離れずに暖めて

というSING LIKE TALKINGの名曲があるのだが、
久しぶりに聴こうとしたらCDの中身が行方不明になっていた。
今はがさ入れをする余裕が無いのでまた今度にすることにした。
というのも昨日の午後から調子が悪くて寝込んでいたのである。
おそらく風邪であろう。食欲が沸かなくて、昼食を少し残して
布団に包まってウンウン言ってると夕方から猛烈な寒気が襲ってきた。
もちろん夕食など食べれるわけも無く、薬を飲むために一口二口を
食べただけでギブアップ。何をする気も起きずに寝てしまった。
翌日にバイトがあるのだが、二人シフトのために休むわけに行かないからだ。
しかし何よりも気がかりなのは無償の奨学金申請の締切日だ。
ありえない話だと自分で思っているのだが、無償の奨学金に
応募してみないかと事務の人に誘われたのである。
応募書類には「優秀な学生」という私には程遠い文字が書いてある。
はっきり言うが私は「優秀な学生」とはかけ離れた位置にある。
そんな何かの間違いを逃すわけには行くまいと思って
応募書類に必要な研究計画書やレポートの構想を練っていて
最終日までにカタをつけようとした矢先のことである。
まさか病魔によってこのありえない話を打ち切られるとは思ってもいなかった。
万に一つの思いで翌日の朝に体調が戻り最後の賭けに出れるかと思ったが
結局体調は戻らず。えずきながらバイトを何とかこなし
再び布団の中の人に。嗚呼、やはり私には過ぎたモノであったのか…
これを書いている今は随分と元気になったのだが、
せめてもう一日締め切りが遅ければと思うのだが、もう後の祭りである。
後悔やむなし。何事もギリギリに仕上げずに余裕を持って行えという
天からの掲示であったか。それにしても10万円の給付をフイにしたのは
非常に惜しいことではあるが、大きな代償は倍にして返せということか…
2005年01月31日(月)

汚い話で申し訳ないが

おしっこをすると尿道が燃えるように熱い…
2005年01月30日(日)

ありがとう

普通にオールだったので電車で梅田に着いたのがわからず
そのまま寝続けているとお客さんに起こされた。
親切な人もいたもんである。ありがとう。
2005年01月29日(土)

ゲホッゲホッ

最近の曲が歌いづらい(キーが合わない)のに対して
ささきいさおの曲が歌いやすいのはどういうことだ!
2005年01月28日(金)

昨日の続き

実は昨日の話は一見するとごく表面的な部分しか表していないが、
実のところ、かなり複雑な状況を内包している。
イギリス兵に関するところでは白人の多色人種に対する差別心について。
特にイギリス兵というのは人種差別が酷くて、
白人以外の人間を人間と認めていないフシがあった。
イギリス国内ですら階級差別がひどいのだから言わずもがなである。
アーロン収容所の件でもわかるようにあまり褒めれたものではない。
(今でもイギリス兵の捕虜が賠償を要求しているが、
 それはお互い様だろうが、と言ってやりたいと思うのは内緒の話)
しかし糾弾されるべきはイギリス兵だけではない。
ボロボロになるような作戦を立てる日本軍の参謀もどうかと思う。
かの悪名高きインパール作戦に代表されるように、
この頃の日本軍の作戦立案能力というのは無能としか言い様が無かった。
圧倒的な機械力を前に根性だの大和魂だのという精神論でしか話が出来ず
しかも物資が乏しいことを無視してあまりにも無謀な作戦を立てていた。
精神論で戦車に勝てるなら武田騎馬隊が織田鉄砲隊に勝てるではないか。
そんなことは常識的に考えても無理である。
人間、来るところまで来ると目を背けたくなることばかりであるが、
それでも私はやはり人間という存在を信じてみたい。
2005年01月27日(木)

世界残酷物語

第二次世界大戦中のある日のこと。
ビルマのベンガル湾においてイギリス軍が
日本軍約千人をおびきよせる作戦を行っていた。
その夜イギリス軍はすさまじい悲鳴を耳にする。
おびき寄せられた日本軍の負傷者の血に反応した大量のワニが
日本軍の将兵を襲い始めたのである。しかもこの地方のワニは
イリエワニといって世界で最も恐ろしいとされているワニである。
それが群れを成して襲い掛かってきたのである。
対する日本軍は終戦が半年後に近付いている時期であり
まともに戦える状態ではなく、負傷者を抱えていることもあって
身動きなど取れようも無い。
朝になってイギリス兵が現場に行くと生存者は20人ほどしかいなかった。
野生動物による大量殺人の最大の記録ともいえるこの事件だが、
では、この事件で一番残酷な行いをしたのはワニであろうか?
この時のイギリス兵の心情を書いたものを目にしたことは無いが
果たしてどのような気持ちでこの悲鳴を聞いていたのか?
そこに戦争の持つ狂気というものが浮かび上がってくるのではないだろうか。
2005年01月26日(水)

あの…

pillowsのライブDVDに挿入されるバスター君のアニメが
めちゃくちゃ可愛いんですけど…
しかも入ってる曲もほぼベスト盤的内容で
殺人的なDVDなんで困ってます。
例えばオープニングの立ち上がるバスター君。
立ち上がる様子がとても愛らしい。
そこに被ってくる曲が「Please Mr. lostman」
この演出がカッコいいのだ!
それ以外にも雨の中ずぶ濡れのバスター君。
手に鉢植えの花を持っている。そこから始まるのが「ONE LIFE」!
歌詞の中に花の表現があるから憎い趣向の凝らし方である。
もう全編こんな感じで長く、そして深く愛しているファンなら
感涙ものの内容だ。
もちろん当日の曲目を全て収録していないなど不満点はあるが
この内容であれば十分に満足できる。
もっとも一番収録して欲しかったのは去年の私のライブのベストシーンである
さわお君が涙して歌えなくなった大阪でのライブではあるが…
2005年01月25日(火)

始まりと再生

セレッソ大阪の始動日、今年初練習の見学に行ってきた。
南津守の練習グラウンドは始めてである。
憧れの選手を直に間近で見れたことや、
スタンドにブラジル代表としても活躍したGKジルマール
(現在は代理人として活動しており、この日は自分の世話した
 選手の様子を見に来ていた。)がいたことなどは
今回はあえて省かせてもらうが、一つとても感銘したことがある。
それはこの地が持つ雰囲気である。
広い空の下、緑の芝の上で練習をこなす選手たち、
それを見守る子供から年配まで幅広い年齢層のファン。
ここでこの地における最高峰のフットボールの血脈が
築きつかれつつあるのだ。スーパースターがいるわけでもない
成績もさほど良くないこのチームでもそれを温かく見守るまなざしと
それに答えようとする想いが交錯し、そこから生み出される
熱い力というものが心に響いてきた。
日も暮れ始め暖かいという気温ではなかったが、
私の心はその力に触れただけで十分に熱くなっていた。
もちろん始動日ということも大いに関係しているのであろう。
去年が散々だっただけに今年の仕切りなおしにかける想いは
皆強かったはずである。それがこの雰囲気を生んだに違いない。
優勝なんておこがましくてとても言えないが、
再生とこれからの飛躍のための大きな地固めとして
良い成績であることを心の底から願いたい。
2005年01月24日(月)

おいおい

http://www.zakzak.co.jp/gei/2005_01/g2005012201.html
↑グティが無名のサッカー選手って失礼な話だなぁ…
まぁ、去年レアルが来日した時もベッカムと一緒に出演した
モリエンテスの扱いが酷かったことを考えればベッカム以外は
ジダンやロナウドクラスでないと誰でも無名なのかもね。
そんなことよりもアヤックスです!
ハリステアス(ギリシャ代表、ブレーメンから今冬移籍)の補強が
バッチシと当たりました。おまけにバベルも決めて幸先の良い勝利。
こりゃUEFAカップも良いトコまでいけるかもしれませんな。
で、最近になってやっとバルセロナの試合をまた見始めたわけですが、
ジュリっていう選手は良いね。好みのタイプだ。
スピードがあってサイドから果敢にゴールへ向かっていく。
聞けばモナコじゃウイングだったとか。
オフェルマルスといいグロンキアといい
ウイングタイプの選手に惹かれるようです。
いや、まぁ、ラファエル君とかスネイデルとかヴィチュヘみたいな選手や
魂溢れるGKやスマートなプレーを見せるGKなんかも好きですが…
何か好みがバラバラだな。
2005年01月23日(日)

漬けられてます

朝からサッカーに関することばっかりだったなぁ。
サッカーゲームをやったり、中継を見たり、ニュースでビックリしたり。
中継はバイエルン対シュトゥットガルト戦。
ヒルデブラント良いなぁ。試合はもう一つ退屈だったけど…。
でヴォルフスブルク対ピーレフェルトは…寝てしまった。
その後セレッソに広山望のレンタル移籍が成立した報が!
期待のブラジル人ファビーニョも正式発表となって
いやいや、驚いたというか何と言うか…
2005年01月22日(土)

反省文

日記を書くときって下書きしてますか?
僕は下書きはおろか推敲すらしないことが多いので
途中で話が変わっていたり、言いたい事が
曖昧になっていたりすることが多いので困りものです。
思うがままにキーボードを打つので仕方ないと言えば仕方ないですが
やはりある程度図らないと昨日の日記のようになるので
要注意ではありますな。
2005年01月21日(金)

久しぶりにまともなことを書いてみる

ここ数日「暴力」というものについて色々と考えることがあって
難しい理論は言えないが何となく理屈っぽくなってきた気がする。
これで院生の仲間入りってトコですか?まぁ、それはさておき、
近年は道理が通らないことが多すぎる。
いわば正論が暴力に屈することが多すぎるのだ。
例えばバス亭で列に並んでいる。バスが到着して乗ろうとする。
列に並んでいない輩が先に乗ろうとする。それを咎めた人が
並んでいない輩に刃物で刺されて死ぬ。
万引き客を店員が追いかけて捕まえようとしたら刺される、死ぬ。
電車で他人の迷惑になるような大きな声で話している若者に
もう少し静かにして欲しい旨をやんわりと伝える。刺される。死ぬ。
何だかやたらと刺されて死んでばかりだが、最近は訳がわからないので
実際にこのようなことが起こっているのも事実である。
そのためいくらひどい凶状が起こっていても見て見ぬフリをする輩が
増えているのも事実である。見て見ぬフリに関しては長くなるので追求しないが
問題はこの刺されるという暴力が勝ってしまうという点である。
どれだけ正しい行いであったとしても刺し殺すという暴力によって
カタがついてしまうのである。もちろん暴力に対しては当然ペナルティが
課せられるとは言え、そのペナルティが最近は軽すぎたり、または
ペナルティを恐れない輩が出ているのも事実であり、暴力で相手を
押さえつけることによって正しい行いを封殺しているのである。
これは我々の日常だけに起きている事ではない。
国際関係間においても多々見ることが出来る。
例えば「戦争」という言葉があるが、最近は「戦争」らしい「戦争」はない。
イラク戦争などは圧倒的な物量と戦力によってイラクをなぶり殺しにした。
これは果たして「戦争」といえるのだろうか?
私にとってそれは「暴力」にしか見えない。
均等に近い戦力差によって初めて「戦争」という状態が成立するのであって
圧倒的な戦力差で相手を呑み込んでしまうのは「暴力」としか言えない。
ナチスドイツによるポーランド侵攻や中国共産党によるチベット侵攻、
イラクのクウェート侵攻といったものはその最たる例であろう。
昔から「力」がモノをいう世界ではあったが、それが人類の歴史の
答えであるとすれば何と空しいことか。「力」だけが全てではない
そんな世界は理想かもしれないが理解と知恵に溢れる
世の中になりはしないものか。そう考える毎日である。
2005年01月20日(木)

?

この季節になると婦女子のミニスカート姿は非常に寒く見えるが
クソ寒い中そんな格好をして寒くないのかと聞くと
やはり寒いそうだ。見栄えのためにやせ我慢をするとは涙ぐましい努力である。
しかし、まだこれは理解できたのだが、今ひとつ理解できないのが
ズボンの股穿きと呼ばれる穿き方。どんな穿き方わからない方のために
説明すると、ズボンのベルトを締める部分が股の部分にあり、
本来の股の部分が太ももの中ほどにある穿き方で、
正直、見栄えはとてつもなくかっこ悪い。
まず足がかなり短く見える。元々日本人は足が短いとはいえ意味がわからない。
それに加えてあの穿き方ではとても走れないであろう。
一体何のためのズボンか理解に苦しむところではあるが
お洒落とはそういうものなのであろうか?
しかしあえて反論させてもらうとすれば服というのは一部を除いて
動きやすいように機能的に出来ているものである。
昔、坂本竜馬は動きやすいと理由で羽織袴に靴を履いていた。
羽織袴に靴というと変な感じではあるが機動性には富む。
この点ではまだ理解が出来るが、この股穿きなる穿き方は
一体何なのだろうか?私には理解できない。
2005年01月19日(水)

こんなことは初めてだ

大声を出しすぎたら頭が痛くなった。
一時的な酸欠だろうと思っていたら
家に帰ってもまだ痛い。
痛いと言うよりは何だか気持ち悪い。
食欲もあまり沸かず夕食もそこそこに就寝。
朝起きてもまだ少し痛い。
お昼頃になるとさすがに痛みは治まったが
それにしてもこんなことは初めてだ。
2005年01月18日(火)

あえて書かないある事柄

この日になると毎年恒例のことを書いていたのだが
今年は書かないことにした。
というのも10年目の節目を最後にマスコミは
もう騒がなくなるだろうし、それに合わせて
周囲も静かになっていくだろうから。
でも、それで良しとするほど僕は甘くは無い。
10年目を超えてもこの日起こったあのことを
忘れるわけにはいかないから。
喉元過ぎれば何とやらと言うけれど、
まさに今がそれ。当事者としては喉元もくそもない。
2005年01月17日(月)

季節耐久我慢レース

以前日露戦争の時に徴兵されたら体脂肪が少ない自分は
寒さで死んでしまうという話を書きましたが、
この前似たような話をしていたら友達に
「じゃあ北海道に旅行に行こうか?」
と言われました。チョット待て!貴君は私を殺す気か?
北海道はもちろん冬の北欧とか南極とかも却下です。
ところで体脂肪でふと思ったのだが、
ロシア人はたいていが歳を取るとぶくぶく太り始める。
これはおそらく極寒の地で生きていくために体がある程度
その環境に順応していくために体脂肪を増やしていっていると
推測できるが、しかしながら疑問なのはポリネシアなどの
温暖な気候である南洋の人々がブクブクと太っていくこと。
体脂肪を増やす必要はことさら関係が無いように思えるが、
何故あのように太ってしまうのか?
この理由は簡単である。南洋の人々は穏やかな生活を送ることによって
気が緩んでしまい、その結果としてお腹回りも緩んでいくのだ。
ある意味で幸せ太りとも言えるであろう。
どうせ太るなら後者のほうが良いなぁ…
2005年01月16日(日)

冷え性に悩む

男の癖に珍しく冷え性なのである。
最近は随分とマシになっていたが、
やはり靴の中が雨に濡れたまま寒い中にいたりすると
見事なまでに足先が冷たくなってくる。
今日はまさにその典型的な例。
美味い料理を食べながら内心冷え性で苦しむ自分。
足先にあまり感覚が無い。
案の定帰りのバスの中でお腹が痛くなってしまった。
しかしこの冬と言う季節は難儀なもので
上は重ね着で何とかマシになるものの
足、特に脚はズボンは一枚だけであるために
非常に寒い思いをしている。男なのでさすがにタイツは履けないが
かといってパッチを履くと蒸れてしまうので使えない。
この状態何とかなら無いだろうか。
2005年01月15日(土)

つ〜か〜れ〜た〜

この一週間は怒涛のようで、
家に帰ってパソコンをつけている間に
知らぬ間に寝てしまって
さぁ、大変なんてことが多々ありました。
とりあえず一息つけてホッとしてます。
2005年01月14日(金)

パブロフの犬

困ったことが一つある。
最近「王の帰還」のサントラを聴くと
シーンが頭の中で甦ってきて涙が溢れ出てくるのだ。
しかも朝着替えている時にである。
朝から何をしとるんだ私は…
2005年01月13日(木)

俺達の誇り、嘉人

セレッソにとって救世主のような存在であった嘉人、大久保嘉人が
1ゴール、1アシストという華々しいデビューを飾った。
長居でのホーム最終戦、嘉人を送り出すセレモニーで
泣きじゃくりながら「大きくなって帰ってきます」と言った
あの日から一ヶ月と少し。その間にセレッソの残留を決め
スペインへと旅立ってすぐに結果を出すとはやはり
「俺達の誇り、嘉人」である。
(ここでいう俺達というのはセレッソのサポーターと言うことで
 自分の呼称が変わったわけではありません。)
スペインに行ってもすぐに喜びを与えてくれ、
『残留請負人』という難行をやってのけるに違いない。
心からおめでとう!嘉人!!

P・S 今さらでなんですがグロンキアが移籍後すぐに試合に出るというので
   アトレティコの試合を見ました。初めてフェルナンド・トーレスの
   プレイをみたのですが、とっても良い選手ですね。
   噂には聞いていましたがあんなに巧くて強いとは、
   将来が楽しみな存在ですな。同じスペインの若手レジェスが
   所属するアーセナルに獲得を勧めたとか。
   今後の動向に目が離せません。
2005年01月10日(月)

世に吹きすさぶ見苦しい風

常日頃、何だかなぁと思うことがよくある。
今日はそのうちの一つを紹介する。
電車で並んでいるといい歳をおっさんが列に並ばず
到着した電車のドアに並んでいる人よりも先に入ろうとしている。
いい歳をして世間一般の常識を守れないのかと。
しかしもっと情けないのは列に並ばない親子連れである。
これでは日本の道徳や倫理が崩れてしまうのもうなずける。
手本となるべき人物が平気で社会のルールを破っているのである。
断っておくがここは中国ではない。
かの国であれば列に並ぶ習慣が無いため仕方がないといえる。
しかしここは日本である。日本では列に並ぶというマナーが
根付いている上に駅のアナウンスなどでも列に並ぶように呼びかけている。
そもそも列に並ぶのは合理的な理由があるためであり……
何だかこんな常識が無い人間のために怒る労力が無駄に思えてきた。
書く気が失せたのでこの項了。
2005年01月09日(日)

寒いのは財布と頭の中

今日から授業が始まるので寒い寒いと思いながらも京都へ。
お昼を食べる時間が無いので電車の中で食べようと思うと
特急がよりにもよって対面式の座席だった。
普通、阪急京都線の特急は座席が進行方向に向いており
ごくたまに対面式、つまり普通の列車のタイプが紛れ込んでいる。
この場合、衆人環視に晒されるため食べ物を食べることはあまり好ましくない。
それこそ自分を社会の公器と自負するおせっかいさんに
「あんたちょっとマナー悪いんとちゃいますか?」
などと足下を一種の自己満足に陥れる発言を喰らわされるのがオチである。
しかし背に腹はかえられない。この機を逃すと食べ物を口にするチャンスは
ほぼゼロになってしまうのである。そのため
「そんなに社会の公器を自負するなら携帯電話禁止車両で
 電源を消さずに携帯をいじり倒している奴のところに行け」
と言い返してやろうという、ある意味開き直りの境地に立って
昼食を胃の中にかきこんだ。とりあえず腹の虫は収まった。
阪急電車で恥を忍ぶのは、一応終えたが、油断出来ないのが通学路である。
バス停でバスを待っていると一向に来る気配が無い。寒いのに、だ。
結局電車を一本遅らせても余裕がある時間に来やがった。
何の宣告も無しに運休する帝産湖南交通よりはマシではあるが
この時期はやはり辛い。(帰りのバスもたいがい待たされた。)
しかし一番の衝撃はこの後に待っていた。
やれやれと思いながら学校に着き、授業を行っているであろう棟に向かい
自動ドアの前に立った。ドアは微動だにしない。おかしい。
自動ドアが正月ボケでも起こしたのだろうか。そんなことはないだろうが、
開かないものは仕方が無い。別の入り口から入ろうとドアノブに手をかけ
力を入れると、あら不思議。ビクともしない。開く気配は全く無い。
これはもしかしてと思いもう一つ別の入り口から入ろうとすると
ここもまた閉まっている。まさかとは思っていたが、しかし、
実際にやってしまったのだ。授業開始日を勘違いしてしまうということを。
正月早々何をボケているのやら…
2005年01月05日(水)

赤裸々な心情の吐露

色々と思索することがある。
頭の中で閃いては形にしようと画策するのだが
なかなか上手くいかない。
しかし、まだ形にしようとするだけマシである。
最近は形にしようとするまでのところで頓挫してしまうことが多い。
例えばやると決めてパソコンの前に向かう。
しかし起動してからメニューを開こうとしたところで何故か
気力が薄れてしまい一歩を踏み出すに至らない。
今年は年賀状を今日になっても考え付いていない点でも
かなり気力が充実していないことの証であるように思う。
年明けから文章がやや乱れているところにもそれが現れている。
今年最大の敵は乱れた世情でも歪んだ社会でもなく己自身なのかもしれない。
自己に打ち勝ってこそのこの世である。
そういえば昔から自分を律するのが下手なような気がする。
それが大学受験のときに響いたわけだが、学習していないところを見ると
よほど堕落した人間のようである。やはり渦中に身を投じて
自己を厳しい方面にもって行かなければならないか…。
いい加減甘えから脱却せねばこれ以上の成長は無い。
2005年01月04日(火)

その口危険につき

親がライスボウルを見始めたので一緒に見ていると
試合前にアメフト部員が何やら踊っている
「何の踊り?」と聞かれたが知らないので
「さぁ、左翼踊りじゃない?」
と自分が行っている学校とは思えないような発言。
まぁ、今行ってる学校は左翼で有名だからというだけの偏見なだけで
実際は全共闘の時代も過ぎて民青も京大のパシリに落ちぶれてるので
アメフト部員が左翼踊り(そんなもんは絶対無いだろうが)を踊るなんて
とても考えられることではない。しかし危険なギャグである。
で、肝心の試合内容は…つまらんから途中で寝てしまって
楽しみにしていた国見対藤枝東の試合を見逃したじゃないか。
(新聞の表記が無いので放送があったのかどうかはわからないけど…)
城後と赤星の対決を楽しみにしていたのに…
それにしても今年の高校サッカーはPK戦が多すぎる。
2005年01月03日(月)

初夢の内容は…

起きた時点で忘れてしまいました。
ま、さして印象に残る夢ではなかったんでしょう。
それに夢の内容を無理に思い出そうとするのは
精神的によくないことらしいし。
それでつげ義春が病気になったんだっけ?
皆様もお気をつけください。
2005年01月02日(日)

謹賀新年

一年の計は元旦にありと言うけれど、
親子で「王の帰還」を見て泣いていた我が家は
一体どんな一年になるのだ?

さてさて、そんな与太話はさておき、
今年のカレンダーはNewtonの付録で付いてきた
土星の写真が大きくプリントされたものである。
このカレンダーを壁に貼ると遠い宇宙のかなた
ちょうど土星の軌道上で宇宙船の窓から
巨大なガスの惑星が顔を覗かせているようで
神秘的ながらも先進的な感じがして悪くない。
その昔、まだ幼い時に宇宙の図鑑を眺めては
空想した未来のことを思い出すような
ノスタルジックな気分もどことなく感じさせてくれる。
あの時は世界はもっと広くて謎に満ち溢れていると思ったけれど
成長していくたびに世界は狭くなっていった気がする。
しかし宇宙はまだまだ解明されていないフロンティアのままだ。
あの頃のような無限の可能性はもう秘めてはいないけれど
自分の持っている可能性を少しでも飛躍させられるような一年にしたい。
以上、ささやかながら年始の挨拶でした。
2005年01月01日(土)

Dag Soliloquize / tsuyo