魂と体は一つところに同居し、わたしという有機体を作るかけらである わたしといういれものを魂の赴くままに動かしていきたい わたしがわたしを精一杯、丁寧にいきること それが偽善者たる生き方 それが心意気 一本道をゆるゆるとしかし目的地は見失わず突き進む 他の何者にも侵すことのできないわたしらしさで
人間らしい生活がしたかったから、友人たちに別れの挨拶をする間もなく引っ越した。我慢が限界だったのだ。生活環境が整わず日が過ぎていく。結局意を決してかつて闊歩した街に出かけた。見渡す限り人人人。かつて都会育ちで田舎町にいたカナダ人と新宿に行った事がある。たくさんの人を見て目を輝かせていた理由が今ならわかる。人は人がいて己の存在を確かめられる。息をふきかえすのだ。私は、駅まで徒歩圏内で、1キロ以内で日用品も食料品も好みのものがそろうところで生活してきた。最寄り駅まで歩く道すがらに銀行やコンビニやスーパーがあり、デパートもあった。大きな街までも30分だった。都会で仕事に疲れては、写真を撮りに自然を求めて出かけた。田舎に住む人が映画にかじりついていたり、時々都会へ行く事を奇妙に感じていた。大海を見た蛙が、井の中に居続けるのは難しい。カナダから帰国した後放心状態で現実を見たくなかったのもそれだろう。その立場ごとに抱く思いが違うということだ。見失いがちなことだ。久しぶりに歩いた街はわずかな変化がありながらも、昔より私に優しかった。有楽町は丸井ができて人通りの波が違っていた。昔は有楽町を銀座を六本木を雑誌から抜け出したようなスタイルで闊歩し、値札も見ずに買い物をしていた。今は家財道具を持ってジーンズにダウンジャケットとスニーカー。銀座でも浮いていた。動きやすいスタイルで値札を見ながら一考してお買い上げ。昔はこんな暮らしは嫌だった。惨めに思えて仕方なかった。そう、あの頃は見栄をはれなくなったら終わりだった。昔の尺度で計ると自分の変わりようは滑稽だ。まるでポリシーがないようで。しかし何かを失い何かを得るのが人間なのかもしれない。ここで街に呑まれず生きる事を知った。人からエネルギーを吸吸って街自体が生きている。大地をむやみに耕す事で人は己を抱き止めてくれる大地を失った。そして街が選んだ人だけが成功する。この街と新天地とはえらい違いがある。私には初挑戦ばかりだが、強く望めばこれからの環境にも順応できると信じる。年だから、『できない』なんて自分への言い訳はしないでいこう。『年だから時間がかかる』だけのことだ。
ある意味において、今年は再起の年だ。ぶっちゃけ資金に困って、手元から一つまた一つと物が姿を変えて行った事もある。それでも、売る物リストに入らなかったもの。結局それこそが自分に必要なもの。カメラと本。体育祭で一度カメラを使っただけでもう五年程もお休みしているる。今日天気が晴れているのを確認しDomkeを担ぎだした。長い休暇から起こされたカメラはしょうがねぇなとでも言いそうだった。電池、フィルムなし。セットして、バスに乗り込んだ。目的地にはローカルを乗り継ぎ到着。乗り継ぎに30分以上はざらだ。車のないやつが悪いいといわんばかりに。そして、再起の撮影を終え美術館で静寂な気持ちになって帰途につく。撮影枚数は12枚。昔ならありえない枚数だ。一回の撮影に100枚は使っていたからだ。しかし、一枚一枚を吟味して撮った。ファインダーを構え、一つの被写体に対して構図をみて位置をを変える。こんな当たり前のことをせずじっくり数打ちゃ当たる的な撮り方をしてきた。一瞬を逃したくない気持ちと、数をこなせば上達するはずだと信じる気持ちからのことだった。現像に出そう。ていうか、デジタル一眼にしろって感じ?
雨だと出かけるのがおっくうになる。歩く距離があるから自然の力に直にさらされる。車があれば天気の影響もさほど受けないだろうが、いまだ徒歩とバス、時々単線でさまよっているのでお天気サマサマだ。先日なんてかなりの強風で傘が骨折した。引っ越してきてこの町を歩いた時、ヒールが溝にはまったり、よくこけたりした。あおたんは年甲斐なく膝にできている。そのおかげで町の環境に気づいた。歩道の道は土でこそないが、ブロックで継ぎ目に穴があいていてわずかな段差がある。30センチ間隔で。初めからヒールで歩く事を想定されていないのだ。私が生まれ育ち今まで生きてきた世界とは全く違う生活がここにある。
免許証の書き換えの為、バスにのった。バスに乗り込んで見渡す。空席は3つ。のり口に一番近い席と運転席に近い二席だった。座らないと発車できないと思い一番近い席に座った。とあるバス停でおぼつかない足取りの高齢者が乗車してきた。私は立ち上がり運転席に近い席に座りなおした。その高齢者は私のあけた席にそろそろと腰掛け、無事先に降車した。良かったと思い、終点で降りようとバスカードを差し込んだ時だった。 「ありがとうね。さっき席譲ってくれたでしょう。嬉しかった。あれうちのおかあさんなの。チョコレート食べる?」運転手はチョコレートを出しながらそう言った。あっけにとられる私をよそに運転手はニコニコ嬉しそうな笑顔。断りきれず、頂いた。毎日が人情ドラマだ。心が少しずつ洗われていく。
郵便局にいくと四歳くらいの子供が座って大きなそろばんのおもちゃで遊んでいる。周りを見ると同じ空気をまとう祖母らしき人が窓口にいた。子供はおとなしく声もたてずに一人で遊んでいた。20分ほどすると飽きたらしく子供は祖母に訴えた。しかし祖母からまだだと聞くとだだをこねる風でもなく、うろつくものの騒ぐことはなかった。私が今まで見たパターンだと祖母なり母親はいらついた口調で、子供に待つよう告げただろう。そして子供はその口調に嫌われたと感じ不安を覚える。不安をぬぐうために更にだだをこね親にアピールする。親はまだだと言ったのにと更に癇癪をおこす。とエスカレートし、親子ともども一つの用事に疲労困憊するのだ。しかし、そのような様子とは全く違った。子供なりに祖母が用事をしているとわかっていたのだ。特徴的だったのは、もうちょっと待ってと言った祖母の口調がいらつきなく、ただ説明するようだった点だ。感情は表出する人と表出される人では伝わる内容が違うのだ。子供は鋭敏に察知する。言語の意味ではなく、親の精神的状況を。環境からの刺激が少ない田舎町、親子のありかたも違い健やかな心が育まれるように感じた。
最近は便利になったものだ。パソコンはまだ繋がっておらず、だが試しに今携帯のPCサイトビューワーでこうして書いている。新居に引っ越して数日、家具が未だそろってない。行動から己の心をよむ。ここでやっていく覚悟が実はない、もしくは実はやっていく気がないのか。騒音だらけの環境にうんざりしてただけだったのか。色々自問自答した。しかしこの数日、人のまっとうな感情にふれて私は家財道具を真摯に選択し、購入し始めた。このまちの人たちは、普通に親切なのだ。何かしてもらえば礼を言うのは常識だが、その礼に暖かい感謝がきちんとこもっている。そんなことも、都会にはなかった。店員に売り場を聞いても、たいがいよくわかってなくてあてにならない返事だったが、こっちは地の強みか売り場以外のことも何の儲けにもならないのに教えてくれる。そう、この『もうけ』という考え方がそもそも人を人らしくないものにしていると考える。心に思いやりの華を持てる人こそ美しい。がんばろう。
実習と国家試験対策との疲労から脱出できないまま 日は迫っていた
制服の採寸がある為、絶対に一度は就職先へ行かなければならない しかし、いったりきたりも交通費と体力が持たない点から、 最小限の往復で済ませたいところ それを考えながら引越しのゴミを廃品回収に出したりしてると 急に手伝いだされて気分が害される 残念ながら私にはもう情はない 今更話すきっかけを作ろうとかされても、気分よく出発したいのに水をさされるようで不愉快である 己のしたことを振り返って反省するとか謝るとかしたらいいのに まぁ、経歴詐称や浮気してたくらいだからそんな器じゃないけどね
ちょっと不安だったこともあるけど、 東京時代の縁が、私の出発を心待ちにしてくれている 合格就職パーティをやってくれるそうで、盛り上がっているようだ 企画してるのがお祭りのようではしゃいでいるそうな 主役は、、、わたしのはず??
引越しに伴って一時的にネットができない環境になる 引越しシーズンとの事で、引越しが完了しないのにネットだけおあずけになってしまうのだ
13日のお昼にファイバー撤去されるので、そこからしばらくさようならです。
去年の春頃から光ファイバーでネットしている これから引越しシーズンなので早急に転居先でのネット環境を整えようと契約会社へ連絡・・・・
「申し訳ございません。サービス提供外地区になります。」
・・・・・・・ 田舎だから?! 仕方ないので、解約する事になりました。 あっちでも、光にするので他社への新規申し込みをネットで行い 連絡待ちですな。
数日は、大阪と転居先を行ったりきたりするので 引越し前にネットが一時使えない状況になります ああ、寂しい
それと、プロバイダが変わるのでメールアドレスも変わります。
一人でなんでもするように頑張りだしたのはなぜだろう 学生中最も困ったのは、書類とゴミ袋
家族に頼めばいいやん
と、言われてハタと考えた
書類を役所に取りに行くとかそういう用事を親に頼む事は今までで数回だ 成人してから1回くらいかな
昔から、頼みごとは嫌がられるのだ まず第一声が否定形の言葉で始まるのだ それを聞くとじゃあもういい、となる
この相当嫌な応答を乗り越えて説得しなければやってもらえないのが私へのうちのならわしである
それを知っているので限界まで自分でなんとかしようと必死になる 皆勤を取る事を硬く決意していたので、書類とゴミ袋には手をやいた 皆勤さえ狙わなければ、ぜんぜん苦にならない事だった 家族と同居しているが、しいたげられた生活をしているので(笑) ゴミ袋は自分で役所に行くしか入手方法はない 書類もしかり
一番みじめだったのは、友人が近所に越してきた時 育ちのよいIちゃんは、勉強に励む私に 3日に1度くらい手料理を差し入れしてくれたり、 流行のものを買ってきてくれたり、 私の兄弟の分まで手料理をくれたり一緒に遊びに行こうとしてくれた そして、当然うちの家族丸ごとよくしてくれようとした Iちゃんの親が、人を歓迎しもてなしのできるよいご夫婦だから、 彼女にはそれが普通だった そして、うちの家族がIちゃんを受け入れて歓迎してあげるのがおそらく礼儀だった でも私は知っていた うちの家族はもてなされるのは「よきにはからえ」だが、 人をもてなすことはできないのだ
色々あって、Iちゃんは実家に戻った 卒業後久しぶりに会って私は、家族の礼儀知らずをまず謝った 彼女は今まで家族に尽くしてきたのに、しうちを受けてるってよくわかった もう自由に生きてもいいと思う 応援するからと、許しを述べてくれた
手続きをしていく今、色々結構大変だ
好きな人と一緒になる=結婚 じゃなくて、家族が欲しい=結婚でもいいかなとか思ったりする
親戚にはしたら知らせよう
詰め込み方式の学業と実習を終え、めでたく卒業となった 皆勤代表で表彰を受けた NS学校は過酷なので、その皆勤は本当に価値があると教員方に褒め称えられた
入学してからずっと尊敬し続けている先生がいた 独り占めするのはこれまで困難な状況にあったが、 皆勤で表された事やその先生も同じ系列の病院で働いていた事から、 話す機会に恵まれた ずっと尊敬していた事、先生のようにはなれないけれど、諦めずに精進したい旨を伝える事ができた 先生はあなたの眼差しは届いていました。そしてその眼差しがまたワタクシのパワーとなりました。あなたは○県に行くんだったわね。ワタクシはわさび漬けが好きです。 そう笑顔で答えてくださった しっかりと心をこめた握手を二度して笑顔でわかれた
あおげばとおとしを歌いながら わが師とは、自分にはこの先生だけだと考えていた くじけそうな学生生活、先生への憧れや敬愛が私を支えた日があった そして、尊敬の対象になる人と出会えた事を嬉しく思った 社会に出るとなかなかそれもない機会だ
ほどなくわさび漬けは先生の口に入ることだろう 私はいままでもこういう機会を逃さずやってきたからだ
家族を守る為に自分の若い頃を費やし、やっと自由の身になれて 実家に帰って30過ぎて1から出直し 「自分で決めた事」「自分で選んだ道」と長い間自分に言い聞かせながらやってきた けれど、心にあったのだ家族を恨む気持ちが 常識で考えれば当たり前だし、親がおかしいと同級生の親は口をそろえて言ってくれているのがワタシへの救いになっている
どこかで耐え忍んで家族を守ったワタシがいた だから、そんなワタシを家族が普通に迎え入れる事は至極当然の事のハズだった しかし、現実はそうではなかった 親の八つ当たりや分刻みに変わる小言や愚痴、家族外への超越した嘘は変わる事なく 兄弟の怠惰な癖も変わる事はなかった ワタシからしてみると、柱を追い込むような恐ろしい事をやっておきながら今が大変だと不機嫌でいるのはおかしい 柱が消えればどうなるか容易に想像がつく 何も知らないでいる祖母を最近いたわる気持ちが少なくなってきた すべての原因がそこにある事に気づいてしまったからだ
家族を恨み、憎むのはそれだけ執着がある証拠 ワタシは人生でも貴重な時間を犠牲にした事をせめて認められたかったのだろう 人らしからぬものにそれを求めた自分が愚かしいと冷笑する しかし、就職時に兄弟の病気の事で辛らつな突っ込みを受けた時は困った また家族が原因で好きな道を閉ざされるのかと、 結局何度も足を運んでワタシを知ってもらうしかなかった 家族に憎しみのはてに害を与える人の気持ちもわからいでもない 何かを成し遂げようとする時、それが結婚であれ、社会的成功であれことごとく邪魔しかしてこなかった家族 そして邪魔している事にも気づかない無神経さを持つ家族 そんなものが家族とは言えないと友人が口にした ワタシも今ではそう思う 遠くに就職すると感づいた今、猫なで声や手紙で色々機嫌を取ってくる 小細工は通用しないので、ほっといてもらいたい 無心しても、もう知らない
頼むから親戚に迷惑はかけないように祈るばかりである ワタシは自分の体と年齢をかかえて生きるのに精一杯なのだ
血の繋がった家族がいるからと言って、それが他人のうらやむものとは限らないという例だ
荷物整理に時間がかかるはずなので、そろそろ始めている おそらく10年ぶりに手紙を整理した
祖母からの手紙があった まだ文字が書けた頃のものだ 筆で書かれた文字は文通していた頃の懐かしさを連れてきた
戦友からの手紙があった かつて連絡を絶っていた それを詫びて会ってほしいと懇願する内容のもの それ以降向こうから連絡を絶つ事はなく、今も連絡は続いている
恋人がプロポーズの演出にくれたカード 少し切ない気持ちになった カルチェのトリニティの指輪をくれる人がいたら結婚しようと、若い頃決めていた 彼は何も知らずにしかし、それを持ってプロポーズしてくれた人だった とても大切に思っていた 家族の反対にあい、その理由が兄弟の浪人だった 面子が悪いというものだ 兄弟びいきな親を持つとまともに生きているほうが悪者になる
最新の挨拶状を除いて一通り整理した 過去に未練がありすぎて、その未練を糧にがんばって来たから捨てられなかった手紙たち
数は整理された はがきファイルに閉じて行こう
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