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書くほどのこともない日常
日記とか、更新とか。

2004年05月28日(金) 「答え」の値段

相変わらず、リハビリの日々である。
毎日辛気臭いので、病院に行った後、家に帰らず電車に乗って出かけてみた。
べつに、なんの目的もなく、ひとりふらふらと歩き、お茶を飲む。
道端で、『なんで屋』という店を開いているおにーちゃんを発見。
ものを売るわけではないらしい。
「お品書き」と称する紙に、いろんな疑問が書いてある。
「恋人より友達が大切なのは変?」とか、「どうして国の赤字が何百兆円もあるの?」とか、「どうして『なんで屋』やってるの?」などというお題がたくさんある。
若いおにーちゃんの前で、同年代と思われる男性が、頷きつつ、話を聞いている。
その前を一度通り過ぎ、数時間後また同じ場所に行くと、高校生たちが制服で、『なんで屋』を囲んでいる。
暫し、彼らの背後で、会話をROMしてみる。
面白そうなら入れてもらおうと思ったが、やめておいた。
どのお題から発展したのか判らないが、ひとりが、家庭の問題を『なんで屋』に聞いてもらっているらしい。

お題ひとつにつき300円。満足度に応じて、プラスアルファという料金らしい。
お金払って、『なんで屋』に聞いてもらわなくても、一緒に座ってる友達だけでも、同じ話題で会話は成立する。
考えたり、語ったりするためのきっかけであるなら、安いだろう。
が、悩みや疑問の「答え」の値段ならば、安っぽすぎる。



2004年05月14日(金) 無い。

事故の後、首と腰の痛みがまだ取れないので、病院にリハビリに通っている。
で、今日は、その帰りに、本屋とレンタルビデオショップを梯子した。

大型の書店、大型のレンタルビデオショップ。
そこで、うろうろするのはとても楽しい。

楽しいのだが……
広い店内の、身長よりも高い棚にぎっしりとビデオが詰まっているのに、わたしが観たいものが無い。
それほど、マニアックなものが欲しいわけではない。
かつて、映画祭で賞を獲った欧州の作品や、有名な監督の初期作品が観たいだけなのだ。
考えてみれば、レンタルビデオショップには、邦画よりも洋画……否、ハリウッド作品が多い。
あとは、フランス映画や、イタリア映画の有名どころが少し。
……こーんなに、いっぱいあるのに、なんでわたしが捜してるのが無いんだ。
納得いかん。

書店でも同様。
雑誌を一冊買ったが、不完全燃焼。
そのうち、神田にでも出かけるか。



2004年05月09日(日) 想像力の欠如

「結婚は判断力の欠如、離婚は忍耐力の欠如、再婚は記憶力の欠如である」

と、言ったのは、明石家さんまではなく、アルマン・サラクルーという、フランスかどっかの劇作家であったらしい。
少なくとも日本では、その名より、上の格言の方が知られている。

昨日、わたしは、一冊の文庫本を買い、丸一日かけて、それを読了した。
面白かった。

ランディは、「RAVE」のコミックスの表紙が折れているのを見て「あああああああああ!」と叫び声をあげた。

「だから、本棚を買いに行こうと言っただろう。どうするんだ、本棚に入りきれないからって箪笥の上に積み重ねた漫画を。それだけで百冊近くあるじゃないか」

箪笥の上にも置ききれず、仕方なく枕元やベッドの脇に積み重ねた漫画の山を蹴倒してしまう程度のことは、殆ど日常化している。

「うるっせーな。いーんだよ」

「それならちょっと折り目がついたくらいで叫ぶな」

ランディは、わたしが読み終えたばかりの本をテーブルの上に置いてあるのを見て、

「なー、これ読んだの?」

「さっき読み終わった」

「じゃーさ、もういらねー?売る?捨てる?」

…………………

「それなら、『鉄拳タフ』も『ONE PEACE』も『ジョジョの奇妙な冒険』も売ろうか?とっくの昔に読み終わってるよな?」

その返事に、不機嫌になったランディには想像力というものが欠如していると思う。



2004年05月05日(水) たとえばなしPART2

「らるごおねえちゃん、早くパパとかママとか、おにいちゃんとか、わたしとかと同じ服を着てね」

と、この知人の子供に言われた。
パパに、わたしにそう勧めろと言われたのか、それともパパやママが常々そういうことを話しているからか、或いは、心の底から、わたしとおそろいで歩きたいのかは判然としない。

が、考える前に、思わず反射的に、

「やだ」

と即答してしまった。

「どうして?」

と、問われたので、

「どうして嫌なのかは、五年後に説明するからね」

と、言っておいた。

その子は、指を折って、

「えーと、5年たったら、そのとき、わたし、14さいになっちゃうよー」

うーん。十四歳か。
世の中には、いろんなサイズとデザインの服があり、人にはそれぞれ好みというものがあり、どんな服を着てもいいし、親に買ってもらった服であろうとも、着たくなければ着なくても構わないのだ、ということを理解することが出来るようになっているだろうか。
それが判れば、再び同じ問いを発することはないだろう。

今の彼女には、五年後は遙か遠い未来であるようだが、十年後と言っておけばよかったか。


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