Mother (介護日記)
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2001年07月31日(火)    移動

今朝は7時に電話がなった。 堯福陰Α院叩叩

母である。
「靴下を履こうと思ったら、ないから持ってきて」 ヽ( ′ー`)ノ 
あるだろ、良く見ろよ・・・ (-_-;)

「昨夜ね、隣のベッドのMさんがね、寝言言ったり、いびきかいたりで
 うるさくて眠れなかったの。2度も起されて、今日は頭が痛い」
「だったら、看護婦さんに言って、お部屋を替えてもらえるかどうか相談してみたら?」

・・・ということで、今日面会に言ったら、ドアの横のネームプレートが変わっていた。
母の希望が通って病室を替えてもらったらしい。

確かにあのお部屋であのおばあちゃまと一緒にいるのは苦痛だったかも知れない。

看護婦さんは
「ボケちゃったMさんのお話をまともに聞いてしまうので疲れちゃったようです」 と言った。

今度は2つ奥の4人部屋だった。満室。
まずはみなさんにご挨拶。

母はお向かいのベッドのSさんに、アイスクリームをもらったとのことで、
久しぶりに食べて余程うれしかったのだろう、3度も繰り返し私に報告した。

「今日はパパが迎えに来てくれるの?」
「棚卸で忙しいから、来れない」
「それじゃ、32分のバスで帰るんでしょ?」

お湯を汲んできて、上半身を拭いてあげた。
髪はブラシで梳かしてから、タオルで軽く拭いた。

母は今日からポータブルトイレを使わずに、直接トイレに行けることになった。
入れ歯を洗うのも、お茶のお替りも、自分でできるので、私も気が楽になった。

しかし大勢の部屋に入ると、人の持っているものを欲しがるというのがやっかいだ。
「あちらの方が使っているのを私にも買ってきて」 と、言い出すのは予想できる。

連絡事項をノートに書いて、クスリを飲んでいるかチェックしていたら
「あら?32分に乗るんでしょ? もう時間がないよ?」 と母が大騒ぎしたので、
お向かいのSさんが 
「あなた、送ってあげなさいよ」 とご主人に言った。
「あぁ、そうだね。どうぞ、どうせ暇ですから駅まで送りますよ」 と言ってくれた。

しかし、たった今、初めて会ったばかりの人である。
「それじゃ、よろしく♪」 と2つ返事ができるわけもなく、
まだバスに間に合う時間だったので、丁重に辞退申し上げたのだけど、
ベッドの奥さんも、当のご主人も「どうぞ、どうぞ」というので、
断れなくなってしまい、駅まで送っていただくことになった。

初対面の人の車に乗るというのは、それなりに緊張するものである。
どこで誰が見ていて何を言われるかわからないし、
50代を過ぎた人の良さそうなオジさんとはいえ・・・一応ね。

「毎日面会に来ているそうで、大変ですねぇ。いやぁ、うちもね・・・」と
Sさんが話し始めた。

Sさんは、奥さんが先月初めに倒れてしまい、
昨日までは別の病院に入院していたのだけれど、自宅から遠くて大変なので、
こちらの病院のベッドが空いたのでやっと転院できたのだという。
お子さん達は遠方に住んでいて、おばあちゃんとご夫婦の3人暮らしだったそうで、
このたび奥さんが入院することになり、
高齢のおばあちゃんを一人にして置けないので
おばあちゃんは他の病院に入院してもらったのだという。
Sさんご夫婦が、50代だとしても、そのお母さんとなれば、
80を過ぎていてもおかしくはない。
Sさんは現在、炊事・洗濯・掃除を一人でこなしているそうで、
しかも、毎日遠い病院への往復も1ヶ月経ち、
「こっちのほうがおかしくなるぐらい」 だと言っていた。

「お互いに、無理しないでテキトーに手を抜いて、頑張りましょうね」と励まし合った。

買物をして帰るので、と言って、スーパーの前まで送っていただいた。

しかし、電車の発車時刻までは40分もある・・・


2001年07月28日(土)    ALLURE教

私には、かつて母との生活の中でいろんなことがあって
弱音ばかり吐いてきた時期があるのだけれど、
どこか1つの宗教にこだわるつもりもないし、話しを聞くつもりもない。
ってことで、宗教やその類の集団の勧誘、一切お断り致します。


2001年07月27日(金)    感想?

今月は母の入退院で、突然休暇を入れることが多かったので、支店長には、
母の病状報告とともに辞めるかも知れないという話しをしておく必要があった。

23日(月)に、仕事が終わってから手書きしたので、
担当役席に渡しながら話しをしようとしたのだけれど、仕事で取り込み中だったので
ロビー日誌と共に提出して来たのだけれど、(翌日私が休暇だったので)
25日(水)にも担当役席からは何の話しもなく、
23日に提出した時のまま、読んだ形跡も支店長に報告した様子もないことから、
私もカチンと来て持ち帰ってきた。

そして、もう1度ワープロで詳細に書き直して、
日付も入れて26日(木)の朝、電話中の担当役席のデスクに提出した。
そこまでしても、当日中に何も言ってこない・・・

そんなんだから、私が作ったATMのご案内は、
未だに日の目を見ることができないんだよ。(I think 2/9参照)

そして今日、仕事を終えて営業室に出る前に支店長にご挨拶をしようとしたところ、
電話中であるにもかかわらず、それを中断して、
「あぁ、ALLUREさん、N代理からさっきこれもらったけど、大変だね。
 今度、詳しいこと聞かせて。なんでも言って。早く終わるとか、ねぇ。
 家庭がやっぱり一番大切だからね」と言ってくれた。

でしょ、でしょ、普通、そういうリアクションがあるでしょ?
甘えてるのかな、そう言って欲しかっただけかな?私。
だけど、普通、なんか言うでしょ? 感想っていうかさ・・・


2001年07月26日(木)    支店長殿

○○銀行○○○支店 支店長殿

                        平成13年7月26日 
                        ロビーアシスタント ALLURE

このたびの実母(○×△□ 77歳)の入院に際しましては、
店内の皆様にご心配とご迷惑をお掛けし、大変申し訳なく感じております。


これまでの母の病状経過について・・

第1回入院 3/21〜4/25(35日間) 「○×医院」
       1月よりの風邪をこじらせて咳と痰が止まらず、
       歩行や着替えなどの動作により呼吸が苦しくなる為、
        病院に行ったところ「結核の疑い」とのことで、入院。
       点滴と経口薬による治療。
       塗沫検査・培養検査により、結核ではないことが判明。
       保健所より「退院前にCTによる確認を」との指示があり、
       CT施設のある市民病院へ紹介状を持参。
       CT・レントゲン・血液検査を実施。
       退院後3週間、私の家にて、経過観察。

第2回入院 5/15〜7/4(50日間)  「×○病院」
       前回退院直前の検査結果により、
       「間質性肺炎(BOOP)」と思われる。
       点滴・ステロイド経口薬・酸素吸入にて治療。
       CT・レントゲン・血液検査・気管支鏡検査を実施。
       肺気胸・気管支拡張症などの症状もみられる。
       退院後4日間、私の家にて経過観察。経口薬投与。        

第3回入院 7/17〜 (継続中)     「×○病院」
       退院後5日目、自宅に戻ったが、食欲不振・発熱・歩行困難。
       急激な暑さによる熱中症とみられる。
       レントゲン撮影の結果、右肺に異常。
       前回の間質性肺炎に細菌感染があったとみられる。
       この場合は、投薬治療により早期に回復すると思われる。
       ただし、間質性肺炎そのものが拡大し特発性肺炎に移行した場合は
       治療も長期に渡り、呼吸不全等による生命への危険もあり、
       その覚悟は必要であるとのこと。
       現在、ステロイド投薬・点滴・酸素吸入にて治療中。
       経過観察に1〜2週間の入院を予定。
       歩行厳禁。入浴不可。ポータブルトイレ・オムツを使用中。




今後について

* 入院中は毎日面会
   衣類交換・身体の清拭・食事の補助・ポータブルトイレの始末・買物等

* アパートの引き上げ
  ・高齢であるため、今後の独り暮しは困難であると思われる
  ・食事・洗濯・入浴・買物・投薬管理・電化製品の使用に補助等が必要
  ・家主やアパート住民からも施設利用や同居を示唆する声あり
  ・同居・老人施設入居を問わず、家具・電化製品等の処分が済み次第、
   8月中に引き上げを予定
   
* 介護申請および老人施設利用
  ・退院後、主治医の意見書を添えて申請書の提出。
  ・訪問調査・審査会を経て、認定結果までに約1ヶ月
  ・認定により、各老人施設利用料は1割負担
   
   しかし、現状では「自立」と認定される可能性あり
   また、介護度1として認定されたとしても、老人施設利用にはまだ検討すべき点あり。
   ・重度の痴呆老人との生活によって、母の精神状態が悪化する可能性
   ・非衛生的な環境・人手不足による介護不充分
   ・規定により短期入所を繰り返すことで環境の変化に対応できなくなる可能性
   ・ 遠方の施設入所により、日々の面会が不可能

* 障害者申請
   ・ 右耳の聴力なし、左耳補聴器使用


現時点では 退院後、体調がどの程度まで回復するのかわからず
介護度1と認定された場合には、施設入所とするのかどうかを検討中であり、
また退院から認定までの1ヶ月をどこで過ごすのか、
同居の場合、近隣への負担を考えると、私の退職もやむを得ず、
視野に入れているところであります。
父は28年前に他界しており、母にも私にも兄弟姉妹がいないため、
母の介護ができるのは私ひとりしかいない状況にあります。

配属から6年目、担当の仕事にはやりがいを感じており、
多くのお客様と明るい行員の皆様に助けられて今日までやって参りましたが、
今回突然の母の病気で大変とまどっております。
しばらくは勤務予定に変更・支障が出る等、ご迷惑をお掛けするかと思われますが、
どうぞよろしくお願い申し上げます。


2001年07月25日(水)    病室では

今回の入院では、母は病室から出てはイケナイと言われているので、
毎日の面会時には、いくらかのお手伝いをしています。

まず、お風呂に入れないので、洗面器に熱いお湯を汲んできて、身体を拭いてあげます。
(入院翌日だけ看護婦さんが身体を拭きに来てくれたようですが)
頭も、ブラシで梳かした後、タオルで拭きます。
これだけでも、さっぱりしてかなり気持ちが良いとのことです。
昨日は、絹江が一緒に行ったので、絹江が拭いてあげました。
母の昨日の日記には
「絹江ちゃんに熱いタオルで身体を拭いて頂き、気持ち良かった。
 とてもうれしかった。気持ちが」 と書いてありました。

日記を書くために用意したノートには、
荷物の受け渡しの記録などを付けるようにしました。
その他に、家族のスケジュールなどを記録して、
会話とは別に、あとで確認できるようにしてあります。
今日は
「隣の○さんは『娘に電話して』とか変なことばかり言って困る。朝6時半から。
 お昼にうなぎが出て美味しかった」と書いてありました。

先日、小学1年生用の漢字練習ドリルを買ってきました。
病室でやることがないので、暇つぶしに文字の練習にでもなれば、と・・・
母は字を書くことは嫌いではないのですが、誤字脱字が多いので、
この機会に、少しづつ覚えてくれたらいいな、と。
「読みがなをつけましょう」のところに漢字で書いていたりするけれど、
別にどっちでもいいや(^^ゞ
真剣に「教えよう」などと意気込んでも無駄だということは、充分に承知しています。

私が行く頃はちょうどお茶が配られて、やがて食事が運ばれてきます。
今日はすいかが出ました。 それもかなり大きめの。
ナイフで一口サイズに切ってあげました。
母はお昼のうなぎも、すいかも大好きなので、
今日は母にとってはスペシャルメニューになりました。

食事が終わると、入れ歯を洗いに行って、専用の容器に入れ、洗浄剤に浸け置きます。 
これは、次の朝、看護婦さんにすすいでもらうように、お願いしてあります。

そして、おかわりのお茶をもらいに配膳室に行きます。

病室にポータブルトイレを置いて使用しているので、それをトイレに行って捨ててきます。
最初は、ちょっと戸惑いましたが、慣れました(^^ゞ

通常は、私が着いてから約1時間後に仕事を終えたレフティーが迎えに来てくれますが、
仕事の都合で、お迎えにきてもらえず一人でバスで帰る時は、
面会時間が30分しかなくて、とてもせわしなくなります。
次のバスは1時間半後までないものですから(-_-;)
2時間の面会では長過ぎて患者も疲れるだろうし、
こちらも帰宅が20時では、疲れてしまいます。

今日も、レフティーの仕事が遅いと言うことでしたが、
私も少し座りたかったので、バスを諦め、タクシーで帰ることにしました。
やっぱり、1時間あったほうがいいな。


2001年07月23日(月)    介護保険

今回の事で、私は「介護保険」について少し調べました。

介護保険が適用されれば、施設の利用料や在宅サービスの費用が1割で済むのです。

ただ、その為には「介護認定」を受けなくてはなりません。
申請書と主治医の意見書の提出 → 訪問調査 → 認定審査会による判定
これらを経て、約1ヶ月で介護度が決まります。

介護度には段階があって

自立  ・・・ 介護保険によるサービスは受けられない
要支援 ・・・ 入浴など、一部介助が必要
要介護1・・・ 歩行不安定 排泄・入浴に一部介助が必要
   2・・・ 自力歩行困難 排泄・入浴に介助が必要
   3・・・ 排泄・入浴・着替えなどで、介助が必要
   4・・・ 日常生活全体に介助が必要
   5・・・ 意思の伝達が困難 生活全般について全面的介助が必要

のように分かれています。

今の母の場合だと、「自立」か「要支援」ということになります。
ただし、病気が治ってしまえば、「自立」でしょう。

先日、市役所の高齢者福祉課に行って聞いて来たわけですが、
「認定で、介護度1が出れば・・・」とのことでした。

自宅で見れない場合というのは、
住宅事情や、経済的事情から仕事を辞めて介護することができない場合、
病気が治っても、経過を見守らなくてはならないなどがあります。

そうやって、老人施設に集まるお年寄りは幅広く、
施設に入ることで環境の変化について行けなくて精神状態が悪化する場合や、
痴呆老人の中にいて、自分もそうなっていってしまうとか、
いろいろな問題があるようです。
施設内はおしっこの匂いが立ち込めていたりするので、家族も疎遠になってしまうとか・・・

病院での面会でも、老人介護についていろいろ感じる部分があって、
私としては、今、とても悩んでいます。

母は、動くとはぁはぁしてしまうので部屋から出てはイケナイと言われていますが
同室の患者さんは寝たきりで、意志の疎通がはかれない状態で、
1日中、話しをする相手もなくてかわいそうです。

私が面会に行く時間はちょうど夕飯ですが、
看護婦さんも忙しい為、お隣の患者さんは充分に食べさせてもらってないのです。

「○○さん、さぁ、ご飯ですよ!」って、相手が反抗できないのをいいことに、
キツイ言い方で、聞いてる私の方が辛くなってしまう・・・

「はい、口を開けて!」
「はい、まだ、ここにあるでしょ? 飲んで!」
「食べないの?」

って、毎日、こんなやり取りを見ていると、
人に任せるのも、自分でやるのも変わりないと思ってしまいます。

普通は、仕事だから、他人だから、と割り切れるから、
ボケた人を相手にしても、キレないで、優しくできるはずなのに・・・


2001年07月20日(金)    要望と配慮     

今日は祝日で休暇だったにもかかわらず、病院に行ったのは、夕方になってしまった。
しかし、4時半と言っても、まだ陽が高く、とても暑い・・・

今日の荷物は、ニッキの飴と、長袖のパジャマ。
2人部屋なので、冷房が効き過ぎて寒いのだという。
取り敢えず昨日は、冷房のスイッチの切り替え方を、
ノートに絵に書いて教えて来たけど・・・

「ねぇ、この薬は朝だけだっけ? どれをいくつ飲むんだっけ?
 看護婦さんに聞いてみたけど、わかんないって言うから、
 お前が来るのを待っていたんだよ」

退院後、処方箋によって薬局で薬を出してもらった時に、
袋には薬の名前だけで用量が記入してあったので、
私が紙に「白い粉1つ オレンジの粒2つ 黄色1つ」と書いておいたのを、
入院する時に私が はがしたのもいけなかった。

「はぁ?どうして看護婦さんがわからないの?
 食事を運んでくれる人に聞いてもわからないよ?」

「違うよ、看護婦さんに聞いたんだよ。だけどわかんないって言うんだもの」

私は半分キレかかって、ナースへ向かった。

「6○○号室の○○ですけど、母が薬の飲み方がわからなくなってしまって、
 先ほど看護婦さんにうかがったようですが、わからないとのお返事だったようで。
 この袋には薬の名前がちゃんと書いてあるのですが。
 今朝も、飲まなくてはいけない薬を、飲んだかどうかわからないんですが、
 看護婦さんの方では、そこまでは見ていただけないのでしょうか?」

なんか、小さな声で、
「ここの薬じゃないから・・・」 とかなんとか言うのが聞こえて来たけど・・・

主治医からは、どういう引継ぎを受けているの?
2週間分の薬を処方箋に書いてもらったけど、
1週間目に具合が悪くなって入院することになったから、
先生が「家で飲んでいない薬を持ってきて、まずはそれを使いましょう」と言ったのだ。

それに第一、薬の袋には、薬の名前と用量が書いてあるのに、どこを見てるの?

さらに、患者がわからないということに対して、
看護婦が「こっちもわからない」と返事をするなんて・・・
わからないままにしておかないで、主治医に確認するとかカルテ読むとか、調べてよ。

患者が間違って飲んだら危険だという意識を持って欲しい。
重労働とか、人手不足とか、それは理解できるけど、
人の命を預かっているということを、忘れずにいて欲しい。

「それじゃ、あとでお薬は全部こちらでお預かりして、
 飲むときだけお渡しするようにします」 

あとで、っていつだろ?
結局、私は病室に戻ってすぐに、薬の飲み方を紙に書いて、袋に貼っておいた。

寝たきり=ボケている とか、
動ける=頭はまとも とか、
言葉が出て来ない=聞こえない という考えの人がかなりいる事に気付いた。

病院では、確かに寝たきりで思考力も低下している人が多いから、
そういう人に対しては、「そういうものだ」として介護しているみたいだけど、
母のように、まだ自分で何とか身の回りの事ができる人に対しては、
薬のことだとか、エアコンのスイッチだとか、
ナースコールなどの使いかたの配慮が足りないように思える。

私は入院のたびに、母のベッドの頭の上のコードに、
「看護婦さん」とか「照明」とか紙に説明を書いて、
それを巻きつけてセロテープで止めている。

入院などしたことのない母は、「ナースコール」なんて言ったってわかるわけもなく、
ナースから「○○さん」と呼ばれても、母はどこかで声がするぐらいにしかわからず、
前回入院した時に、同室の患者さんが
「(あなたの事を看護婦さんが呼んでるから)○○さん、返事しなさいよ」と言って
教えてくれたのを、何のことだか理解できず、
いきなり返事をしろと言われてキレてしまい、
「うるさい、黙ってろ、しゃべるな」と言い返したらしい 堯福陰Α院叩叩

それを面会の時に言われた私は、同室の患者さんたちにお詫びをして、
母には「ここは看護婦さんのお部屋とマイクでつながっているのよ」と説明をし、
看護婦には、
「入院当初にもお話ししておきましたが、母は難聴なので、ご用事があったら
 お手数ですが病室まで来て話していただけませんか?」とお願いをした。

検査とか、大事な用件については、できるだけ紙に書いてもらうようにと頼んである。
用件を理解できていなくても、人が何かをしゃべると、それに対して相槌を打つので
「わかっただろう」と思っていると、あとで大変なことになる。
だから、いつもメモ用紙やノートを用意して、なんでもかんでも書いておく。

補聴器は常時していないのか、というと、
母は右の耳は聴力がないので、残った左の耳に補聴器をするのである。
今は、常時酸素吸入をしていて、その管を耳に掛けているので、
補聴器が管と重なるとずれやすいので、はずしてしまう事がある。
また、テレビを見る時は、他の患者さんに迷惑がかからないように、
イヤホンを使う事になっているので、そのためには補聴器をはずさなくてはならない。

「して欲しいこと」というのは、そういう身になってみないとわからないものである。


2001年07月18日(水)    苦情の電話 と 別居の理由   

電話が鳴った。
平日の午前にかかってくる電話というと、ほとんどが勧誘。
親しい人なら、この時間、うちには誰もいないことを知っている。

もしかして病院から?

     「はい? ALLUREです♪」

     「あぁ、もしもし? お母さんのアパートの2階のTですけど」

この方からの電話は、おそらく母に対する苦情である。

     「あぁ、おかあさんはそちらにいらっしゃるんでしょう?」

     「いえ、昨日また、入院しました。」
 
     「こんなこと言いたくなんだけどねぇ。
      私は、あなたのお母さんの入院中に、現金を3000円と、
      他にもいろいろと合わせたら5000円ぐらい、持って行ったのよ?
      それなのに、退院したからと言ってうちに持ってきたものと言ったら、
      自分が使わないお米と砂糖、それから50円ぐらいの靴下だけなのよ?
      そのくせ、お向かいの○さんところには、
      ちゃんとした包みのものを持っていくのがうちの2階の窓から見えたんで、
      もう、馬鹿にされてるとしか思えなくって、あんまり頭に来たものだから、
      私、口を聞かないようにしていたのよ。」

お見舞いに対するお礼の品物は母に言われた件数分を、
最初の入院中に既に私が買って準備していた。
しかし、退院後3週間は我が家にいたし、
そのまま自宅に戻ることなく2回目の入院してしまったのだった。

先日(4日)に退院してからもしばらくはうちにいたので、
お礼が遅くなってしまったのは事実。
母も、お向かいのうちにだけ持って行ったというのが問題だった。

     「それから、この際だから言いますけど、お宅のお母さん、万引きしたんですよ。
      もう、去年の話しなんだけど」 堯福陰Α院叩叩

     「交差点のところにある、路地売りのお店で、白菜を買おうとして
     “これから郵便局に行くのに、重たいからとっておいて”と言っておきながら、
      戻ってきたら“お金はさっき払った”って言い張って。
      あなた、いろんなところで恥をかきますよ。」

母の弁護をするわけじゃないけど、娘の私が思うには、単純に思い違いをしたというか、
払っていないことを忘れたということだと思うのだけれど、
お金を払っていなければ確かに「万引き」と言われても仕方のないことかも知れない。
こういうことこそ、すぐにご連絡をいただきたかった。
知らないところで、いろんなことが起こっている・・・

Tさんからは以前にも
「私は買物を頼まれて、品物をちゃんと渡したのに、自分でどこかにやっておいて
“品物をもらってない”って言うし・・・」との報告も受けている。

またあるときは、母は朝と夜を間違えてTさん宅に電話を掛け
『外がこんなに真っ暗じゃ、買物にも行かれない』 と 言ったのだそうだ。
「今は夜中の11時だから」と言っても不安がって理解できないみたいなので、
Tさんは「お隣のYさんに聞いて確かめて」と言って、電話番号を教えたのだという。

「前は、毎週お孫さんが来て泊まって行ったから、そんなでもなかったけど、
 最近は中学に入って部活で忙しいとかで、ぜんぜん来ないでしょう?
 余計におかしくなってきたみたいで・・・
 ときどき、様子を見に来てくれませんか?」とも言われていた。

今回も「洗濯機の水が出ない」と言っては電話がかかってきて、
見れば、単純に電源が入っていないだけだった、というような調子なのである。

いつも、いろいろお世話になっていた方なので、
私は至急、お礼の品に現金を添えて、ご挨拶に伺った。
もちろん、お隣と、大家さんにも同様に・・・

そして、路地売りのおうちの方には、菓子折りを持参してお詫びした。
ご主人は、その件を知らない(覚えていない)らしい。
しかし、そういったことが良くあるので、最近はサクラを雇っているとのことだった・・・


      「お宅、鍵を付け替えているでしょう? あれだって、引越してきて早々、
      “私の留守中に若い男が出入りしないかどうか見ていて”とか言って。」

発言は想像できないことではなかった。
なぜなら、それこそが別居の原因なのだから・・・

‘サザエさん’を夢見た私が甘かった。

私が小学生の頃から「留守中に誰かがうちに入った」と言っては
鍵を何度も取り替えていたが、子供の私にはそれを確かめることもできなかった。

自分の探し物が見つからなければ、必ず、誰かが忍び込んだ、という設定になっていた。
それはあるときはお隣であり、職場の同僚であり・・・
そして、私がレフティーと付き合い出してからは、
全てがレフティーのせいになってしまったのである。

女手ひとつで育てて来た母は、きっと、レフティーに私を取られたような気がして
寂しいのだろう、と思った。

そこで、結婚1年目に、部屋が3つある家を借りて同居を始めた。
一緒に住めば、きっと安心して、上手くいくだろうと考えていた。

ところが、同居を始めたその晩から、さっそく「現金がなくなった」と言って、
レフティーを疑ったのである。
現金はすぐに見つかった。 しかし、それさえも
「勘違いだと思わせようとして、レフティーがわざとやった」と言うのである。

母の被害妄想は毎日、朝から晩まで続いた。
私は毎日、母が見つからないというものを、朝から晩まで探してまわった。

こんな日々を過ごし、同居を覚悟で来たレフティーも、
翌年の春、とうとう、頭に500円玉大のハゲができてしまった。

私は相変わらず、毎日泣きながら、探し物をしていた。

そして3年目、親をとるか、ダンナをとるか、の究極の選択をすることになる。


2001年07月17日(火)    やっぱり入院

今朝の母は今までで1番動けない状態で、とにかく座ったら立ち上がれない。
這うこともできない。タクシーに乗せるのもやっとだった。

タクシーの中で母は
「こんなになっちゃって、長生きしていてもしょうがないねぇ。
 お前に迷惑をかけちゃって。たった一人の子供なものだから・・・ごめんねぇ。
 いつかまたいいこともあると思ってね」と言って泣き出した。
後部座席で泣く親子っていうのも運転手さんの手前恥ずかしくて、
私は涙をこらえるのに必死だった。

病院に着いてからは外来用の車椅子を借りて移動。
採血とレントゲン撮影をした後、
処置室の担架の上で酸素吸入と点滴をすることになった。
私は診察室に呼ばれ、先生からレントゲンの結果を見ながら入院を告げられた。

「右の肺が荒れていますが、これは前回の病気が治りきっていなかったと言うよりは
 そこに細菌感染が起きたと考えられます。
 ステロイドを使用したことによって、細菌に対する抵抗力が衰えていることもあるでしょう。
 風邪を引いたことによるかも知れません。
 薬を飲んでいなかったので、その影響もあるかも知れません。
 細菌感染によるものならば、薬による治療で、すぐに良くなるでしょう。
 間質性肺炎(BOOP)そのものは、怖いものではありませんが
 まれに、特発性肺炎に進行することがあります。
 この場合は、治療も長期になってきますし
 最悪の場合は「呼吸不全」による生命の危険もありえますので
 その覚悟も必要になってきます。」

入院が決まったものの、病棟に空きがない。
2時に退院する人がいるとのことで、処置室で母に昼食をとらせて待つことになった。
しかし、そこから待っても待っても移動の話しがない。
2時をとっくに過ぎている。
ただじっと座っているのも疲れるものだ。
それに、冷房が場所によってキツイところがあるし。
院内ではケータイをいじることはできない。こんなときこそ絶好の暇つぶしになるのに。

3時を過ぎたところで私はもうすっかりだれてしまった。
きちんと座って待っていることなど、もうできない。
私は疲れた。寝かせてくれ(毎度)
ってことで、外来のソファのひとつを独占して、横になってしまった。
こんなことができるのは、やっぱりオバサンの証拠だ(^^ゞ
だけど人目なんて構っていられない。私は寝る。

病室に移動した時、4時を過ぎていた。


2001年07月16日(月)    動けない  鍵がない  同居の確率

昨日、午前中に電話で「そうめんを買って来て」と頼まれて、午後に母宅に行きました。

ちょうど、洗濯物を干し終わったところらしい。しかし、玄関から中に入ろうとしない。
というよりも、息が切れて玄関を上がる力がない・・・

徒歩1分の例のスーパーにさえ、買物に行けないのだと言う。
食欲がなく、なにも食べていないらしい。
したがって、飲むべき朝食後の薬も飲んでいない・・・

すぐにそうめんを用意したけど、
一口食べただけで「疲れた」と言って畳に横になってしまった。

布団を敷いてあげたものの、動くのもままならない。
脚を持って動かしたら、目が回ると言われてしまった(^^ゞ

そんなわけで、来週の予定だった検診を繰り上げて、明日診てもらおうと思いました。

今日仕事だった私は昼休みにケータイで母に電話をかけました。
「調子が悪いから、明日病院で診てもらおう。
 予約をするのに診察券の番号が必要だから、手元に用意して。
 この電話を一回切るから、その間に、用意してね。」
「え?今からおまえんちに持って行くの?」

いや、そうじゃなくってヽ( ′ー`)ノ 
何度か同じ話しを繰り返して、やっと、理解したらしく、
「はい、じゃ、ちょっと待ってね」と調子の良い返事をしたものの・・・

何分たっても、返事がない。聞こえてくるのはテレビの声だけ(-_-;)
8分54秒待って、仕方がないので切りました。
かけなおしたところで、当然「話し中」です、はい。ヽ( ′ー`)ノ 
30分ぐらいたって、やっとつながりました。

「鍵がない」と言うだけで、
ご本人はこちらがずっと待っていることなどすっかり忘れているご様子。
電話で母と話しをしようとしたのが無理でした。 
用が足りないまま「夕方行くから、待っててね」と言って、電話を切りました。

病院には、診察券なしで予約を入れて明日行けることになりました。

夕方、仕事が終わってから母のアパートに行きました。
今日も、まともに食べていないご様子。薬もそのまま・・・(-_-;)
この調子では、やっぱり一人暮しは無理だと判断、うちに連れて帰ることにしました。

そこで、明日の為に診察券と保険証の準備を。
それらはタンスの引き出しにバッグごと入れてあると言う。
で、その引き出しの鍵と、玄関の鍵が見当たらないのだと言い出したのです。
堯福陰Α院叩叩


* * * * * *


「引き出しと家の鍵がない」

それからは、大捜索です。

   だいたい、いつもはこのあたりに・・・
   それとも、こっちとか?
   いやぁ、まさか、こんなところには・・・
   もしかして、こういうところだったりして?
   ここってことはないよね?

クーラーがない母の部屋での探し物は大変でした。
あっという間に汗だくです。
あっちを見ても、こっちを見ても、どこにもありません。

母が言いました。
「タンスの鍵なら、タンスを買った家具屋さんに預けてある」 堯福陰Α院叩叩法
ってことで、近所の家具屋さんに行って、事情を話し、鍵をもらってきました。
で、取り敢えずは、タンスの引出しが開き、保険証や診察券などを出す事ができました。

しかし・・・家の鍵が・・・
レフティーと絹江も加わって、再び大捜索を始めるも、本人の記憶が全くなく、
私が先週検診に連れて行ってからの行動を、ごみ箱のレシートを頼りに、
「いつ失くしたのか」を推理しましたが、役には立ちませんでした。

それでは、と最終手段である大家さんに行って、鍵を借りて来ることにしました。
それは、大家さんに対して、母の状態をあからさまにすることになります。
私だと、話しが長引きそうなので、レフティーに行ってもらうことになりました。

戻ってきて言うには
「合い鍵はない。
 何故なら、おばあさんは「留守に人が勝手に入るから」と言って自分で鍵を付け替えたから」
堯福陰Α院叩叩砲覆鵑任垢函

ってことで、仕方がないので、また鍵を換えることになりました。
しかも、その時の建具屋さんというのが、私の銀行の先輩の実家だったりして 堯福陰Α院叩叩

夜も8時半を過ぎて電話をかけてみました。
すでにアルコールをお召しのご様子(^^ゞ
明日のお昼に見に来てくれるとの約束になりました。
仕方がありません、今日はここの家は開けっぱなしで行くしか・・・
取られるものなどないし・・・ヽ( ′ー`)ノ 


* * * * * *


同居確率が一気にUPしたところで・・・

同居にあたっては、狭い我が家には家具はもう入らないので、
「極端な話し、着替えだけで来るように」とレフティーが話しました。
6畳と4畳半のこの部屋には、かなりのモノが入っています。
これらのほとんどは処分するしかありません。

『お布団だって、何人が泊まれることか・・・』と私が言うと、
「今日、お布団を窓から捨てた」 堯福陰Α院叩叩法,呂ぁ
「今日はゴミの日だけど、自分で集積所までは持って行けないから窓から捨てた」
堯福陰Α院叩叩法ΑΑ
(ちなみにここは1階ですが^_^;)
『それで、お布団はどうなったの?』
「誰かが持って行ってくれたんじゃないの?もったいないとか言ってた」
堯福陰Α院叩叩

最低限の着替えを持ち、うちに連れて帰るべく準備を始めました。
ゴミも持って出なければ、と用意しておいたら、いつのまに・・・
明日は収集日でもないのに、集積所に置いて来ちゃった 堯福陰Α院叩叩
「いつもここに置いているから」
『明日はゴミの日じゃないでしょ?これはね、うちに持って帰って捨てるの。
 そうしないと、犬とか猫とかカラスに散らかされちゃうでしょ?』

コンビニに寄って、テキトーなご飯を買って帰ると、もう9時を過ぎていました。

みんなといると美味しいのか、母はとろろそばを全部食べました。
レフティーが『ここにいると安心する?』と聞いていました。
「うん」と答えていました。

レフティー、絹江に続いて母がお風呂に入りました。
咳がずいぶん出るようなので、ジュースを持って行ってあげました。
それを飲んだら咳が止まったので良かったのですが・・・
それからまた時間が経っているので見に行くと、
出るところというか、出ようとしているところでした^_^;
浴槽から片足出たところで、もう片方が出ない 堯福陰Α院叩叩
これまた脇の下を私の肩に担いで、やっと出ることができました(*_*)

すると、今度は浴室から脱衣室に上がれない(T_T)
うちのお風呂場は、段差が35cm以上あるので、
レフティーのワゴン車同様に、母にとっては昇り降りが大変なのです。

こんな状態の母を連れてきたのはいいけれど、とても一人では置いておけません。
私が四六時中、ついていなくては・・・

ってことで、只今、退職も検討中。・゜゜・(>_<;)・゜゜・。


2001年07月14日(土)    お宅のお母さん?

今日も暑かったですね。
家の中はサウナ状態でした(T_T)
ってことで、この灼熱地獄の中を買物に行く勇気など到底なく、
ついさっき、夜も8時を過ぎてから出掛けたのでした。

スーパーに入ってすぐ、レジの女性に声を掛けられました。
ずっと前から顔見知りのDさんです。
「ALLUREさんの、お母さん・・・かな?」と言いにくそうに切り出しました。
先日、退院してからここのスーパーに一緒に来たので覚えていたのでしょう。

「なにかご迷惑をお掛けしたんでしょうか?」

「先日夜、お買い物に来たんだけど、持っているお金が足りないので、
 品物を減らすようにお願いしました。そこで
『私の家はすぐそこだから荷物を持ってきてくれない? そこでお金を払うから』 って言われて。
 夜間でレジも2人だったし、男の人も2人しかいないし、
 人手が足りないと説明したんですが」

「逆ギレしたんですね?」

「こちらも、お客さまですからできる限りのことはしてあげたいんですが
 ちょうどレジも混んでいる時で、
 そのやり取りで他のお客さんを待たせちゃったので・・・」

「その時はどうなりましたか?」

「結局、持っているお金の分だけに減らしてもらいました」

「申し訳ありません。教えていただいてありがとうございます。
 店長はこの件をご存知ですか?」

「いえ、その時は店長はいなくて副店長がいたんですけど」

「今日は店長はいらっしゃいますか?」

「いえ、今日はいません」

「副店長は?」

「いません」

「それでは、これからも、またあるかも知れませんので
 店長からみなさんにお伝えいただくように、お願いしていただけますか?」

「わかりました。 
 あ、それから、ご連絡先を教えてもらっていてもいいでしょうか?
 こちらで対処できない時にはご連絡いたしますから。」

「はい、それでは(自宅と、私とパートナーのケータイ番号をメモする)」

「よろしくお願いいたします」

もう、何を食べようかなんて考える余裕もなくって、すぐに帰りたかった・・・

最悪なのは、ここは、店舗こそ違えど
パートナーの勤めるスーパーであるということ・・・



2001年07月11日(水)    休むよ?

通常繁忙日とされる月曜に続いて、
5の倍数日である火曜と連休などをとったものだから、
今日出勤したら、みんなが「なにかあったんですか?」と尋ねてきた。

もちろん、休暇の届けはちゃんとしたけれど、
それを聞いた役席が、いちいち
「ALLUREさんは今日、これこれの理由でお休みするそうです」などと
みんなに言ったりはしないので、心配したのだろう。
ましてや、母が退院したばかりとあっては・・・

みんなに、いつもの「おはよう♪」と一緒に
「忙しい時に休んでごめんね」とお礼を言って回った。

そこで担当の役席にも・・・

「それで、次の検診は24日の火曜日なんですけど、
 忙しいところ申し訳ないのですが、よろしくお願いいたします」 と言うと、
「3連休明けじゃないですよね? 3連休明けじゃなければいいです」と言った。

あぁ? 連休明けだってなんだって、休みますよ、私は。
遊びに行くって言ってんじゃないのよ、私は。
あなたね、自分の親が若いからわかんないんだろうけど・・・

子供の病気にしても、学校行事にしても、地域行事にしても、
主婦を使うってことは、それなりに突発的な用事ってことも予想できるわけでしょ?
会社はそれを承知(覚悟)の上で、
それでも「安い賃金&経験者&即戦力」の私たち主婦を採用しているのだと思うけど?

あなたは奥さんに家庭の全てをお任せしていて、
その恩恵に気付くこともできないんでしょう?

あなたが奥さんの家事をもう少し観察してみれば、
私たち主婦だって、働きながらもそれをこなしていかなきゃならないんだから、
その大変さもちっとはわかってくるんじゃないの?

急に休まれては困るとか、繁忙日は休まないでくれとか、
それは一般的なことであって、私も用事がない時にはそうしてきたし・・・

って言いたかったけど、辞めておいた・・・


2001年07月10日(火)    検診

今日は、母が退院して1週間目の検診。

駅で待ち合わせたのが間違いの元でした。
私が駅に着いた時に、母は一人で切符が買えなかったようで
およそのご夫婦に教えてもらっていました。
その方にお礼を言って、私も自分の分を買い改札を抜けたところで
「保険証と診察券、持ってきたよね?」と念の為に聞いたところ
「え?さぁ、どうだったかしら?」 堯福陰Α院叩叩

そこへ電車が入ってきたけど、バッグの中に保険証を確認することはできなかったので
電車を見送りました。

仕方がないので、すぐにタクシーに乗って母のアパートに戻り
私が鍵を預かって保険証と診察券を探しに行きました。
駆け足で戻ってタクシーに乗り込み、そのまま病院へ。
予約の時間を25分遅れての到着。(-_-;)

診察したところ、今日は肺もザワザワしていないし、心配ないとのこと。
ただ、ステロイドの副作用のためか歩くと腰が痛いと言うので、ビタミンD剤を追加。
(ステロイドを服用する事で、骨粗しょう症が進む場合があるとらしい)
また、母が「耳の近くが痛い」と言ったので、触診の後、痛み止めの薬も追加。

先生がパソコンに入力し、次回の診察の予約カードや処方箋をプリントアウト。
処方箋入力の画面には、作用によって分けられた薬の名前が表示されていて
患者は、何の為にどんな名前の薬が出るのかを確認することができます。
先生は、患者に合わせて薬を選び、その量を数を指定していくのです。

これまで医者から出された薬は
「何色のを毎食後に2粒」とか「白い粉の薬を1つづつ」などと言っていましたが
これからは、自分が飲んでいる薬の名前を意識する必要がありますね。

病院内にはファックスがあって、指定した薬局に処方箋を送ってくれるので
薬局に行ってから処方してもらうのと違って、待ち時間が短縮されるようです。
母のアパートから一番近い薬局で、今日中に受け取ることにしました。

薬局では既に準備ができていました。
「お薬の手帳」なるものをもらいました。
ここに処方するたびに記入をしてくれるらしい。
どこの病院にかかっても、これを提示することで
薬の飲み合わせによる副作用や、効力が弱まることなどを防ごうというものらしいです。

母の家に着くなり次回の検診日程を書いて、トイレと冷蔵庫に貼りました。
そこには今回「持ち物」をつけ加えたのは言うまでもありません。


2001年07月08日(日)    3ヵ月半ぶりの帰宅

母は退院後の4泊5日をうちで過ごし、今日、アパートに帰りました。
いろいろと、疲れました。
今夜はもう寝ようと思います。 おやすみなさい・・・zzz

******************************

「一般常識」とは、何をもってそういうのか、何を知っていれば良いというのか
明白な答えはないのに・・・

こんな私が言うのは弱いものイジメに等しいのかも知れないけど
母といるとかなり疲れます。

耳が聞こえない事、歳をとっている事、物覚えが悪い事・・・
どれをとっても「そんなの仕方ないじゃない」と軽蔑されそうですが。

例えば「私は朝はパンがいい」と言うので、そのつもりでいると
翌朝7時前から「ご飯が食べたい」と言って、うちの台所で動き回る。
「お米がどこにあるのかわからない」と・・・昨日のうちに言ってくれれば。

昨日取り込んだ洗濯物をそのままにしておいたら
翌朝、わざわざピンチハンガーからはずして、竿に干し直しているし・・・
これから今日のを干すのだから、そんなに広げて干してもらっては困るんだけど。

洗濯物をたたんでくれるのはいいけど
ご丁寧に、あちこちの引き出しを開けまわってしまってくれる。
その結果、私の引き出しから絹江のパンツが出て来たり
パパの引き出しに絹江の靴下が入っていたり・・・
普通は、引き出しの中まで開けてはイケナイでしょう?
これが嫁姑だったら、大変だと思う。

うちは通りに面しているので、窓を開けてもレースのカーテンは閉めたままにしています。
だけど「風を入れるから」と空けっぱなしにするから、通りから部屋が丸見えに・・・

病院に行くにしても、予約の時間から逆算して電車の時間を決めるなんて難し過ぎるし
私が調べて決めて、口で言ってもわからないから大きな紙に書いて、
目立つ所に貼ってあげるのに、それでもわからなくなってしまう・・・

何かの器具や電化製品が使えないと言っては、電話がかかってくるけど
どこがどうなっているのか、こちらにわかるように説明ができないのでラチがあかない。
そのうちに近所に聞きに行く。しかも大家に。

お願いだから辞めてくれ。
タダでさえ大家は今、一人暮しの母の事を、遠まわしに出て欲しいと臭わせているのに。
契約した時の経営者であるおじいちゃんは去年亡くなったので、
今はお嫁さんが実権を握っているのです・・・


2001年07月03日(火) 退院決定


母の退院が明日に決まりました♪ :*.;.*・;・^;・:\(*^▽^*)/:・;^・;・*.;.*:

気付いたらカレンダーが7月になっていました。
改めて数えてみたら、明日で50日目になります。

最初の入院が35日。 うちにいたのが3週間。 そしてこの50日。
長かったです。長過ぎて、この生活パターンに慣れてしまいました。ヽ( ′ー`)ノ

今日は病室で使っていた雑貨や着替えのほとんどを持ち帰って来ました。
母のアパートに行って荷物を下ろし、明日の退院時に着る洋服を用意しました。

もう、歩いても息切れすることもないので、家事や買物も心配ないと思いますが、
パートナーの許可をもらって、取り敢えず数日間はうちで様子を見ることにしました。

明日の午後に迎えに行きます。


2001年07月02日(月) これより前の日記は・・・

母ネタの日記をこちらに独立させました。

これより前の日記は、「普通の日記」の中に含まれています。

母の病気については、2001年3月10日から始まっています。


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