくれた事は嬉しい。
しかし二人とも言える事は、『私を見捨てないで〜』ではなく
『支店を見捨てないで〜』なのだ。
ようは私の存在ではなく、仕事を一番に考えて発せられた言葉なのだ。

仕事なんて『自分がいなくては』なんて考えは持たなくていいものだ。
自分がいなくてもなるようになるし、新しい人が担当になれば
それはそれで回るようになってくるものだと、私は思っている。
ここで人間関係が生まれ『辞めないで』と言われたら
また気持ちが変わったのかもしれないのだが、その二人からは
あくまでも仕事上での『辞めないで』にしか聞こえなかったのだ。
一人の方は昨日、電話までかけて来て私にこう言った。
『私の立場から言わせてもらうと、辞められたら困るんです』
きっと言葉に不器用な人で伝えたい気持ちがうまく伝わらなかった
のかもしれない。
でも話を聞いていると、自分はいっぱいいっぱいで私がやめたら自分の
仕事が増えてしまうみたいな事を言っていたのだ。
そこで私も感情的になったのか『あなたが言いたいのは私が辞めることは
仕事上で困るから辞めてほしくないと言うことでしょ?だったら他にも
頼める人はいるはずだし、私は派遣社員ですのでそこまで会社につくしても
何もないのだがら、私は自分のことを考えさせてもらいます』と
言ってしまった。
そんな会話が続き、日記が一日おくれになってしまった。

仕事上でかわれることも、喜ばしいことなのだが、やはり私としては
人間関係を大事にしたいと思っている。
派遣社員が辞めると『根気がないな』とか『すぐ辞めれていいな』とか
常に言われるがそんなに楽なものではない。
辞めることに対しては社員同様、色々考えた上でのことだから。

ふ〜私って何なんだろう?
私の存在ってなんなんだろう?
悩めるお年頃・・・その悩みが結果的に経験になって積み重ねになれば
いいのだが、今の私には苦痛でしかない。

わぁぁぁぁぁ〜現実逃避したいよ〜



2001年09月04日(火) 言ってはいけない事、伝えなくてはいけない事

私は今年の4月に義父を亡くした。
大好きだった義父・・・死に目に立ち会えたことは
良かったのかもしれないが、やはり見るに耐えるものがあった。
義父は亡くなる半年前、狭心症の手術をするために、入院した。
一週間で退院できると何一つ不安も持たず入院した。
それなのに普通では考えられない結果になってしまった。
亡くなるはずがない死に方をしたのだ。
そのことに対しては家族全員、今でも後悔している。
あの病院さえ行かなければ・・・
でもそんなことを思っても義父は帰っては来ない。
争いごとが嫌いだった義父の意思を尊重して、私達は気持ちを抑えた。

私の会社では、親族が亡くなったりするとメールでお知らせをする。
私は社員ではなく派遣として会社で働いていたので
そのようなお知らせは公表されなかった。
しかしそのようなうわさは回るものだと思い込んでいた。
主人が喪主をした関係でしばらくの間、会社をお休みして
いざ出勤となった。

同じ派遣社員の方がある程度、周りの人に知らせてくれたので
部内の人はそこは知っていた。
これは強要することでないのだが、私の部署の人は知っているはずなのに
お通夜にも来ず、知らん顔だった。
そのせいか、久しぶりに出勤した私に対して目を合わせることも
言葉を交わすこともしなかった。
それだけの関係と思えば気が楽になったのだが、とても悲しかった。
でもそれは私の中の感情だけで抑えられることなので良かった。

私がお休みをいただく時、担当の課長に電話で連絡を入れた。
その時、課長はこう言った。
『他の人は知らないけど、私はお通夜に行くから』
これは、この状況の私に言うべき言葉なのか?
そして課長は誰にも知らせることなく、私は会社に復帰した。
会社に行くと他部署の人は事情を知らないため私にこう言った。
『仔猫ちゃん、こんなに長く休んでハワイでも言ってきたの?』
近くに事情を知っていた方がいたのだがあわててその人を見た。
私は隠すことでもないので『義父が亡くなったもので』と言った。
『ハワイ』など言ってしまった人は事情を知らなかったので
ある意味しょうがないと思う。
しかし、そうゆうことを言ってしまったことで、その人はとても困った
顔をしていたのを今でも忘れない。
そしてトイレに行くと女子社員の方にまた同じ事を言われたので
ここでも正直に説明した。
そしたら彼女は『そんなに大変なの?』と私に聞いた。
知らないにせよ、一般常識を知ってる人ならそんなこと言わないはずだ。
そこに同席していた方が逆にあわててしまい
『お嫁さんは大変なのよね』とフォローをしてくれた。

人には言いにくいことがある。しかし伝えなければいけない事がある。
伝えなかったことによって、嫌な気持ちになったり、困ったりしてしまう。
そして言ってはいけないこともある。
言葉って簡単に発せられるが、実はとても難しいことだなと感じている。
言ったことに対して、訂正するのが難しいものだから。
そして言ったこと、言わなかったことによって後悔するものだから。

義父が死に際、私達に伝えたかったことが沢山あったと思う。
しかし、もう脳に酸素がいっていなかった為、何も話すことが
出来なかった。
もっと話したかった、しかし言葉ではなく違うものが伝わってきた。
義父が亡くなったことで私は何か大事なものをもらった気がした。

お父さん、ありがとう。これからも見守っていてください。



2001年09月03日(月) プリプリプリプリプリプリ〜

怒っている!とにかく怒っている(-_-;)

先週、一緒に働いている派遣さんが一人辞めてしまった。
私の会社は移転が非常に多く、私が2年ちょっと働いている間に
引っ越したのが2回目、その前に3度ほど移転をしている。
派遣さんがやめた理由・・・通勤が遠くなったから。
と言っているのは前向きな理由で本当は社員の人が働かないため
頭のいい彼女は見切りをつけて辞めたのだ。
本当に頭のいい人で、仕事も天下一品だった。
なので、彼女とペアーを組んで仕事していた私としては
かなり痛手であった。
そして、彼女の代わりにまた派遣さんが入った。
それはいいのだが・・・私の仕事はコールセンターで全国を東京、
東日本、西日本と3つに分けてチームを組んで仕事をしている。
私は西日本を担当していて、他の二班と比べ仕事の量が
半端ではなかった。
それを訴えてもやれやり方が悪い、要領が悪いなど散々言われた。
更新のたびに仕事量のことを言うと『出来ないなら言ってくれ』と
言ってるのに言うとそう対処されてしまう。

そして今日、班がえがあった。
その発表を聞いて私は火山が噴火した。
もっとも苦手とする人で(苦手だけならいいのですが)
まず、コールセンターに所属していて、電話の音が聞こえないと言って
電話を取らない。ようは集中すると聞こえないと言うのだ。
ミスを起こした時、人のせいにする。
それをお客様にも言ってしまう。
そんな人とは仕事が出来ないと何度も言ってきたのに、
上の人が何も考えず決めてしまったのだ。
私の会社はすぐ『やってみないとわからない』といい訳をする。
私は派遣として契約して働いているのだからそれでは困る。
なのにそれは改善されないで2年以上たってしまった。
いくらなんでもひどすぎると思い、派遣会社に電話して
『もう我慢できないから、今週で辞めます。』と言ってしまった。
今まで色々言ってきたのだが、口だけだと思われていたらしく
さすがに驚いたのだろう?すぐに飛んできた。
そして会社の部課長と派遣会社の営業さんと4人で話すことになった。
今までたまっていたことを全部吐き出したが課長には通用しなかった。
『社風に合わないのならしょうがない、でもそんな考えなら他でも働けないと思うんだけどね』なんていやみまで言われた。

こうやって書いていると、単に私のわがままだと思われるかもしれない。
でもここまでひどい会社は初めてだ。
社員は喋っているか眠っているか新聞を読んでいるか・・・
それなのに上の人は注意もせず『社風だから』と片付けられてしまったのだ。

あ〜情けない、なんでこんな会社我慢して働いていたのだろう。
一週間で辞められないのは承知で言ったことだ。
でも、今月で辞めようと思っている。

プリプリプリプリプリプリ〜本当にむかつく!
本日、うらみリストに一人追加された。





2001年09月02日(日) またやってしまった。

最近、飲み続けだったせいか、薬を飲んでいなかったせいか
夜、眠れない日が続いていた。
そのわりには、かなり体調も良くハイテンションだった。
そんな時、またもややってしまった。

休みの日は遅くまで起きていて、起きるのも遅く、おまけに昼寝三昧だ。
私の家は二人とも働いているので、日曜日に買出しに行く。
今日はちょっと昼寝してそれから買い物に行くことになった。
しかし・・・昼寝して起こされたのだが手がしびれてしまい
起き上がることが出来なかった。
それを訴えようと主人に『手がしびれて起き上がれない』と
何度も言ってるのに、寝起きのせいか発音がかなり悪く聞き取れないようで
『なに言っているのかわかんないんだよ。』と怒鳴られてしまった。
その怒鳴られたことで私は発作を起こしてしまったのだ。
私が言う発作とは、興奮状態になり、息が苦しく、不安が襲ってくる
こんな感じなのだが、本人にしたらかなり辛いものがあるのだ。
そのあと何故か涙が止まらなくなり、のび太のように泣いていた。

主人はこんな私をどう思っているのだろう?
普通の生活が出来ず、休みの日はほとんどパジャマでいる私を
前と変わらない目で見れるのだろうか?

発作を起こした私を見て、動揺したのか、怒鳴ったことに後悔したのか
それ以上、責めることはなかったのだが、どうしてもすっきりしない。
私の病気は、主人が原因の一つにある。
他の方が聞いたら『くだらないこと』なのかもしれません。

もし、あなたの愛する人が、自分のはまっていることで悩み苦しみ
病気になったら、あなたはそれをやめることが出来ますか?

何だか最近、調子が良かった分、落ち込んじゃっている仔猫なのでした。



2001年09月01日(土) 私の中の辞書

この間の日記で自粛すると言ったばかりなのに
またもや昨日行ってしまった。
そのおかげで日記を一日サボってしまった(^^ゞ
ちょっと飲んでいた昨日の話を書こうと思う。

前々から私の辞書には『セクシィ』って言葉がなかった。
それをネタにしている自分がいる。
年賀状で友達と『今年の目標!目指せ、セクシィ』と書いているほどだ。
『目指せ!エロサイト』の私としてはセクシィがかけてるなんて
ちょっと悲しいものだ。
昨日は女性2人で飲みに行こうと言うことになって行ってはみたが・・・
まんまと会社の人と合流するっはめとなってしまった。
つもる話もあったのだが、まあその場はそれで楽しかった。
私の印象は三十路になっても『元気な子』だそうだ。
それはそれで嬉しいのだがでもやっぱり
『仔猫ちゃんってセクシィだよね』と言われてみたいものだ。
でも上に書いているように私も
『私の辞書にはセクシィって言葉がないもので(^^ゞ』なんて切り替えして
いるのだが、昨日気づいてしまった。
『私の辞書にはセクシィだけじゃなくて、せの段がないんじゃないの?』
清純、接吻、せ、せ、せ・・・・
キャー悲しい。エロサイトを目指している仔猫としてはせの段がないなんて。
今年は身内に不幸があったので年賀状は出せないのだが
来年の目標も『今年の目標!目指せ、セクシィ』となってしまうだろう。

ヒヤー悲しい、やっぱりセクシィに憧れてしまう。
こうなったら今日からセクシィの特訓だ!!
早速、ガーターベルトでも買ってみようかと思う仔猫なのでした(笑)


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