THOKOの日々

2004年05月26日(水) 不眠との戦い

不眠症が治らずイライラする日々を送っていた
薬をやめてみたら確かに別段寝れる
寝付く時間がえらく遅く、イラついて起きたり何かしてしまうのである

地元にえらくこじゃれた医院がある
幼い頃から風邪をひくと行っていた
薬の名前を言うとカルテに簡単に記載して出してくれる病院とは違うハズなので説明を必要とされた
不眠なのでこの薬をください
過去一番効いていますのでと説明した
人が説明してるのに脈をはかり、
ちょっと横になってと言っておなかをおさえてみたりされた
私の頭の中は?マークが飛んだ
不眠の種類と理由について断りをいれてから聞かれた
随分の間私にとって医者とは薬をもらう為にカルテを書いてもらう印刷機のようなもので懐かしんだり心から心配してくれたりする存在ではなかった
芸術的なものをこよなく愛する先生は一種独特の世界を持ち、
子供ながらに医者という枠からちょっと異種の先生だとは認識していた
胃腸が弱っていますね
胃腸が弱ると不眠との関係もあるようだった
消化のよいものを食べて脂っこいものを控えてこの薬を飲んでください
あなたの言った薬はうちでは扱っていないので変わりにこれを使ってみてくださいと違う薬を出された
飲んでみてすっきり寝たら次の日は寝れなくても飲まないとかいうように改善していけば治りますよと言われた
そんなこたぁわかってるっちゅーの先生。
と、思う予定だった
けれど、素敵な年のとり方をした先生のゆがみのない顔を見ていると心がおだやかになっておとなしく預けてしまえる気持ちになれた
ちょこちょこと聞かれた話はあったけれど、うまく答えられなかった
なぜだろうこみあげてくるものがあって泣きそうになってしまった
それをこらえるのに必死で言葉がうまく出てこなかった
泣いてもいいんだよ、つらかっただろうと言われているような気さえした
泣いても笑ってもいいから吐き出してスペースを作らないと次へいけないのだ
泣いている自分を知られてももう今は誰にもせめられはしないし
隙を見せたら足をひっぱられるという事ももうないのだ
自分の事でいっぱいなのに様子を見に来た人の愚痴を聞いてあげる必要も、顔色を見てあげる必要も何もない
縛られるものなどもうないのだ

ようやく私はこのラインまで来れた
重い重い荷をおろしきれるのに後どのくらいかかるのだろうか



2004年05月24日(月) 連絡

ここに来てどういう心境の変化かそろそろと連絡をする気がむいてきた
と、いうところで手紙の山をあさって連絡をしてみた
思ったよりも早く返事はきて元気そうでよかったと思った
もともとひょうひょうとしていた君が相変わらず己の道を貫いていてよかった
チャレンジしようとする気持ちを良い事だとさりげに肯定してくれるそのシャイな思いやりは昔と変わらずで、ちょっと変化したのは言葉数が多かった事だった
所在くらい明らかにしとけという言葉には意外性を感じたけど
気にかけてくれてるのはうそじゃないとわかった

君と知り合ったのは14の時。
あれからもう17年経とうとして今わかる事もある
転勤ばかりの両親のモトにいて縁遠くなる人が多い中
きっと私はいつまでもしつこく連絡を取ってくるありがたメーワクな友人だったのだろう
けど私は君の事が好きだった
思春期の大事な思い出の人だ



2004年05月22日(土) 夜の公園

弟と犬とで公園を散歩する
運動もかねて私は共に行く
何度も行っていて今日は初めて歩く以外の事をした
滑り台に上ってみた
30歳で上る滑り台
こわれやしないかと若干心配
昔とは別の
いつもの高さとは違う観点が当然ながらそこにあった
幅は狭く長さもさほどない滑り台を滑って砂場に足をつく
子供達がやっているように山を作ってみた
土をどんどん盛って
高く高く
けれど帰り際みたその山は
大きな海に浮かぶちっちゃな島のようだった



2004年05月19日(水) 自分勝手という勇気

社会に出てから資格や免許をとるためにすごく勉強したのは車の免許を取得した時。
実家に帰っていたが、何を選んでも不平不満ばかりの母と向き合うのが嫌で3日顔を合わすとケンカになっていた。何をやっても愚痴ばかりで、その愚痴も程度が低くいつでも自分が被害者でそういう観点のモトにぎゃんぎゃん言われるのを黙って聞いて励ましなだめているのも疲れる。ことさらに相手が自分より年上となると余計に。
それで口を聞くのも顔を合わすのも極力避けて免許取得の為の勉強に明け暮れた。
友達とも遊んだりはせずに、ただ勉強に時間を割いていた。
眠っていた頭は非常によく働き、テストに合格するかどうかよりいかに高得点を取るかばかり考えていた。結果は満足できるものだった。
あの時の教訓を生かし、神経を拡散したくない。
今の私のまず一つ目のゴールはより高い成績で目的とする学校に入学する事。年齢と持病のある事はハンデなので点数を稼ぐ事が一番の近道であるのだ。
その為に、気になるものを極力切り捨てて交流を一時中断する構えである。
つまり人の話を聞いてる余裕はないという事だ。
今現在また母とは口を極力きかず、顔も合わさないようにしている。
あわよくば来年の一月の入試に受かりたいなどともくろんでいるからである。
遅くとも7月からは働き出す。仕事と勉強と睡眠をむさぼる日が続くだろう。
不安にさいなまれる時間もなくなるだろう。
友達との交流も挨拶程度の郵便とメール程度でとどまるだろう。
それもひどい話自分の気が向けば、である。
自分勝手という勇気。
非難してくれる暇な人も居るだろうが、理解を示してくれない人に今の貴重な時間を割く必要性はないと判断する。



2004年05月18日(火) コラム

お気に入りのコラムがあって毎日見ては書きとめて小学生のような事をやっている。
そのコラムニストがある詩をほんの少し紹介していて気になったので書店で立ち読みした。
だいたいまじめに立ち読みしたのなんていつぐらいぶりだろうか。
もう十年はちらっとタイトルやあらすじを見てはまとめて買っていたし、
ぱらぱら見てその時の気分に一滴を投じなければ処分していた事もざらだった。
購入する詩集を吟味して昔家に居るのが嫌で教会に時々通っていた事を思い出した。
親友だと思っていた友人が熱心なキリスト教徒だったのだ。
名前も転校先の住所もいまだ暗記している。
私にとって彼女は親友だったが、彼女にとって私はそうではなかった。
まぁよくある話だ。
彼女を思い出した。
聖書もまだ実家の今いる部屋に残してあった。
この詩集の著者はキリスト教徒であり、書いてある事が今の私の胸を強く打った。
いくつかの詩集を各々半分くらいずつ立ち読みして、2冊を購入した。
毎日まるで決まりごとのようにイライラしたら取り出して読むのだ。
宗教をどうのこうの語るつもりはない。
ただ、手段として時に助けを借りるそういう感じのもの。
私にとって。
だって毎日祈ったところで今すぐ必要なご飯が手にはいるわけじゃなかったから。
だからあまりアテにはしなくなったのだ。
また、お金を出してものを買うような感覚で祈るというのもなんだか違うと思うし。だから私にはケイケンな信者なんてものは向かない。

昔から、現場主義なのだ。
だから傷も多くなる(w



2004年05月17日(月) おりょうり

一人だとどうでもいいけど、誰か居るとちゃんと作る
という心理がよく納得できる日をすごしている。
けど、いい加減飽きてきてたりもする。

とか言いつつ。
作り置きできるモノは何かないか日々考えているのである。
思いつくものはもう飽きたし。



2004年05月13日(木) 履歴書とゆーもの

東京にいる時も履歴書とゆーものを書いてみてしげしげと見たりもしていた
仕事先が履歴書を出す前に決まってしまったのだが、
一応提出書類なので書いてみた
職歴の欄が、、、足りない!!(爆)
職務経歴書も、、長い!!(爆)

財産は何ですか?
と聞かれて年齢ですかねととっさに答えた。
自然に出た言葉とは言え、随分自信過剰な答えだったと笑えた。
まぁいっか。



2004年05月04日(火) さようなら

あなたが傷つけるような事を言った分
私もきっと口にしたのだろう
今ではそう思っている
実家に帰ってから結論を出すのが懸命だと思ったが
正解だった
私には当分家族と暮らして目的を遂げる事のほうが大事だし
色恋にうかれて時間を使いたくない
またそういう目的に向かう強い女を好むのだろうが
だとしたら痒いところに手が届いてくれなくては付き合いは続けられない
あなたにはそれはできない
少しいびつでもできる人だと思っていたが錯覚だった
お互いに錯覚を見ていたという事だと思う
私はあなたの母上のように強くはないし賢くもない
立派な人だと尊敬しているが、それはあなたにではない
そしてあなたがそのすばらしい母上を女性の基準としている事に気づいていない
世の男性はすべてがマザコンの要素をもつ
大きな違いは強い母を見て女は強いものと見るか
弱い母を見て守るべきものと見るか
あなたは前者に見受けられた
大きな問題はその点ではなく、男の癖に私を引っ張り出して働かせようなどという事を口走った事だ
冗談だと言うが冗談でもそんな事が頭をかすめるような人に私は愛想をつかした。
仕事で疲れてくたくたになっている姿を知っているはずなのに知っているわけではなくわかっているわけでもなく理解するわけでもなくきっと目に映っていた景色だっただけなのだとこの冗談が物語っている。コレクションのひとつに私を加えて人にそれを見せて喜んでいる。あなたも私をそう扱った人種と同類だった。
世の中コレクションに加えて価値ある女はもっとレベルが高い。
私ごときで喜んでいるあなたに私は愛想をつかしました。

せっかく縁のあった人だから気づいて改善してもらえたらいいけど、
こんなきつい事書いてもきっとわからないんだろうな。



2004年05月03日(月) さて

オークションで日々物品を売っぱらう他、
そろそろと考えているのは貯金額を増やす事。
と、言っても働き先は決まったがそれを貯めていくのももちろんの事だが、
そういうのではなく考え始めた。
利率を計算してみると銀行や郵便局などは今はダメなのだ。
株でも買うか、とも考えている。
それかデパート商品券の積立。

ともあれ、今日は弟と亡父の残した菜園を掘り起こした。
というか、庭の雑草抜きは弟の仕事なのでそれを手伝う名目でやったというのが正しい。
ねぎというのはたくましいなと感心した。
かなりほったらかしだったのにしっかりと根付いていた。
綺麗に雑草を堀起こして抜いてよそを這っていたミミズをほうりこんで
ホームセンターで野菜の苗を買ってきて植えた。
トマトとなすびときゅうりである。他にも植えたら結構楽しいかもなどと思った。
土なんかも作ってみようかな。亡父はお百姓でもあったので腐葉土など自分で作ったりもしていたっけ。あんまり手間がかかると根をあげるがそういうのも気分転換にいいかもしれない。
なんて平和でおだやかな生活なんだろうか。
私が求めていた静寂がここにあると土をいじりながら思った。



2004年05月01日(土) 汚ギャル顔負け

東京にいる間からちょびっとずつ時間を見て勉強していたのが功を奏し、
思いのほか着実に進んでいる。
まぁ着実とか言っても朝から晩までお勉強しているような気合の入れ方でもないので決めた量をこなすだけである。
後はリズムのある生活スタイルをする事。
少しずつらしさを取り戻して生きたいと思う。


まぁ今だから振り返って言える事もたくさんある。
睡眠をとる為だけに帰ってた家に居てもロクに眠れずにいた。
休日という名の公休はいつお呼びがかかるかという強迫観念との戦いだった。
その一回の電話を見逃したらもう終わり!みたいなそら恐ろしい日だった。
上昇志向が強くて人に雇われてるのなんてクソくらえだと思っていた。
なんのコネも持たない人間がとても小さくみっともないものに見えていた。
結局世の中金がなきゃなんにもできやしないし、金がなきゃ惨めなだけだといつも思っていた。
だからボンボンとかお嬢様とか呼ばれる人種に出会うと自分の力じゃなんにもできない奴等と締めくくっていた。
こういう思考の元はどこにあるのか今ならわかる。
世の中の不公平さに腹を立てながらも嫉妬していたのだと思う。
じゃあやってみろとチャンスをもらってがむしゃらに時間を惜しまず働いたけど、
仕事はそれなりに楽しかったところもあったけど、そこに自分求めるものは決してない事を思い知った。頑張って頑張って胃薬に睡眠薬に鎮痛剤に点滴にアレルギーの薬に胃潰瘍にもなって月のものも止まったし結構ぼろぼろだったと思う。体を引きずるように仕事に行く日々が大半を占めていた。起きたら顔を洗うのが当然だが、そういう教育も受けてきているのに体がしんどくてぎりぎりにならないと顔も洗えなかった始末だった。帰ってきて睡眠薬を飲んで風呂にもはいらず化粧も取らずそのままベッドに倒れこんで寝るのもしょっちゅうで、今から思えば性別うんぬんより人間としてヤバイような気がする。本人が気づかなかっただけでほとんどビョーキだったんじゃないかと思う。
自分の自由を殺す事と引き換えに見た世界は、それはそれですごいとは思うが、死んだらモトもコもないなと思うようなもので命をかけてまでやりたいと思えるものではなかった。

究極、人間の死亡率は100%と綾小路きみまろも漫談で言っているがその通りである。
誰かに認めてもらわなくても地位や名誉がなくてもたいしてお金を稼がなくても自分が目いっぱい生きたという自己満足でいいと思う。
明石家さんまが自分の子供に生きてるだけでまるもうけという意味でいまるちゃんと名づけたのはもっともだと思う。親にとって子供とは自分のDNAを継ぐ者。自分が生きた証である。その子供の存在が自分の存在を肯定するのだからそりゃまるもうけだと思う。
私には子供もいないし婚暦もないので子宝の意味を身をもって知る事はないけれど、生産性のある人間だと肯定されるのだからそれはすばらしい事だなと思う。

すばらしい事はごたいそうな世界よりもごく日常にこそたくさん存在するものだと身をもって実感した。


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