Mother (介護日記)
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2001年09月29日(土) 病院とお寺(謎)

ネットしてたらいつのまにか日が暮れて、半袖で窓を開けておくとやっぱり寒い。
そちこちでキンモクセイが香り始めて、本格的な秋を感じますねぇ。

   キンモクセイほど、存在感を自己主張する植物は他にはないんじゃないかと。
   桜もキレイだけど、目でそれを見ないことには・・・
   だけど、キンモクセイは、ちょっと離れていてその姿が見えなくても、
   その強烈な香りを風に載せて、不特定多数の人々に、
   季節の移り変わりを示すわけで。
   中学の校庭に植えられていたのを、友達が秋を知らせるキンモクセイだと
   表現してから、その木の名前と香りを覚えたのだった。(余談)

さて、面会。
今日は遅くなって、めんどくさいのでタクシー。
そしたらいきなりハプニング。

病院に向かうはずのタクシー、運転手によっていろんな道を走るけど、
どう考えても変???

「あのぉ、この道を通ると、どうやって病院に出るのですか?」と聞いた。
「(◎_◎)? ○○院ですよね?」   堯福陰Α院叩叩
ち、違うってば、まだ死んでないって(違)

運転手は、病院の名前と、お寺の名前を聞き違えていた。ヽ( ′ー`)ノ 
いくつかの会話をしているにもかかわらず、お互いが上の空だったというのか・・・

乗車した時に私が言った行き先を運転手が復唱したのに、私もそれを聞き違えていた。
運転手はお寺のつもりだから、無線で「○○町」と言ったが、
私はそれを聞き逃している。
だいたい、無線連絡をいちいち気にしていないってば・・・

考えてみれば、運転手は変な発言をしていた。
「夜もやってるんですか?」 (・_・)?

「母が入院しているもので・・・」
運転手はお寺だと思い込んでるわけだから、
私が入院している母のことで、お寺に祈願にでも行くと思ったのか?(謎)
そこで私は
「面会は7時までなので。」と言ったけど、住職との面会だと思ったのか?(謎)
このお寺では、ありがたい講話が聞けるらしいからね・・・(^^ゞ

ってことで、運転手は、病院までの通常の料金まで走ったところで
メータを止めてくれた。

¥940だけど、おつりはさすがにもらえなかった。ヽ( ′ー`)ノ 


2001年09月28日(金) 走る!

今日はタダでさえ月末の金曜日、車通勤のAさんに駅まで乗せてもらわなければ、
電車に乗り遅れるところだった。

バスに乗り換えて病院へ。

母の身体を拭いているところへ、担当医が回診に来て、月曜あたりに検査をするという。
その結果が良ければ退院ということなのだが、
母はもうすっかり、退院するつもりになっている。
毎回だけど、こういう話しは確実になってから言って欲しい。
特に本人には、ね。

バス停に着いた時から、ちょうど30分後のバスに乗るには、
どうしても、院内を走り回るハメになる。

バスの時間ギリギリにエレベータに飛び乗ると、
こういう時に限って各階に止まる。・゜゜・(>_<;)・゜゜・。

あ、そうだ! と気付いたのが、お財布の中身。

しまった、またやった(T_T) 一万円札しかないじゃん。
今までに2度同じことをやって、降りる際に困って、
最初は目の前の売店でガムを買って、
2度目はカッコ悪いのと売店の人に申し訳ないのとで、
手荷物を人質代わりにバスに置いたまま、券売機で切符を買って来て、
そのおつりで料金を支払ったのだった。(^^ゞ

電車と違って、バスの回数券を買わないのは、
入院がそれほど長くないと思っている(思いたい)から。
退院後は使い道がない。
それに、バスの時間に間に合わない時には、
どうしたってタクシーに頼らざるを得ないから、
入院日数×往復という計算も無駄になりそうなのである。

会計窓口に走り込んで、なんとか両替をしてもらって、
バタバタと坂を駆け下りて行くと、バス停に数人がいたので、セーフを確信(b^ー゜)♪

後から処方箋FAX係のお姉さんが来て、私を見るなりププッと笑った。
「走ってましたね ( ^m^*)」

だって、次のバスは1時間半後なんだもの。
それに私、これから送別会だし。( ̄ー ̄)


2001年09月27日(木) 受ける側も・・・

私はとにかく書きまくって、
それを誰かに読んでもらうことで、今の自分が満たされている。

その為、このところ、やたらと友達にHPを宣伝しまくってる。

これもひとつの自己顕示欲、ってヤツでしょうか?
「能有る鷹」になれない私・・・

人恋しいのは季節のせい?(謎)

腹違いの姉にも、報告の代わりにこの日記を時折FAXをしていたけど、
あちらもその度にお返事の電話を入れてくれるので、
そう気を使っていたのでは、やっぱり長くは続かない。 

姉は今、80のワガママな叔母の相手もしているし、
自分の母親も私の母と同じような歳だし・・・
1度にそんなに面倒見切れない。

ましてや、自身の体調も優れないともなれば・・・

「紙がなくなりそう」だと言われたので、FAXするのを辞めた。
だからこの度の入院については知らせていない。

でもやっぱり寂しい・・・


2001年09月26日(水) 泣けない

泣いてもいいと思うのだけど
家族みんなが、きっとそうかも知れないから
その緊張を最初に破っちゃいけないような
恥ずかしいような
負けちゃうような気がして
泣けない ・・・

もし家族が、そんなこと思ってないとしたら
それこそ悲しい 
確かめたくないような
だから、なんともない顔してるけど・・・

でも“なんで我慢してるんだろ?”って疑問もある


2001年09月25日(火) 終わらない戦い・・・

やっぱり、入院でした。

深夜1時半、私が寝る前に見に行ったところ、お布団がびっしょりでした。
寝る前にオムツをしていなかったので、仕方ありません。
熱があって動けず、着替えとお布団の交換が終わるまでに40分かかりました。

今朝も熱があるので、木曜の検診予定を早めて病院に行きました。
到着時には39度まで熱が上がり、診察室の前まで車椅子で行きました。
「急性腎盂腎炎」だそうで、即日の入院。 10日から2週間程度の予定・・・

運動会は・・・見に行けませんでした・・・


2001年09月24日(月) どうなっちゃうんだろ・・・

昨日はレフティーがパソコン使っていたので、私も疲れていたし、23時には寝た。

そのおかげで今朝は目覚めも良かった。
“もうこれ以上寝なくてもいいや”ってくらい満足できた。
8時に私が起き出すと、めずらしくレフティーが目を開いて私に話しかけてきた。

「おばあさん、夜中に吐いちゃってるから・・・」

レフティーがまだパソコンをやっていて起きていた2時半、
例のオモチャがカタカタ鳴ったんだそうで、「あ、この音は」って見に行ったら、
お布団で寝たまま吐いちゃっていた、と・・・

そんなドタバタにも、私はまったく気付かずに寝ていた。

* * *

実は、昨夜、食事の後、熱を出していることがわかった。
一昨日のお風呂の後のことがあったので、
父のお墓参りの予定をどうするかと話していた時、
「特に熱もないんだろ?」とレフティーに聞かれて、
初めて首筋に手をやったら結構熱くって、計ってみたらなんと37度8分もあった。
この時点で、もちろん今日のお墓参りは中止になった。

そんなこともあって、私は、
「あんまり疲れ切ってから寝るんじゃ、おばあちゃんが呼んでも、
 ぐっすり眠っていて気付かなかったりすると困るから、もう寝る」なんて
言っていたのに・・・

なんと、後手後手なのだろう?
私には、母を看られないのだろうか?

この先、どうなるのだろう?

半年で4度の入退院を以ってしても、以前のようには動けない。
ゲートボールなんてとんでもない。

まわりのみんなが、寝たり起きたりの生活じゃ歩けなくなると困るから、
家事を手伝わせたりして、少しは歩かせないとダメだよ、と言うけど、
こんなんじゃ、とても無理。 寝ているしかない。

今度の木曜日が検診予定だけど、調子が悪ければ明日にでも診てもらわなくちゃ。
また入院なのか?

治らない病気なのか?

母は、私が起きて見に行った時、お経本を開いていた。
自分の具合の悪さに「死ぬんじゃないか」という不安が襲ってくるらしい。

先日は老人会の例会にも参加できなかった。
毎日ただ部屋にいて、思うように行動できない自分・・・
被害妄想が消えて、自分の記憶が曖昧になっていることを自覚できるようになったことは
私たちにとっては良かったけれど、母にとっては自分の老いを思い知らされる結果になった。


2001年09月22日(土) 緊急事態に・・・

今日は夕方、友達から電話があって、ちょっとだけお茶に出ることになった。
今夜は山かけ丼だから、絹江に任せてもいいかな、と思った。
友達が迎えに来た時、母は入浴中で、もうすぐ出るという頃、
レフティーはまだ帰宅前だったけど、絹江に母を頼んで出掛けた。

久しぶりに会う銀行のKちゃんの車で、近くのレストランに向かった。
今夜は三日月。
強風のせいか、クッキリとキレイに見えた。

何を食べようかなぁ、とメニューを選んでいた時、
私のケータイがけたたましく鳴り響いた。
モニターには「自宅」の文字。 絹江だった。

「ママ、すぐに帰って来て!」
 
ちょっと待って、どうしたの?
絹江も焦ってるけど、聞いてる私も焦ってる。

* * * * *

母は元々暑がりなので、
お風呂から出ると、30分から1時間ぐらいは、裸のまま汗が引くのを待っている。

今日が昨日に比べて恐ろしいくらい冷え込んだと言うことを、
母には認識できていなかったらしい。
深夜私が寝る前に、母の布団が薄いことに気付き、綿毛布を1枚足したほどだったのに・・・

絹江は美術の宿題の絵を描いていて、居間にいた。
私が出掛けてまもなく、お風呂から出た母を確認している。
しばらく経ってから、なにやらカチャカチャと音がして、母の呼ぶ声に行ってみると、
母が電気座布団のコンセントをつなごうとしていたが、
手が震えているのでささらないのだという。

その手は真っ白で冷たくなっており、顔も唇も真っ青だというのである。

そう言えば、母はひとりで暮らしている時に、浴槽で眠ってしまい、
夜中に目が冷めたら全身が真っ青になっていた、ということがあった。
そんなこともあって、今回の同居に至っていたはずだった。

* * * * *

今、こうやって書いていると、どうしてすぐに帰らなかったのかと思うのだけど・・・

絹江はタオルを濡らしてレンジでチンして、それで手を温めて、母をベッドに寝かせた。
私は牛乳を温めて飲ませるように言ったが、起き上がれないと言うので、
ストローで飲ませる為に、温度に気をつけるように指示した。

絹江との電話を一旦切って、レフティーのケータイにかけると、
帰宅中の車の中で、自宅から10分ぐらいの距離にいることがわかった。

事情を話したところ、
「なんでこんな日に出掛けるんだよ?」

レフティーは一旦帰宅後、再び仕事の関係で出掛けるのだと言う。

「今日は特別冷え込んだのだから、こんな日にお風呂に入れっぱなしで行くな」と
叱られた。

私は、とても気がかりなのに、でも何故かすぐに家に帰ろうとしなかった。
頭が混乱して、とても食事できそうもないのに、そのまま居残った。

自宅の絹江とレフティーと何度か連絡を取りながら、母が落ちついたことを知って、
1時間半、お茶をして帰って来たのである。

この日記を書いていて、自分の行動を省みて、心苦しくて仕方ない。
絹江にも精神的な負担をかけたことは間違いない。
何事もなくて良かったけど、完全に油断した。
母は、思考も体力も行動も普通の大人ではないということを忘れてはならない。
当分は気を抜けない。

帰宅後、すぐに母の様子を見に行った。
特に熱はないが、目にチカラがない。
レフティーはすでに出掛けた後だった。
廊下のストーブがついていて、スチーム代わりに大きな鍋が載っていた。
夕飯は普通に食べたと言う。

夜中に異変があったら困るので、音の出るオモチャを探した。
ちょうどトンカチのような形をした、左右に振るとカタカタと音の出るオモチャを発見。
これと、懐中電灯を枕元に置くことにした。
万一、具合が悪くなった時に大きな声がでなくても、このオモチャで知らせてくれればいい。
今は、母の4畳半に私が一緒に寝るスペースはない。
しかし、壁ひとつなので、双方の引き戸を開けておけば、物音はよく響く。

今夜の眠りは浅いかも知れない。


2001年09月18日(火) 耳鼻科

今日行ってきたのは“2度と行きたくない耳鼻科”ではありません(笑)(8/16参照)

あの一件以来、あの耳鼻科にはもう2度と行きたくないし、
障害者申請も、もうどうでも良くなっていたんだけど、
月に1度通っていた掛かりつけの耳鼻科に、4月から行っていなかったので、
今日は耳垢取りと空気を通す治療をしてもらいに行くことにしました。

今日は空いていて、順番がすぐに来ました。
先生が「どう? 元気だった?」と聞いているのが、母には聞こえない様子で、
この数ヶ月の入退院と、障害者申請の件について、私が話しました。

こちらの先生の所見によって、申請が通るのかどうか、目安が知りたかったのですが
先生は快く、「検査をしてみましょう」と言ってくれました。

「耳垢が固く詰まっているそうで・・・」と聞くと、
「いや、普通ですよ」と言って、何の薬を使うことなく耳垢を掃除して
空気を通してくれたのです。

・・・あの医者が言ったことはなんだったんだろう?( ̄^ ̄)

10分程度の検査の後、結果を見て先生が言うには、
「聴力のレベルの4級程度で、少なくとも6級には入ります」とのこと、
つまりは、申請するに値する、と言うことです。

でもあの耳鼻科には行きたくないから、今度、もう1件の耳鼻科に行ってみましょう。
でも、この制度は、まったくもって不便・・・


2001年09月16日(日) 久しぶりのスパ

敬老の日だったのに、昨日はまったくイベントなど考えていませんでした。
だいたい、私はひとりで飲みに行っちゃうし。(HPのDiary参照)

今日はレフティーが休暇なので送迎を頼めるので、
夕方、母の大好きなスパに行くことにしました♪

前回スパに来たのは、従姉妹たちが来た時で、8/18。
入院中はお風呂に入れなかったので、
退院したら行きたいとリクエストをいただいていたのに
都合がつかなくってずいぶんとお待たせしちゃいました。
この半年、母にとってはスパが唯一の“お出かけ”になっているんです。

母は、私が作った「おでかけ前の準備」というメモを見ながら支度をして、
ボウリングの大会から帰ってくるレフティーを待っていました。

今日は晴れたり曇ったりだけど、暑い日でしたねぇ。
4時過ぎに到着。 ちょうどいい頃だったかも知れません。

シューズロッカーの鍵を持って、受付カウンターにつく頃には、
待ってましたとばかりにバスタオルとタオルのセットが2つと
脱衣ロッカーの鍵が用意されていたのだけど、
受付票が“一般”になっていたので、すかさず「市民です」と言って修正してもらいました。
(注:市民は¥300割引)

館内ですれ違う人が多かったので、混んでいるのかと思っていたけど、
お風呂は空いていました。
観光客はもう帰る時間でしょうか?

今日も髪も体も洗ってあげました。
私は、母がシャキシャキ動けないのでそれを補助しているつもりなのに、
母は体を洗いっこしているつもりなのか、私の背中も洗ってくれると言います。
丁重にお断りしたのだけど、イヤホンはずしているせいか、
勝手に洗ってくれっちゃってるし(^_-)
ってことで、あっという間に30分経過・・・

レフティーがお迎えに来てくれる時間を“できるだけ遅く”って言ったのを、
どうやって過ごせばいいの?って思ったけど、心配要りませんでした(^_-)

あんまり長かったせいか、母は洗い終わったところで、もう出ようとして
体を拭き始めていましたヽ( ′ー`)ノ 
いや、これから、露天につかるんだって・・・
「あぁ、そうだったねぇ、ここに入らなきゃねぇ\(。^▽^。)」

母は、近くに入っていた赤ちゃんと2歳ぐらいの子のことをかわいくて仕方ないようで
ニコニコしながらしばらく見ていて、
「お前ももうひとり、どう?、今からでも・・・」 堯福陰Α院叩叩
いや、もう無理。 作るのは簡単。(謎) その後が大変。(素)
お金と体力が・・・

さて、もう出ましょう。
この後は、デザートのワゴンサービスにGO♪

ドレッサーでちょっとお化粧しましょ♪
はい、おばあちゃんも、アイブロウと口紅だけでも。
あら? ドライヤーもお使いになる?( ^m^*)

で、レストランへ行って、
デザートのワゴンサービス(好きなだけケーキの盛り合わせ)注文したら、
今日はもう終わっちゃったって・・・。・゜゜・(>_<;)・゜゜・。
んじゃ、私はぁ「貴女が絞るグレープフルーツのお酒♪」
おばあちゃんは、お気に入りの長生きできるという果実のジュースを。

お風呂上りの一杯、う〜ん、効くよなぁ・・・(^^ゞ
でも、まだなんか物足りない・・・
「おばあちゃん、アイスも食べる?」 って聞くまでもないか。 ( ^m^*)

間髪入れずにアイスクリーム♪( ̄ー ̄)
おいしいのだわ、これが。
フローズンフルーツやドライフルーツ、ナッツ、チョコ、クッキーなどを
好きなようにオーダーして、その場でグィ〜ンとミックス♪
私はバニラベースの栗とバナナと紫いも。
母は、栗と山もも。
栗のかけらがいいのよねぇ。

ショップに寄って、例の黒い石鹸(HPのDiary 7/20参照)と、
母のマグカップをGET。
前に買ってあげたマグカップ、病院で蓋をなくしちゃったのです。
蓋付きを使い始めてからは、蓋があったほうが良いみたいで、
蓋の代わりにラップなんぞを使われるのはイヤなので、思い切って買い替え。

やがてレフティーが絹江を乗せてお迎えに来てくれた。
母は夕飯もここで食べて帰りたかったみたいなんだけど、
家ではレフティーが準備しているみたいなので、断念。
肉じゃがとモツ煮を作ったんだと・・・
モツ煮なんて、いまだかつて作ったことないけど、
今日は家で挑戦してみたんだって。
そうしたら、最初、すっごく臭いんだって ( ^m^*) かなり辛いらしい(謎)
お疲れさまでした。 m( _ _ )m

母は1ヶ月ぶりのスパがうれしかったみたいで、涙を浮かべながら、
「今日はありがとうございました。ホントに一日楽しく過ごせました。」って。

こんな事でこんなに喜んでくれるのなら、何度でも。
いや、他にもお風呂あるし。

「また行こうね♪」


2001年09月15日(土) これが普通の主婦?

母が退院し、同居が始まってからというもの、
私は今まで怠けていた主婦業を否応でもやらねばならず、
毎日結構いい奥さんしてる、って感じです(謎)

自分の親だからテキトーに手を抜くこともできるけど、
これがお姑さんだったら、そうもいかないだろうし・・・
いつかその時の為に、今は練習、ってことで(^_-)

それにしても、うちの母は食べ物の好き嫌いがないので、とっても助かります。
自分が作れないので、何を作っても「おいしいねぇ♪」って喜んで食べてくれます。
この点は尊敬します。

(前にもこんな話ししたかなぁ? かぶったらごめんなさい。)

主人の母は、どこかに食べに行っても、
「甘い」だの「しょっぱい」だの、「本当ならもっとあんなで」とか
文句ばっか言っています。
それは味覚が敏感だってことで、仕方ないのかも知れないけど、
味覚に鈍感な私がそれを美味しいと思って食べていても、
お義母さんの発言によって、台無しになってしまうんですよね。
例えそう思っても、自分の中だけにしまっておくのがいいんじゃないでしょうか?
自分が作る時に参考にすればいいだけのことです。

逆に、手を尽くした一流料理も、その辺の立ち食いも同じじゃ
“食べさせ甲斐がない”と言われてしまいそうですが・・・
大事なことは、一緒にいる人と楽しく食べることであって、
料理の良し悪しを語ることによって、せっかくの楽しい食事の雰囲気を
壊してしまうのでは、意味がないということです。

私の父は軍人だったので、雨水や草を食べた話しを聞いているし、
(HP 「Contribution」 天国の父へ  参照)
食べ物を粗末にしてはイケナイと母からはしつこく言われてきました。
旅館の従業員食堂で食べていたこともあって、
人に作ってもらったものを、
その人の目の前で残す訳にはいかなかった、というのもありますが。

“食べ物の好き嫌いをする人は、人の好き嫌いも激しい”っていうのは、
結構当たってるかも知れません。

ちょっと、「I think」っぽくなったので、あっちにも載せようっと (笑)


2001年09月10日(月) 過去・・・

過去の投稿をUPしました。
HPの「Contribution」をご覧下さい。

母の被害妄想によって振りまわされた私たちの15年。
同居、別居を繰り返してきたいきさつ。

私のとまどい。

レフティーの予想できなかった困難。

例によって、長い文章です。

時間と興味のあるかたはどうぞ。



2001年09月07日(金) 静かな生活・・・

母が退院し、私は早ければ16:45には帰宅できるようになった。

母が洗濯物を取り込んでくれて、お米をといでおいてくれるので、
それだけでも楽になった。
夏休み中は絹江の仕事だった。

母を置いて仕事に行くのは、それなりに気を使う。
朝ご飯を用意して、お弁当を作って・・・それは当たり前のことだけど、
うちは改まって朝ご飯を食べるような家庭ではない。
レフティーは起き抜けで出勤する人だし、
絹江は寝坊すれば食べないで行く。 ほとんどはつまみ食い程度。
でも、母は、しっかりとらなくてはいけないので、私は大忙しである。
しかも、昼は火を使わなくてもいいようなメニューにしなくてはいけない。
水筒に、お茶も用意しておく。
おやつも、わかるようにしておいてあげる。
当日の伝達事項を、ノートに記して本人に確認させ、
朝だけの薬を飲むのを確認してから、出勤する。

今日はゴミを出すのを頼んで行った。

「窓は開けておいて」と言ったのを、どうも勘違いしたらしく、
昨日も今日も、閉めてあった^_^;

極めて静な滑りだしである・・・


2001年09月04日(火) 4回目の退院

先週の4泊5日の一時帰宅では、これと言って変わったこともなく、
昨日のレントゲンと本日の血液検査でも異常がなかった為、退院が決定。
病院から電話があったのが15:30過ぎで、相談の結果、本日の退院となった。

私は、今月は原則として1日おき・週に3日の出勤予定にしてもらっている。
もちろん繁忙日は別として。

今日が休み、明日はレフティーが休み、明後日はまた私の休み。
退院はどこでも良かったのだけど、
実際、1日でも病院にいれば入院費がかかるわけで、
母の場合、すでに同じ病気での入院が120日を越えてしまった為、
契約している保険によると、これ以上、入院保険金は出ない。
・・・というわけで、本日、面会のつもりが退院となった。

母はもうすっかり帰宅の準備して、着替えも済ませていた。
やっぱり、うれしかったのだろう。

タクシーに乗り込むが早いか
「ねぇ、この飴、もらっていい? わたしゃ、飴がなきゃ生きて行けないんだぁ」
堯福陰Α院叩叩
なに?どこの飴よ?はぁ?
私は大きな荷物を3つ載せ終わってから、やっと乗り込んだ。
飴は運転席と助手席の間に、かごに入れてあり「ご自由にどうぞ」と書いてあった。
あぁ、それね、いいのね、もらっても。ヽ( ′ー`)ノ 
母は、もうとっくに飴をなめ始めていた・・・

退院のたびにスパに寄っていたので、母は今回も行きたかったようだったけど、
あいにく現金の持ち合わせがないのと、火曜日は家庭教師が来ることになっているので
次回に見送りとなった。


2001年09月02日(日) 神さまは見ている

カラオケの後、ゆきっちの車で病院まで送ってもらった。
帰りは、面会終了時間に合わせた最終のバスがある。

病室に着くと、母はちょうど夕飯が終わるところだった。
母はデザートについてくる果物を、毎回「食べる?」って聞いてくる。(^_-)
今日はバナナ半分。
「これはね、患者さんの為に栄養を計算して出しているのだから、
 私が食べるわけにはいかないんだよ^_^;」
そう言いながら、食器を片付けてあげた。

テレビカードの残り時間を調べたら、明日の面会までには足りなくなりそうなので、
1階に下りて、買って来てあげた。

ウエットティッシュが終わってしまったので、明日買って来ることにしよう。

荷物の受け渡しなどの引継ぎ事項をノートに書いた。

最近、母は同じことを2度言う。 それも2〜3分前に話したばかりのことを。
以前はしつこく念を押す為に繰り返していたのだけど、
最近はそうではなくって、最初に言ったのを忘れている^_^;
たぶん、
「アリュールが来たらこれを言わなくっちゃ、あれを聞かなくっちゃ」って
忘れないように一生懸命覚えているんだと思う。
それで私が行くと“あれを話さなくっちゃ”って、必死になっちゃうんじゃないかな?
「欲しいものがあったら、その場でここに書いて置いてね。
 そうすれば私が必ず読むから。
 忘れないようにって覚えておくのも大変でしょう?」

ベッドには算数のドリルが開いてあったので見てみると、答えが間違っている。
文章の問題の意味がわからないようなので、説明をしてあげた。

その後、漢字の書き取り練習用に、母が日常使う言葉を漢字で書いてあげた。
「明日までの宿題ね♪」

その時、お隣のベッドの患者さんの声がした。
「もしもし、ちょっとお隣の奥さん?」
・・・って呼ばれたって、ここは6人部屋。
真中のベッドのあなたは誰を呼んでいるの?^_^;と思いながらも、
私は既に返事をしていた。σ(・_・)
母との間のカーテンが揺れているから、やっぱりうちに用があるらしい。

「私は昨日、防災訓練の最中に具合が悪くなって救急車で運ばれてきて、
 何も用意してないんです。
 この身体で動けないので、申し訳ないですがテレビカードを買って来てもらえませんか?」

仕切りのカーテンを開けてみると、60代の女性が点滴をしていた。

「いいですよ。」
「イヤホンは売っていますか?」
「さぁ、どうでしょう? 売店は5時までなので、今日はもう無理ですね。」
「家にはあるんです。」
「それじゃ、明日、ご家族に持ってきてもらうといいですね。」
「でも、私、忘れちゃうし・・・」
「それじゃ、私が持っているメモ用紙に書き出しておくといいですよ。」
「でも私、目が悪いので・・・そうだ、老眼鏡も持ってきてもらわないと。」
「じゃ、私が紙に書き出しましょう。他に必要な物はありませんか?」
 そうだ、私が作った荷物の一覧がありますから、それを見ながら書きましょう。」
ってことで、思わぬところで、あのリストが役に立った。

「イヤホン・老眼鏡・歯ブラシ・液体歯磨き・ヘアブラシ・外履きの靴」

メモしている間に、時計を見た。
なんとなくやばい時間。 バスは何分だったっけ?^_^;

お隣の患者さんから2枚を頼まれて5000円を預かった。
廊下を小走りに急いでエレベータに乗り、1階の売店コーナーに向かった。
売店は既に終了しているが、ドリンクの自動販売機と、
テレフォンカード・テレビカードの販売機は使える。
ところが・・・
「しまった!!!」
そうだった、ここは5千円札って使えないんじゃん 堯福陰Α院叩叩帽欧討読村爾北瓩襦

ところが、お隣の患者さんは千円札を持っていないという。(+_+)
自分の財布を見たら、ラッキーなことに持ち合わせていたので、両替をしてあげて
再び、廊下を走る私。ε=ε=ε= ←音速の為見えない

ナースステーション前の時計は、もう18:50分。
確か、52分のバスだったような・・・^_^;

でも取り敢えず、頼まれた用件を済ませなくてはε=ε=ε= ←音速の為見えない

2台のテレビカード販売機を同時に使って速攻で買ったけど、
こんな時、エレベータが他の階に行ってたりする。

もう、たぶん、バスは無理っぽい。ヽ( ′ー`)ノ 

病室に戻ると、私がバスで帰ることを、母が隣の患者さんに話したようで、
「バスの時間は・・・大丈夫ですか?」と聞かれたが、
「ええ、頑張ります^_^;」と答えるしかなかった。

バスは遅れることもあるから、それに望みを・・・

しかし、既に19:03。
タダでさえ暗い道は、通る車もなくてシーン・・・^_^; やっぱ、行っちゃった?

仕方ないので、坂を登って病院玄関前に止まっているタクシーに乗り込んだ。

「バス、行っちゃいました(^^ゞ」 と言うと、
「あぁ、それは、残念でしたね〜」と言って振り返り、
「それじゃ、これを」と言って、なんと冷たい真っ白なおしぼりを差し出してくれた(・o・)
「特別です♪」と言って、そのスキンヘッドの運転手は笑った。
これはお客の心をつかむでしょう。(*^-゜)⌒☆ 
すばらしい♪ こんなの初めて。

私はすっかり打ち解けて、バスに乗り遅れた原因となった直前のできごとについて話した。

「でも、いいことしたのだから、それは他の形になって、
 きっとまたあなたに戻ってきますよ」 と運転手が言った。

「そうですね、今、こうやって冷たいおしぼりを戴いたし。
 もしかしたら気付かないうちにどこかで先に戴いちゃてるのかも知れないし」

「え?そういう考え方ができるというのはすごいですね。宗教的というか・・・」

いや、私は無宗教ですけどね。(^^ゞ
簡単に言えば、良く小さい時に言われたことだけど
「神さま、仏さまが見ている」ってことでしょうかね。
例えば人が見ていないところで悪いことをしても、
神さま仏さまが見ていてバチが当たるんだってこと。
誰も見ていなくても、良いことをすれば、そのご利益は必ず自分に返ってくるのだと。

でもこんなふうに自慢気に人に話しちゃ、だめかなぁ (笑)


2001年09月01日(土) 戻る

引越しも終わって、取り敢えずは荷物も納めて落ちついてきたところなのに、
今日は試験退院の終了日なので、午後にはまた母を病院に連れて行かねばなりません。


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