手帳[Note]

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飛び火 2004年06月30日(水)

0歳の息子が飛び火です。
娘よりも早くかかってしまいました。
だいぶ広がって痛いようです。
今は座布団の上に寝かせられて天井を見ています。
さて、いつねるのやら。

たまに 2004年06月23日(水)

自分の手帳をみるのもいいね。

ヤマダ電機仕様 2004年06月20日(日)

三菱霧ヶ峰をヤマダ電機で買ったが形名が「MSZ-T22F-W」というもので三菱のサイトをいくら探しても出てこない。
過去の製品かと思いGoogleで探しても出てこない。2台買って1台は標準工事でできるので付けてもらったが、もう1カ所は2,3万かかると言われたので知り合いに頼むことにしたのだ。
しかし、その際に(ガスが)新冷媒なのかと聞かれて調べていたところだった。
結局わからなかったのでマニュアルに載っていた365日24時間のお客様相談センターに電話した。
なかなかつながらなかったがそのまま待っていたらやっとつながった。
調べてもらったら新冷媒だった。正式にはHFC(R410A)というらしい。これはオゾン層をまったく破壊しないそうだ。
しかし、ガスが従来の4倍高く、工事に手間がかかるらしい。すこし多めにお手当しないといけなくなったね。
さらに、なぜ三菱のサイトに載ってないか聞いたところヤマダ仕様だからだそうだ。三菱でいうとJ22とほぼ同じだということだ。
じゃあ、何が違うの?性能が落ちるの?とさらにつっこむとデザインがちょっと違っていたり、本来オプションのものが標準で付いていたりしてアピールしているそうだ。量販店仕様のパソコンの話を以前量販店に勤めていた人の知り合いから聞いたことがあるが、量販店用は普通のより壊れやすいと聞いていたので、つっこんでみたかった。
性能は落ちることはないとは言っていたけどね。
さて、どうなんでしょうね。
三菱仕様のJ22を買うわけにもいかないし信じるしかないか。

がんばりすぎて・・・ 2004年06月15日(火)

娘の快気祝いに
スーパー銭湯行って
ボーリングに行って
一緒にあそんであげたら
疲れ切ってしまい
いま鼻水出てます。
熱があるらしい
やばい
今日は有休で休んだ
明日また会社休みか
病欠で・・・

娘の退院 2004年06月10日(木)

無事退院し、ささやかな身内だけのパーティー。
ちょっと夜更かしだが今日だけは大目にみてあげた。
はじめて両親も含めて家族5人でばばぬきや神経衰弱をやった。
父は案外記憶力がいい。
娘はくやしくて泣いてしまい。
最後はながめるためにたくさん取らせてあげた。

親子の時間 2004年06月06日(日)

あれから仕事で娘に会いに行けなかったが、やっと休みになり会いに妻と行って来た。だいぶいつもの娘に戻っていて安心した。
親子3人でゲームをしたりして過ごしたが、これからは退院してもこういう時間は大事だね。

緊急入院。 2004年06月03日(木)

昨日会社の同僚のお通夜から帰ってくると娘が歩けないくらいおなかが痛いと言っていた。昼間妻が病院に連れて行き、痛み止めをもらって飲んでしばらくは落ち着いたが、痛み止めが切れたらまた痛み出したようだ。

妻が近所のお母さんからちゃんと見てもらった方がいいよと言われて気になっていたので、赤ん坊は両親に預けて病院に連れて行った。夜9時頃。
行った病院は小児科の当番ではなく、担当医がいる病院に行った。
この病院の受付の若い奴は私が受付に立っているのにわざと知らない振りをしてこちらから声をかけるまではこちらも見もせず腹が立った。教育が行き届いてない。ダメだねここは。

小児科の担当医がいる病院で血液検査をしてみると白血球が異常に増えているが、なんだか聞き忘れたが別の値は低く、両方とも高ければ間違いなく、急性虫垂炎の可能性があるが、ここでは精密検査ができる担当医がいないので、ちゃんとしたところで見てもらった方がいいですねと言われた。

次で病院のはしご3件目だ。

「これからですか?」と聞くと、「検査をしてみて何でもなければ安心できるし、もし急性虫垂炎で虫垂が破裂したりして手遅れになったら大変なので行った方がよい」と、アドバイスされ、紹介状を書くからということで、別の病院を紹介してくれた。ちゃんと電話までして確認までしてくれた。サンキューせんせい。

行く道がちょっと怪しいというと、わかるまで教えてくれた。電話した時出た若い奴の対応がちょっとぶっきらぼうだったが、道を教えてくれたのはたぶんのその青年だろう。さっきの態度はゆるしてやるか。

注射が嫌いな娘が検査で注射を刺す時、「痛くない」と言っていた姿がけなげだね。

いったん家に帰り、娘が寒いと言っていたので長袖長ズボンと毛布を用意し、遅くなるので息子の夜のミルクなどを準備して、両親に預け、出発したのが10時過ぎだった。

この時は、「あー、なんでもなくてよかったね」と言ってすぐ帰ってこれるものと思っていた。

紹介してもらった大学病院の担当医に見てもらう時には娘は寝ていたがお腹の右下を押すと痛がっていた。やはり急性虫垂炎(盲腸)の疑いがあるらしい。
点滴をうって、CTやレントゲンを撮って詳しく調査するということで針を寝ている娘に刺したが痛くて泣きながら目が覚めた。痛がる娘を見て励ましながらも妻は泣いていた。かわいそうだけどがまんさせるしかなかった。

歩けないほど痛いので、車いすに乗せられ、地下1階に行った。CTを撮ってみるとやはり急性虫垂炎なので、手術した方がよいとのこと。説明はあとで詳しくするそうだ。さらに全身麻酔のためにレントゲンも撮ることになった。結局地下で1時間くらいかかった。まだ小さいのにこんなにつらい思いをする娘を見るのが不憫で妻は娘を思うたび泣いていた。

「でも、娘を励ますためにもがんばらないとね」と涙をふいた。

薬で散らす方法ではだめか聞いてみたが、今の状況でうまくいかない場合はもっと危険な状態になるのと簡単な手術で終わるので手術した方が良いというのが医師の見解だった。詳しい説明を聞く中で、薬を入れてみたが、虫垂から毒が出ていかない事が確認できたのでそのままほっておくのは危険なので切った方が良く、手術はへその部分の下側を切って内視鏡で盲腸を見つけてその部分だけ外に出して切るという手術だということだ。手術自体は30分で終わり、切った部分に腸が癒着するそうだが、切る部分が小さいので腸の癒着もないということで少し安心した。

妻の腸の癒着は切る部分が大きかったせいであり、切った部分に腸が癒着したんだと言うことがいまさらながらわかった。

手術室が空いていればすぐ行うと言うことで確認すると空いているということで緊急手術することとなった。娘には寝ている間に悪いばい菌を出すから大丈夫だよと安心させたが、涙は止まらなかった。でも、泣きながらがんばるといっていた。

手術後はいっしょに付いていてあげられると思ったら、病院では完全看護を行っており、未就学児以外は付き添いを認めておらず娘一人を病院に残すことになった。そのことの方がかわいそうで妻は泣いてばかりいた。

手術が終わったのが午前3時半。術後の報告を担当医から受け、切り取った虫垂をみせてくれた。なかは赤い膿があってこれが痛みの原因であり、これが虫垂全体に広がり破裂することになったら大変なことになると説明してくれた。思っていたより結構長いものだ。

しばらくして娘に面会させてくれたが、疲れたのかぐっすり寝ていた。泣き疲れたのか顔が少し腫れていた。

いったん家に帰ったのが4時半。午後2時から面会時間ということで昼前に起き出して着替えなどの準備をし、再び病院に行った。

笑おうとしても痛いのか顔が引きつって笑い顔にならない。まだ、点滴なので食事はできずおなかも痛いので大きな声では話せなかった。腸閉塞を起こさないようにもう、ひとりで歩いていた。点滴をつるす器具といっしょに。

やはり、一人で病院に残るのは寂しいので早く家に帰りたいと何度も言っていた。別れる時はまた泣いていたが、我慢してがんばろうとしているのがわかる。いままで厳しくしすぎてアッパ、オンマが恐くて我慢してきたのかもしれない。自分の娘なのにちょっとかわいそうだね。

これからはもっとやさしくしてあげること。まだ子供なんだから、大目に見てあげること。
子供につらい思いをさせない親になれるように。

亡き同僚に捧げる 2004年06月02日(水)

3月まで同じ部にいた同僚でもあり、先輩である社員が6月1日になくなった。
5月中旬に会社で倒れ入院していた。
元気な姿で戻ってくると信じていた。
また、状態がわからず見舞いにも行かずにいた。
その同僚が死んだ。
41歳だった。

システムのことやデジタル機器のことなど詳しくて結構話の通じる数少ない同僚だった。仕事でも結構頼れるアニキのようなひとだった。
とても残念だ。

こうして亡くなってみるとだいぶ無理をしていたのかもしれない。
心労がたまっていたのかもしれない。

そして、お通夜に行き、彼のお姉さんに会った。
話を聞いて驚いた。

一時は回復に向かっていたというのだ。

なんていうことだ!
それなのに、見舞いにも行ってあげられなかった。
後悔先に立たず。
倒れて病と闘っている時に励ましてもあげられなかった。

なんて俺は冷たい人間なんだろう。

同じ失敗を二度と繰り返すまい。二度と。

回復に向かっていたが、40度近い高熱により心臓に負担がかかりそのまま逝かれたということだった。6月1日の午前5時。
前日の昼間がとても暑く、夕方から雨が降り出し涼しくなった。だからその日の朝はとても肌寒かった。気温の変化が激しい一日だった。そんな朝に闘いむなしくこの世から彼は去っていった。

死に顔はとても穏やかで寝ているようだった。

おい!目を覚ましてくれ!まだ逝くのは早いんだよ!

と、声をかければ今でも起き出しそうだった。いまだに信じることができない。
あまりにも突然で、あまりにも早く逝ってしまった。そんなことってあるか。
会社には彼の痕跡がいたるところに残っている。そのひとつひとつを眺めながら彼との思い出を大事に大事に心にしまって置きたいと思う。

心より彼のご冥福をお祈りいたします。



通夜は本当に味気ないものだった。
お坊さんのお経は有り難いものなのかもしれないが、参席者には何の意味かもわからない。こんなわけのわからないお経を聞かされるよりは、お姉さんや親族の方、会社の同僚から彼がどう育ってきたか、どう生きてきたのかを聞きたかった。親族を代表しての話もなかった。
ほんとうに寂しい、味気ないお通夜だった。

本当に残念でならない。
こんな終わり方で本当にいいのか。
冥福を祈りながらも、彼に心残りはなかったのかもっとやりたいことがあっただろうにと思うと本当にやりきれない気持ちになる。

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