目眩

なんか頭がクラクラするのだよ。
朝から目の前がグルグルと…
おまけに周りがみんな風邪をひき始めて
外堀を埋められているような気分だ。
なんであんまり就職に関わること以外の締切とかで追いたてんでくれ。
ただでさえそれ以外のことで忙しいんだから…
2005年02月23日(水)

昨日の続き

昨日は流れ上書けなかったので、ちょっと今日のこの場を拝借。
もし私が逮捕された場合、どのように報道されるのか?
はっきりいうが私は多趣味なので特定するのは難しいぞ。
まず「犯人はサッカーが好きで〜」というのはありえない。
もちろん「野球が好きで毎週週刊ベースボールを買っている」
というのもありえない。じゃあ次のパターンはどうか?
「犯人は歴史が好きで時代が許せば歴史学者になって〜」
これもありえないが、無理やり決め付けはあるかも。
「犯人は科学が好きでNewtonを10年以上購読して〜」
これもありえないな。オウム信者と被せるくらいか。
「犯人は映画好きでジャンルにこだわらず様々な作品を〜」
これは多少拡大解釈してホラー映画につなげられるかも。
でもウチから家捜ししてもホラー映画なんて出てこないぞ。
録画したまま怖くて見れて無い「リング」があるくらいだ。
じゃあ、怪獣映画か?いや、怪獣映画も世間のマニアさんほど
家にDVDとか無いんですけど(単価が高いんですよ)
じゃあ「ウォレスとグルミット」や「チェブラーシカ」の
ストップモーションアニメに原因を求めるのか?
そんなことしたら子供が見るものなくなっちゃうじゃないか。
じゃあ「犯人は音楽が好きで、特にロックを好んで〜」か。
でも最近はロックよりもポップな曲ばっかりなんだよな…
しかもロックが市民権を得てしまっている現在だと
スケープゴートにするにはインパクトが弱いしなぁ…
別にマリリン・マンソンのCDとかも無いし。
(マトリックスのサントラに入ってるくらいかなぁ)
あ、ブルースに原因を…おい、あれは黒人の虐待から生まれた音楽だぞ
そんなブルースを冒涜するような報道をしたら
本当に十字路で悪魔に魂を売ってブルースアーティストになってやる。
何か自分で書いてて馬鹿馬鹿しくなってきた。
げにスケープゴート探しがいかに空しいものかわかってもらえたであろうか?
2005年02月22日(火)

責任転嫁

連日ニュースを賑わせている寝屋川の異常者の犯行ですが、
こういう報道の時にいつも出てくる表現が
「少年はゲームが好きで将来はゲームの…」
などという風に犯罪が犯した人間の趣味嗜好を紹介し
その趣味嗜好がいわゆる普通の人(この表現も曖昧だが)が
あまり好まないものであればあるほど
その趣味嗜好に原因があるようにするものです。
今回はたまたまゲームでしたが、ここには通常
「ホラー映画」だとか「アニメ」だとか「オカルト」だとかが入ります。
しかしこの報道の仕方は犯人の特徴を捉えたものではありませんし、
犯人が犯行を行った背景になんら関係の場合でもそう報道されてしまいます。
それはなぜか?単なるスケープゴートを探しているだけなのです。
こういう犯罪の場合たいていがそのような趣味嗜好とは一切関係の無い
どちらかというと犯人の人格上の問題が原因だったりするわけですが、
そのような人格上の問題を克明に描写したり批判したりすれば
いわゆる人権派の団体や有識者たちが猛烈な抗議を仕掛けてきますし、
犯人の方も冤罪であった場合は名誉毀損で訴えられる可能性があるのです。
そのため普通の人たちが眉をしかめるような趣味嗜好を犯人が持っていないか
探し出し、それ該当する場合はその趣味嗜好を攻撃することによって
多くの普通の人たちから賛同を得ることが出来るわけなんですね。
しかもその趣味嗜好に関してもできるだけマイノリティーな趣味嗜好を
取り上げればそういった趣味嗜好を持った人たちの反論が少なくて済みます。
こうすることによって事件の本質が包み隠されると共に焦点が逸らされ
人々の関心は秦の時代の焚書坑儒や戦時中の検閲、中世の宗教裁判にも
勝るとも劣らないマイノリティーに対しての弾圧に移って行くわけです。
このことに関しては「ボウリング・フォー・コロンバイン」で
自身も批判の矢面に晒されているマリリン・マンソンが
非常に鋭く的を得た発言をしていますのでチェックしてみると良いでしょう。
2005年02月21日(月)

ちょっと時期はずれですが…

いつも書こうと思いつつも書きそびれてるネタを。
「サーフィン始めようと思ってます」
「プロポーズしようと思ってます」
などなどそれまで頭髪が薄かったことを気にしていた男性が
植毛やズラで気持ち的に心機一転というアデランスのCMで
BGMに使われている曲の人たちは頭髪よりむしろ
体脂肪の方を心配しなきゃいけない人たちなのは
言ってあげるべきなのかどうなのか…
はっきり言うけどゴダイゴのメンバー太りすぎやで。
見る度に巨大化してる気がするもん。特にミッキー吉野とか。
タケカワユキヒデも首が無くなってきたし他のメンバーは
存在感が無くなってきたし…しまったまた余計なことを…
2005年02月20日(日)

本当にあった怖い話

心斎橋のTUTAYAでのこと。
DVDのコーナーで高校時代の友人と話していると
目の前のあるモノに気付き青ざめた。
「おい、ここから早々に立ち去った方が良いぞ」
「え、何で?」
そのモノに対して指を指す自分。それを見た友人は
「わかった」という表情をして早々に立ち去った。
その指の先にはこんなポップが置かれていた。
『ゲイムービー最高!』と。
もちろん私が行っていた高校が男子校だったということは
付け加えるまでも無い事実である。
いや、それ系の人に間違われなくて良かった…
2005年02月19日(土)

めでたくねぇよ

日本アカデミー賞はデキレースです。
まず「日本アカデミー賞」なんていう名前が爆笑モノですが、
それはここでは置いておきましょう。
さて、何故デキレースか?
まず受賞作品を見てもらうとわかるんですが、
DVDのリリース日が近い作品の受賞頻度が高いわけです。
要するに映画会社の利権が物凄く絡んでるわけなんですね。
もちろん映画会社のみならずその映画に関連しているスポンサーや
制作に絡んでいる会社の思惑が見え隠れしているわけなんです。
しかし、これだけではありません。
この日本アカデミー賞のシステムは「日本アカデミー賞協会会員」なる人たちが
投票をして決めるわけなのですが、この会員という人たちの大半が
映画会社の社員だったりする訳なんですね。
そうなると自分の会社の利益になるように、つまりこれからリリース
もしくは最近リリースしたDVDの宣伝になるように会社の方から
お達しが来るわけなんですな。
いわば販促用のイベントのようなものだから権威も信用もありません。
こんな賞で喜ぶ映画ファンの皆さん、目を覚ましてください。
本場のアカデミー賞とは大きな隔たりがあります。
そして現在の邦画のシステムの欠陥に気付いてください。
賞をもらうべき素晴らしい作品はもっと他にあるはずです。
では最後にこの賞がどれだけ馬鹿げた賞であるかを効果的に表した
ある出来事でこの項を締めたいと思います。
2002年の授賞式でのこと。この年は行定勲監督の「GO」が賞を総なめでした。
総なめするにふさわしい素晴らしい作品であり、最優秀作品賞の受賞は
ほぼ間違いないと思われていました。しかし事件は起こりました。
最優秀作品賞の受賞作品はなんと「千と千尋の神隠し」だったのです。
「GO」関係者は騒然。「そんなアホな」という顔でありえない展開を
呑み込めずにいたのです。流れ的にあまりにも不自然すぎるのです。
では何故このようなことが起こったのか?
答えはこの授賞式の時間から少し遡らなければなりません。
この授賞式の数週間前。とある有名な外国の映画祭で「千と千尋〜」は
大賞を取ったのです。このことは日本でも大きなニュースとなり
話題をさらっていきました。日本での映画の賞の最高峰と自負している
(そんなことは絶対にありえないのだが…)この賞が海外で評価の高い
「千と千尋〜」に賞を与えなければ賞の質が問われる上に
話題にも乗り遅れてしまいますよね。そのため「GO」の受賞資格を無視して
「千と千尋〜」に無理やり賞を与えてしまったのです。
所詮それくらいの薄っぺらい賞でしかないのです。
だからめでたくも何も無いんですよ。
2005年02月18日(金)

旅の終わりを見届けよう

今さらだがやっと指輪物語のSEE版DVDボックスを入手した。
12枚組みの大作である。このボックスが発売されるの
公開から約3年間ずっと待っていた。
まぁ、当初予想していたようなボックスのみについてくる
豪華特典!というのはなかったが、それでも感慨ひとしおである。
実のことを言うと「旅の仲間」「二つの塔」のSEE版は
「王の帰還」公開前に劇場で特別公開されたものを見ていたりするんだが、
やはり字幕、吹替え両方楽しみたいという希望もあるし、
何よりも手元においておきたい作品ではないか。
ハリー・ポッターのような夢の世界の戯言ではなく
(実は「お前を救ったのは愛だ」という台詞で吹きました)
非常に人間臭い話が展開されるところや空想の世界でありながら
現実世界に投影されているような泥臭い影の部分がリアルさに一役買っている。
一部では小汚いなどと言われているが、そんな理想主義の甘ちゃんには
とてもわからないような深いテーマに私は共感するのだ。
デザインワークスも素晴らしく、展覧会があれば一日中見ていたい位だ。
そう、展覧会で思い出したが、同じく熱狂的なファンを多く持つ
スターウォーズとの大きな違いも挙げておかねばなるまい。
あえて敵を作る発言をするが、スターウォーズは1作目が最高の出来で
回を重ねるごとにテンションがダダ下がりになっていき
エピソード3に至っては予告編を見ても「へっ、もう期待なんてしないぜ」
という頭を抱えるような出来になっているのに対し指輪物語は
「旅の仲間」がやや滑り出しの重さが気になるものその後は
右肩上がりに観る者のテンションを上げていっているのは見事である。
(「二つの塔」が一番テンションが上がるという人もいるが…)
その点で言えばマトリックスと対照的なのは笑えるところではあるが…。
(ここで元々三部作で作ったものと続編を急遽作ったものとでは
 本来の制作体制が違うという反論は無しとします)
故に映画史に残る三部作と言われても誰も否定しないのである。
と、いきなり雄弁に語ってしまったが、その旅の終わりが近付いてきた。
「王の帰還」公開から待ち望んでいたSEE版。
追加映像を50分も加えあのシーンやあのシーンなどが再現されていると言う。
これを見届けるまでは指輪を捨てる旅は終わらないと思っていただけに
ついにその瞬間が近付いてきたかという、寂しさに包まれている。
とはいえDVDを買ったからといってまだ終わりではない。
最終の到達地点であるSEE版の劇場公開まで
まだ旅の終わりは取っておくつもりだ
2005年02月17日(木)

こんな雨上がりの朝は…

ああ、昨日とタイトルがほとんど一緒だと言って物を投げないでください!
冗談はさておき、朝、バイトに行く時に雨が降っていなかった。
それまで降っていたのに、だ。
仕事をしていると雨が降ってきた。小降りではなく傘のいるレベルだ。
ああ、やばい、傘持ってきてねぇや、どうしようと思いながら時間が来た。
走って帰ろうと思って覚悟を決めて外に出ると…
不思議と止んでいた。それまで降っていたのに、だ。
随分とついていることもあるものである。
家に帰るとまた降り始めたのだから不思議なものだ。
何にせよ雨に濡れることを逃れただけでも風邪気味の体には
非常にプラスになることである。
このままとっとと治って欲しいものである。
2005年02月16日(水)

こんな雨降りの日には…

外出する意欲が失われてしまうのが正直なところ。
体調もあまりよくなく無理もしたくないので
(前にひいた風邪が完全に治りきってない気がする)
家でおとなしくしているとどことなく時間の無駄に思えてくる。
色々とやらにゃならんことがあるというのに、
動けないというのはなかなかの苦痛で困ったものです。
昔友人に「デスクワークには向いていない」と言われたことがあるのですが、
確かに動き回って何かをしてる方が落ち着くからなぁ…
やはり現場向きの気質なんだろうか。管理職には向いてないのかも。
軍人で言えばたたき上げで昇進するタイプなのかもしれないですな。
まだ若いからそういう気質なのかもしれないけど。
2005年02月15日(火)

やばい

そろそろ髪を切らねばボサボサになってきている…
2005年02月14日(月)

世の中ってそんなに平等ですか?

中学時代のこと、私は学区が数十メートル違ったために
片道で2キロはあろうかという通学路を歩かされた。
500メートルほど行った所に別の公立中学があるのに、だ。
歩いて20分もかかるのだから冬場の寒さは堪らない。
まだ体の出来上がっていないヒヨッコには辛い道のりであった。
さすがにたまらないので友人にこう漏らした
「一定以上の距離から来ている人間には自転車通学を認めたらどうだろう」
そういうと友人はこう返した
「一定距離と言うが、その一定距離にギリギリで満たなかった人間は
 不公平さを感じるから平等ではない」
確かにもっともな意見だが、それ言い出すと学区割りも
随分と平等では無いではないか。
おかげで私は人生の中で暗黒期とも言える暗くて辛い思い出ばかりの
苦しい中学時代を送る羽目になったのである。
高校に進学した際、自転車通学を認められたのは
高校の近くの区に済んでいる人間だけであった。
私立と公立の違いを差し引いてもやはりあの友人は
平等ではないと主張するのだろうか。
しかし平等というのは一体何なのだろうか?
例えば学校で制服を着せる理由の一つに見た目の裕福さを
服装で区別させないためという話を聞いたことがある。
はぁ、確かにもっともな理由ですな。
でも制服を採用するんだったらお昼は弁当にせずに給食にしろよと。
お弁当の中身でも結構家の内情がわかってしまうんですよ。
裕福な家庭の子は保温機能がついているお弁当箱に入れてきたりするし。
これだけでも見せかけの薄っぺらい理想主義の欠片を見せられた気はしますが、
そもそも平等な社会、差別の無い社会と声高に叫ぶけれど、
本当に世間の人は平等な社会を望んでいるのかは怪しいもんです。
例えば世の中お笑いブームですが、お笑いの根本の部分にあるものって
他人に対する優越感であるところが非常に大きいわけです。
例えば池乃めだかが何故背が小さいだけで笑いが取れるのかということを
考えてみればよくわかるでしょう。
たいぞうが頭の弱いキャラで売っているのも同じで
人の優越感を刺激して笑いを誘うのはピエロの頃から変わっていない。
差別の無い社会なんて言うけれど、差別の無い社会が本当に出来上がれば
お笑い芸人の60%は失業してしまうでしょうな。
単なる偽善で平等だの差別だの唱える前に何故このような社会で出来上がったのか
それを考えていかなければ思考停止状態に陥ってしまう。
もっと考えることが世の中に欠けている気が最近よくします。
嗚呼、自分でも書いていてよくわからなくなってきた…
2005年02月13日(日)

あれあれ

今週は全然日記を書いてなかったではないですか。
えらいスンマセン、ボチボチと書いていくんで
ボチボチと見ていってください。
2005年02月12日(土)

詳しくはグラジャガのHPで

ライブが終わった後はついつい「真夜中ドライブ」を
口ずさんでしまいます。やっぱ良いよなぁ、この曲。
グラジャガのスタッフ日記で書いたとおり
多分今生の別れになってしまったかもしれないけれど
ああいう気持ちになったことが成長したことなのかも。
そういう気持ちの後押しをさせてくれる、
そして心のトゲを抜いてくれるそんな気持ちにさせてくれる
不思議な魅力をグラジャガは持っているな、と改めて感じた日でした。
2005年02月11日(金)

教えてくれてありがとう

先日友人から
「サッカー批評にあなたの研究にバッチリ当てはまる記事が載ってたよ」
というメールをもらってサッカー批評を初めて買ってみました。
サッカー批評という雑誌。その名の通りサッカー雑誌なのだが
季刊でどことなく堅いイメージがある上に何だか理屈臭そうで
敬遠してました。でもこれがなかなか通好みな記事が多い上に
ワールドサッカーダイジェストのようなセリエ最高!
というようなミーハーな記事が少ないのに凄い好感を覚えました。
いやいや、採算を度外視しているというか
サッカーというスポーツをジャーナリズムの視点で切り込んでいる
その姿勢に脱帽してしまいそうになる雑誌でした。
まぁ、サッカーに対して真摯な姿勢がないと何一つ面白みが無い
という風にも取れますが…
2005年02月10日(木)

ああ、なるほど…

先日テレビ放送していた「フランケンシュタイン〜」は
結局エンディングが海外版だったのね。
唐突にデカイ蛸(しかも淡水湖から!)が現れるという
ある意味有名すぎるこのエンディングはもちろん別撮り。
エンディングが何種類もあるというのは最近では珍しくないけれど
この当時では斬新だったのだ。いや、斬新というよりは
商業的な都合上というのが実状ではあるんですが…。
そもそも何故蛸が出てくるのか?これは海外版ということを
考えてもらうと答えは安易に出てくる。
海外、特に欧米では蛸は悪魔の生き物というように恐れられており
食べるのもおぞましいと考えられていたのだ。
確かにあの8本足でヌメヌメとした外見は気色悪いことこの上ない。
その上非常に強い歯を持っており、人間もしばしば噛まれるとの事。
聖書(だったと思う)に出てくるクラーケンという海の魔物も
蛸がモデルらしい。(イカとかクラゲという説もありますが)
そのため映画に蛸が出てくると凄く怖がられるので唐突に出したそうである。
最近でこそ蛸のマリネなど比較的蛸に対する欧米人の偏見は無くなった様だが
昔は意外と恐れられていたのである。
おっと、ここでギリシャ時代に蛸はあまり恐れられていなかった
なんてマニアックな話を持ち出すのは厳禁ですぜ。
ギリシャは海洋民族だったから身近にあった訳であって
(イカ、いや以下この話は省略)
2005年02月09日(水)

祝・発売

残像カフェ「あたらしい日々」発売されました。
梅田のタワレコでは特設コーナーがあって
大きなPOPまで作られていました。
楽曲の良さに見合う扱いになっているのが
非常に好感が持てました。
今回はズドンとくるキラーチューンは無かったんだけど
聴き込む度に良さがにじみ出てくるアルバムです。
2005年02月08日(火)

覚えてなかったんですが…

「フランケンシュタイン対地底怪獣(バラゴン)」が昨晩やってたので
録画して見てみると、ドイツはフランクフルトの風景が写っている
(多分ミニチュアだと思うんだけど…)おお、去年行った大聖堂が
ちゃんと写っているじゃないですか。すっかり忘れていたが
怪獣映画の足跡を辿る旅を知らないうちにやってたんですなぁ。
で、その怪獣に愛着のない監督が作ったのが今回最後といわれている
「ゴジラ ファイナルウォーズ」な訳で、やはり愛着がないと
良いものはできないんだなぁと痛感させられる痛々いしい映画でありました。
やはりビッグ・マウス北村龍平。日本で嫌々やるんだったら
とっととハリウッドに行けよ。っていうかいつ行くんだ?
しかし、それと全く正反対なのが「アイアン・ジャイアント」の監督
ブラッド・バード。彼の新作「Mr.インクレディブル」では
彼のヒーローに対する愛情が満ち溢れ、非常に憎い演出が凝らされている。
やはりわかっている男は違う。どこかのビッグ・マウスと違い
粋というものを心得ているのだ。願わくばこんな良い制作者が
これから多く育つことを願いたい。
2005年02月07日(月)

あ…

阪神の新外国人スペンサーを初めて見たんだが、太りすぎ。
もうこの時点で「だめだコリャ」という展開だが、しかし
一つ気になるのはアリアスをどうして解雇したのかということ。
確かに波が激しいところは困ったものだが、
使えるかどうかもわからない新外国人よりは計算できるではないか。
ローズ(元横浜、ロッテの方ね)みたいに衰えがあるわけじゃなし。
鳥谷や葛城の偏重や関本が構想に入っていなかったり
岡田はやっぱりダメな監督であることを表していますなぁ。
2005年02月06日(日)

困るなぁ、国民の不安を煽る報道をしてもらっちゃ…

ボウリングフォーコロンバインでもやっていたんだが、
どうも日本の報道はアメリカと同じで恐怖を煽るのが好きなようである。
例えばW杯の北朝鮮戦に対する報道。
はっきり言うが監督がジーコでも普通にやれば勝てる相手である。
データ不足で不安かもしれないが、恐れることは無い。
また殺人事件とかの報道が異常に多いのだが、
しかし身の回りでそう頻繁に起こっているわけではない。
確かに治安は悪化したかもしれないが、それにしたって
異常に反応しすぎなところも否めない。
そして何よりも問題なのが集団自殺に対する報道。
こんなものは報道しなくても良いんですよ、ホント。
だってこんなもんを大々的にしちゃったら後を追うバカが
ワンサカと沸いてくるもん。現に沸いてきたでしょう?
死にたい奴は勝手に死なせておけば良いんですよ。
どうせ一人で死ねない根性無しが集団でしか行えないことなんだから。
生活苦で本当に苦しんでいる人間の辛さもわかっちゃいない甘ちゃんが
軽々しく自殺するようなもんを社会の歪だとかで盛り上げちゃいかんです。
根性無しを大々的に取り上げるなら、永田町の能無しどもを
もっとつるし上げたら良いじゃないですかね?
くだらんことで国会の期間を使うんならもっと身のある話し合いをしろよ。
そのくだらんことを報道するマスコミもいけません。
本筋と離れたところで騒いでいる能無しどもを糾弾するくらいでないと。
特に太田房枝とか大阪府知事とか府政のトップとか
大阪場所で土俵に上がりたいと騒いでる女性とかの批判をしなきゃ…
2005年02月05日(土)

病気

私は文字を目にした時に困る病気を抱えている。
いわゆる中島病という奴だ。ここでピンと来た方は同志である。
中島病とは一体どんな病気か?それは次の文字を見て欲しい
「児童3人らも犠牲か?」
普通の人なら何も反応がないと思うが、私にとっては大有りなのである。
児童3人とらもが犠牲になったのか?と見えるのである。
つまり児童3人と中島らもが犠牲になったのかと認識してしまうのである。
これはらもさんがお亡くなりになられてから現象が顕著になってきたのだが、
どうも新聞の見出しなどで「らも」という文字を見ると
「らも=中島らも」と脳内で変換され反応してしまうのである。
実に困った病気である。中島らものファンでもかなり困った種の
病気であるといえる。これは一生ついて回る病気なのかもしれない。
死してなお影響を与え続けるとはらもさんも罪作りな人である。
(ここで大半の人から「そんなことあるかい!」とツッコミが入る)
2005年02月04日(金)

二重のきらめき

さて先日お話したSING LIKE TALKINGのベスト盤が見つからない!
という話ですが、見つかりました。
よりにもよって同じSING LIKE TALKINGのCD
「Welcome to the Another world」(タイトルうろ覚え)
のケースの中にCDに二枚重ねて入ってました。
そりゃ見つからないわなぁ…
ということで「離れずに暖めて」や「My Desier〜冬を越えて〜」
といった冬にちなんだ曲を聴いております。
やっぱ冬は大人のバラードがよく合う。
2005年02月03日(木)

雪見大福

お昼のニュースを見てると金閣寺に雪が積もったそうである。
それを見た私の一言は
「ああ、学校に行くのはやめておこう」
学校が金閣寺の近くなのである。
あれだけ積もっていたということであれば
学校も相当の量が積もっているに違いない。
そう判断した私は病み上がりであることを考慮して
家で安静しておくことを決めた。
もちろん雪が積もっているということは
行くまでにバスだの何だのかんだのがえらい事になっているのは違いない。
そのため家で温もっていると友達からメールが。
雪の金閣寺に行ってきた。
ああ、誰か行くとは思っていたが、自分の友達にいるとは。
しかも先生にもあったそうである。
やはり観光名所だけあるなと思いつつも身震いをする
病み上がりの私であった。
2005年02月02日(水)

雪の朝

寒い寒いと思いながら着替えてバイトのために外に出ると
雪がほんのりと積もってました。
強烈な冷気が襲う中口ずさんでいたのは
pillowsの「Please Mr. Lostman」
雪の中の思い出の曲だ。高校の時にこのアルバムを買って
寒い中しんみりと聞いていたら、次の日の朝珍しく雪が積もっていた。
大阪市内では雪が積もることは珍しいのだ。
このアルバムのタイトル曲とジャケットの印象から冬に合う曲とは
思っていたもののまさか雪まで連れてくるとは思わなかった。
学校に行く時に銀世界の中で活動している人々を見ながら
この曲が頭の中に流れてきたのを今でも鮮明に覚えている。
それにしてもこのアルバムはホンっと良いアルバムだよな。
食わず嫌いならぬ聴かず嫌いの人に聴かせてあげたいくらい良いアルバム。
その後に出た2枚のアルバムも名盤だけど、やっぱり序章の幕開けという
壮大な期待感を漂わせているという点ではこの一枚は外せない。
完成度の高さから行くと後の2枚の方が良いんだけどね。
ちなみに「HAPPY BIVOUAC」はアルバム1枚という観点から見ると
ややバランスが悪いので名盤とは言わない。曲は良い曲が多いけど。
2005年02月01日(火)

Dag Soliloquize / tsuyo