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2002年04月28日(日) 父が吐いた言葉。

先日酔っぱらった父が、なぜか急に怒りだした。

私の引越について、だったんだけど。



いつものように私のやり方・態度ではなく、

やすくんについて怒りを露わにしていた。


「何時引越をするつもりなんだ?

 ○○(以下、やすくんの名字)はその日に休みを取ってるのか」


不機嫌そうで、かなり荒々しい言い方。


「いつかはまだ決めていないけど、

 きっと○○さんの休みに合わせることになると思う」


どうして急に怒りだしたのかは分からなかったけど

酔っぱらいの言ってることだから、って

なだめるようにそういった。


「どうして、アイツの予定に合わせるんだ?!

 結婚に関わることだぞっ!一生のことなんだぞ!

 休みを取ればいいじゃないか!!」


怒りは収まるどころか、余計に激しさを増していく。

余計に、なぜ父が怒っているのかが分からなくなった。


「何時にするんだ?こっちだって忙しいんだ。

 予定を立ててその日に休みを取るようにしたらいいじゃないか!

 なのに、どうしてアイツの予定ばかりに合わせるんだっ!!」


こちらをにらみ、最後は怒鳴るようにして私に言葉をぶつけてきた。


やすくんの仕事の関係上、自分の都合で休みを取ることはとても難しい。

板長さんが出張や休みで調理場を空ける日は

やすくんは休めないシフトになってる。

2番目だから仕方がない。


しかも、6月は2度の結婚式と新婚旅行で

月の半分ほどは休みを取らなきゃ成らないから、

性格上、4月・5月は特に迷惑をかけられないって考えてる。


一方、父もこのところ超多忙で、

休みがほとんど取れない。

仕事の時は10時過ぎの帰宅が当たり前。

肉体的にも精神的にもいっぱいいっぱいだと言うことは分かる。






だから、

父がイライラする理由もよく分かる。

でも、やすくんだって動きようがない。


やすくんの立場を分かって欲しくて、

職場の状況や、休みをどう取るのかなどを

父に説明した。






それでも、父の怒りは収まらない。

むしろどんどん激しくなってきた。





「どうしてアイツの」「○○はわかってない」など

やすくんの態度に対するコトを言いまくる。




酔っぱらいの言ってることだから

って、ずっと我慢していたけど





言ってることはともかく

やすくんのことを「アイツ」とか名字で呼び捨てるのが淋しかった。



赤の他人のような言い方。



まだ、やすくんのことを認めてないみたいで淋しかった。

私はやすくんの家族に、少なくともうちの家族よりは認められてると思う。

だから余計。








酔っぱらいだから、



娘を遠くにやる淋しさのあまり、



なんていう理由じゃ許されないくらい、



父のことをひどいと思った。


2002年04月27日(土) 休みが休みでなくなったことが嬉しい。





今、私がmyエンピツに登録してる人たちの日記を読んで


今日からゴールデンウイークが始まったことを知った。


そんな自分に愕然。







今日の私の1日は、

今月いっぱいで引き払う予定のこの部屋の

大きな荷物(食器棚とか冷蔵庫とか)を

実家に持ち帰ったり、今後使わない予定のモノは

思い切って粗大ゴミとして捨てたりして終わろうとしてる。


いつもなら、TVの音を聞きながら書くこの日記。

今日は、静かな部屋の中でタイプする音だけが響く。

…本当は、こんな風にまったり過ごしてる場合じゃないんだけど(汗)


+++++++++++++++++++++++++++++++

話がそれるけど

今日、初めてゴミ処分場へ行った。

私の住んでる街では、家庭から出たさまざまなゴミを

持ち込むことができる。

当然、普段はゴミ収集車で集めてるケド。

リサイクルできないモノはできないモノは

埋め立て地へもっていく。

長年使っていたタンスとベッドをもっていった。

亡くなった祖母が生前使っていたモノ。

思い入れは強い。

だけど、軋んだり引き出しが空かなくなったりしてたので

思い切って処分することにした。


それまで生活の一部だったモノが

手を離れた瞬間、ゴミへと変わる。

何とも切ない瞬間だった。

++++++++++++++++++++++++++++

閑話休題。

そんなこんなで、1日中からだを使った有意義な生活でした。

何となく街の中がにぎわっていたのは

土曜日だったからじゃなく

ゴールデンウイークだったからなのだと

1日も後数時間で終わろうとしてる今気づく自分が

何とも恥ずかしい。


だけど。


休日を休日として過ごさなくてもいい今、

言い換えれば平日を休める今。


余計なことを考えなくてもよくなった。

これまではこんな長期休暇があると、

考えることはいつも同じ。


「やすくんは忙しいから遊びに行くわけにも行かないし

 でもせっかくの休みだし   どうしよう」



悶々と過ごしていたわけではないが

心のどこかで淋しさを感じていたんだと思う。


逆にやすくんが休みになった平日に

超忙しかったりすると、

会いたいけど会えないイライラが募ることもあった。




これからの数日間。

すでに引越に関する予定がぎっしり。

片づけ完了まで後わずか。



ゴールデンウイーク万歳。


2002年04月26日(金) 言エナカッタコト

  


以前やすくんは


とても言いづらかっただろうアノヒトとのことを


私に話してくれた。


そのおかげで私の中にあった


重く暗い部分が


随分軽くなった。










私も。










言えなかったことがある。











つきあい始めてしばらくして


ここには書けない大きなコトをひとつ

やすくんに話した。

やすくんに隠したままつき合っていけないと思ったから。

なかなか言葉にならなかったけど

やすくんには、どうしても分かって欲しかった。


話してる途中で涙が溢れて、

怖くて、恥ずかしかった。


「もしかしたら、私たちは終わりになるかもしれない」


そんな絶望で頭の中が真っ白になった。








喉に何かが詰まったかのように


それ以上言葉が出てこなくなってきた時。


やすくんは


「もういい。分かったから」って


背を向けてた私を自分の方に向けて

やさしく抱きしめてくれた。

優しさに包まれてるようだった。



その優しさが本当に嬉しくて

自分にのしかかってた重いモノが

少し軽くなった気がした。

だから、

余計にきちんと話さなきゃ、って思って

のどの奥から絞り出すように

言葉を続けようとした。





「もう、いいってば。これ以上何も言わなくていいから」

抱きしめられる腕に力がこもったのを覚えてる。




やすくんは、私の全部を包んで

一緒に歩いてくれる人かもしれない、って

その時、本当に思った。



今でも時々、胸の奥底にしまい込んだソノコトが

急に外に飛び出して

どうにもならなくなってしまうけど

やすくんが側にいてくれたら

やすくんの声を聞けたら

かなり落ち着けるようになった。

















今。


















以前ほど重くはないけど

今の私にはやすくんに話せないことがある。











お金に関わることだから余計に

言えないということもあるけど、

実は、もうすぐで解決しそうなので

このまま黙って置いた方がいいのかなとも思ってる。







でも、言えないことがあるって言う今の状態が

かなり苦しい。











あ、ちなみに

借金があるとか、そういうんじゃないんで(笑)


2002年04月25日(木) 迷い猫。






やすくんと出会う前の冬、1匹の猫が迷い込んできた。

小さなキジ猫。



それは、ものすごくたくさん雪が降った日の夜

窓の外で、必死に鳴く猫の声が聞こえてきた。

「鳴く」というより「泣く」って言う感じで。

サカリの頃の猫の鳴き声とは違う

ものすごくせっぱ詰まった声だった。

「アパートじゃ猫飼えないから、ごめんね」

って心の中で思いながら、枕で耳をふさいでた。


朝となく夜となく、とにかく部屋にいる間中

必死に鳴きつづける子猫。

2日目の夜、そんな子猫と自分が重なる気がして

私と同じく「孤独」な猫を放っておけなくなって

ベランダならぬ軒下(私1階に住んでるからさ)に

エサを置いた。


野良猫の割にはきれいな毛並みの猫。

私がそばにいるのもかまわず、餌を食べてた。

お腹がふくれると、スリスリと私の足に絡みつく。



 〜 捨てられちゃったのかな 〜



そう思うと、もうとまらなくなった。

部屋に入れることはできないので、

軒下をその猫に貸しての同居生活が始まった。



お腹をすかせた猫が私を必要とするように

えもいわれぬ孤独を感じて多私もその猫の暖かみが必要になった。





たかが猫。

でも、その猫がいるだけで随分救われた。

やすくんと知り合うまで、

私の心の支えだったって言ってもいいくらい。







まだ両親にやすくんとのことを認めてもらってなかった夏。

両親に黙って1週間くらいやすくんの所へ行った。

大きな荷物を抱えて部屋を出た私の足下に

どこからか、その猫がやって来た。

行く手を遮るように絡みつく猫が

まるで「本当に行くの?」と言ってるかのように思えた。




やすくんが私の中でどんどん大きくなってきた頃

猫が私を呼ぶことがなくなってきた。

毎朝晩、お腹がすいたと鳴いていたのに。

たまにやってきては、エサをねだるようになった。

何週間も顔を出さないようになった。





そして、今日。


部屋を片づけるために、軒下の掃除をしていたら

久々に猫がやってきた。

今までになく甘える猫。










この猫はこれからどうするのだろう。


私は、どうしたらいいのだろう。











+++++++++++++++





ちなみに。

この猫はうちのアパートの住人にかなり好かれてるらしく、

私が部屋の中にいても

軒下にエサを置いていったり、

ブラッシングをしてくれてる人がいる。

そう言う人に

今以上に大切にしてもらえますように。


2002年04月24日(水) 戸惑い。



今日は、「戸惑い」の日だった。

うまくそれぞれの出来事を文章で繋ぐことができない。





ひとつめは、姓が変わるコト。

今日初めて実家の方に

私の名前の上にやすくんの名字がくっついた名前で

郵便物が届いた。

旅行社から新婚旅行についての

詳しい説明と申込書の控えだったのだが。



やすくんの名字 (私の名字) 私の名前

と言う風に書いてあった。



ものすごく違和感があった。

自分が自分じゃないみたいだった。





婚姻届を提出したとき、

もっと感動するかと思ったのに、

そうでもなかったのが不思議だった。

だからこそ、やすくんの微妙な変化や喜ぶ姿が

くすぐったい感じで嬉しかったのに。

すごく幸せだったのに

現実にその証である「新しい名前」を見て

戸惑いを感じてる私。


働いてるとき、一人の先輩が

「夫婦別姓が可能になったら、絶対もとの姓に戻るわ。

 今の名字で呼ばれるのには慣れたけど、
 
 私が私じゃない気がするから」

って、ものすごく強く言っていたのを

当時は少し不思議に思ったけど、

今なら少し、いやかなり分かる気がする。



そして、そんな戸惑いを感じる自分に

戸惑ってる 今。




もう一つ。



この前、後輩であり私の大切な男友達Dと2人で会ったこと
(4/8分)←コチラ

別の友人(これも男友達)が

ビックリするようなことを言った。



「この前さ、お前がアイツと一緒にいるときに

 俺電話したじゃん。

 お前が『今、Dと一緒にいるんだ』って言ったとき、

 俺、一瞬頭の中がこんがらがって

 お前とDが結婚して福島に行くんだっけ?って思った。

 実は、俺、お前とDが結婚するんじゃないかって

 ずっと思っていたからさ」



その友人が勘違いしたってだけの

他愛もない話。


なのに、ものすごくドキッとした。

そしてまた、そんな自分に戸惑った。


あの時の私は、本当に友達としてDと会った。

でも、実はそのことをやすくんに話していない。

隠そうとしてるわけじゃないけど。

だからかもしれないけど、その友人の言葉が

心に突き刺さった。

そして、そのすぐ後



あの時、Dとの間に何かあることを期待していたのかもしれない




なんて、一瞬頭をよぎったことに戸惑った。











明日は最後のゴミ出しの日だから

頑張って荷物をまとめたいのに

そんなことが頭をグルグルまわって

離れない。


2002年04月23日(火) 引越準備。

一人暮らしの割りにかなり大きな本棚。

そこから溢れ出してる本達を

今日、売ってきた。



新しい部屋にもこの本棚は持っていく予定だけど

やっぱり、全部は持っていけないだろうなと。



以前の日記にも書いたけど

私の本の買い方は、かなり慎重。

だから、文庫本1冊でもそれなりの思い入れがあるわけで。

本棚から1冊1冊取り出しながら、

売るのか、持っていくのかを吟味していった。



久々に開く本もあったりして、

その度に少しずつ読んでしまうから

なかなか作業が進まない。





実は、引越作業全般がこの調子で。

高校卒業と同時に家を出て、それから何回か引越をしてきた。

結構引越好きだったりする。



なのに。


なかなかやる気がわかなかったり

やり始めても続かなかったり

懐かしくなって、つい手を止めてしまったり。



今も、部屋の中は乱雑なままで。

何一つまとまった荷物はない。



ここを引き払わなきゃやすくんの所へ行けないのに


なんて思っているのに、

よく分かっているのに











なんだろな。


2002年04月21日(日) ここ最近で一番やる気満々な私。

午後から、旅行会社へ行く。

新婚旅行の相談。はっきり言って遅すぎ。




とにかく。



「仕事休めるかなあ・・・無理かもなあ」


なんて初め言っていたやすくん。


「でもね、せっかくだから旅行行きたいよ」

実は、結婚式とか披露宴とかはあまり乗り気ではなかった私。







でも、旅行だけは違う。


超やる気。 私限定だけど。







ところがやすくんときたら。



「おれ、韓国行きたいんだよね」

韓国は大好き。高校生の時、学校交流とかで行ったことある。

その時とってもお世話になったおじいさんに

「私の孫の嫁にならないかい?」って言われた経験有り。

だから。



「行ったことないところへ行きたいなあ・・・」と、私。

「ほら、たとえば、南の島とかさあ・・・」と、続ける。



「そっか・・・南の島か・・・」

そう、そう。南の島。

モルディブとかタヒチとか、ニューカレドニアとか!!!



・・・実は、これも作戦のうちなんだけど。





「南の島ねえ・・・ あ、そうだ」

「ど、どこっ?」

「沖縄に行く??」


え?


「私さあ、会社の旅行で行ったんだよね。

 もうちょっと暖かい所がいいかな?(少し強引)」


「おれさ、香川でうどん食べたいな」


え・・・・・ええっ?


「家族でなんども行ったことある・・・」









しばしの沈黙。









「そっか。困ったなあ。俺、南の島しらないしなあ」


「そう?じゃ、私決めていい??」


ここで、完全に私がイニシアチブを取りました。へへ。



南の島って言うのは実はフェイントで、

本当に行きたかったのはオーストラリア。


いくつかパンフレットをもらってきて

やすくんの大まかな希望を聞く。


今日はそれを元に、話をするだけ。


私たちのかなり強引なお願いも、

担当のお姉さんは優しく聞いて相談に乗って下さいました。



やすくんの希望を十分取り入れた


って言う形で


私の希望が十二分に入った(笑)


旅行になりそうです。へへへ


2002年04月20日(土) 慣れないコト。






入籍したコトがいまいち実感できてなくて

とまどうことが多い。


一緒にいるときは、

どうにか誤魔化して来れたけど

離れちゃった今はそれも難しい。


何が一番難しいかって





「電話で名字を名乗るとき(やすくんとやすくんの家族限定)」





今までは、何の気負いもなく

自分の名字を名乗ることができた。(当たり前だけど)


急にやすくんの名字を名乗るのは

慣れない、って言うこと以上に恥ずかしくて。

かといって、自分の今までの名字を名乗るのも

特にやすくんの家族に対しては失礼な気もするし。



面と向かって話をするときは

ちょっと意識していればうまく避けて通れるけど。




全くの他人には、結構楽に言えるのに。

この前の郵便局へもそうだし。

いろんな申し込みとか、役所への届けとか

全然平気だったのに。




ちなみに、私の家族、友人へも

まだやすくんのことは名字で読んでる。

これからどうしようかなと、思案中。


2002年04月19日(金) オンナの特権。かも。

いつもは私が横でゴソゴソ動いても


目覚ましがなるまでは絶対起きないやすくんが




今朝は私より早く目を覚ましてた。



半分起きて半分寝ぼけた状態の私。

寝返りを打つ度に布団をかけ直してくれたり

そっと抱きしめたりしてくれる。


じっくりじんわり身体の中に

心地よさと幸せがしみこんでくようだった。





だから余計に





しばらくの「別れ」が寂しくてたまらなくなる。





「おはよ」

頭を撫でながらやすくんが言ったのと同時に


我慢する間もなく涙が流れた。


「泣かないの(笑)」

困った顔したやすくんが涙を拭いてくれる。


「やすくんも寂しいのに、

 私ばっかり泣いておかしいね」

やすくんの顔がもっと困った顔になった。



やすくんは、今時珍しい古いタイプの男の人だと思う。

義理と人情、みたいなのも強いし、

「俺は男だ」みたいな意識も強い。あまり表には出さないけど。 



そのやすくんが、涙をこらえてる。

淋しさが表情に出そうなのを、必死にこらえてる。

それを見たら、何も言えなくなって

ただ、やすくんを抱きしめて頭を撫でるしかできなかった。



男だから、とか、女だから、とか

私はあまり意識したことがない。

特に仕事をしてる頃は、「女だからできない」みたいなことを

言ったり言われたくなくて、

「男の仕事だ」と言われることでも、

自分がやれそうなことはやってた。


だけど、

淋しいときに、淋しいって言える

泣きたいときに泣けるのは、

やっぱり、オンナだからだと思う。


やすくんが淋しさを必死で隠そうとしてるのを見ながら

そんなことを感じた。


2002年04月17日(水) 試着って恥ずかしい。

今日は、福島の披露宴の打ち合わせ。

ドレスとやすくんの衣装も一緒に選んだ。


何度かドレスの試着をしていたので

普段とは違う自分の姿をやすくんに見せるのは慣れていたけど

やっぱり、恥ずかしい。

福島に着いたときに1度打ち合わせをしていて

その時に、いくつか候補を選んでいたので、

今日はそれを着て最終決定。



「ねえ、これとさっきのと、どっちが良い?」

こういうときのやすくんは、はっきり言って使えない(笑)

照れ笑いをしながら、

「どれも結構似合うよ」しか言わない。



「あ… ちょっと待ってな。ちょうど来たから」

入り口のドアの外に、やすくんの両親。それとイモウト。


「うわぁ やっぱりドレスはいいねえ」

やすくんの両親はニコニコ。妹さんは、もっと。


「ねえねえ、これも着てみてよ」

次から次へとドレスを出してきては、私に勧めてくれる。

一生懸命考えてくれるから、すごく嬉しかった。



私のドレスを決めて、つぎはやすくんの服。

「俺は、どんなでもいいんだから」

この前初めて一緒にドレス姿を見せたとき

ものすごく照れてた私をからかっていたくせにさ。

エビみたいに後ろに下がっちゃってる。


「お二人で並ばれると、当日の感じが分かるので」

という、担当者の方の話で私は、ドレス姿のままやすくんを待つ。


試着室から出てきたやすくんと2人、

照れながらやすくんの家族の前に立たされる。

恥ずかしくてなかなか並べない。

「当日はもっとたくさんの人たちに見られるのに

 今日恥ずかしがってちゃダメですよ」

担当者の一言。もっともだよね。


ここでも、頼みになるのがイモウト。

「お兄ちゃん、それよりさっきのベージュの方がいいよ。

 今着てるのは、色ドレスとあわせたら?」



私には妹がいる。

妹の言うことは素直に聞けないんだけど、

イモウトに言われると、何だか素直に聞けるから不思議。



やすくんの洋装が決まり、私もドレスから解放されて

しばし妹さんと、ドレスを見て楽しむ。


やすくんは、その後和装の打ち合わせ。

私が見てないと、結構乗り気でやってるみたい。





へへへ。


当日が楽しみです。


2002年04月16日(火) 実感。

昨日無事に


籍を入れてきました。



別にだからって

目に見える変化があるわけでもなく、

私という人間の中身が変わったわけでもない。




だけど




たとえば

やすくんが私を紹介するときに

「俺のカノジョ」とか「今度結婚する人」が




「俺の奥さん」




に、変わったとか。





初めて自分の名前の上に

やすくんの名字を書いたら




隣でものすごく嬉しそうにしてたりとか



「そっか、もうおみやげ別々に買わなくてもいいんだ」って言ってたりとか





やすくんのそういう変化で



とりあえず私たちは


「夫婦」



になったんだなと


実感しています。


2002年04月15日(月) 初体験。

昨日の夜、やすくんと出発。

予定では、夕方頃出てその日のうちに伊豆に到着して

知り合いの部屋に泊めてもらうはずだった。

だけど、結局仕事が終わったのがいつもより遅くて

9時過ぎの出発。

高速に乗る前に遅い夕食を取った。


朝、7時前に出勤したやすくんはものすごく疲れていたから、

さすがに運転をお願いするわけにもいかなくて

途中まで私が運転することにした。


初めは、私に気を使って起きてたやすくんだったけど

だんだん言葉少なになって、

気づけばスースーと寝息をたててた。


まだやすくんが伊豆にいた頃、

中央道に入ったら私が運転を代わって横でやすくんが眠ってた。

あの頃に戻ったみたいで、新鮮なドキドキ感がある。


結局、3時間ぶっ通しでの運転。

日付が変わる頃、首都高の手前でやすくんと交代。

本当はかなり眠かったけど、

夜景がきれいで眠るのがもったいなくなる。









首都高から東名へ。


高速道路を降りる頃は、2時を過ぎてた。

「このまま行っても、車でしか寝られないよなあ」

そう言って、やすくんがいたずらっぽく笑った。











「どうする?どっか、泊まる?」










…え?


いくら鈍感な私でも、

それがどういう意味かと言うことはすぐ分かる。


いい大人で、しかもまさに今日籍を入れようとする男と女。

別に、可笑しいことではない。

実際、いつも一緒に寝てるわけだし(苦笑)。


なのに、急に心臓がドキドキし始める。

やすくんにその音が聞こえるんじゃないかって言うくらい。


「私、そういうとこ、行ったことないよ…」

「いいじゃん。

 俺も行ったことないケド、別に寝るだけだし。」

と、妙に乗り気のやすくん。

「ほら、高速の出口のそばにたくさんあるから、

 そこに行こうよ」




実はそこからが大変で。

確かにたくさん有ることは有るんだけど、

なぜか入り口が見つからず(笑)

あっちへうろうろ、こっちへうろうろ。

車がほとんど走ってないことを良いことに

公道でUターンやバックしまくって

ようやく、到着することができた(笑)



駐車場に入って降りる頃になると、立場が逆転。

「誰かに顔見られたらどうしよう」

「大丈夫大丈夫、みんな自分のことで精一杯だから(笑)」

恥ずかしがってるのが、やすくんで

後が私のセリフ(笑)



部屋に入っても、ボタンを押しまくったり

部屋を探検したり(そんなに広くないけど)してるのは私。


一通りチェックして、ベッドに入ったのが

もう3時。


そこから、また立場が逆転したんだけど(苦笑)

私はもう電池切れかけててダメでした。


ちゃんちゃん。


2002年04月14日(日) ケジメ

今から二人で伊豆に行ってきます。






その前に。




伊豆を思うと必ず浮かんでくる


アノコト。そして、アノヒト。




きっと正体は

私のココロの陰の部分。





とにかく

伊豆に行く前に

けじめをつけたかった。




やすくんの気持ちの中では

もう終わった過去の話だってことは

十分わかってる。

自分だけがこだわってることも。


だから余計に

なかなか言い出せなかった。






「あの…さ、聞きたいことあるんだ。」

ようやく切り出せば

「ん?なに?」って、

いつもの笑顔でこっち見られる。



もうダメ。

顔見て話ができなくなる。


「アノコトどうなった?」



後ろ向きのまま、下向いて話す。

やすくんはアノコトが何を指すか、

しばらく考えたみたいだけど

「あ…あれはもう終わったよ。

 ききと話してからすぐに。早く終わらせたかったからさ。」

私の背中にやすくんが頭をくっつけて話を続けた。

「電話のメモリも、もう必要ないから消したよ。

 心配させたね。ごめん」


2002年04月13日(土) 変化。

今日、やすくんは仕事。

いつも通りの一人の時間。



でも、違う。



洗濯したり贈テ除したり

読書したりお昼寝したり(苦笑)

もちろん買い物なんかに出かけたり。

してることはこれまでと変わらない。




でも。




気持ちが違うというか。



スタンスが違うというか。



言葉にはうまく表せない何かが

私の中で変わってる。






今日初めて、

部屋かかってきた電話を受けた。

これまでは何となく気が引けて

留守電で誰からか確認してから出てたのに。





それと





やすくんの名字を名乗って電話をかけた。




郵便の預かり証が届いてて、

やすくんの会社へ再送してほしいって

たったそれだけの電話を

郵便局にしただけだけど。





超恥ずかしかったし

嬉しかった。




流れのままにここまできたけど

気づいたら思った以上に

自分も周りも

変わってたんだなって

思った。


2002年04月11日(木) 出発。

早朝6:30発東京行きのバス。

このごろ朝はかなりゆっくり起きるし

おまけに昨日は午前2:00まで寝られなかったのに





本日、4:40起床。

目覚ましより30分早く目が覚めた。



寝てらんないよ、正直。





全然落ち着かなくて、

昨日から何度も見直した鞄を

また開いて確認した。



もう我慢できなくて、

たまらず部屋を飛び出す。






と、いうわけで、これからバスが発車します。

今回の旅は特別。

バスを待ってる今は

やすくんは一番大切な他人だけど

帰りのバスに乗るときは



大切な家族。



へへへ。



昨日実家から出てくるとき母に、

「今度来るときは、名字変わってるんだ」なんて


しんみり言われたときは

かなりグッときたけど

今はとにかく嬉しくて

嬉しくてたまらない。



この名前での最後の旅が




始まる。




いってきます。


2002年04月10日(水) ふふふ。



もうすぐ、やすくんの所へ行く。


おみやげたくさん持って、招待状も持って


それに、お出かけ用の服も持って。






へへへ。







向こうへいったらまた、帰る日のことを考えて

悲しくなっちゃうだろうけど。



もうすぐこんな毎日も終わるんだし。へへ。



なにより。



やすくんがいる。











昨日遅くまでカードを作っていたから、

なかなか起きられなくて。

やすくんの電話で目が覚める。


「あのさ、俺明日休みだから、

 途中まで迎えに行くよ」


「そう。ありがと。

 じゃ、どこまで来てもらおうかな」


「東京に行くに決まってるでしょ」
















えへへ。



ふふふ。



なんだか、幸せです。


2002年04月09日(火) 家族との夜。

招待状が出来上がった。

なんだか本当に結婚するんだなあ、ってしみじみ実感。

明日は、戸籍抄本など入籍の手続きに必要なモノと

招待状の送付に必要な切手などをそろえる。




夜、母のマッサージをする。

私は自分で言うのも変だけどマッサージ上手。

だから、実家に帰ると2時間くらいは誰かの肩や背中を

マッサージしてる。


「最近、目が痛くて・・・つかれかしら」

なんていう母の首を触るとやっぱり固まってる。

ゆっくりゆっくりもみほぐす。


ふと

「今度こうやってマッサージするときは、

 もう私の名字は変わってるんだなあ」なんて思うと、

急に淋しくなって、悲しくなってきた。






招待状に添える、カードを作った。

招待状や式のイメージに合うように作るのって

結構難しい。

いろんなパターンを作っても、

よくよく見直すと、同じようなものになってたり。


妹がやってきて

「私もひとつ作ってみるよ」

といい、パソコンの前に座った。

妹と私、それに母と父が加わって

結局全部が印刷できたときはもう午前2時をまわってた。







これからも家族であることには代わらないのに



この淋しさは



なんだろう。


2002年04月08日(月) 男女の友情。

男友達のひとりと2人で食事に行った。

もう10年以上の腐れ縁。

彼のポリシーとして、

「どんなに仲がよくても、異性の友達とはどちらかが結婚したら会わない」

って言うのがあるらしく、

もうすぐ私にもそれが適用されると言うことで

急遽会うことになった。

それも何だか変な話だけど。



「納得いかないよ。だって結婚してその人が変わる訳じゃないんだから。

 別にそこで線引きする必要ないんじゃないの?」

いきなり質問責めにする私。


彼曰く、

たとえ恋愛感情がないと断言できる女友達でも、

99・99999%は友情で

残りのわずかには異性としての魅力ってのが有るらしい。

友達だから男も女も関係ない、っていうのはないんだって。

たとえ友達でも女は女。





そういう考え方は私の中にはないから、

納得はいかないんだけど、でも彼の気持ちは分かった。





男女の友情は、私は成り立つと思う。

だけど、それを生涯大切にしていくのは

きっと、わたしが思っているより難しいモノなんだろう。



男女の友情は難しい。











2002年04月07日(日) 普通でいること。生きること。


退職する間際から、つい最近まで

精神的に不安定になることが多かった。


仕事を辞めることに未練も、後悔もなかった。


でも、

この数年間、仕事が自分の生活の大半だったことも事実で。

自分を支えていた大きな柱をなくしたような。

自信を持ってた部分をなくしてしまった心細さみたいな。


当然、やすくんにいろんな面で迷惑をかけることになる。

話の途中で涙が勝手にこぼれたり、

思い出してもイヤな気分になるような卑屈な言葉を吐いたり。

でも、やすくんはそんな私につき合って、そして必ず最後に

「大丈夫だから。心配しないで」

と言葉をかけてくれた。









「やすくんはさあ、私のどこが気に入ってるの?」

普段だったら、恥ずかしくて絶対聞けない様なことを聞いてみた。


「そうだなあ・・・」

しばらく考えてから、やすくんが答えてくれた。



「普通なところ」




「それって、どういうこと?」


「ききさあ、流行の服とか着ないでしょ?
 
 指輪とか洋服とか欲しいとか言わないし。

 どこか遊びに行きたいって言っても

 動物園とか、海とか、なんかそんなところが多いでしょ?

 流行とか気にしないで、

 自分を大切にするところがいいと思う」



へへ。

ちょっと嬉しい。

やすくんにそんな風に言ってもらえるなんて。


だけど、たとえば

「スタイルがいい」なら、そのスタイルを保持するために頑張れる。

「可愛い」なら、お化粧とか洋服とか考えることができる。


「普通でいる」って難しい。

これからもずっとやすくんが好きな私でいたい、けど。

なにをがんばればいいんだろ。



「私がね、ずっとそういられるためには、

 何を頑張ればいいと思う?何をしたらいいと思う?」

そう聞くとやすくんは、












しばらく考えて、










そして、こう答えた。





「死んだら困る。いつも健康でいてくれたらいい。

 あとね、あまり考えすぎないこと」





私が欲しかった答えは、もっと具体的なことだったんだけど。

当たり前と言えば、当たり前のことだけど。






でも。




涙が出てきた。














そういうことがさらっと言える





そういうステキなやすくんで、




ずっといて下さい。


2002年04月06日(土) 伊豆へ。

来週の半ばくらいから、

やすくんの所へ行く・・・予定。


披露宴の招待状が、来週初めには出来上がる・・・予定。

とにかく、

それが出来次第、やすくんのところへ持っていく。

そして。

2人で、伊豆へ出かける。

やすくんが今の仕事に就く際に本当にお世話になった方が

前の勤め先にいるということで、

そこだけは、直接持っていきたいって。





そして。





私たちが本当によく通った焼き肉屋さんへも。

マスターやママに会いたいし、

何よりおいしい焼き肉が食べたい。

へへへ。






もうひとつ。






とても大切なことを計画中。







私たちがお世話になった方に保証人になってもらって、

伊豆で、入籍してくる予定。


へへ。


2002年04月05日(金) 「だけ」になりたくない。

仕事を辞めてからも何だか忙しい毎日。

昨日は野球だけど。

明日は、金沢だけど(苦笑)。








昨日、観戦中に留守電が入っていた。

やすくんの所へ行ってからの、仕事のお願いをしている人から。

「明日、電話いただけるとありがたいです」と言うメッセージ。

ドキドキしながら、電話してみる。


「お久しぶりです。もう、こっち(新居)に来た?」と早速質問。

「実は、式などが6月になったので、今準備の真っ最中です」

どこまで詳しく話した方がいいのか分からなかったが

一応、自分の状況を説明。

「あぁ、そうか。残念だな。実は来週からの仕事が入ったんだけど

 それじゃ無理だね。きっと今バタバタしてるんだろう?」

あら・・・・

だけど、実際今すぐ引っ越して働き始めるのは無理。

丁重にお断りし、気遣いに感謝しながら電話を切る。













ふとよぎる思い。

専業主婦になりたいとは思わない。

だけど、だからってこれまでの仕事を続けたいか、って言われたら。



今の私は、きっと「やだ」って答えると思う。

肉体的にも精神的にもギリギリの所で仕事をしていたこれまで。

楽しかったし、ものすごく充実した毎日だったけど、

あくまで「1人」だったから。

家庭ができてもこれまでみたいに働けるか、と考えると・・・

それは無理。















そもそも、家庭と仕事って天秤に掛けられるモノじゃないと思うんだけどさ。



私の退職についても、

「よく辞めたね〜 自分だったら仕事を選ぶと思うわ」って

何度となく言われる。


だけど「仕事」と「やすくん」を比べた訳じゃない。

まあ、やすくんの所へ行くって言うことは、そのまま

仕事を辞めるって言うことを選ぶ必要が出てくるので、

辞めるか、辞めないかで悩んだことはあるけど。


私は、私が私らしく生きていくためには、

やすくんの存在が必要不可欠だと思った。

辛いことや、悲しいことにいろいろな場面で遭遇するだろうけど、

やすくんとなら頑張れると思った。

1人で仕事を頑張ってるときより、

やすくんと知り合ってからの方が、私は強くなったと思う。

穏やかな気持ちでいられるようになったと思う。

壁に立ち向かっていけるようになったと思う。





そう考えたとき、

自分でも驚くくらいすんなりと

辞める道を選んだ。




今の仕事、嫌いじゃなかった。ううん。むしろ好き。

だけど、それ以上に大切なやすくんの存在に気づいたとき、

「仕事はまたどこでも何でもできるさ」って思えた。




女は家庭、男は仕事、なんて考えはナンセンスだと思う。

専業主婦は国のお荷物だ、ってテレビで言った人もいるけど。

そのどちらも私は納得できない。


生きていくために、何を頑張るか。


自分が選んだ仕事を精一杯やる人と、

自分が愛する家庭を精一杯守る人とは

何の違いもない気がする。





今までの私は、

自分の生きがいとして仕事をしてきたと思う。

それはそれで間違いじゃなかった。

これからの私は、

生活するために働いていきたい。

やすくんとより豊かな生活(経済的にも精神的にも)を送りたいから。







「仕事だけ」「家庭だけ」の大人になりたくない。だけ。






へりくつなのかなあ・・・


2002年04月04日(木) 高速道路の思い出。

野球観戦を終えて、遅い時間から家路につく。

結果は負けだけどいい試合だったから、

自然と話が盛り上がる。

夜はもう遅いけど、そんなこと全然気にならなかった。


夜の高速道路には思い出がたくさん詰まってる。


やすくんがまだ伊豆にいる頃、

一緒に私の部屋に帰ってくる時は

きまってやすくんの仕事が終わってから。

一度、疲れ切ったやすくんの顔を見て

運転を代わった時、横を走り抜けるトラックが怖かったことを

今でも覚えてる。


初めて2人で鳥羽へ旅行したとき。

その後、やすくんは福島の実家に帰る予定だったのに、

「送るから」って私の家まで車で送ってくれた。

電車で帰るからいいよ、って言う私の言葉を遮って。

鳥羽から私の家まで、約4時間。

私の家からやすくんの家まで約8時間。

その前の日、伊豆から鳥羽までだって

全部やすくんの運転だったのに。

「送っていくよ」って言える距離じゃないのに。

真夜中の高速道路では

お互いあまり話をしてなかった、と思う。

うちまで続く真っ暗な高速道路。

山の中だから、ものすごく不気味だった。

暗いところが本当に苦手な私は、

体が勝手に強張って、手には汗が流れていた。


「俺が隣にいても、ダメ?」 と、笑いながら聞くやすくん。

その頃は全然ダメ(苦笑) 

「じゃ、こうしな」

車のまん中にある肘掛けみたいなボックスの上に

私の頭を乗っけた。丁度助手席で横になるかんじ。

「こうしたら?」

やすくんは左手を私の頭の上に乗っけて

「少し眠った方がいい。疲れてるでしょ」って笑った。

やすくんの手のひらから伝わってくる暖かさが

心地よくて、それが安心感に変わって、

気づいたら眠っていた。



その頃は、まさかこんな風に

将来のことを一緒に考えていくなんて

考えもしなかったけど。


一緒にいると安心する、って思えたのは

この高速道路の時からだと思う。








++++++++++++++++++++++++

追記。


なんか、書きたいことがまだあって、

ココ に、書き足しちゃいました。

お暇な方は、覗いてってクダサイ。


2002年04月03日(水) 野球観戦。

これから、(元)同僚達と

プロ野球観戦に出かけます。


私とやすくんの出会いが「野球好き」だって

このまえ話してた事を

一人の先輩(男性・この前USJに一緒に行ったメンバー)が

覚えてくれてて

だったら見に行こうぜ、って誘ってくれた。

メンバーの中には、

正直「嫌い」な先輩(男性)もいるんだけど。



山奥に住んでいるので、

こんな時間に出ていかないと、

間に合わない・・・・・のかな?


とにかく、


いってきま〜っす。


2002年04月02日(火) 消えていく。

相変わらず開放感に満ちあふれた生活。


電話が鳴った。

職場で仲がよかった先輩。

私のしていた仕事のほとんどすべてを

彼女が引き継いだ。


約束して、私の部屋のそばでお茶を飲むことになった。


新しいスタッフが入った職場はどうだとか、

私から引き継いだ仕事は、とりあえず順調だとか、

そんな話をする。


たった数日。


でも、ずいぶんと昔の懐かしい話を聞いてる気分。



「あ、そうだ。
 
 あなたが使ってた部屋ね。全部片づけちゃったから」



私が使っていた部屋は、昔の資料がたくさん置いてあった。

直接、これからの仕事に関わるモノはほとんどないんだけど、

困ったときに開くと、必ずそこに何かしらのヒントが詰まっていた。



あれ、捨てちゃったんだ・・・



ビジネスに感傷的な気分を持ち込んじゃいけないことは分かってる。

私がその資料が捨てられなかった理由のどこかには、

昔からこの仕事に携わってきた先輩達の

積み重ねてきたモノを簡単に捨てられない、っていう

センチメンタルな気持ちがあったのも確か。



私がそこにいたことが

その事実が消されてしまったような気がした。







仕方ないことなんだけどね。


2002年04月01日(月) おだやかだ。

今日から、普通の人。


これまでが普通じゃなかったわけじゃないけど。


慌ただしい毎日からようやく抜け出せた、


そんな感じ。





なんて簡単に生活リズムが変わる訳じゃない。


思わず、いつもより30分早い起床。


年度始めのバタバタした気持ちが


何もしてなくても沸き上がってきた。




ゆっくりと朝食を取る。


朝からゆっくりテレビを見る贅沢さ。


天気が良くて朝から洗濯三昧。


お布団まで干して、本当に気持ちがいい。



ゆっくりゆっくり流れる



この時間が






今の私にとっては



とても幸せ。


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