Mother (介護日記)
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2001年08月29日(水) 引き上げ90%終了

今日も休暇を取って母宅の引き上げ作業をしました。

レフティーは、ゴミを直接持ち込む作業を担当。
私は母宅の荷物の最後の仕分けと掃除を担当。

それにしても、レフティーの几帳面さには、脱帽。
ワゴン車に、荷物を詰め込む際の手際と効率の良さ。(◎_◎)

公共料金や、その他契約先への連絡も、抜かりなく。

彼に庭の草むしりをさせると、これまたすごいです。
手早いし、根こそぎだし、完璧。
そういえば洗濯物を干すのに、伸びてきた草がだいぶ邪魔になってきていたなぁ( ̄ー ̄)

それにしても、引越しって、体力使いますね〜
改めて、荷物を増やさないこと、こまめに掃除することが大事だと感じました。

持ち込んだ荷物が、まだうちにあふれているので、
次回はうちの押し入れの整理をして、母の衣類ケースを収める予定です。
その他にカーテンを買ったり、市役所や金融機関に住所変更を出したり・・・
9/5には、母の電話の移転工事が決まっています。
まだまだ続きます。

明日、明後日は仕事に行きます。
絹江も部活なので、かなり心配ですが、世の中そんなに甘くはありません。

次の休みは土曜日。
今回、試験外泊中の母は、夕方の4時までに病院に戻らなくてはなりません。

我が家のみんながゆったりできるのは、いつになるのでしょう?ヽ( ′ー`)ノ 


2001年08月28日(火) めいっぱい

今日は母宅の荷物のうち、
リサイクルショップに家電やタンスを引き取ってもらいました・・・

でも、疲れているので詳しく書く力がありません。

今夜は早く寝ます。 おやすみなさい・・・


2001年08月27日(月) 試験外泊決定

今日面会に行くと、
「お前が来たらナースコールをするようにって言われている」って事だった。
ナースコールじゃ、なんだから、ナースステーションに直接行った。
「今、担当医が回診しているので、あとでお部屋に行った時にお話しがあります」

じきに、担当医がやってきた。
「今朝、血液検査をしました。
 白血球の数が多いのは、薬を増やしたからでしょう。
 明日の午前中にレントゲンを撮ります。
 そしたら、自宅で数日様子を見てみてください。」とのことだった。

「試験外泊」もしくは「一時帰宅」と言うらしい。

予定では明日・明後日はレフティーと共に連休を取り、
母のアパートからの引き上げをしなくてはならない。

なにもこのドタバタしている時じゃなくったって・・・と思ったって、
担当医には、そんな事、知る由もなく、これはあくまでもこちらの都合である。
病院を老人の一時預かりにしてはいけない。

最初、母は1週間と聞いていたようだったが、先生は3日と言った。
急な話しに焦った私は計算を間違えて、
3泊なら土曜日に戻ればいいんだ、と思ってしまったが、
あとで考えたら3泊すると金曜日に戻ることになる。
月末の金曜にまたしても銀行を休むのかぁ? それは無理だぁ。
ええい、4泊にして、土曜の午後に戻ればいいや。

「患者外泊許可願」という紙を看護婦が持ってきた。
明日、それを書いて捺印の上提出し、
半分を切り取り、それを持って外泊するのだと言う。

明日は、まず、母の為の部屋作りをしなくてはならない。
夜には母が帰ってくる。
洋服ダンスを動かして、裏のホコリなども取り除き、
窓もカーテンもキレイに掃除して、母のベッドを持ち込み、
帰宅後はすぐに横になれるようにしなくてはならない。

明後日は、午前中、絹江が部活に行ってしまう・・・
レフティーと私が、母宅の後始末で出掛けても、一人で大丈夫だろうか。
ホンの数時間だけれども。
今回はとにかく、病院にいるのと同じように、動かないようにしなくては。

歩くと悪くなる、だけど、ずっと歩いていないと歩けなくなる、という
本人の不安もあって、なかなか難しいところだけど、
こんなに入退院を繰り返していると、母自身もじっとしていないとまた入院だから、
と案外、先生の言う通りにしているかも知れない。

長い入院生活で、担当医や看護婦の言う事は守らなければ、という気持ちでいるので
性格的には、かなり素直になっているとは思うけど。

めまぐるしく変わる環境の変化で、今日の母は記憶力が良くなかった。
だいたい、1度に3つも覚え切れないのだ。
そこで、ノートの出番・・・

   27(月)今日は、血液検査をしました。
   28(火)午前中にレントゲンを撮ります。
        ボタンのついていないシャツを着てから行きましょう。
        レフティーとアリュールが休暇です。
        アパートの引き上げをします。
        夕飯の後、6時にお迎えに来ます。一時帰宅です。
        4泊して、土曜日に戻って来ます。
        持って帰るものは・・・・・・

と言うわけで明日も多忙・・・ 。・゜゜・(>_<;)・゜゜・。


んで、帰り際、迎えに来たレフティーと2本のエレベータですれ違ったことから
ケンカ勃発 堯福陰Α院叩叩法
車の中ですごいことに・・・          以下省略。ヽ( ′ー`)ノ 

口もききたくないほどむかついたけど、
帰宅したら玄関には、母が使っていた置き薬会社のお兄さんが来ていて、
その代金を払うやらでドタバタとして、
その上、あちらは今夜はボウリングの為、お風呂に入ってすぐに出掛けて行った。

時間が空くというのはいいことなのかもね〜 
いつまでもひきづっていても疲れるだけだし。


2001年08月26日(日) 母宅の片付け

読み応えのないつまらない日記。

今日も起きたら11時。(^^ゞ
それから、パソコン開いて、ボーッとしながらお洗濯。
お天気もイマイチはっきりしないし・・・

今日の予定では、母宅の部屋の片付けをすることになっているんだけど、
なかなかやる気が起こらない。 
だって、暑いし。

夕方になって、母の面会に行くつもりで洗濯物を取り込み始めたら、
あっという間にいきなりの夕立。 堯福陰Α院叩叩

結局、いつもの電車に間に合いそうになくって、
昨日と同様にレフティーと18:30に駅で待ち合わせることにした。

それから、やっと重い腰をあげて、
キッチンと玄関の照明の掃除をして、ついでに壁掛け式の扇風機を掃除した。

夕立はすぐに上がっていた。
母の着替えを持ち、絹江と出掛けた。

隣の駅ではレフティーが既に待っていて、そのまま病院に。
そうだ、今日はアイスクリームを買って行ってあげるのを、すっかり忘れていた。

みんな、気忙しかったし。
この後、母宅の片付けをすることになっていたから・・・

母は、私達が行くとうれしくって気持ちが高まるようで、
話しているとやや息切れ・・・とまではいかないにしても、ちょっと気になる。

今日は既にパジャマを着替えていた。
お風呂に入れないのが、毎日苦痛のようである。

面会時間は7時までなので、着替えの交換と、日記のチェックをして、
あわただしく帰って来た。

同じ部屋の人達は、私達にもまったく関心がない様子で、
おそらく昼間も、こうやってほとんど会話がないのだろう。

以前のお部屋には、まだHさんが継続して入院中であるから、話せるといいのに。
お部屋によって、メンバーによって、まったく雰囲気が違うものだ。

そうそう、隣の病室には、仕切り屋のようなおばちゃんがいる。
お化粧バッチリで、うるさそうな人。
あのおばちゃんと同じ部屋じゃなくって良かった。ヽ( ′ー`)ノ

コンビニに寄って冷し中華なんぞを買って、母宅に行き、まずは腹ごしらえをし、
休む間もなく、片づけを始めた。

ここの荷物のほとんどは持っては行かれないので捨ててしまうのだけど。
母の荷物は半端じゃない。
とにかく、衣類がすさまじい。
いつも3着ぐらいを交代で着ているのに、タンス・衣装ケース・押し入れダンス等に
ものすごい量が入っている。
老人会のお友達にもらったと思われるような服もかなりある。
特になぜか冬物のセーターが多い。
私の独断と偏見でいくつかを選んで、あとは容赦なくゴミ袋に詰め込んだが、
その量、75Lのゴミ袋に10袋以上。 堯福陰Α院叩叩

バッグや、古い着物や、帽子や、毛糸などを合わせると合計で15袋にもなった。

それ以外に、お布団。
タオルケット、肌掛け布団、羽毛布団、ベッドパッド、コタツ布団ヽ( ′ー`)ノ 

今夜はここまで。 もう、21:30を回っている。

まだ食器が残っている。
ばらばらに買い集めた100円均一っぽい食器がある。
これもみんな処分。
前に密閉容器を片付けたが、その数、50個以上(-_-;)

そんなわけで・・・ お疲れ気味デス。


2001年08月25日(土) ファイルにまとめて

今日は14時間の爆睡を決め込んだ後、
例によって溜め込んだ洗濯物を5回ぐらいやって、
その合間にネットしていたら、あっという間に夕方になってしまいました(^^ゞ
仕方がないのでレフティーに連絡して、駅で待ち合わせて車で行くことにしました。

着替えと一緒に、先日作ったファイルの続編を持って行きました。
老人会のお友達や病院の電話番号、親戚の住所・電話番号一覧などを整理して
透明ファイルに綴れるようにB5で印刷しました。

歳を取ると、人や物の名前がなかなか出て来ないときがあるので、
1つのファイルにまとめておけば、いつでもそれを見て確認できると思うのです。
母のアドレス帳は、訂正や加筆が多く、今は不要なものも多く含まれています。
大事な人の連絡先を知るのに、あちこち探し回ってしまうのでは、大変です。
私が思うには、アドレス帳って、単に、五十音順にこだわらないで、
「親戚」「友人」「会社関係」等のグループにに分けた方が良いような気がします。
特に結婚して苗字が変わってしまうと、
新しい苗字はなんだっけ?ということになってしまうので、
それぞれのグループのページにあれば、わかりやすく探しやすいと思います。

今後は、公共料金・市役所・金融機関・保険会社や、
行ったことのある施設やレストランの名前など、
便利で楽しいファイルを作ってあげようと思っています。

そうすれば「このあいだ行った、あそこに行きたい」ではなく、
ちゃんと固有名詞を使って話しができると言うものです。

* * * * * * *

病室に行った時、母は「洗面器がない」と探し回っているところでした。
「前の病室に忘れて置いて来ちゃったのかとも思ったんだけど、
 その“前の病室”というのがどこだったかわかんなくなっちゃって・・・」
今回の入院は1週間だけだと言うので、持ってきていないので、ないのです。
また洗面所には病院の洗面器がたくさん置いてあるので、私も借りればいいか、と
簡単に考えていたのでした。

だけど、今回また学んだことは、
「使いなれた物であること。いつも同じ物があること。」が大事なようです。
ヘアブラシをコンパクトな方がいいだろうと折りたたみにしたら、
それは母の目には入らないのです。
何度も「ブラシを持ってきて」と言われるハメになりました。

今日はアイスクリームが食べたいと言っていた母の為に、
コンビニに寄って買って行きました。
いつもの面会時間は食事に重なるけれど、
今日は上手い具合に遅くなったので、母はとても喜びました。


2001年08月24日(金) 14年前の手紙

「こんなものが出てきたよ」と笑いながらレフティーが言った。
私は仕事を終えて、母宅に到着したところ。

本日休暇だったレフティーが、母のアパートの整理をしていたら出てきたそれは、
14年前に私が母に宛てて書いた「遺書」なるものでした。

「遺書」とはこれまた大袈裟な気もするけど、
書いている本人(当時の私)は真面目なので
原文をそのままUPすることにします。
レポート用紙に7枚、かなりしつこくて長いです(^^ゞ

被害妄想が急速に進む母に、あなたの現状はこうなんですよ、と説得しようとして
必死になっている自分が笑えるし、その後別居、同居を繰り返したことを思えば
この手紙は全く効果なかったと言わざるを得ないし、その点では切なくもある。

ただ、この手紙を捨てずに母がしまって置いたことは、意味があるかも知れない。

ちなみに当時は結婚2年目。 妊娠6ヶ月で、銀行を9月末で退職したところ。
母と、最初の同居を始めて半年の時でした。

「前置胎盤」という言葉は、妊娠初期に使われる言葉としては
かなりポピュラーなようですが、初めての妊婦にとっては、
それがどれだけナーバスになる原因になったことか・・・


* * * * * * *


お母さんへ    昭和62年10月9日(金)


今から書くことは、私の遺書です。
私の命はあとどのくらいあるのか、わかりません。
この妊娠は既にご承知の通り、異常なのです。
こうしている今も出血し、2,3時間のうちに死んでしまうかも知れないのです。
時を待つしかないのです。
こんな私から、生きているうちに、お母さんにお話ししておきたいことがあります。
お願いしたい事があります。

話しをすると、上の空で聞き逃してしまったり、誤解したり、
最後まで聞いてもらえないと思ったので、こうやって文字に残します。
何度も読んでわかっていただきたいと思います。

本題に入ります。

ご自分では信じたくないかも知れませんが、
はっきり言って、あなたの言動は老人ボケの初期症状です。
怒らないで私の気持ちを理解していただきたいと思います。
私はなにも、自分の親を馬鹿にしているわけではありません。
イジワルをして追い出そうとしているわけでもない。
一緒に住むのがイヤではない。
もしそうなら、初めから「一緒に住みましょう」とは言っていないでしょう。

目的は家族の幸せのためです。

ボケの始めであるからこそ、進行を止められるかも知れないし、
私の言わんとする事をわかってもらえるはずです。
だから、敢えて言います。

お母さん、あなたのことを話せば、友達にしろ、会社の上司にしろ、
「普通でない」と言います。
私だけがそう思っているのではありません。
相談したら上司は「施設に入れなさい」と言いました。
「このままだと、あなたのほうが疲れてしまいますよ」と。
でも私は反対です。
努力して、自分のそばにおいて置きたいのです。

Kさんについて考えると、3人の子供たちはそれぞれ兄弟を頼りにして、
「自分が見なくても」という考えを持っているようです。
私には兄弟がいないのですから、お母さん、あなたが思っているほど、
あなたの育てた私は薄情ではありませんよ。
私以外に誰があなたの面倒を見てくれるのでしょうか?
Kさんが「死にたい」などと言い出して、子供たちも母親が弱ってきた事に
気付いているはずです。
でも、知らぬ顔をして、現実から逃げているではありませんか?
老人の心理や現実を掴んで理解してあげようとする努力を、
していないではありませんか?

お母さん、わかってください。
私は一緒に楽しく暮らして行きたい。
一生懸命、努力しているつもりです。

ボケる親をかかえるのは、40歳以上になってからです。
私の友達の親で、そんな人はいません。
おじいちゃん、おばあちゃんがそろそろ、という年です。
お母さんが私を生む歳が遅かったこと、ボケの始まりが早かったことで、
私はまだ20代です。

このあいだまで私は、
「まだ自分がこんなに若いのに、歳をとった母親をみなくてはならない」という、
心の負担に悩んでいました。
でも、ありがたい自分の親を諦めてもいられないので、
お母さん、あなたにも協力を願って、ボケを乗り越えたいのです。

家庭で生活している人はボケにくいと言います。
一人暮らしをしている人はボケやすいと言います。
老人ホームへ入ってからボケてしまう人がいるそうです。

この3人の家庭で暮らせば、何もいらないでしょう。
心配しなくて良いでしょう。

あなたのボケを食い止める為に、
私はいい音楽を一緒に聴くし、いい本を貸してあげる。

反抗的にならないで、話しは最後まで聞いてください。

いくらあなたが親であっても、
あなたが間違っていた時には、子供の私でも叱ります。 
きちんと謝ってください。
そして言われたことを直してください。
あなたのことを制限しているのではなく、共同生活のルールです。

人に不満を言うのなら、言われる側の立場で考えてください。
いつでも、人の身になって考えてから、言葉に出してください。

自分の老化を素直に見つめてください。
そして明るく捉えてください。
「どうせボケたのよ!」と言わないで、
「私も歳をとったのね」ぐらいに受けとめて、
できるだけ体を動かして、本を読んだり音楽を聴いたりして、
自分でも防いでください。

私が自分にできるたったひとつの親孝行と思って、一緒に生活していますが、
不思議ですか?
私が一生懸命、あなたにとって良かれと思ってすることは、不自然ですか?
ニセモノですか? 
裏がありそうですか?
私はあなたのお金を狙っていると思われているのですか?
(注:母に財産なるものはありません。最低限の生活をするための年金のみです(^_-)

レフティーが私に優しくするので、ヤキモチを焼いているのですか?
レフティーが一緒に住んでくれるのは、お金目当てですか?
「お母さん」と親しく話すのは、偽りですか?
レフティーの優しさが信じられませんか? 気持ち悪いですか?

お父さんも、S市のお兄さん(私の叔父)も亡くなって、
お母さんの身内は私たちだけです。
私さえも信じられませんか?
私がレフティーのことを言うと、かばっていると思うのですか?
お母さんだけ、仲間ハズレにしたと言うのですか?
それならなぜ、一緒に住んでいるのでしょう?

我慢しているのは、あなただけではありません。

自分の感じた事をすぐに口に出すのは、
こもってしまうよりもいいのかも知れませんが、
いつも聞いている私の気持ちを考えてくれたことがありますか?

楽しく暮らしましょうよ。
ケンカするのは辞めましょう。
怒るのは辞めましょう。
共同生活の為のルールは、みんなで学びましょう。
人を疑うのは辞めましょう。

私は何度も泣きました。
あなたが何気なく言った言葉に傷ついて泣きました。
自分が若過ぎることに泣きました。

でも寛い心を持って、自分自身が学び、
あなたをすべての不安から守ってあげようと思いました。
自分のおなかをさすりながら、自分と赤ちゃんの命を守り、
平和な家庭を築いて行きたいのです。

生まれ来る、あなたの孫の為にも、
私が悩んで熱を出したりする事のないように、お母さん、自分自身に気がついて。

人生80年。あと20年あります。
あと20年すると、私が無事に子供を産むとすれば、20歳。
あなたの孫の成人式が見られるのです。
楽しみではありませんか?

お母さん、あなたは人生の先輩として、
いつ破裂するかわからないおなかを抱えて不安な私をやさしく支えてください。
ご自身、身体と心の健康に気をつけて、是非長生きしてください。

ここに長く書き留めたことは、初めに書いた通り、3人の幸せの為に、
ご自身の老化を自覚して食い止めるべく努力して行きましょう、ということが
ねらいです。

私はあなたのたったひとりの娘です。
あなたはひとりになることはない。
3人で一緒に暮らしましょう。

お母さん、あなたがこの手紙を読んで怒ってしまったかどうか、私にはわかりません。
でも、親が子を想うように、子もまた親を大事に想っているのです。
素直に受けとめてくださいますか?
苦労して育てたあなたですから、どうぞ、私と幸せを掴みましょう。

これだけ述べても、私に腹を立てて私が信じられないとするならば、
私は悲しい。 大変悲しい。
私はあなたより先に死んでしまうかも知れない。
あなたとの間で揉めて、ずいぶん悩んで、
死んでしまいたいと思ったこともあったけど、今は時に任せています。

ただ、お母さんとの間でしこりが取れないままで死んでしまうのはイヤだから、
あなたの老化について話しておきたかった。
それはあなただけの問題でなく、生きていれば私にも可能性があるのだから・・・


2001年08月22日(水) 病室の移動

今日面会に行ったら、病室が変わっていた。

2人部屋から、6人部屋。 患者は4人。

山側なので、街や海の景色は見えないけど、部屋はやっぱり広いし、
窓側なので明るいし、風は良く通るし、いいんじゃないのかな?

お風呂の許可が出ていないので、身体を拭いてあげました。

テレビカードの度数が減ってきていたので、買って来ようとしたら
「お金がないから買いに行けなかった」と言うので、
「1000円置いていったでしょう?」と言ったら、
「ないんだよねぇ、どこにも」

またですか・・・ヽ( ′ー`)ノ 

お金を入れて置いたポシェットにはない。
今までの入院でお金をなくしたことはなかったので、
「盗難に注意」の文字が気になったけど・・・・・

あちこち探す事、約5分。
ありました、引き出しの中にむき出しで。

まったくお騒がせなんだから。

まぁ、いい。
もう現金は置かない事にする。

「それじゃぁ、アイスクリームが買えない」と言うので、
「今回は1週間の入院だと言っているから、そのぐらい我慢しなさい
 早く治すためにも、先生に言われた通り、出歩かないでね」と諭しました。

明日は送別会があるので、面会には行かれないので、
ノートにしつこくその旨を書いて来ました。


2001年08月20日(月) やっぱり入院

昨夜も数回に渡って咳が出て、5分ぐらい続いたりすると苦しそうなので、
今日、病院に行くことにした。
担当医に見てもらえなくても仕方ないが、取り敢えず、医者に診てもらいたい。

11時半、病院に着くと、機械に診察券を差し込んで受付票をもらい、内科の待合へ。 
処置室にちょうど担当医の姿が見えたので、事情を話した。
「わかりました、それでは待っていてください」と言われ、診察券を窓口に出し、
咳き込んだ時に飲むためのウーロン茶を買いに行った。

一人で待っている母のところに看護婦がやってきて、なにやら話し始めていた。
「今日は予約じゃないですよね?
 担当医に診てもらいたいんだったら、あそこに書いてありますから、
 今度から先生のいる時に来て下さい。
 先生がいつでもいると思っている人が多いんですけど、
 みなさんの予定も狂ってしまいますので・・・」 と、かなり強めに言われた。

私も反論した。
「ええ、今日は予約ではないし、いつもの火曜日ではないので、
 先生がいない事もわかっていました。
 それでも、週末から具合が悪いので、どなたでも診て頂きたくて来たんです。
 前回は2,3日のうちに、歩けない状態にまでなってしまったので、
 今回は大事を取って早めに連れてきたんです。」

だいたい、担当医の当番に合わせて
身体の具合を調節するなんてできるわけないじゃん。ヽ( ′ー`)ノ
このやり取りは、ソファで待っている多くの人達が聞いていた。

で、診察室へ。
退院からまだ10日目。
「どうして、病院だと元気なのに家に帰ると調子が悪くなるんだろう?
 お宅はしいたけを作っているとか、鳩を飼っているとかってありませんよね?
 ハウスダストでもなさそうだし。
 まぁ、そもそも肺炎はアレルギーではないけどね。
 今回はちゃんと薬を飲んでいる、ってことなので、
 ステロイドが足りないのかも知れませんね。
 取り敢えず、レントゲンと血液検査をして来てください。」

というわけで、処置室での採血、そしてレントゲン室へ。

レントゲンの画像はすぐにできあがって、すぐに内科に提出した。
血液検査は、その内容にも因るのだろうけど、至急扱いでも30分かかるらしい。

もう1度診察室に呼ばれた。いつのまにか、もう1時。

「右の肺が退院の時よりもやや、荒れていますね。
 もともと、そんなにキレイな肺ではないのですが。
 白血球がやや増えているようです。
 今は同居しているということですから、
 そんなに動き回ったりってこともないと思うので、不思議なんですが・・・」

「昨日は、入院中にお世話になった方へのお礼をするために買物をしました。
 もちろん車ですけど・・・ 親戚が来て、食事に出かけたりもしましたが、
 特別激しい運動などをしたと言う事はありません。」

「取り敢えず、それほど深刻でないにしても、
 退院の時に比べてやや悪くなっているので、
 このまま放置してまた悪化しても困るので、
 ステロイドの量を増やして様子を見ましょう。
 前回のように、酸素吸入や点滴などの必要はありません。1週間です。」

と言う訳で、入院が決定。
今回は、ベッドが空くまで数時間待つなどと言うこともなく、
すんなりと病棟に移動できた。

昨夜のうちに用意しておいた入院グッズを持ってきて良かった。
外来患者にしては、かなりの大荷物。(^^ゞ
でも、これで取り敢えず、今すぐに入院生活が始められるというものだ。
考え方に因っては「なんとしても入院させてくれ」というように受け取れるだろうか?

でも、実際、入院が決まってから荷物を取りに戻るのでは、
私にとって時間的、もしくは経済的に非常に大変なこと。
レフティーの車で持ってきてもらいたくても、
今日は残業で帰宅が遅くて、面会時間中には間に合わないという状況だったのだ。

今回は廊下一番奥、2人部屋の廊下側。 トイレや洗面所は前よりも遠くなった。
お隣は母より年上らしく髪は真っ白で、
ポータブルトイレを使用していることしかまだわかっていない。
カーテンで仕切られていて、
ご挨拶しようと思った時には寝ているらしかった。

やがて看護婦がやってきて、既往症や家族構成などを聞いて来た。
すかさず、「書いてきました」と言って、昨夜作ったものを渡した。
母とのやり取りでのお願いも書いてある。
そして、ビニールの小袋に既に1回分づつ分けてある薬もその場で預けておいた。
「先生が薬を増やすと言っていたので、それもお願いします。」

明日はまた、不足分の荷物を持って行く。
最低限とは言いながらも、それなりの量になるものだ。


2001年08月19日(日) エンドレス?

今日は、入院中にお世話になった老人会のお友達に、快気祝を配って回った。
入退院を繰り返したため、すっかり渡しそびれてしまっていた。

それにしても、ここへきてまた、母の咳が気になる・・・

熱はないが、発作的に起こる。
2,3日前は、夜中にちょっとだけだったのが、
今日は夜中に3度あり、その度に隣の母の部屋にお茶を運び、様子をうかがった。
日中も、何度もあった。
オムツを履いていないと、咳の勢いで漏れてしまう。
外出時は必ず、オムツを持参しなくてはならないことを、本人は自覚している。

朝だけの薬はちゃんと飲んでいる。
今日は文具店で、透明なビニール袋を買って来て、
1回分づつを分けて準備できるようにした。

次の検診予定は、28日の火曜だが、それまでは待てないだろう。
担当医は火曜日だが、今夜の様子を見ながら、もしかしたら明日にも病院へ行く。

今夜は、入院に必要な物一覧を参考に準備をした。
入院を前提に、荷物を持参して行けば、当日の入院にも慌てることはない。
なにしろ、自宅と病院は遠過ぎる。

これまでの経験を最大限に活かしての準備である。
今回は、入院申込書に必要な母と私の印章も忘れずに用意した。

また、入院の度に初めから話さなくてはいけない家族構成や病気の経過などは
質問事項をあらかじめワードで作成しておいた。
その中には、特記事項として、
難聴のことや薬の自己管理に不安があることなどをしっかりと入れておいた。

母が必要とするであろう電話番号も、一覧にして印刷した。

そして、私が通う場合の電車、バス、病院到着の時間などを書いておいた。

最近はとにかく連絡事項は書いて、何度も読み返して確認するようにさせている。
母が、それを守って、しっかり読み直してくれるので、助かっている。
以前と違って、記憶力の低下を自覚できるようになったので、
母なりに努力をしているのである。
小学1、2年生算数や漢字のドリルを真面目にやっているのも、その1つである。
まわりは皆、それを聞いてとてもビックリしているが・・・


2001年08月16日(木)    2度と行きたくない

障害者申請をするためには、
市役所の用意した書類に、市の指定した医師が所見を記入したものを必要とする。

市が指定しているのは、母がこれまで通っていた耳鼻科とは違っていたし、
このあいだまで入院していた総合病院には耳鼻科があったのに、
そこは指定医にはなっていなかった。

そこで、今日、わざわざ初めての耳鼻科に赴いたわけだけど・・・
そこで・・・

診察室にいたのは、スキンヘッドに近い短髪で、
グレイのTシャツにGパン姿の、およそ医師らしからぬ40代。
まぁ、服装で判断するわけじゃないけど、白衣にはちゃんと意味があるはずだ。

先生が三角錐の道具を差し入れて右の耳を覗くなり、母が痛がったので、
すぐさま、左の耳の方を見ようとした。
母が補聴器をはずしているわずかな時間に、
「耳垢が詰まっているので、この状態では聴力検査はできませんね」と言った。

この時点で、もう聴力検査をする気はないらしかった。
補聴器をはずし終わった左の耳を申し訳程度に覗いたものの、
「耳垢を取ろうとしたけど、こんな“神経質に”痛がるんではねぇ」

母は耳に水が入ることや、耳を傷つけることが不安なので、
自分では耳かきせずに、月に1度、掛かりつけの耳鼻科でとってもらっていた。

「申し訳ありません。3月から入院していたもので・・・」
私は母に、耳垢を取るから少し痛みを我慢するように、と言った。

しかし、もう、先生には耳垢を取り除く気はなくて、
「今は耳垢を柔らかくするという便利な薬がありますから、
 それを使ってもらって、明日また来て下さい」 と言った。

「いえ、明日は私が仕事なので、来ることができません。
 家が遠いので、次にいつ来れるかは・・・」と言うが早いか、

「○○ぐらいからだったら、この位の歳の人でも一人で来てる人はいますよ?」
 はぁ? この人何人の患者を診てきているんだろう?
 いろんな人がいるんだよ? 

「入院が長かったので、頭の方もボヤボヤしているところがありますので・・・」

「あぁ脳梗塞の気がありますよね」 堯福陰Α院叩叩法_燭鮓てそう思うの?

「とにかく障害者申請するには、この書類を埋めなきゃいけないので、
 なにもかも今日やれって言うのは無理です。
 耳垢がもう、固くなってますのでね、
 無理して取ろうとすれば痛いだろうし、出血しても困るだろうし・・・
 それに、見たところ、“この程度じゃ”申請しても無理ですね。
 耳は“ひとつ使えなくても生きて行けます”から。」

堯福陰Α院叩叩法,海凌佑辰董ΑΑ

「70デシベルが基準ですけど、申請するって言うなら
 まぁ、67,68だったら70って“書いてやります”けどね」

堯福陰Α院叩叩法,覆砲覆法
もしかして、私が障害者手帳を不正に受けようとしているように見えるって?

こんな不愉快な思いって・・・
こんな人が医者をやってるなんて・・・

歯医者に行く前に歯を磨くのと同じで、
耳鼻科に行くなら、耳垢を取っておくのがマナーだったかもしれない。
固くなった耳垢を取ってくれ、って言うのも、確かにこちらの都合だ。

初診で「障害者申請の為の聴力検査」だと言うのが気に入らなかったのか?
補聴器も既に持っていて売ることできないから不満なのか?

だけど、だけど、あんまりにもひどくない?
もう少し、別の言い方はできないの?
医者だって、接客業だよ?

ここの待合室が空いている理由を突っ込んでも仕方ないか(-_-;)


2001年08月15日(水)    日記帳

母の為の日記を作ってみた。
母は字を書くことは好きだけど「日記をつけよ」と言っても、
何を書けば良いのかわからないと思うのでアンケート式にしてみた。
あくまでも強制ではなく、楽しみながら今日1日のことを思い出すことが目的です。

* * * * * * * * * * * * * * *

  年  月  日  曜日  天気(   )

(ごみ) 燃えるごみ ・ カン ・ ビン ・ 金属 ・ 有害埋立

(気温) 暑い ・ 普通 ・ 寒い

(行事)

(外出) した ・ しない ・  時から  時まで 

(昼寝) した ・ しない ・  時から  時まで 

(体調) 良い ・ 体温(  度)  大便( 有 ・ 無 )

     頭痛 ・ 腰痛 ・ 吐き気 ・ 下痢 ・ じんましん

     他(         )

(薬)  飲んだ ・ 飲み忘れた ・ 必要なし

(入浴) した ・ しない → 理由(                )

(食欲) 普通 ・ 食べたくない 

(食べたもの)朝

        昼

        おやつ

        夜

(学習) 漢字 ・ 計算 ・ その他 ・ ゲーム

(お手伝い)洗濯物を干す・アイロンがけ・お米とぎ・食器洗い・草むしり

      その他(           )

(家族)  レフティー  仕事( 早朝 ・ 残業 )・ 休暇 ・ ボウリング

      アリュール  仕事 ・ 休暇 ・ 食事会

       絹江     学校 ・ 休暇 ・ 部活 ・ ピアノ ・家庭教師

(楽しかったこと)




(明日の予定)




2001年08月13日(月)    連鎖

HPで公開中の2種の日記を印刷してファイルに整理した。
7月からだけでも60枚になる。
先日寝る前に絹江に聞いたら「読む」と言うので見せることにした。
私が寝た後、約1時間かけて全部を読んだのだという。

レフティーでさえ、たまに私の日記を読んで
「そうだったのか」と思うことがあるらしい。
このところ家族みんな忙しく過ごしていて、ゆっくり話す時間もなかったので、
母や私のことを知るのには、単純明解だったと思う。

翌日、私が夕寝している時、
母がお風呂に入るのを絹江が介助しているらしい声が聞こえていた。

その次の日は、絹江は友達と出掛ける前に、母の食事の用意をして行った。
もちろん、難しい料理を作った訳ではなかったけど、
これには、母はとても感動していたようだった。

日記を読んで、何か感じるものがあったのか?と思った。
しかし、そんなに上手くは続かないものだ・・・

月曜が来た。
まだ退職を決めかねている私は、今日は絹江に母を任せて出勤した。

実は昨夜、絹江は同級生から
「うちの親が連れて行ってくれるからプールに行かない?」という電話をもらったが
プールが遠方であったこと、夕方はピアノのレッスンに行く日だったこと、
私もレフティーも仕事に行くことから母を見なくてはならず、諦めたのだった。

そんな中で、母と1日過ごしたのだが・・・

夕方、仕事から戻ってくると、ピアノに向かう絹江と道ですれ違ったが
絹江は元気がなかった・・・というよりも、不機嫌そうだった。
「おばあちゃんは自分が悪いのに逆切れするんだもん」と言った。

ハムスターの世話をしたまではいいが、砂をこぼしたままなので注意したら、
逆ギレしたので、結局絹江が片付ける羽目になったのだという。

洗濯物を干す時に「それを取って」と頼んだが、
母は「それ」がどこにあるのかがわからずに、またもや逆ギレしたらしい。

励まして送りだしたまでは良かったが・・・
ピアノから帰った絹江は、玄関を見るなりキレてしまった。

母が絹江の新しいサンダルを履いて洗濯物を取り込み、
ついでに庭の草むしりまでした結果、履き込むべき部分を土ホコリで汚し、
そのままにした、というもの。
文句を言っても母には聞こえず、絹江は仕方なく風呂場でサンダルを洗った。

その後、母はお風呂に入ったが、自分が出た後、沸かしたまま忘れていた。
絹江が気を利かせてチェックに行き、沸騰を免れたが、
母が気付いて見に来たのは30分も経ってからだった。

絹江はもう我慢ができずに「一緒になんか暮らしたくない」と泣いた。
「おばあちゃんがいると、ずっと神経を使っていなくちゃいけないから疲れる」
「こんなこと、友達に言ってもわかんないし」

絹江は数時間、ウジウジと泣き言を言ってすねていた。
私やレフティーから、母に注意をして欲しい。
だけど、それが何の効果もないことを、私だけじゃなく絹江も実はわかっている。
だから、我慢するしかなかった。

『おばあちゃんとのことで、
 イライラしたり泣いたりしていたのでは、自分が損をするばかり。
 損しただけで終わるか、経験を活かして得につなげるかは自分次第だよ。
 嫌なことがあったら書き出して、早めに頭を整理して終わりにすること。
 これが、20年近く思考錯誤してきたママの一番のストレス解消法です。』


2001年08月10日(金)    退院

母は、今日、退院しました。
いつものように仕事を終えて、夕方5時に迎えに行きました。

退院を花火大会の日にしてくれたのは、先生のイジワルか思いやりからか(謎)

最初の個人病院が35日、次にこの総合病院に50日、
そして、再びここに戻って来て25日目です。
入院生活だけでも、ついに100日を越えてしまいました・・・

今回は7/17の入院以来、最初の2週間は先生から一切の歩行を禁止され、
トイレも洗面もお風呂も売店も行けず、電話さえもかける事ができませんでした。

その後、歩行許可が出たものの、お風呂だけは1度も入れず、
清拭だけで済ませて来ました。
いくら病室はクーラーが効いているとは言っても、
やっぱり、お風呂は待ち遠しかったと思います。

久しぶりのお風呂なので、長湯は避けなくてはいけません。
母は、シャワーを片手では上手に使えないし、
自分が難聴とあって、耳にお湯が入ることをとても怖がるので、
母には耳をふさぐように言って、私が髪を洗ってあげました。

母の髪はずいぶんと少なくなってしまいました。
歳を感じます・・・

その後、背中も洗ってあげました。
ぽちゃっとして、白くてキメの細かい肌です。

温度の低い露天に浸かって、母は「生き返ったようだ」と言いました。

* * * * * * *

お風呂の後、帰ろうかなとも思いましたが、
今日は絹江はお友達と花火を見に行っているし、
レフティーは仕事で遅くなると言っていたので、
ご飯の支度が面倒になった私は、レストランで食べて行くことにしました。

冷房に弱い私は、テラスが良かったんだけど、
今日は花火の為、予約席になっているからダメでした。

席に着くと、母は両隣の人の料理を見て、        *注 
「私もあんなのがいいなぁ、あれは何?チャーハンみないなが?」
  
    *注 「みたいなが」みたいなもの、という意味らしい。
        方言なのか、母の言葉なのかは知らない(^^ゞ

人のテーブル見るの、辞めてくれってばぁ(-_-;) 恥ずかしいって。
   
やがてご希望どおりに「チャーハンみたいなが」は運ばれてきました。

「甘酒はない? おしることか私は好きなんだけど・・・」

ここにはないんだってば(-_-;)

私はメニューを見てテキトーなアルコールを頼んだけど、
それはあんまり好みではありませんでした。失敗。 
ジンの香りがきつ過ぎ。 色も無色に近くって、つまらん。

やがて8時を過ぎて、「ドドドーン」と花火が始まりました。
下のテラスや遊歩道から歓声が上がりました。
窓から見ると、そこにはたくさんの人が集まっていました。
ここからだと、花火を見るにはちょっと角度が右に鋭角で厳しいと言えば厳しい。
下のテラスは正解でしょう。
今日は各レストランでは、テラス席にパイプ椅子を置いて
ドリンク付きでいくら、という「花火観賞席」を設けてありました。

今日は病み上がりの母を長時間連れまわしてしまいました^_^;
でも、美味しいご飯と花火とで、母はとても喜んでくれました。


2001年08月07日(火)    突然の・・・

木曜あたり、退院できるらしい。

私はどうすればいいのだろう・・・


* * * * * *

昨日、兄夫婦が面会に来たことから、
隣の街に住む叔母(父の妹)の耳にも、母の入院の話しが伝わった。

昼休みに、家にいる絹江に電話をしたところ、
「叔母さんから電話が来て、入院してるって聞いたから、
 事情を聞きに、銀行に行くって言っていたよ」 とのこと。

2時半頃、叔母はやってきて、ロビーのソファでしばらく話した。

親戚中を「鶴の一声」で仕切ってきた叔母も80歳を越え、
足も弱り、白内障の手術をしてからも目がよく見えないのだという。
今までなら、即日に病院に駆けつけるような人であるが
やはり、夏の暑さや曇りがちな日のだるさに、
病院までの距離はちょっと遠いらしい。
「そのうちに行ってみる」と言っていたけど、
今日の面会で担当医が言うには、今週にも退院するかもしれない・・・

もともと小柄な叔母は一層、小さくなったような気がする。
長い時間が過ぎたのを、改めて感じた。

写真の父は54歳のまま時を止めているので、長男なのに今でも一番若い(違)

考えて見たら、兄は、まさに今、父の歳になったのだ。

そうかぁ、そうだ、あんな感じだったぁ。へぇ・・・確かに似てるな(爆)
まぁ、お兄ちゃんの方が、若く見えるかなぁ。やさしい雰囲気。
父は、落ちついていて真面目な硬派だったかなぁ。

なんか、話しが反れた。

* * * * * *

私は、急な退院の話しに、素直に喜べないでいた。

毎日の面会がなくなることは、とても楽になる。
だけど、落ちつきたい家に今度は母が毎日いて、いろんな問題を起こすのだろう。

引越しの準備はちっともはかどっていない。

仕事はどうしよう。
私はもう、辞めなくてはいけないことばかり考えていて、レフティーともめた。

『おまえの為には働いていた方がいいと思って』
『近所に迷惑がかかるといけないから』
『少しぐらいは仕方ないと割り切れよ』

退院後は夏休みだから絹江もいるし、
私の仕事の日にできるだけレフティーが休んで、
母がこの家の生活に慣れるまでしばらく様子を見てみる。
それでもどうしても心配なことが出てきたら、仕事を辞めればいい・・・

未来はまったく予想できない。
予想したところで、悲観的になり疲れるだけだ。
まぁいい。
その時その時に対処していくしかない。


2001年08月06日(月)    兄夫婦の面会

一人っ子であると書いたはずの私に「兄夫婦」とは、疑問に持たれるだろうけど
私には父が同じで母親が違う「義理の兄」がいる。
一緒に住んだことがないのと、年齢差が15あるので、兄妹と言うのも照れくさい。
1時間ぐらいの距離に居ながら、年に1.2度しか会わないけど、
関係は決して悪いものではない。

今回の母の入院に関して、昨日初めて電話で報告した。
それで、今日早速飛んできてくれたのだった。

「もっと早くに教えてくれたら良かったのに」と言われたものの、
実際、これほど長くかかるとは思っていなかったし、
兄にとっては「義理の母だから」という私の遠慮もあった。

でも、母も入院が長くなり、単調な毎日を過ごしているので、
もし時間があったら、顔を見せてもらえたら・・・と思って連絡した。

私がいつも通りに5時過ぎに病室に付くと、兄夫婦が来ていてビックリした。
今日来てくれるとは・・・
和菓子を持ってきてくれた。
母もとても喜んでいる様子だった。

3時半に来たというので、兄夫婦の負担を考え、送りながらロビーで少し話した。

母は、兄夫婦を見るなり、
「あら、どうしたの? 誰か入院しているの?」と言ったそうで、
相変わらずさすがである。 母が芸人だったら、かなりイケたはずだと思った。

兄夫婦はそんな母を見て、
「なんだぁ、元気じゃん、会話もちゃんとできるし」と笑った。
ま、まぁねぇ。 ときどき変だけど、前からだからねぇ。

途中、先生の回診があったそうで、
「右の肺がまだザワザワしているって言ってたよ。明日また検査をするらしい」と。

30分程話して、帰って行った。
姉はこの夏、暑さで体調が今ひとつなんだそうだけど、
それでもこうして来てくれたことはとてもありがたい。
兄も、仕事を午前で早退して来てくれたのだと言う。

腹違いとは言え、兄・姉と呼べる人が私にはいたのだった・・・


2001年08月05日(日)    次から次へ

入院直前に母が失くしたアパートの鍵は、業者にやっと付け替えてもらいました。
昨日家賃を納めながら、3つの鍵のうちのひとつを大家さんに預けてきました。
(母は自分が鍵を失くしたことを忘れていて、
 その流れも説明しなくてはいけなかったけど・・・^_^;)

そして、引越し準備の第1段階として、衣類の整理を少しやってきました。

そこで、タンスの中を一段づつ見ていったところ、
なんと、出てきたのですよ、玄関とタンスの鍵が・・・(◎_◎;)
なんか白い布でできた腹巻状のベルト?のようなものにポケットがついていて、
一応「貴重品入れ」といった感じのモノです。 
でも、ちょっと見ると、和服の小道具のようです。
その中に入っていました。 
こんなところまでは調べていませんでした。ヽ( ′ー`)ノ 

まぁ、いまさら、母に報告しても意味がないし、
この「貴重品入れ」も、しまったことを忘れるのであっては
再び事件が起きそうなので、即刻ポイすることにしました。

* * * * * *

今日は面会に行くと、
「テレビカードの度数がないので新しいカードを買って欲しい」と言われました。
しかし調べて見ると、そのカードには2時間半分の度数が残っており、
他に引き出しの中から、8時間分と、20時間分のカードが出てきました。(-_-;)


飲んだ薬のチェックをすると、
「1日分、どうしても足りないんだよね・・・」と言うので、
ベッド回りを調べましたが、見つかりません。
と言う事は、つまり、その、2回分飲んじゃったという事ですね 堯福陰Α院叩叩
その薬は朝だけ食後に飲む事になっているのですが、
昨日の面会の時には、数があっていたので、たぶん今朝、2回飲んだのでしょう。
ベッドサイドには、カレンダーを置いてあり、
毎朝、マジックで消し込みをするようにしています。
薬のほうには、一回分ごとにセロテープで止めて、日付を書いてあります。
それでも間違えてしまうのでは、やっぱり自己管理は危険です。

今回の入院後すぐに、薬の数がわからなくなってしまい、
その時に看護婦に薬の管理をお願いしておいたのに(7/20参照)
その後も薬は母のところにあるので、仕方なく、
私が個別に分けてマジックで日付と曜日を書き込んで対応していたのですが、
母に任せたままにしたのがいけませんでした。
母は薬の数が合わないことを、まだ看護婦には報告していなかったので、
すぐにナースステーションに行って、事情を話し、
食事の後に持ってきてもらうようにお願いしてきました。

ナースコールについてはやっと、
ベッドの頭の上のブザーを押すと看護婦が返事をすることを覚えたので、
そのときだけは、耳を傾けて
「どうしましたか?」の問いに
「点滴が終わりました」と答えることはできるようになりました。


2001年08月04日(土)    捨てた?

先週、新しいパジャマを買って持って行った。
淡いピンクと白のピンストライプは甘過ぎない色使いで、綿100%で涼しげだし、
私が欲しいくらい♪と一目ボレして選んだものだった。

当日すぐに持って行って、身体を拭いてあげた後、
早速、その新しいパジャマを着せてあげたら、お向かいのベッドのSさんにも好評で、
「そうよ、なんでも赤いものを着るのがいいわよ。
 病気で沈んだ気持ちも、明るくなるようだもの。」 と言ってくれた。
以前は暖色系を避けてきた母だったが、
病気してからは、私が買う暖色系のパジャマを着るようになった。

* * * * * *

その後、毎日面会に行きながら、なんとなく違和感を感じていたけれど、
アレコレと時間に追いまくられて、通り過ぎていた。

昨日、帰宅して、それがなんだったのか、思い出した。
「そうだ、あのピンクのパジャマはどうしたっけ?」

実は私はこのところ、洗濯をさぼりぎみだった。
朝起きると、今にも降りそうな曇空だったりして、
それに朝からお風呂に入ってる私はちょっと寝坊をすると、
洗濯の時間がなくなってしまっていた・・・

「まだ洗っていない洗濯物の中に入っているのかな?」 とも思って探したが、
見当たらない・・・と言うよりも、そもそも私が病院から持ち帰った記憶がない。

* * * * * *

そこで今日、面会に行った時に、母に聞いてみた。

「あ、あれね、ダメだよ、暑くて。
 ナイロンが入っているから、着た途端に汗が出て。いらないから捨てたよ。」

堯福陰Α院叩叩法ΑΑΑΑΑΑΑー里討拭
私はもう、この顔文字じゃないけど、開いた口がふさがらなかった。
え?ナイロンが入っているって・・・ 綿100%なんですけどヽ( ′ー`)ノ

キレそうになったが、ここはひとつ、人前なので冷静に、冷静に。

「もし、着ないようだったら、捨てる前に私に相談してね。」と言うのがやっとだった。

そうそう、前の個人病院にいたときも、サイズが小さかったとかで、
「隣のお部屋の患者さんにあげた」 って言ったっけ。ヽ( ′ー`)ノ 

そんなに思いきりが良いなら、
一人暮らしのあの部屋にある、あのガラクタ荷物は、
キレイさっぱり片付けさせていただいても異論はございませんね?


2001年08月01日(水)    道徳

今朝は7:30に母からの電話に起された。
その時間には起きろよ、って? それもそうだけど。 今日は休暇だし。

母が言うには
「テレビカード(度数)がなくなったので、同じ部屋の人にお金を借りた。
 すぐになくなっちゃうと困るから、2枚買った。
 借りた¥2000と、何か買う時に困るから¥3000、合わせて¥5000を持って来て」

はぁ? 他人に気易くお金を借りるんじゃないよ!
ましてや、昨日初めて会ったばかりの人なのに・・・

まったく油断できない母である。 こんなんだから、目が離せない。
歩行許可も良し悪しである。

母は一見、普通に見える。 普通に見えて何を言い出すかわからないから困る。
だから同居だけじゃ無理で、私が仕事を辞めなくてはいけないハメになるのだ。

私もテレビカードの度数は気にしていて、毎日チェックをしていたのに・・・
昨日に限ってあわてて帰った為に、チェックしていなかったのだ。
私がきちんと見てあげるべきだけど、それにしても、たった1晩待つことが出来ずに
初対面の人に平気でお金を借りるなんて、非常識にもほどがある。

前にも日記に書いた気がするけど、
母は、郵便局にお金を下ろしに行って、印鑑が違っていたのに、
「あら困る。私は○分の電車で、医者に行かなきゃ行けないんだから・・・
 ちょっとアンタ、お金貸して」 と言って、局員に借りたことがある。
(昔からの顔見知りだったから、貸してもらえたのだけど)
私が郵便局に行った時にその話しを聞いて、お詫びしてお返ししたのだけれど・・・

そんなことで、今日は面会に行ってすぐに、
お向かいのベッドのSさんに借りた¥2000をお返しした。

「大変申し訳ございませんでした」 と言うと、
ご夫婦ともに
「いいんですよ、私が動けないので、
 ついでにうちの分も買ってきてもらったんですから」 と優しく言ってくれたのだけど
「母はやさしい方に恵まれていて、
 こういった非常識がどこでも通るものだと思っているので困るのです」 と話した。

こんなところで、借りた返したなんてもめごとを起されてはかなわない。

母はよく「親しき仲にも礼儀あり」 と言っていたが、
今日は、ノートにそれを書いて来た。

「他人にお金を借りることは、信用を失くす第一歩です。
 “親しき仲にも礼儀あり”であるならば、親しくない人ならなおさらのことです」

こうやって、何か問題を起すたびに、注意をノートに書いてくるのだけど、
書いているうちに動悸がしてくる。

しかも母は、Sさんから5千円札を預かった為、テレビカードの自販機では使えず
売店で大騒ぎをしたらしいことは、Sさんご夫婦のお話からそれとなくうかがえた。

私はきっと、ムッとした顔でノートに向かっていたのだろう。
Sさんが話し掛ける。
「○○さん、いいわねぇ、お嬢さんが来てから食欲が出たじゃない?
 さっきまでは時計ばかり見ていて、ちっともお箸が進まなかったけど」

なんというやさしい人だろう。 なかなかできる心遣いではない。
これは母に話し掛けているのではない。 私を和ませようとして言ってくれたのだ。

よく“ひとりで大きくなったようなことを言うな”と言うけれど、
私はこんなことでどれだけ母の尻拭いをしてきたことだろう。
子供の時から、近所の商店などで
「お宅のお母さん、○日の○円、まだ持ってきてないよ」 と言われて来たのだ・・・

親戚の人からだって、
「あんたのお母さんがこうだから、一緒にいて恥ずかしい」 というようなことを
何度も言われて来た。

まぁ、身近にそんな困ったちゃんがいたので、今の私があるのだろうけど・・・
ときどき情けなくてイヤになってしまうのも仕方ない。


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