徒然 diary...ajano

 

 

べんきょうべんきょう - 2001年09月30日(日)

すごいよ私!一日中勉強してたよ!それでも終わんないこのReadingにもはや殺気さえおぼえます。みんなに「いつも勉強してるよね」といわれるがそうでもないんだ。要は効率。机の前に座っていてもちゃんと理解してなきゃ意味がない。気がつくと2paragraphくらい字面を追っているだけになっている。ああああああ。
とても天気がよかったので午後はパティオで勉強。夕食はSikaleraとかアフリカ勢とと食べる。スワジランドでは賞味期限なんか気にしないらしい。ジンバブエでは気にするらしい。そんな話。
シャワーあびて勉強勉強。図書室で。シャルーズがUtadaHikaruの海賊版CDを見せてくれた。そういえばTimeにのってたな。
もうあり地獄に落ちた気分。助けてー。


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かいしんのいちげき - 2001年09月29日(土)

を食らった気分。非効率を二日続けるとクリティカルヒットです。
昼頃動き出し、カフェに行く。Readingを読もうとするが、Yoshieとあって話し始め(もともとやるきなかったし)タピオカミルクティーを飲みに行く(またか)。
その途中にカード屋さん?とポスター屋さんによる。クリムトのカードを手に入れホクホク。話している途中でそういえば絵画に限っていえば好きなのって女人の絵だけだと気づく。クリムト、ウォーターハウス、サージェント。しかもこう薄幸そうな女の人が恍惚としているのがつぼなんだよねー。あ、いっとくが私はヘテロだ。今のところ。
「願望なんじゃない」というのがYoshieのつっこみ。願望かな?そうかもな。とりあえず私からは程遠い感じだしな。
クリムトで思い出した、いつか読んだ本に登場人物を描写して「クリムトの絵で神に犯されている乙女の恍惚とした顔」に似ている、ていうのがあったんだが一体どんな顔だ…というかどのクリムトの絵ですか!!!無性にみたいんですけど!!
ポストカードを手に入れ幸せな気分で帰宅。うふふ。これで私の部屋にはクリムトの乙女が二人もいるのよ!!
いいかげんに勉強しないとやばいので煎茶をかたてに図書室へ。夕食までひたすら読む読む読む読む。夕食はちょっと長めに。今度はコーヒーを手に入れ、また図書室へ。読んでも読んでも終わらないこの多さに殺気をみなぎらせながらもくもくと読む。


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本当に非効率 - 2001年09月28日(金)

じりじりと照りつける太陽のなか2時間も眠った(もちろんwithout日焼け止め)のはだあれ?…私。どんどん出身地不詳な人になっていく。Reading読むんじゃなかったのか!下に轢いてたトレーナー(白)には草汁?がつくしな。うがあ。
Disはまあいつもどおりに終了。FacilitatorのLouie大好き&hearts。ていうかとことん困り顔で笑う人に弱いです。このごろ気づいたんだけど、私の好み:困りがながらも微笑む人、タンタンのような人、やさしい人。どんな趣味かいまいちわからんな。特にタンタンのような人。実物をみるとよくわかるらしいのだが。
そのうち理想の男性論とか書こうかな(^^)かいてどうする。
寮に戻ってだらだらして、それから映画を見に行こうという誘いにのる。が、いつのまにか映画から飲みに変更。IrishPubにいきました。一応IDチェックはあったのだけど、そのあと私が他の人の飲み物を飲むかどうかまでは気にしていなかったので。ということでマルガリータ飲んだ。酒久しぶりー。なんかモンゴルのお酒みたいな味だった。強。バンドがCalifornia Dreamingをやって突如として歌いだす私たち。すきなんだもんよー。久しぶりに下ネタ話したきがするな。まあ、そんな大したことはなしてないけど。帰りがけにTopDogsでホットドッグを食べ、1時ごろに帰り着く。いろんな人の面がみられて面白かった。


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I saw you on the TV last night. - 2001年09月27日(木)

と、数人からいわれました。ええ、わかってますとも。
昨日の夜、いきなりJoseが部屋に駆け込んできて「TVに写ってるよ!!!」と言われましたし。テロリストがVisaを使ってアメリカに入ったおかげで留学生(主にこれから来る人だけど)の処遇が問題になっている模様。それで昨日、今日とテレビがIhouseに取材に来ていたのです。といってもIhouse側は建物内にいれるのを拒み(当たり前)、入り口付近やカフェのパティオでインタビューしてました。私は単に授業から戻ってきて照明が私の動きを追ってたので手を振っただけ。そんな馬鹿な映像カットされると思っていたんだけど。ものすごく事態を理解していない馬鹿ものに見えたこと請け合い。あーあ。今日もカフェで勉強してたらカメラうろついてました。でも私たちはもうここにいるんだし、IhouseとVisaは別もんだし、Visaを規制したってほかの方法で入ってくると思うけど。聞いて何がどうなるってもんでもないでしょう。「どう思いますか?」って、ねえ。うわさで留学生を6ヶ月国へ返すという案があるとか流れてて、まあうわさだけど。ていうか帰んないけどね。いわれても。戻ってこれる保証と半年分の学費と帰るのと来るのの諸経費と就職が遅れることの弁償をアメリカ政府が払うッてんなら考える余地はあるが。あくまで考える余地。アメリカン的思考。でもメディアは写さないという約束でしたインタビューも写していたらしい。これだから。まったく。
今日はまたユダヤ教の祝日?クラス休みだったので遅れたReadingを読む。ふうふう。世界史真剣にやってればよかったよー。
メールは恐ろしい勢いで送られてくる。5時間くらいで48通新着って。。。ひいいい。そして問題はすべて英語ということだ。
宿題やってSpanishをJoseにチェックしてもらって寝る。あと1日!!



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Indian Summer - 2001年09月26日(水)

非効率な1日。疲れが溜まってきたらしい。ちゃんと寝ているのに。なぜだ。
PeaceStudiesでいることに喜びとともに疲れも感じます。とりあえずPeace系のメーリングリスト2時間ぐらいで20通ほどくるもんだから、読むの大変。たいていいろんな記事についてだし。英語ヅケ。
今日はOfficeHourにいきました。何と教授はICUに行ったことあるらしい。最上先生のこと知ってたよ!びっくり。
そのあと芝生の上で日に焼かれながら宿題。ものすごく暑いんだが。。。
Simonがいうには、これがIndianSummerというやつらしい。じりじり焼けてます。痛いくらい。
PSSAのMtgにいって、メディア関係のことをすることに決める。日本語のソースにアクセスできるのを生かそうと思う。
もうだめ、つかれすぎた。今日はねよう。


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消耗。 - 2001年09月25日(火)

うすうす気づいてはいたのだが、髪の毛が茶色くなってきました。日に日に。
水なのかシャンプーなのか食事なのかは知りませんが。そして焼ける焼ける。フリースきながら日焼けなんて詐欺です。くう。東南アジア系になってきました。
今日は昼は久しぶりに食べました。生はる巻き!ゴイクン!はあと。アジア料理はええのう。そしていつもどおりタピオカミルクティーを飲む。もう中毒状態です。週の半分は飲んでます。こっちにきて何がいちばんお金かかっているかっていったら飲み物だろう。という勢い。
母親から段箱いっぱいに日本食(ふりかけとかお茶漬けとか味噌汁とか)がとどく!わあい、せんべいせんべい。
授業のあとDisは今日は3人(Faciitator含む)Ruizは父親がエルサルバドル出身らしい。いろいろかたった。
こっちの人にとっては日本でWW2をどう教えているかというのはかなり興味あることらしい。よく聞かれるよこのごろ。
その後はBinLadinについてのTeach-inだったのだが、疲れた。ある程度覚悟はしていたんだけど、かなりSpeaker(アフガンの人)が感情的になっちゃって。気持ちはわかるし、いろいろしることができたけど、聞いているだけで消耗。引っ掻き回すホームレスが今日は多かったし。なんなのだ、あの人たちは。


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intifada2001 - 2001年09月24日(月)

今日のIntro to Peaceはかなりよかった。私はこの教授が大好きだー。というか今まであったPACSの教授はみんな好きなんだが。Securityについて話していた。どういうFrameworkで冷戦時代のアメリカが軍事行動を起こしていたか、それが今の状況にどういう形で反映しているかなど。そして、これはベトナムでも真珠湾でもない。コンテクストがまったく違うんだということ、いかに軍事行動が意味をなさないかを話していた。ここの所本当にBerkeleyにきてよかったと思う。いろんなことがクラスの内外で学べる。We Americans Discourseにはうんざりだけど。
授業のあとintifada2001というものにいってきました。パレスチナ問題についてのパネルディスカッション。パレスチナの人がどのような言葉をつかってこの問題をDescribeしているかに気をつけて聞いてみました。なかなか単語の選択に特徴が。イスラエル側の被害にも触れない点とか。やはり火曜日のことに触れた。すごくいい表現だと思ったのが、これまでに何十万人という人が世界中で同じように命を奪われてきたのにアメリカで5、6千人が命を落としたとたん大騒ぎになったのか。それは、America as master of the worldだから。彼がつかった表現は、"our MASTER is injured! Everybody wake up! Give him blood!"。これが世界の現実だと。MasterはServantが血を流そうと気にしない。うまい比喩だと思う。
事故でなくなった人の命は確かに不当に流された血だと思うし、許されることではない。しかしここ数日の世間の動きに見え隠れするamerica as NO1には我慢できない。国旗見るたびに破り捨てたくなってきているんだけど。その旗の下に何人しんできたと思っているんだ。うがー。
私は軍事行動がしょうがないなんて絶対思わないしもし日本がサポートしたら日本人であることを止めたくなると思う。もともと日本人であることに自信満々で誇りを持っているわけではないんだけど(歴史を顧みるにつけて、政府をみるにつけて)これでサポートしたら間違いなく針はマイナスにふれる。



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Sunday - 2001年09月23日(日)

もう来て1ヶ月がたつのね。びっくり。これはマジで1年なんてあっというまじゃな。
昼前におきだしてShuttackまで歩いていって買い物。いろいろこまごまとしたものを買った後、スタバでお勉強。PACS10を読む。今回はNuclearArmRaceについてだったからかいように消耗。寮に帰って夕食をたべ、選択しながら勉強して、早めにねる。1WeekOffがほしいよう。


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ICHIRO!SASAKI! - 2001年09月22日(土)

というわけでいってきましたマリナーズ対アスレチックス。
でもマリナーズやる気なさすぎ。2対11で負けました。まあ、イチローと佐々木見れたからいっか。思いっきりAmericanCultureといった感じにホットドッグ、ポップコーンを食べる。楽しかった。いろいろもっと知ってたらもっと楽しかったんだろう。
寮に帰ってから留守電を見ると珍しくメッセージが。Alleguaからだった。IhouseでやるSufi Celebrationに来るとのこと。私も急遽行くことにする。Sufiって何じゃ?とおもったらスーフィズムのことだった。そういえば世界史ででてきたなあ。内容は微妙だった。なんか新興宗教チックだったよ。歌とか英語だし。え、アラビア語のはずじゃ…Alleguaもその彼氏も微妙だといっていた。とりあえずとてつもなく甘いお菓子をつまんでから別れる。結構近くにすんでいるんだって。今度一緒に勉強しヨット。
そのあとはさすがにつかれたので寝る、はずがネットで遊んでしまう。だったら勉強しろよ。こうして日曜日にまた苦しむ羽目に。


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疲れたよ - 2001年09月21日(金)

今日の私は本当に使い物にならなかった。へろへろになりながらSpanishのテストを終える。良くないけど思ったより悪くはない。そのあとはたらたらとネットをする。いやあ、昨日の記事を検索してプリントアウトしました。やはり実際みたのとメディアを通して見るのは違うね。扱われ方とか、いろいろ。Projectではメディアやろうかな。
で、Disをしに行く。いろいろな影響でクラスが進んでないので、ディスカッションをそんなに活発ではない。というかうーん、女性の扱われ方で本当にsensitive名ものだから。そしてかなり前に読んだので反射的にsrticleについて考えが浮かばない。授業の後はクラスメイトとメディアについてちょっとはなした後、cody's booksにいってタイムなどを買う。結構するんだね。specialEd.だから買ったんだけど、かなりScary.ううん。写真って訴える力強いよな。だから怖い。
そのあとEAPのreceptionにちょっと顔をだして、Marisaと、彼女のイスラエル時代のアドバイザーの家に夕食を食べに行く。素敵なひと時でした。ユダヤ教は金曜の夕食が重要なので。初めてそういう場にいった。イスラエルから彼らは戻ってきたばっかりで家の中はまだちょっと雑然としている。
2人の小学校3年と4年の男の子がいた。元気元気。お祈りや英語とヘブライ語の組み合わせとか何もかも新しい。きちんと子供をしつけていた。おいしい鮭の煮物、アップルパイなど久しぶりに家庭料理を食べる。この家ではお父さんが主夫らしい。お母さんは洗い物も、片付ける場所がわからないのでしないといっていた。Berkeleyで宗教を教えているらしい。日本にいったことがあるらしく、着物を持っていたが着方がわからないと。しかも着物がまだ仮縫いの段階だったんだけど。これを打ったなんて信じられない。いろんなところに旅行しているらしく、いろいろな置物や写真をみた。楽しかった。
ゲームをしたりして、子供が寝るのと共にお暇する。Marisaの運転する車で帰る。


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Stop the violence, stop the hate!!! - 2001年09月20日(木)

今日はデモ行進に参加した。正確には、アメリカの大学で(すべてじゃないけど)RallyforPeaceをするという試み。PACSMajorということもあってこの関係の情報は常に入ってくる。昼にSproulにいくともう人々が集まってきていた。Jennyを見つけたのでいっしょに参加することにする。この時点ではまだマーチに参加することは考えていなかった。というか明日Spanishのテストだったので。Jennyとも、PACSのクラス以外は平常どうりに進んでいるこの状況はちょっと皮肉だと話す。いろんなInformationalMtgとかTeach−inに行きたいのに時間が取れない。1-week offが切実にほしい。どんどん人が集まってくる。二人でRacismには反対であるという証の緑のリボンを腕にまく。みんなプラカードを掲げはじめる。私たちも"stop the violenve、peace is an option”というカードをもつ。ほかにも"eye to eyes makes you blind" "anti-war is patriotic""we support Berbara Lee"などなど。ちょうど私の真後ろはこの集会に反対する人たちだった。アメリカの国旗をはためかせてさまざまなプラカードを持っていた。スピーチが始まると"U−S−A"chantingをはじめ、それに対抗して周りの人が"stop the war”とやりはじめたびたびスピーチが中断される。口論を始める人たちも。私の印象は、何も知らない人たちだなあ、といったところか。戦争が自分にだけは降りかかってこないと考えているんじゃなかろうか?見つめると目をそらす。メディアは彼らを映している。ああ、これがメディアの原理なんだね。ワシントンからきた誰かからインタビューされた。私の英語力じゃ誤解去れる可能性大きいし、変なところで切られて編集されるのいやなんで、極力シンプルに答えた。I do not want violence anymore, it would solve nothing, make the matter worse.こんな感じのこと。実際Publicationされる可能性は低いだろう。しかし周りでメディアのインタビューを聞いているとどういうふうに彼らが大衆の反応をLeadしたいかよくわかります。特にテレビ。
演説は、ちょっとあまりにもパレスチナやアラブの人々にFocusがおかれていて、イスラエルの方の痛みとかその外の人たちの痛みがなんだか無視されていたり、ちょっとanti-semetismっぽい発言があったのは残念だけど、全体的な方向はよかったと思う。とくに、"I do not want to see the flag of the United States hitting and killing civilians"と行った人にはさすがの後ろのグループも沈黙していた。
そのあと、マーチしながらCivic Centerへ向かう.
"what we want?" "PEACE!" "when we want it?" "NOW!"
"what we want?" "STOP THE WAR!" when we want it?" "NOW!"
"1,2,3,4, we don't want the racist war,
5,6,7,8, stop the violence(war) stop the hate"
"people united, we never be defeated"
と口々にchantingしながら進む。なかには皮肉って
"hey hey, ho ho , the racist war has got to go"
とうたう人も。
こういうことに批判的な人もいるだろうが、これだけの人間がいま政府が進む方向に反対しているということをあらわさなければならないと思う。
このくらい派手な行動をとらないと、メディアにはでない。メディアが報道しているPollがすべてではないことをアピールする必要があると思う。
ただ座ってテレビの前で批判しているのは、いくら批判していても行動的には容認しているということにならないだろうか。一人一人が動かない限り何も変わんない。私が望むのはこの運動がエスカレートして日本の学生運動みたいにならないこと。Non-ViolenceはBasicPrincipalだと思う。
キャンパスにもどり学生会館の前でSit-inに移る。これは、火曜日のDailyCalという学生新聞がのせたイラストがMuslimにたいしての差別だという抗議行動。十分な謝罪がなされていないということ。私もそれをみたが、確かに書いた人にどんな意図があったにせよ、このタイミングでテロリズムを示唆しているターバン、長いあごひげの人物がでてきたら、それはアラブ系を示唆していると思う妥当。作者はラディンを皮肉るつもりでかいただけでムスリムに対して他意はないといっているが、どちらにせよMisleadingなことはたしかだとおもう。この時点で私は輪をぬけた。理想的なことをいいつつ授業にいくの皮肉さ。警察が参加者のビデオをとっていることに気づく。
middleeastは今日は早めに終わって、そのあとNon-Violenceのteach-inに行く。これがすごくよかった。PACSのChair,ユダヤ人のジャーナリストなどが話したのだが、とくにこの二人のは共感できた。Chairは、もう戦争を止めるには襲いと思うが、それでも違いは作り出せる、そして更なる戦争、暴力を止めることはできるといった。ジャーナリストの人はあぜアメリカ人がこんなにpatriotismにCommitするのか、それは無知だからだ、と一刀両断。彼いわく、"oh, we are HATED? it's really NEWS to us. We thought we were loved"というのが一般の反応だそう。私はよく知らんが、みんな爆笑していた。いろんな視点を学べた。
その後IhouseへCara,Megunと戻って夕食。Annも加わって話しながら食べる。AlexandoraにSFのClubにいかないかと誘われるが断る。というかそれどころでは。。。部屋に帰ってしばらくMarisaと今日のことについてはなしてから、宿題に。その前に廊下でアショーシャにつかまる。今日はおとなりのDanaの誕生日らしい。スペイン語のHappyBirthdayをJoseたちが謡い(ギター付き)、そのあと英語で歌う。ワインを飲めのめといわれ引き止められるが「おめでとう」をつたえ少しして部屋に戻る。だって宿題が。ひいいいいい。隣の部屋では奇声が。大騒ぎ。壁薄いよう。ReactionPaperをあげて、Spanishのテスト勉強。1時にはもうMarisaはネルというので、図書室へいって3時まで続ける。ゆうすけが3時ごろ現れる。なぜこんな時間に。人のこといえないけど。最後には図書室には3人しかいなかった。3時過ぎにやっとreviewしおわって寝る。3時間後には起床だよー。自業自得だとは知っているが。



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スニーカー購入 - 2001年09月19日(水)

だんだん朝晩の冷え込みが激しくなってきた。
サンダルで過ごすのはそろそろきつい。というかかかとはアカギレできました。
いたいいたい。初めての経験。普通日本ではこんなに足が荒れることはない。やっぱ乾燥しているんだと実感。
Spanishご図書館で勉強、のはずが1時間ぐらい爆睡。このごろスタバでさえ寝ることができる自分が怖い。ていうかセキュリティの観念日本にいるときより薄いんだけど!カリフォルニアで二番目に治安悪いらしい割にのんき。
12時からはIntro.あさみが聴講できた。でも今日はずいぶん前のビデオの続き。残念。私はあんまあの映画好きじゃないんだが。オリバーストーンのHeaven&Earthという奴です。
その後ついにスニーカー購入。ちょっと高かったけどどうせはきつぶすのでいいや。もう1足買うと半額になるらしいが2足もいらないっす。あとでSangOhkが一緒に行けばよかったと悔しがってた。その手があったか!!!!
寮に帰ってペーパーを仕上げたあと、PSSA(Peace Studies Student Association)のMTGに行く。そこで、実際に今自分たちが何をできるかを話し合う。PACS150で一緒の女の子と隣り合いつつ、みんなで話し合う。いろいろ呼びかけたり反戦をアピールする方法について話し合った。なんだかかなり気が楽になった。DirectActionについて話すのはなにがJustかを延々と話し合うよりも健康的だと思う。いろんなアイデアに驚く。
そのあともTeach-Inに行く。いろんなAssociationの人がSpeechした。すごく沢山の人があつまっていて、こんなに多くの人が反戦派だということに驚く。
時々TooEmotionalな演説があったけど全体はすごく良かった。みんな緑色のリボンを腕につけている。これは私はRacismやスケープゴートに反対、アラブの人たちを差別からサポートしますという証。自分はスカーフをつけようかなと思う。紙じゃアピールにならないし(今はバックパックにつけている)。
Speechはときどきパレスチナに重点を置きすぎる人やブッシュをBlameする人がいたのが残念。Calling Nameや特定の犠牲に重点をおきすぎるのはこの場合あんまりふさわしくないと思うんだが、いかがなものか。
そのあと寮にかえり、宿題をしてCoffeeHourへ。コーヒーをのみつつおしゃべりしてひとやすみ。



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大事件? - 2001年09月18日(火)

イヤーびっくりした。疲れている自分を感じた今日この頃。
何がって泣いちゃったんですよ!この私が!!授業中に!!!!!
といってもほぼ終わりかけてたけど。いやー、自分でもぎゃあ、どうしたんだって感じ。
Shinae(クラスメイト)と教授にめちゃくちゃ心配かけてしまった。
何があったかというと、まあ、いつもの通り火曜日のことについて話し合っていて、また私は1人フラストレーションをためていたんだけど、1人「みんな暴力を使うのは行けないというけど、アメリカが原爆を落として、とりあえず日本が世界を征服するのをとめられたように、やはりある程度の犠牲はでるだろうけど武力行使するべきだ」って言った人がいて「そういう問題じゃないだろう!」と思ってがーっとなって感情がオーバーロードした。
「黒い太陽731」という映画がある。これは731部隊についてで、高校のときに見たんだけど、ひどすぎて最後まで目をあけていられなかった。同時に、小学校の時に丸木いり(っだっけ?)の原爆の後の絵をみてしばらく飛行機が頭上を通るたびに塀の影に隠れたことも思い出した。
今まで生きてきて学んだこと:どんなExcuseがあろうとも実際に痛みを受けた人は永遠にわすれない。そしてそれは語り継がれていく。
それでも私が持っている日本兵がしたことの認識はアジアの人から見れば生ぬるいんだろう。
そういうことを考えて、彼の発言を考えたときまるで日本人として「平和」を語る資格はないとcondemnされた気になった。もちろんあっちにそんなつもりはないとはわかっている。ただの例だってことも。でもやはり感情的になった。
まさか自分がこんなに感情的になるとは考えなかったけど。
やっぱり見た目から不安定だったらしくてMarisaにも心配かけた。いろいろ話し聞いてもらったよ。日本の戦争教育についても話した。やはりNativeじゃないというのは不便だなーとおもう。ままならないよう。
まあ今は回復。あれだけ心配かけといてなんだがすっきりした。
さて、これからマークにもらったCD(スペイン語の教材を焼いてくれた)を聞くカー。金曜テストなんだな。MiddleEastのPaperもやんなきゃ。今日はユダヤ教の祝日でお休みだったがだからといって楽になるわけではないのがふ・し・ぎ。


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memorial Service - 2001年09月17日(月)

今日はmemorial serviceでした。授業がキャンセルになるというのに直前まで知らなかった私。Bredが花を配っていて、くれたので、あとみんなそっちへ向かっているので行くことにした。内容は、私は演説がまったく聞き取れなかったのでよくコメントできない。マイク悪すぎだよー。変に反響してNativeでも聞き取れなかったらしい。なので最初の国歌しか印象に残っていない。殆どの人が立ったけど立たなかった。アメリカ国民じゃないし。聞き取れないので途中で離脱。最後にO Beautiful Americaを歌うらしかったし。私は歌詞のO beautiful for patriot dreamという部分がいや。特に今それは聞きたくない。
抜ける途中でクラスメイトに会う。彼女はTeach inのフライヤーを配っていた。PACSのChairが話すらしい。いけたらいくことにする。授業があるからなあ。
とちゅうで「自分はracism,Scapegoatなどに反対する」という証の紫のリボンを配っていたのでそれをもらいバックパックにつける。あと道で募金を募っている消防士の人たちをみかけた。今日もキャンパスは落ち着かない。学生会館のまえのメッセージは増えていくばかり。
そのあと寮に戻ってひたすら勉強。とちゅうでよしえにあってサラダ一緒にたべたけど。いま日本人と話すのはかなり心強い。おたがいにこのnatioanalismの暴騰にはうんざりだとひとしきり。そのあとも夕食を15分ほどでおわらせ、ひたすら宿題。おいつかなきゃー。



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SundaySupper - 2001年09月16日(日)

10時ごろにおきだして2人がかえるのを見送る。Marisaはそのまま勉強へ。私もSpanishをやろうとするが遅々としてすすまず。途中よしえに今晩のSundaySupperに行くかどうかきかれる。SundaySupperとはAlmuniとかResidence、Staffがいっしょに夕食をとるちょっとFormalなイベント。私がApplyしわすれた、といったら、まだ大丈夫とのこと。さっそくサインアップする。浴衣をきていくことに。そのあと課題をやろうとするがわからなすぎる。となりの部屋のJoseを尋ね、わからないところをすべて聞く。生き字引状態。とりあえず大体理解したので、そして時間が迫っていたので浴衣をきることに。さおりのへやにいく。彼女はPremiumDoubleにすんでいて、広い!うちにの2倍はあるよー、高いらしいけど。よしえに手伝ってもらって浴衣をきこみ、Auditoriumへ。すごいみんなに珍しそうにみられる。有名だと思ったんだけどな、着物。日本のものだとわからない人も。ちょっと帯を締めすぎたのでゆうはんたべれるかなー、と不安になる。いつもよりおいしいといいけど。そして着物は動きにくい。
みんなFormalですごかった。いつもが結構よれよれだしね。キルト着てる人発見!メディアはアラブの衣装をきていて、まるでアラビアンナイトから出てきたみたい。シカレラは腰蓑みたいなのに首飾りをつけていて、おお、アフリカーという感じだった。寒そうだったけど。じっさい、あとであったら着替えていたけど。
夕食は本当にDiningHallのスタッフが作っているのかかと思うくらいおいしかった。すごく!ではないけど。きついのにおかわりしてしまったよ。ジョルディがピアのひいたり、パメラがペルシャの踊りをおどったりマリアンヌがカルメンをうたったり。すごいな、私もなんか日本の楽器とかできたらいいのに。
そのあとはGreatHallでCofeeHour、のはずがいっこうにCoffeeは現れず。動物園の動物のように写真をとられちょっとつかれる。仲いい人ととるのはいいんだけどさ。。。いままで話したこともない人ともとるはめに。ここでBと再開。ナイジェリアの衣装着てました。Pacsについて話す。IntroToPeaceは評判よいクラスらしい。そうだろうな。面白いし。
しかしみんなの民族衣装がきれいー。同じフロアの(よく話すくせに名前が分からない)インド人のひともすごい格好よかった。女の子もきれいだったなー(ゆめみごこち)。着飾るってのはおとこでも女でもいいもんです。とくに民族衣装。


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Estoy cansada. - 2001年09月15日(土)

かなりつかれました。>>今週。
昼頃おきだしてお昼を食べに行く。Zoltanがメールを送ってきていたので彼のいう待ち合わせ場所にれんちゃんといく。しかしだれもいない。2分ぐらい遅れたけど先日彼のいっていたBerkeleyTimeのことを考えると絶対10分はまっているはず。メール返信しなかったのがまずかったのかな?しょうがないので台湾料理店でおひる。おいしかったー。ひさしぶりな味を堪能しました。そしてランチやすい。StefanyとかIhouseの中国系住人もきていた。食べてる途中、いきなり横でアメリカ人の集団が"God saves America!"っていってたのには驚いたけど。みんな注目してた。そのあと、カフェいってお勉強。いきなり横にホームレスのおじさんが座ってきてびびる。ひたすら本に集中。今までにない速さでよめたぞ。しかし、あのにおいにはまいった。行ったなんだったんだか。彼がさったあと周りの人と「一体何をしたかったのか」と顔を見合わせる。あーびっくりした。
疲れてきたので寮にもどって入り口のベンチで読む。ひなたぼっこ。ここのなにが日本と違うって寒いのに日差しはものすごくきついところ。フリースきてるのに足はサンダル焼け。ここでケニアからきて、PACS10を人に会う。いたんだ、Ihouseにも。ReadingsはSchool of Americaについて。エルサルについていっぱい出てきた。
夕食をたべ、リトリートの写真ができたというのでシカレラとGreatHallで写真をみる。謝っている私がなんだかいっぱい写されていた。。。
そのあと部屋に戻るとルームメイトの友達が2人きていた。今日泊るらしい。Mexico出身のRosaとCuba出身のMaryland。すごくCuteなふたり。サルサをいっしょに踊る。(狭い部屋で)で、カフェに繰り出す。どこかでアルコールをゲットしようと寮の周りをうろうろするがよい店は見当たらない。
はいったバーもウェイトレスの態度があまりにも悪かったのですぐ出る。
寮に帰る道々通りすがるひとがパーティにさそってくる。あんま相手にしないまま歩いていくとそれは寮の側のシナゴーグでやってるやつだった!一体どういう目的でやっているのかなぞ。とりあえず入って、少し踊る。ROsaはベトナム系の集まりじゃないか、といっていた。とりあえずAsianAmericanの集まりではあった。私以外の3人は踊るのうまいー。いいなあ。
しかしどうしてシナゴーグで。。。
そのあと、疲れ果ててしまし寮に帰って寝ることに。Marisaが寝袋。私の場所に2人。わたしが2段ベッドの上に上がってねる。


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長い1週間 - 2001年09月14日(金)

自体は悪いほうへ向かっているような気がする。キャンパス外と内のReactionの違いは激しい。結局IvoryTowerだということなのか。
今日は国旗を良く見る日だった。バックパックにつけている人、髪の毛につけているひと。私は国旗にCommitするということは考えもつかないので、かなり恐ろしかった。私にとって国旗というのはNationalismの象徴。ほんとに怖い。すごくいってほしくない方向にアメリカが向かっている気がする。WW2のときと違って今回は日本人はターゲットになっていないので私自体になにかあるということはないのだが、アラブ系の人々へのハラスメントはすごいらしい。キャンパス内でさえもあったということを聞く。
SpanishのあとPaperを書いて、Readingを読んで、DiscussionSectionに行く。Jennyと授業の前に何で今日は人が少ないんだろうとはなす。後で聞いたところによると、ミサがあったらしい。DiscussionはReadingsと絡めながらもやはり火曜日の出来事。今までのFrastrationがたまっていた所為か、また、ひとり明らかに軍事行動をサポートしている人がいたせいか(といっても無差別攻撃ではないが)、耐え切れなくなって発言する。全ては伝えきれないので、みんなこれがスタートポイントのように話しているけど、そのまえにきっかけがあったはずだということ、そしてこれが他の国におこったらどういう反応をしたか考えてほしいといった。そのうち今週のReactionPaperアップします。整理し切れてないけど、今週考えたことをまとめました。(英語だけど)話しているうちにかなり感情が高ぶってしまってなきそうになった。何でかはわからない。ネイティブアメリカンの人がいて、その人がすごく私的には納得できる意見をいっていた。おわったあとJennyとちょっとはなして、私は約束があるのでSproulPlazaでReadingを読む。
5時にMiddleEastで一緒のAricaと、日本にいたというEllenと食事をする。また火曜日のことについてはなしたり、どんな週だったか話したりした。また、日本についてもはなした。どうやら二人はBibleStudyのGroupの人たちらしく誘われたがわたしはそこまで興味がなかったので行くことはやめる。どちらにしろ疲れすぎていてExtraで英語を読む気になれない。
寮に帰ったらよしえにあったので廊下で1時間ほど話す。やはりみんなにとってタフな週だったらしい。いろいろはなして別れると、今度はDavidと会う。また火曜日のことについて話す。また1時間。本当に話してばっかり。さて、本当にもう使い物にならないので、今日は寝ます。



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unstable - 2001年09月13日(木)

今日はずっと火曜日のことについて話し合った一日だった。SpanishのあとConflictResolutionではDiscussion.まずPowerとConflictについてのPresenを聞いたあと、Discussionに。はっきりいって感情的になっている人と英語で討論できる自信がないのでとりあえずメモリながらいろんな人の意見をきく。反論したくてもなかなかできないのでFrastrationがすごくたまる。内に秘めた感情がすごく高ぶってきている。どうしても感じるのは、私は日本人なんだ、ということ、アメリカ人の人たちの感情の高ぶりについていけない。もともとAntiUS−Policyなのでいろいろ反論したい点はたくさんある。でも大勢の意見には賛成。暴力は何も生まないということ、メディアの危険性、他の道があるはずといういけん。しかしこれはキャンパス内の大勢であってキャンパス外では違うらしい。またひどい話を聞く。あるCollegeでは教授が!モスリムの女の子に"Would you please go out the classroon, 'cause your existence disturbs me"といったとか。ラジオも本当に感情的になっているらしい。ひどすぎる。言葉をうしなった。仮にも教壇に立つものの態度じゃないだろうそれは。
MiddleEastではやはりDis.やはりFrastrationがたまる。ああ、もっと英語はなせたらなあ。感情的になるのはわからなくもないけど、それは何の解決にもならない。そして報復を望む彼らは本当に戦争の意味を理解しているのだろうか?私はその中のどのくらいの人が実際にアフガニスタンがどこか、どんな人々がいるのかを知っているかさえ疑問視している。ちなみにこの日StudyGroupに振り分けられた。私たちはWaterについてやるらしい。しかし私の苦手な意見を言いまくる感情的な人々と一緒じゃなくてよかった。それだとほんとにやる気をなくしていたよ。
授業後、外にでると、けいしろうがあるいてくる!やはり飛行機はキャンセルされたらしい。Davidとあさみとれんちゃんと夕飯を食べるというので一緒に食べることに。PubでNachoをたべる。彼らの昨日の冒険談?を聞く。Nachosはアペタイザーのはずが信じられないくらい多かった。半分ちょっとたべてもう気持ち悪くなったのでやめる。当分みたくないー。そのあと、タワレコにいってDavidが買い物する間雑誌を立ち読み。Xmen読んでたら目が疲れた…日本の雑誌もかなりあるのだ。びっくり。ハリーポッター特集の雑誌があったがまよった末やめておく。映画みてからきめよう。
そのあとは9時ごろまでカフェでしゃべる。MochaBiancaはしゃれにならない甘さだった。砂糖味。いろいろな雑談をした。BerkeleyとSanDiegoの違いとか。すごく楽しかったー。そのあとIhouseまでおくってもらって別れる。
けいしろう、David、気をつけて。また会おう。

その後は明日出すReactionPaper.うまくまとまらなくて書いて消し、書いてけし。3分の2ほど書いてあきらめて寝ることにする。明日続きはしよう。
Marisaから前一緒に遊んだDanが明日DCから飛行機で帰ってくることをきく。いきなり身近な問題になってショックをうける。Marisaにどう思うかきくと、今何もわかってない状況では何もいえない、といっていた。イスラエルに行っていたことも会ってかとても意見をいうのに慎重だと思える。


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今日も考えさせられた。 - 2001年09月12日(水)

朝、いつもより静かな気がして、もしかしたら敏感になっているだけかもしれないけど、ちょっと戸惑った。今日はくもり。一日中曇っていたのはここにきて初めて。
行く途中に新聞をかって、いつもはただの奴しか読まないんだけど、今日はちゃんと買った。やっぱり殆どNYのこと。
Spanishのクラス自体はなんだか政治には関係なく進んでいたのだけれど、午後のIntro to peaceは違った。本当はベトナム戦争の映画を見るはずだったんだけど、事件についてのDisに。私はずっと聞いてたのだけれど、いろいろ手元の紙に反応や考えたことを書いてみた。今週のReactionで出そうと思う。
教授の考え自体はすごく私は納得できた。世論がもとめるようにretaliationをしたら、それは新たなterroristを生むだけだ、という考え。
それでもここで力を見せ付けなければあとあとアメリカがvulnerable to terrrosになるのではという子、本当に感情的に(恐怖で)反泣きになっている男性、理屈ではわかるけど教授の考え方は理想的過ぎてCommitできないという子、様々な反応。確かに理想的だけど、理想がなければどうしようもないと思う。特にこのFiledは。同時にいろんな話を聞けた。Dormはすごく感情的になっていて、アフガニスタンからきた女の子はどこかに隠れてしまい、それを血眼になって探している一団がいた、とか、ラジオで「アラブ人を消滅させれば問題は解決だ」といった人がいるとか。今日になっても私のどこかはひどくさめている。「私たちアメリカ人はどう行動すればいいのか」という問いなどにはあまり反応できなかった。
寮に帰って夕食を食べながらHectorと、そのあと廊下でシャルーズと話しているときにやっと自分のこととして考えることができるようになった。といってもなにをすればいいのかはわからない。何が最善の道なのか?そんなことに答えを出せる、出す権利のある人がいるのだろうか?私が今できることは、とにかく多くの意見を知ることだと思う。そしていろんな人と話すこと。


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長い一日 - 2001年09月11日(火)

長いです。日記。

今日は長い一日でした。いろいろなことを話して、いろいろなことを考えて、いろいろな人を見ました。まだいろんなことを整理し切れていませんが、ちょっとづつ書いていこうと思います。
はじまりは、なんでこんな朝早くに電話がいたるところで鳴っているんだろう、と思いながらの目覚めでした。
シャワールームで身支度をしていると、入ってきた同じ会の住人が興奮したようすで話し掛けてきました
"you know what?Pentagon and WTC has attacked! hijacked plane clashed and brew up!!!"
"you kidding? it can't be!"シャワーを浴びていた女の子は言いましたが、彼女は真剣、私も聞き返しましたが、TVでやっているという。
本とか定かじゃないまま下に下りていくとTVがあるGreatHallに朝一番とは思えないほど人が集まってテレビに張り付いている。そこで初めて映像をみる。
呆然。
映画かと思った。だって、ペンタゴンだよ?アメリカの軍事の中心みたいなところだよ?
とにかくショックであまり言葉が出てこない。それでも日常生活は続いているので、朝食をとりに行く。
早起き組みと話しながら朝食をとる。TOMはAnti-WTOだけど、このやり方は間違っているといっていた。みんな静か。この時点での総意は、it's really stupid, it only make Bush admin. be more agressive.といった感じだった。授業に行くまでもなんだかみんな落ち着かない雰囲気。
Spanishではそのニュースをスペイン語で読んだ。そのあとConflict Resolutionへ。この日初めて受けるPACS(Peace and Conflict Studies)の授業。どういう風になるのか。しかし、教授は交通機関が止まったせいでこれなくなりCancel.代わりにGandhinianの教授が短いDisをはじめる。私が思ったよりみんな冷静、いや冷静ではないんだが短絡的に復讐を求める人は少なかった。1人ニカラグアについて研究している子がいて、"we have to think why we American are hated so much"といいながら泣き出してしまった。授業の後そのこと1時間くらいカフェではなす。Democraticな国なんてあるのか、何をもって正義とするのか、私たちはどうしたらいいのか。彼女は次の授業があったのでまた話そうといって別れる。
そのあと寮に戻ろうという途中、SproulPlaza(FreeSpeechができる広場)で人だかりが、PACSの同じ授業をとっている子が何か呼びかけている。近寄って聞いてみると、安易に報復を考えないこと、暴力で暴力に報いるのは間違いであることなどを話していた。今夜8時からcandlelight virgil for Peaceという集会をして、OpenMikeで話したいひとが2分間それぞれ話すらしい。みんながどういった考え方をしているのかしりたかったのでいくと約束してわかれる。警官は生徒が集まることに警戒しているらしく、話しているとき見る間に消防車が3台Plazaを囲んだ。
こんなことがあっても宿題は出ていることに皮肉を覚えながら宿題をする。MiddleEastに行く前に、またGreatHallでCNNのニュースを見る。今度は朝と違ってかなりニュースに対して批判的に感じた。
イラクやユーゴスラビアやアフガニスタンでこの事件が起きる前も同じような恐怖を長い期間味わっていた、そして今も苦しんでいる人がいるということを、そしてその同じような苦しみの一端をアメリカ政府が担っているということはどこに行ったんだろう。アメリカ人だけが世界で唯一のvictimではない。同じことがUSに起こっただけとも言える、極端に言えば。もちろん犠牲者はなにもしていない、このような手段をとった集団はcondemnされるべき。でも同時に何が彼らをそこまで追い詰めたのか、何が彼らにアメリカを攻撃の的にさせたのかも考えるべきではないか?
US under Attack.繰り返される被害者やその家族の映像、許されるべきではなという政治家、喜ぶパレスチナ人、これがPropagandaではないか?本当に全てのパレスチナ人がそのような態度を取っているのか?そして彼らがやったという証拠は?同様にアフガニスタンがやったという証拠もない。無責任な。
MiddleEastの授業ではまず、テロリストの定義をDisして、それから6人くらいのグループに分かれて続きをした。私たちは主にメディアの報道の仕方について話した。Ihouseに済んでいるイタリア人の女の子は本当にCNNニュースの報道の仕方を疑問していた。彼女は、TVが一言アフガニスタンがしたんじゃないかといったとたん、アフガニスタンがどこにあるかも知らない人が手近なアフガニスタン人もしくはそう見える人を襲うという可能性だってあるといっていた。アメリカ人の女の子は今まで自分はPeaceにCommitしていたと思っていたが、Newsを聞いたらすごく感情的になったといっていた。いままで私たちは自分が完全に安全と信じていてその上で平和を叫んでいたけれど、いざこのような事態になって本当に平和を叫べるのか。私にはやっぱりこの事件はちょっとはなれた出来事で観察している感じだ。
授業のあとDiscussionSecにいく。今日は私とFacilitatorしかいないらしい。
私にはありがたいのだが。1時間ほど私がこの事件をどういう風にみているのかや彼女の意見などを聞く。かなり英語で考えが整理できた。一回メディアが真珠湾と比較していることにどう思うかといわれて驚いた。そのことに何もかんじてなかったから。いまもどうも思えない。
8時からCandlight Virgil for Peaceに行く。ろうそくを燈して人々の話を聞く。歌を歌う人、詩を読む人、ラップを歌う人、そして沢山の人が演説をした。多くは暴力で暴力に報いるのはちがう、人種差別はするべきではない、といった論調だった。1人報復を!祖叫んだ人がいて、アメリカの国旗を掲げている人たちは拍手をしていたが他がすごい勢いでブーイングしていた。すごくいろんな見方があるのだ、そしてこういう場があるということはとてもいいと思った。
弟を無くした人や友達を亡くしたひと、様々な感情が入り混じった夜だった。
広場が人で埋まっていて、いろいろな意見を聞いた。いろいろな反応をみた。


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邂逅 - 2001年09月10日(月)

けいしろうとの連絡方法は確立できないまま授業へ。とりあえずSpecialMessageを留守電にいれておく。Spanishのあとは部屋にもどってConflictResolutionのPaper.自分が体験したConflictについて書く、楽そうなのだが意外と自分のConflictを系統立てて書くというのは難しい。一応時系列で書いたが…とちゅうで午後の授業に。ここでけいしろうに邂逅!!ふーーよかった。もうあえないかと思ったよ。今日の授業は半分くらいOliverStoneのHeaven&Earthを見た。ヴェトナム訛りの英語は聞きとりにくいっす。そのあと、BlondiesでPizzaを食べながらいろいろ話す。日本語で語ったの久しぶりだよ。たのしかったー。Thanx.そのあとIhouseの部屋をみせたりして、SatherGate付近で話していたら、偶然れんちゃんと再会。けいしろうの友達のあさみさんとUnitを見学に行く。Unitの中は綺麗でした。れんちゃんはTripleにすんでるんだけど、かなり感じ違う。大体住人がFreshman中心という時点でもかなり雰囲気が違った。でもあちらも面白そう。しかし私の英語会話力だとかなり大変であろう。Cafeteriaの食事はHarvardよりもまずいらしい。どんなだ、いったい。
かえってPaperにとりかかる。あとそろそろ本格的にSpanishをBlushUpせねばー。


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勉強べんっ今日 - 2001年09月09日(日)

今日は勉強三昧。とはいいつつも、起きたの昼なので半日でしたが。
ひとつところで集中できないたちなので図書館のカフェ、芝生の上、Ihouseの図書館などでひたすらお勉強。主にReadingsを読むのとスパニッシュ。
帰ってきたらルームメイトはもう寝ていた!!!
おこさないようにシャワーを浴びて帰ってきたらけいしろうから電話がきたばっかりでした。携帯に電話くれとのことだったがその肝心の携帯番号を紛失(Gush!)、メールも消してしまっていた。リダイヤルしたり(誰か違う人にかかりました)したが打つ手なし。とりあえず電話をそばに置き、メールをかいてねる。


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非効率 - 2001年09月08日(土)

な一日。どうも土曜の私は使い物にならないらしい。ううん。
昼に起きてしばらくボーっとしたあと、JapanClubのWelcomePartyに行く。
おにぎりがあった!たがが外れたように食べる。
ゲームは楽しかった。こないだのミーティングよりいい感じ。
就職の話をちょっと聞いて、ボストンキャリアフォーラムに行くことをきめる。
パーティから帰ってきて勉強しようとするが、ボーっとしているだけ。
ちょっと仮眠したらもう11時でした。もう今日はあきらめて寮のComingto AmericaDanceへ。そこで2時間ほどすごす。もちろん踊って。
でも、サルサだけには慣れん。あのスキンシップはどうも苦手である。
"i dont know how to dance"というと、「じゃあ、教えてあげよう」…違うって!踊りたくないんだってば!今度から"I dont like it"ということを心に誓う。
ふつーに体揺らしてるのが好きです。
というわけで楽しかったけど微妙に疲れ果てて部屋に戻る。ふう。おやすみー。


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やること増えてきた。 - 2001年09月07日(金)

昨日なかなかReactionPaperが終わらなかったせいでかなり寝不足のまま登校。
まあ、金曜日だしね。週末があるからかかなりの量の宿題が出ている。うおー。
そのあと図書館にいってReserveBookを1Dayなのでさっさと読みたいのだが、そうさくさくいくわけもなく。途中から図書館のかふぇのテラスで読んでいたのだがか、風が冷たい…やっぱりスニーカー買わないとさむくてかなわんわ。
結局半分ほど読んだところで授業時間に。いったん返して教室へ。
Discussionでは1回しか発言できませんでした。20人くらいいるのに5人くらいでDisしていた。1人すごく、押しの強い人がいて、がーっというので(しかもちょっとかたよっている)周りが引いていた。怖くて反論できないんだよね。かなりUS#1!って感じの人だし。Disが終わったあと近くの女の子たちと「話せなかったねー」といって別れる。
授業のあとはTelegraghAve.をうろうろしてから帰る。露店が沢山出ていて見ているだけで楽しい。タワレコでBjorkを買って帰る。帰ったらSocialSecurityCardとATMカードがついてた。おお、やっとか。
夕食をAkiko,Stephany,SangOhk,Shackと食べ、部屋にかえってCDを聞いてだらだらする。そのあと、Toshioが友達のPartyに行くというのでついていく。Akikoとタイからきたパンと。あとからShackがIhouseの人をいっぱい連れてきたのだが、なんだか入りにくい雰囲気だったので早々に退散。Shashin、Evonne,Ioanは別のパーティへ。私は疲れたので、AkikoとShackと一緒にFoodCourtへ行って、それぞれカリフォルニア巻き、サーモンまき、照り焼きチキンを食べる。そこでDanielとDiogioにあったので一緒にIhouseまで戻る。Danielは誰に習ったのか知れないが「やめてーやめてー」を連発。どういう意味でいってるの?と聞いたらdon't hurt me any moreだそう。誰ですか、教えたの。
明日起きれるかなー、4時までに図書癇に本返さなきゃいけないんだが…


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臨時シングル - 2001年09月06日(木)

イリノイに行く家族の見送りのためルームメイトは週末までいない、ので今臨時シングル状態。
音を気にせずに朝起きれるって素敵。
もうかなりなれたのでスムーズに支度をして授業へ。Spanishは何事もなく終わる。ConflictResolutionも昨日がんばってReadingsを読んだのでついていきやすかった。そろそろ火曜のPaperにかからなきゃなあ。ReserveBooksを探す。いくらStuckを探しても見つからないので本を整理しているおねえさんに聞いたら、本を元の場所に戻す前の集積所を見れば多分あるとのこと。そこに全部ありました。しばらくそこで読むが、人の声が気になるのでカフェに移動。どうやら突出した声が気になるらしい。がやがやは全然大丈夫なんだけど。
で、そのあとMiddleEastへ。頭が爆発したような髪型の男の人がすごい知ってるなと思ったらユダヤ人の人でした。Disのグループが一緒だったんだけど、すごく素敵な人。バランス感覚があって、偏っていない。彼に、私の無宗教のことを聞かれ、説明するのに一苦労。ううん、日本語じゃないって難しい。いや、それに甘えてはいけないんだけども。ついexcuseに使ってしまう自分がいるよ。
夕食後、ちょっと仮眠するかと布団にもぐりこんだらいきなりFireAlarmが!始めは電話かと思った。貴重品をもって駐車場へ。みんな何事?って感じだった。寒いし。結局何事もなく、訓練か間違いかどっちかだったらしい。でもこういうときに車椅子ってたいへんだな。こっちに来て驚いたのはDisabled personが学生に多いこと。近くの部屋のVictorも電動車椅子。すごく面白い人だよ。はじめてあったときは仮面つけてたのでその数日後まで本との顔がわからなかったけど。生徒も設備も慣れている。私も英語的にはDisabledPersonだし、全体的にそういう人の扱いに慣れているみたい。始めはびっくりしたけど、だんだん「当たり前」になってきた。


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Huuuuuu - 2001年09月05日(水)

いつも通りSpanishを終え、今日はLLをする。教室がある階の下の階へいってテープを借りる。1時間ほどかけて先週の分を終わらせる。これは来週提出しなければならないのでまあ授業の延長のようなもの。
宿題を図書館でやったあと授業へ。今日はWarとはNature,or,Nutureというのga
Topic.教授の若いころの体験談を交えて授業は進む。結論はNutureだというほう。ベトナム戦争の話などいろいろ聞くことができた。私にとって戦争というものは遠い世界の話、韓国などと違って日本には兵役がないし、教授のベトナム戦争時の兵役拒否の話などかなり興味深かった。やはり、遠い人の話として聞くのと、本人を目の前にして聞くのは違う。
授業のあとは部屋に戻ってしばらく宿題。ルームメイトが戻ってきてPCを立ち上げようとしたらクラッシュしたらしく、かなりショックをうけていた。しかしCSが専攻の彼女がどうにもならないものを私がどうにかできるわけでもなく、せめて静かにしていようと静かに宿題続行。大丈夫?という声はかけたけど。
5時にZoltanという前にIhouseに住んでいた人がお茶しようとメールで誘ってきていたのでカフェへ行く。しかし他の人は来なかった。前回のランチのときは5人しか集まらなかったらしいのでそこまで落胆はしていなかったが。2人で1時間ほどおしゃべりしてから彼はLaboへ、私は図書館へ行って宿題続行。
7時に日本人クラブの集まりに顔をだす。ただピザをたべて満足。でも入るかどうかはわかんないなー。ちょっと閉鎖的な気もするし。
 寮に帰ってからは宿題またまた続行。CoffeeHourはあきらめる。おわんないよ。


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本格始動?? - 2001年09月04日(火)

2週目開始。朝はJohnnyやTom,早起き組と朝食。大体8時に始まるクラスをとっている人が固まってきた。Johnnyは日本語取っているらしいが、かなり簡単らしい。まあ、5年日本に住んでたっていうからなー。
ここんとこ毎朝サラダ、コーンビーフハッシュ、ヨーグルト。飽きないもんだな、以外に。
スペイン語は、うーん、やっぱり前習ったことを完璧に忘れている。時間をかければわかるんだけど、反射的に言葉が出てこない。語学ってほんとうに積み重ねだなあ。そのあとはConflictResolution.前Disscussionで一緒だったひとが同じグループにいて、水を向けてくれるので助かった。やはり流れにのって話すことはまだできない。理解するので精一杯だよー。本当に理解しているのかも怪しい。MiddleEastは、歴史的な背景をやったあと、教授が両方のサイドの人のE-mailを読む。これがまた面白かった。ひとつのことを2つの面から見ている感じ。たとえばtargettedというかmurderedというかでかなりイメージが変わる。言い回しをちょっと間違えると反対勢力だと思われることもあるそう。気をつけて新聞を読もうと思った。
帰りがけにReadingsを買いに行く。またお金が飛んでいく…20ドルぐらいっていってたのに30ドル越してたよ。ごーん。
寮に帰って図書館で勉強。みんな勉強してるよ。ちょっとすごい雰囲気。うかつに音立てられない。いや私だって勉強してるんだけどさ。


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Labor Day - 2001年09月03日(月)

Water world & California State fairにいってきました。
日ごろの行いが良いのか(^^;)快晴。
2時間ほどバスに揺られサクラメントへ。昔TennesseeでいったCountyFairの大きい版みたいな感じ。WaterWorldは遊園地のプールみたいなもの。
バスでとなりになったSangOhkという韓国人の女の子とずっと話す。彼女は今週のリトリートに行くはずが、友達が2段ベッドから落っこちて付き添いに残る羽目になりいけなかったそうだ。うわあ。そういえばこっちのbunk bedって柵ついてないや。下の段にねてたから気にしてなかったが。
WaterWorldでは滑り台?にのったり流れるプールで流れたりして楽しむ。帰りがけにフェアでNachosを買ったりする。総じて面白かったけど、もっとみんなで行動したかったな。ちょうど一緒に行動した女の子が何事にもけちをつけるタイプで(SangOhkではない子)、ちょっとむっとする。楽しもうよ、せっかくきてるんだからさあ。
寮に帰って、今日は夕食がないので、部屋が近いDavid,Humberto,Maurisio, SangOhkとフードコートという小さな店が7軒ぐらい集まっているところにいってタイ料理を食べる。こっちのアジア料理っていろいろ混ざっていて結構微妙。豆腐ってタイ料理にあるの?
同じIhouseにいる人に沢山あう。みんなここが手軽なのでたべに来るらしい。
部屋に帰ってちょっとReadingsを読んでねる。また1週間がはじまるぞ。


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まあまあがんばった。 - 2001年09月02日(日)

今日は1日読書の日。カフェで6時間ほど粘ってPACS10の読み物をよんだ。
戦争というのは人間の本能なのかどうかを論じたArticlesなのだが、いろんな立場の主張が一度に頭の中に入ったので混乱中。今週からReactionPaperをかかなきゃいけないので何をかこうかちょっとなやむ。
私はまだ戦争が本能かどうかは判断できないな…人間が残酷だということはわかっているけど、本能…うーん、あんまり認めたくはないけどね。わからない。
それからPalestina関係を読み始めるがあまり進まず。情報量が多すぎて消化できない模様。明日はよめないしな、たぶん。
夕食の後はせんたく。やってしまった…白いTシャツぴんくになっちゃったよ。ちょっとへこむ。そして2回やっても乾かない乾燥機。おーい。
ここで先日あったミンジンとはなす。ビルマ出身。あとから聞いた話によると、ビルマの現状を伝えるという目的もあってこっちにきたらしい。すごい。みんな目的意識がはっきりしている。私も真剣にかんがえなきゃなー、とおもう。


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無為 - 2001年09月01日(土)

に一日を過ごしてしまった…
この1週間の疲れがでたのか、ほんとに寝てるだけの一日。
明日がんばんないと。


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