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書くほどのこともない日常
日記とか、更新とか。

2003年07月30日(水) 「奴の小万と呼ばれた女」   松井今朝子 著

この「奴」とは、『奴隷』でもなく、折り紙の「やっこさん」である武家の中間や、「奴凧」のことではなく、『伊達』とか『不良』とか『粋』とかいう意味だろう。

主人公のお雪は、恐らく180cm近い長身で、美貌。
茶の湯・花道・琴・聞香・裁縫だけでなく、武芸にも秀でていた。
容姿にも、才能にも恵まれ、生まれた家は、大名格の財産を持つ商家。
そして、テレビの時代考証無視しまくり痛快時代劇の如く、この御寮人様は、女ばかりを狙う掏りを退治し、惚れた男の喧嘩の助太刀に走り、血塗れになって闘う。

このスーパーお嬢様が、どうやら江戸時代に実在したというのが凄い。

実際の、奴の小万も、奇行の人であり、あらゆる縁談を断りつづけ、生きてる間に、歌舞伎や浄瑠璃にも取り上げられたらしい。



このお嬢様、「世間」というものと折り合ってゆくことが出来ない。
結婚相手として自分に釣り合いそうなお坊ちゃまタイプは大嫌いで、他人からの尊敬を受ける申し分無い男は父性を感じ慕うが、愛せない。
遥か彼方の理想を目指しつつ金も身分も無い、己の不甲斐無さを嘆く小物な男ばかりを愛してしまう。
夫亡き後、細腕で店を支えた祖母に、「男なんかおだてて威張らせておけばいい。胤だけ貰って、実権はおまえが持てば良い」と言われても、嫌なものは嫌、で通す。
なまじ、「ええ衆」に生まれてしまった上に、なんでも出来てしまうがゆえに、それで通せてしまう。

何故、女は一家の主となれないのか。
何故、女は結婚し、夫に仕え、子を産み、育てねばならないのか。

うーん。
現代でも、「何故」と問われて即答は難しい。
とにかく、彼女は、「家」や「世間」に背き、自作のアバンギャルドな着物で街を闊歩し、縁談を蹴り飛ばし、喧嘩騒ぎを起こす。

でも、好き勝手やっているようでいて、彼女はやはり富裕な商家の「ごりょんさん」なのである。
貧しさを生理的に嫌悪してしまう。
豪華な振袖を窮屈に思っても、「ええ衆」の生活を捨てられない。
だから、身分違いの恋人との仲はひた隠しにするが、その男と別れることも出来ない。
恋人は、別の女をならず者と奪い合い、喧嘩騒ぎを起こす。
よせばいいのに、事情を知っていて、それを助けに行くし。
それは愛情と、「おなごや思うて、なめたらあかん」という負けん気がさせたことなのだろう。
矛盾に満ちている。

その喧嘩が元になって、最初の恋人は命を落とす。
二人目の恋人も彼女が援助したために却って堕落させてしまい、遂には、自ら命を絶った。

彼女の「何故」をだれも、論破することは出来ない。
「だって、みんながそうしてるから」で、みんなが従っていることに、従わないお雪は痛快である。
が、好きな男と一緒に死ぬことは出来ても、駆け落ちは出来ない不徹底さが、もどかしい。

物語終盤近く、彼女は番頭たちに「あなたが男ならなんの問題も無かったでしょうに」というようなことを言われる。

確かに、そうだろう。
男なら、店の主にもなれるし、身分違いの恋をしても妾として傍に置ける。
掏りを捕まえれば手柄にこそなれ、瑕ではない。
喧嘩騒ぎも、時が経てば武勇伝にもなるだろう。

どんなに人に優れていても、女は、女というだけで、業を背負ってしまう。
情事の果てに、妊娠するのは女だけ。

自分でも父親が定かでない私生児を孕んだ彼女に、「世間」の権化のような番頭たちが、譲歩して来る。
一番若い番頭に因果を含めるから、その番頭と結婚し、腹の子供を産んで跡取りとしてくれ、と。

しかし、彼女は、胎内に宿る子供のためにさえ、自分を曲げることが出来ず、世間と歩み寄るのを拒否した。
真似事で、形式を繕い、世間に屈服するのをよしとせず、我儘を通し切った。
出生からすれば、幾らでも「幸せ」になれたはずの人だが、この小説の主人公を、わたしにはどうしても、幸せとは思えない。

彼女の不幸は、女に生まれたことだろうか。
或いは、「生き方や、財産さえ捨ててもいいと思えるほどの人」に出逢えなかったことだろうか。
それとも、気性が激しく、あらゆるものに恵まれすぎていたことだろうか。

が、奴の小万ことお雪は、「世間並の幸せ」などというものには虫酸が走るだろう。



2003年07月28日(月) カ…カ…カッ……カーンから……!

バースデー・カードの返事が届いた。














でも、封筒の宛先は、わたしの字。
わたしの書いた差出人のアドレスをそのまんま切り取って、セロテープで貼りつけてある。
……絵葉書だったのに。




2003年07月26日(土) もうちょっとストレートに願いたい

なんだかんだで、風邪が流行っているらしく、スーパーに買い物に行くと、咳き込んでる人をよく見かける。

が、風邪をこじらせつつも、物件見学。

不動産屋が、滅多に無いお奨め物件が出た、というので行ってみた。

確かに、場所は良い。
広い割には、安い。
が、道は狭い上に、すぐ近くに所謂「ゴミ屋敷」らしきお宅があって、そのせいなのか、近所に魚屋でもあるのか定かでないが、時折、生臭い風が吹く。
おまけに、安いには訳があり、

「元はアパートだったんですが、ついこないだ、火事になりまして」

「……死者が出たんでしょうか?」

「はい」

……はいって、事も無げに言わないでくれ。

「如何でしょうか。来月、御祓いもする予定ですが」

おい。
一応、現代人である積りでもあり、祟りや心霊を積極的に信じはしないが、それでも気持ちいいはずが無い。
幾ら更地になっているからって、御祓いもしてないようなところに連れて来ないでくれ。

もう結構です、と言ってるのに、車を出そうとしない。
なんなんだ、と思っていると、

「それじゃ、この前見たあそこはどうでしょう」

と、言いはじめる。
そっちを奨めたいなら最初からそう言って、喫茶店かファミレスにでも誘い出してくれ。
焼死者が出た現場で、長いこと立ち話などしたくない。



2003年07月20日(日) 高価な親子喧嘩

夏風邪をひきこんだせいで、暑くて汗流してるのに、寒気がするのを押して、今日もまた、不動産屋と物件巡りの旅。

建築士さんにも来て戴いて、候補地を幾つか回った後、以前見た物件をもう一度見てみないか、と、温厚な顔をして運転の荒い営業担当者が言う。

あれは、もう売れたと言ってなかったか、と問うと、

「ええ。御成約になったんですが、お客さまの御都合でキャンセルとなりまして」

ほぉ。
そういうこともあるのか。

「……どうやら、資金援助をして下さるはずだった親御さんと、感情の行き違いがおありだったようで」

うわー。

「手付金、100万円を売主に支払って、契約解除となりました」

うわぁぁぁ。
高くついた親子喧嘩だこと。



2003年07月15日(火) 接着剤

数日前、茶壷(中国茶用の急須)の蓋を割ってしまった。
普段は、ものには執着は無い、と言って憚らない人間ではあるが、これは痛恨の極みであった。
べつに、高価な茶器であったというのではない。
では、なにをブルーになっているのかというと、中国茶の楽しみには、「養壷」というものがある。
いや、わたしは、「あるそうである」くらいの表現にしておいた方がいいくらいの初心者なわけなのだが、初心者なりに、本を読んだり、ネットを彷徨したりして、手入れをしていたのである。
手入れと言っても、べつに、大層なことはしていない。


使った後は水洗いして乾かしてから仕舞う。

ときどき、余ったお茶を指につけて撫で撫でする。

たまに乾いた布で磨く。


まめな方ではないので、頻繁にはやらないが、それなりに、買ったばかりの頃よりは、茶渋を吸って艶も出てきていたのである。
蓋の上の珠が取れただけで、簡単にくっつきそうなのであるが……







まずは、陶磁器の修繕といえば「金継ぎ」であろう。
欠けたり、割れたりしたところを漆でくっつけて、継ぎ目に金粉を蒔くらしい。
興味はあったので、自分で出来ないものかと考えたが、高っ!!
それに、漆を使うのは、やっぱり怖い。
で、金継ぎを請け負ってくれる職人さんを探したが……近くには無い上に、キットを買ったり、習いに行ったりするほどでは無いが、それでも、同じ茶壷が買えるほどかかる。

しかし、写真のような割れ方なので、陶磁器用ボンドでも、元通りにはなりそうだ、と思って検索をかけてみた。

が、口に入っても大丈夫な接着剤は見つからない。

それどころか、含まれる化学物質のカタカナの羅列に、いろんな意味で頭痛が。

いい。もういい。
これは、アロンアルファでくっつけて、使わず飾っとくことにする。


が、もういいと投げてしまえない問題もある。
検索する間に、可塑剤、酢酸ビニルモノマー、アミン類、アクリル酸エステルモノマー……などという、馴染みは無いが、なんか凄く身体に悪そうな化学物質の名前に行き当たる。
実際、凄く身体に悪いようで、発癌性だの、神経毒性だのがあるという。
これらは、住宅の壁紙などに使われる接着剤であるらしい。
わたしたちは、これから、家を持とうとしている。

茶壷の蓋に使う一滴より、これは深刻であろう。



2003年07月13日(日) 物凄く気になること。

最近、気持ち悪い接客をされることが多い。

「●●円からお預かりします」

とか、

「○○円のお返しになります」

は、なんか、聞き慣れてしまいつつあるが、やっぱり変だ。

「●●円お預かりします」「○○円のお返しです」の方が短いだろうに、そんなに言いにくいのか?


今日、トンカツを買ったら、

「キャベツの方、よろしかったでしょうかー?」

「の方」って、なんだ?キャベツのある方向になにがあるというのか。キャベツの横に並んでるソースを買えと?
なにより、一度尋ねられた後の確認というわけでも無いのに、「よろしかった」と、何故過去形?
見た感じ、わたしの母親世代の女性だったし、若いバイトの子にいろいろと指図し、教えていたから、新米というわけでもないのだろう。

変な言葉を使う店が、ひとつなら、此処の方言かとも思えるが、あちこちで聞くのだ。

「ら」抜き言葉や、「○○しておられる」「お伺い下さい」とかいう言葉も気持ち悪いが、更に気持ち悪い。
が、逆に言えば、耳障りな言葉を使わないところは、きっちり店員に教育をしている店か、マニュアル一辺倒でない店なのだろう。
良い物差しだと思うことにしよう。

そんなお店は少ないが、ちゃんとある。



2003年07月09日(水) 「西洋骨董洋菓子店」全4巻

ランディは、日帰り出張と言って出掛けたが、もう三日目である。
今日などは、駅まで行ったのに、新幹線の切符を買う前に、またしてもトラブルが起きて、呼び戻された模様。
ぐったりした様子で、明日の夜こそ帰ると電話をかけてきた。


さて、タイトルの漫画。
よしながふみの作品は好きなのだが、買ったのははじめてである。

漫画に限らず、薀蓄の入った作品は良い。
昔は、物語の中の薀蓄は、おまけのように楽しんでいたが、今はそれだけでは無い。
作者の気合を感じる。
この話も、ケーキの薀蓄が無ければ、多分、半分のボリュームになるのだろう。
しかし、面白味も半分になる。
キャラクターの魅力と、割り切れない結末を含めた上質な物語に、とても満足である。
実に、美味な漫画であった。



2003年07月08日(火) 密造・密売ルートは

かねがね、疑問に思っていたことがある。

近所の小さな不動産屋に入ると、そこの経営者がひとり座っている。
その人は、開店から閉店まで、其処に座っているのだろう。
狭い店内に入ると、独特の臭いがする。
ポマードの臭いである。

疑問というのは、このポマードという整髪料なのだが……その臭いは知っている。
ある程度の年齢以上の人の傍に行くと漂うあの激しく自己主張する臭いを、いつから「ポマードくさっ」と思うようになったのだろう。
実家の父は、昔は、角刈りにしていたので長い間整髪料要らず。
総白髪の髪を染めるのをやめた今は、伸ばしてオールバックにしているが、整髪料はムースとジェルである。

ポマードって、何処で作られて、どんな形状で、どんな容器に入っていて、何処で売ってるものなのだろう?




2003年07月07日(月) 今日は良い日だった。

そろそろ財布を買い換えたいのだが、どうも気に入ったのに出逢えない。
それで、電車に乗って探しに出掛けた。

東急ハンズで、いろいろ見て回るのは楽しい。
殊に、台所用品や調理器具の売り場なんかは時間を忘れる。
洗剤と、ボトルの中を洗うネットに入ったビーズ(商品名「しゃかしゃかテトラ)を買い込む。
それから、少し前から、母が探していて、見つけたら買って送ってくれと言っていた雑貨を発見。それも買う。
「雨の日割引」とやらで、ケーキが安かったので、それも買う。
晩飯の材料を、と思ってデパ地下に行ったら、河豚のちらし寿司が物凄く安かったので、晩飯はそれにすることにした。
帰宅ラッシュにぶち当たり、電車は凄く込み合っていた。
背後には、黒人の男性が立っていた。
外国人など珍しくもないが、その人は、長身で、見とれてしまうほど美形だった。

帰ってきて、ネットに繋いだら、此処数ヶ月御無沙汰だったネット友をICQで発見。
近況を聞く。
元気そうで、うれしかった。

河豚のちらし寿司も美味だったが、ケーキが殊更に美味しくて、今度から、横浜のハンズに出掛けたらお土産はこれと決まった。

結局、また気に入った財布には出逢えなかったが、良い一日であった。



2003年07月06日(日) これもまた、上々の日常。

デスクトップが、カーンのアップの画像になって以来、己の為したことであるのに、パソコンを立ち上げる度に、びびってしまうわたしは阿呆である。
全体にセピアカラーなのだが、大きさはほぼ実物大で、瞳だけは鮮やかなブルーで、凝とこちらを睨みつけているので、非常に怖い。


閑話休題。

こないだ、おた画伯と話したときに、またしても、「ランディとラブラブ」に類することを言われた。
そぉかぁ?と尋ねると、
「あんだけ日記にランディのことばっか書いてたら」
と言われた。

ああ。なるほど。
そういうことか。

ランディとふたり暮らし、子供無し、ペット無し、近所づきあい無し、出無精。
ランディ以外の人と、日常で、顔を見て話すことと言えば、「いらっしゃいませ」「○○円になります」「●●円お預かりします」「△△円とレシートのお返しになります」「ありがとうございました」程度。……って、会話でさえ無い。
あとは、数少ない友達と、ときどき電話をし、たまに逢う。

こういう日常では、ランディのことしか書けることが無い。

もはや、この状態をどうにかせねばとも思わないのが問題かもしれないが、しょうがないじゃないか。
わたしは、これでも特に孤独を感じていないのだから。
寧ろ、「嫌いな友達」や「近所に住んでるだけの人」と「つきあい」をつづけねばならない方が苦痛である。
流行ものには拒絶反応が出る方だが、シンプル・ライフ、スロー・ライフは目指すところである。
人間関係も、それで行ったって構うまい。
因みに、スロー・フードも目指したいのだが、夫婦揃ってジャンク・フードもファースト・フードも好きなので徹底は出来ないだろう。

「将来、齢を取って、ひとりになって、精神的に孤独になるのは怖いかも」

と言ったら、おた画伯は、

「それは無いと思う。今だって、こんだけネットが発展してるんだから、気の合う人と距離感の無いつきあいができるよ」

と言った。
ああ。そうか。
ならば、わたしは恐らく、ずっと幸せなのだ。



2003年07月03日(木) 先進国の基準ってなんだ。

「でんき予報」なるものが出ている。
政府が、国民に電気を使うのを控えてくれって……戦時中か。
そのせいなのか判らないが、何処に出掛けても、冷房が弱い。
ランディが言うには、

「そういや、うちの会社も、来週あたりから、昼休みが一時間ずれるんだよな」

サマータイムか?と尋ねたら、違うと言う。

「電力量が足りないから、世間のピークとずらすんだってさ」

首都圏で、電力使用量が過剰になると、停電の危険があるのだという。
原因は、各地の原発で事故が相次いだせいで、操業停止しているためらしい。
温暖化に配慮したのでも、限りある資源を大切にしようというのでもない。
結果的に、地球環境に良いのであろうが、そんな悠長な問題では無い。
停電したら、電車やATMはどうなる。
自家発電のある施設も多いだろうが、病院なんか、人の命に関わる。
アメリカみたいに、電話も電力も基本料金払えば殆ど使い放題に近い、なんていうのを要求はしない。
寧ろ、勿体無さ過ぎて反対だが、この国の、この状態は、真夏も近いのに、お寒すぎる。
事故が起こることなど問題外、更に、事故が起こった場合の対策が無くて、使用者に制限をかけるしかないって。


国会議員が連日のように問題発言を繰り返す。
本人たちには、言い分もあるし、釈明もしているようだが、言葉を選ばず、差別発言と取られるような言い方をすること自体、どうかしている。
靖国参拝や植民地についてなら、賛同者も出る発言だろうが、レイプ肯定や、子供を生まない女は税金で面倒を見るに値しない、なんて発言に対して、快哉を叫ぶ恥知らずがいるのだろうか?

そんな先進国って、他にもあるのだろうか?




――――――――
とか、書いてたら、イタリアの首相が、ドイツの議員に向かってナチス呼ばわりしたってニュースが。
最初は、捻りの足りない小噺かと思った。
此処は、同盟の一角だった日本の首相が気の利いたことを言ってとりなすべきか?



2003年07月01日(火) 「王は踊る」

冒頭に近いシーンで、思わず自分にツッコミを入れた。



またしてもホモの話かい!



知ってて借りたわけじゃないんだけどなぁ。
まあ、だからと言って、知ってたら絶対借りなかったってわけでもないんだからいいんだけども。
戦闘シーンにも、舞踏会のシーンにも、ヴェルサイユ宮殿の建築場面も、ハリウッド的な「金かけてるぞ!」とか、「エキストラ何千人使ってるぞ!」とかいうのが無くて、却ってそれが良かったと思う。

ルイ14世は、別名を「太陽王」というそうである。
木原敏江のマンガ「アンジェリク」、レオナルド・ディカプリオ主演の「仮面の男」なんかでも登場していた。
女性にやさしく、メイドにも帽子を取って挨拶をした、とか、美食家だったとか、ヴェルサイユを造った人だとか、逸話が多々あり、物凄く魅力的な人であった、という。

で、この映画の主人公の宮廷音楽家のリュリは、この太陽王を崇拝し、総てを投げ打って仕えるのである。
でも、この男、なんだかんだで気が多い。
総てを許してくれる妻は「わたしの小さな光」、自分を慕う妻の姪の美声にも惹かれ、美少年と見ればすぐに手を出す。
難産で苦しむ妻をほったらかして、王の病室の前で音楽を演奏するほど「王を愛している」という。
ルイ14世には手を出す気配が無いので、この「愛」は、恋愛や性愛とは無関係かといえば、そうでもなさげで、王が女性と同衾しているところを見て、嫉妬に狂ったりする。(て、いうか、最中にカーテン越しに、BGM演奏させる王も変態)
「アンジェリク」の中のルイ14世は、男もオッケーだったと記憶しているが、この映画の中では、男色に物凄く嫌悪感を持っているので、どんなに尽くしてもリュリは報われない。
散々利用された挙句、最期は用済みになって、王から見捨てられる。
リュリの臨終にも、王は来ない。

最後の王のひとことは、リュリの死を知ってのものか、そうでないかで随分と意味が違ってくる。

どっちなのかは判らないが、判らないままでいいのだろう。


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