私の目標は、人に迷惑をかけないようになることで、人が(私を)好き嫌いは結構関係ないわけで、自立しようとすると人間ちゃんと反抗期がくるようになってるって分かったから、少しずつ近付けたらいいなと思う。
詳しくは次回で!(←詳しく以前に文章がわかりません)
今日は、家族計画の話でございます。
聞きたくねーよ、という方は「戻る」ボタンでお願い致します。
先日、お隣に住んでいた奥さん(転勤で今は違う土地に住んでいらっしゃる)から、「子供が産まれました」メールが届きました。
子供さん(生後1週間)の写真つきで!!
ちょうどメールを受け取ったとき旦那も一緒にいて、私は「かわいい!! かわいい!!」と盛り上がり、旦那も「そうかー産まれたんだー」と嬉しそうで。
んで。
「子供…いいなあ…」というモードへ、何となく私が移行しまして。
旦那も、やっぱり人にいるのを見るといいなあって思うよね、と。
名前も変に凝ってなくて、私なんか「素直に読めて、いい意味があって、これでこれで…」って今からあれこれ考えちゃってるんですが、なんというか、意味自体はなんとはなくても、響きも字面も可愛いくて。
んで。子供…って思いながらも、旦那も私も「だけどさーーーーー」みたいな。
旦那いわく、「子供って、何も考えてない方が絶対産めるよね…」と。
だよねえ…。もちろん、きちんと考えてちゃんと用意してっていう人も沢山いるんだろうけれど、ある程度勢いっていうか、そういうのが必要だよね。一旦立ち止まっちゃったら色々考えちゃうよね…。
教育費、モンスターな親、学校の荒れ具合、社会情勢…。
私の考えるのはここまでなんですが、旦那は
「将来戦争が起こるかも知れないじゃん」と更に悲観的で。
そういう未来があるかも知れないのに、今ここで産むのが子供のためになるのか…等々。
私はそれに加えて、自分の社会復帰みたいなのも考えてしまうのです…。
自分としては、もし産んだら早く社会に復帰して、働きたい。
だけど、それが子供のためになるのかな? とか。
この辺は個々の家庭事情も、親の気持ちも大事だと思うので、ただ単に私の考えなのですが。 「自分の選択できる範囲で、『子供にとって』良い方向のことを」 なるべくしてやりたいとか思うので、そうすると自分が働いて小さいうちから保育園と、専業の道を選んで家にいるのと、どちらがいいのかなあとか。
私の周囲では、幼稚園で「不満だった」という子はゼロなのですが、保育園で「さびしかった」っていう子は何人かいるんですよね…。
一概に言えないって、わかっているんですけど、もし、家計が何とかなるのであれば、せめて3歳、できれば6歳、それぐらいまでは家にいて、それからパートなりなんなりに出たいなあと。
フルで働く(場所があれば)のは、小学校高学年〜中学生ぐらいがいいなあと。
いや理想論なのかもしれないし、甘いのかも知れないんですけど、今少しずつ子持ちの人から聞いてみたりしているのですが…。
よくわからないですね。しっかりお金を稼いで、きちんとした教育を受けさせてやるのがいい、という考えもあるし。
でもそう考えていると、やっぱりフルで働けるのはとりあえずは子供のいない今のうちだけ。
フルで働くのは、自分の性格を少しずつでもしっかりさせるためにも、いいと思うのです。
というか、私のこの依存傾向も治さなくては、子供を持つのは早いと思いますし…。
けれども。
一方で、子供を産むなら早いうちがいいよ、というのも聞きます。
医療も発達しているし、30代だって余裕で産めると思うのですが、やっぱり20代の方がリスクとしては少ないのはたぶん確か(日本語おかしい)で。
産むか働くか選べる状態で、まだ働きたいからってそれを選んで、安全のリスクを高くしてもいいのかなあ、とか。
旦那は、こんなの考えてたら産めないから、いっそ自然に任せればと思う時もある、と言っていました。
あーもー任せる!? となったとき。
たららーん、とメールが。
友達「突然なんだけど、クリスマスのコフレ、○○のを買うか迷ってるんだけど、ぼむはどうする? どれも可愛くて困るよー」
このメールで、「子供可愛い!」から一気に現実に戻りました。
あー、私、確実にまだこっちの世界にいたい、と。
まだ、友達と、コフレの話題で盛り上がっていたいと。
あれだけ勿体つけて(?)だらだらうだうだ考えてるようなこと言っておいて、結局これでございます。
考えれば考えるほど、遅くなっていくのですよね…。
けど、すぐに産めるものじゃなし、自然に任せるっていうのもひとつの手だと思うのですが…。
でもやっぱり、自分が子供のうちは産んだらあかん、と思って、気を引き締めて頑張ります。
目安は1年〜2年フルで働いてから、だなあ。(今のところ)
ずっと爆睡してました。ぼむでございます。
さて、無事に試験も終わり、自己採点してみると…。
超ボーダー点だった訳でして、凄く複雑な今日この頃です。
今までの最高ボーダー点より+1点。 でも今年の試験は簡単だったって言われています。
えええええ。何それ…。
わーんわーんと騒ぐ私に、旦那が「ボーダーはきっと○点だよ(私の自己採点より1点高い点)」とか言って諦めさせようとしています。
いや、でもね。発想の転換だ、私!!
そもそも、あの勉強量で受かる方がおかしい訳で。
もう本当絶対落ちると思って前日まで試験受けるの迷ってたんだけど、しかも受けるかどうかの判断を旦那に聞こうとしてたんだけど、はっと気付いて、
「いや、自分で判断するべ!! えっと、えっと、試験は受ける!! 経験になるし、試験の雰囲気もつかめるだろうし!!」
と思って、「自分で決めた、自分で受けることを決めた」と言い聞かせながら受けた訳ですが(もう本当毎回こんなんです)。
自己採点が間違っている可能性も、マークミスの可能性もあるけれど、けどちゃんと受けたし、それなりの回答も出来たじゃないかと。
後は発表までうだうだ悩みながら待ちます…。
しかし、勉強っていうのは突然やろうとしても出来ないものですね…。
学生時代の感覚でいたら痛い目見ました…。(それ以前の問題もありますが)
折角勉強する感覚が残っているうちに、もうちょっと何かの資格を勉強してみようかな、と思います。
まあ結局、世の中資格より実務経験な訳ですが。
けど、「自信がない」私にとっては、少しでも「自分にも、これが出来た」っていうことを、自分で決めてすることが大事なのかなあと思っております。
よっし。
熱っぽいだるさが大分良くなって、風邪割と治ったかなーなんて問題集を開く私。
…。
…。
…。
あの、熱っぽさがぶり返してきたんですけど…。
パソやったり携帯見たりしてるときにはこんなことないのに!!
頭を使うから!? もう問題集斜め読みしかしてないんですけども…。
流石、ヘタレ体質。(ヘタレの意味あんまよく分かってませんが)
風邪薬を飲みつくしそうなので、後は漢方薬と気合(?)で治します。
あーーーー。
バカはひかないって言ってたじゃないかー!!(←誰に訴えているのか)
よりによって今…。最近、風邪引きそうになったらすぐに薬を飲んで治してたので、勝手に風邪引かなくなったと思ってたけど、そういえばすぐにひくタイプだったんですよね…。
参考書だけ読んで、今日は寝ます…っていうか、ずっと寝てたんですけどね…。
問題集終わってない…。
無念…。
| 2007年10月14日(日) |
どうして君が嫌じゃないのか。 |
シゾイドだの依存性だのそんな話をしていたら、ふと気になった。
私「っていうか、シゾイドって人が自分の領域に入るの嫌いなんでしょう? なんで私はいいの? 嫌じゃないの?」
旦那「うーん、何でかな。ぼむは嫌じゃないよ」
私「私が、甘えたり頼ったり求めたりしても?」
旦那「うーん…。ぼむなら何でもいい。何でだろうね。心底信頼してるからかな」
私「!?」
どびっくりして、泣いた。
いつも彼は、愛してる? って聞いたら愛してるって言ってくれる。
好き? って聞いたら以下同文。
ちゃんと、心から言ってくれてるのは伝わってたけど。
だけどそこに、「信頼」があるかなんて、実は私には分かってなかった。
私は旦那に全幅に近い信頼を預けてるし、そのことを旦那に伝えてるけれど、旦那から「ぼむのことを信じている」なんて言われたことはただの一度も無かったから。
「愛」があって「信頼」もある、そういう関係が、今までの私の人生では多分一度も無かった、と思う。
「愛」はある、だけど「信頼」はどうかな? って関係ばっかりだった。
「愛」に「信頼」は含まれるものだと思うけれど、それだから「愛」なんだと思うけれど、でも実は実感できていなかった。
だけど、信頼しているって、全幅の信頼を寄せてるって言ってもらえて、とても嬉しかった。
そして、この信頼に応えたいと思った。
「愛」に信頼が含まれているって、気付かせてくれてありがとう。
信頼していたのは私だけじゃなかった。
旦那も、私を信頼していてくれた。
こういう、「一方的でない」、「対等」な関係が愛なんだと思う。
今更気付くなんてお前は何を見てきていたんだって感じだけど、本当にありがとう。
考えました。(また独善的に)
「正常」は「異常」を理解しないし、「異常」は「正常」を理解しない。
「正常」は「異常」に気付くが、「異常」は「正常」に気付かない。
「正常」は大抵の場合、「異常」に気付くと近寄らない。ゆえに、「異常」に関わるのは「異常」である。
勿論、例外もあるとは思いますが。異常もさまざまですが。
でも何ていうか、パーソナリティ障害の本を読んでたら「妄想性パーソナリティ(障害)」っていうのがありまして、これが!!!!
例の、不倫してた何となく相性が合わなかった(お互い)友達にいくつか当てはまるんです…!!!
勿論、彼女の場合は「障害」までいってないと思います。
パーソナリティっていうのは元々人にあるもので(性質のようなもの)、それが社会や人間関係に支障をきたすようになると「障害」と呼ばれるだけで、その境目っていうのはかなり曖昧らしいのですが、何ていうか、これだーーーー!! って思ったんですよね。
診断基準のDSM−�犬箸いΔ里�ありまして、これを見るとピンとこないのですが、『パーソナリティ障害』(岡田尊司・PHP新書←回し者みたいになってますが)にのってる付録を読むと、いくつか当てはまっているような気がするのです、彼女に。
・自分のプライベートや秘密を他人にあまり話さない ・人の言葉によく傷つけられることがある
とかが、特にそう。
別に彼女のことを話していないときでも、彼女が自分にあてはまると思って「ぐさ」とか自分が傷ついたよってことを言っていることがあることが、今思えば多かったです。
んで、何より納得したのが、このパーソナリティ、本によれば「根元には父親を求める気持ちがある。父親とは、揺らぎ無い存在でなければならない」んだそうで、びくびくしたり、おどおどした態度は相手を逆上させてしまうそうです。
オレだよ。
自分に自信がない、堂々とした態度なんて取れないこの依存性パーソナリティの私には、まさに鬼門!!
自分が自分でいるだけで、相手にイラッとさせてしまう訳ですね…!!
つっても、この妄想性パーソナリティは読んだ感じ物凄く厄介そうで、反抗しても絶対敵わないというか、絶対に戦おうとはしてはいけない相手みたいに書いてあって。
私の元友人は、こんな感じではなかったので、まだ全然なのでしょうが…。でも相性合わない訳ですよね…(と一人で納得)。
ちなみに、旦那の知り合いにもいたらしいです。なんと、DSM−�犬凌巴任法蔽尭疆�に)全部あてはまっちゃうよってぐらい素敵な方が。
しかし、旦那はその人結構好きだったらしくて。
もうささいなことでも自分への攻撃と受け取り、相当困った人だったみたいですが、多分一番旦那がうまく付き合えてたそうです。(旦那談)
何故なら。その本によると、このパーソナリティには、
・のらりくらりと中立的な立場を維持し ・間違っても相手を否定したり戦ったりせず ・距離をおいて付き合う
ことがいいらしく。
旦那、全部そうしてたらしいです。
つーか、そもそも「人との間に距離がある」「ほとんどの場合、人と親しくなろうと思わない」という素敵なシゾイドタイプの旦那。
その人に反論せず(基本どうでもいいと思っているので)、距離をおきまくり、戦って勝てる訳ないとすぐに悟って、付き合ってたらしいのです。
例えばその人が、「あの人とあの人がお前の悪口言ってたぞ。あの人って△△だし××だよな」と同意を求める感じで悪口言ってても、
旦那「ふーん、そうすか」
で巻き込まれない。
「お前、自分のことなのにどうでもいいのか?」と言われても、
旦那「どうでもいいっす」
でスルー。
ドライな奴だなあ、とか言われてたらしいです。
因みに私は、絶対これ「あの人そんなこと言ってたの!? 本当に!?」とかむしろ自分から巻き込まれに行っちゃうタイプなので、あーなるほど、こういうタイプは無理だわ、と見分ける力をつけようと思います。
旦那、シゾイドだから絶対人の言葉に揺らがないしな…ホント凄いよな…。
しかし色々考えたんですが、正常っていうのは凄くバランス取れてていいですね。友人にもいるのですが、本当に理想です。
けど、確かに「異常」を遠ざける傾向もあるような気がします。
だけど、「異常」を理解しようとする「異常」もいていいんじゃないかと、それがないと「異常」は生きられない世界になっちゃいますのでね。
「異常」が「異常」のままで、程度もキッツイ(犯罪犯すような)とちょっとアレですが、多少の異常がいるぐらいが、人生面白いのかも知れないなあと。
少なくとも、私はシゾイドの旦那好きですし。(一緒に感動系のものが何一つ楽しめないというのはありますがね…)
旦那も、多分「正常」ではない「異常」な私に惹かれたのは、そういうものがあったんでしょうね。
だって本には、シゾイドってあんまり恋愛とか興味なく、特にどろどろしたのを嫌うって書いてあるんですよ。
旦那、私にはどろどろしたものを感じないのだそうです。(そうか?? 浮気された頃とかそれなりだったような気がするのですが…)
想像するならば、依存性って「子供」のままなんですよね。 だから「大人」特有の卑怯さとか、ごまかしとかあれこれ複雑な感情は無いのではないかと。
恋愛にしても、旦那の傍には「私、今度○○に行きたいなあ〜。誰か連れてってくれないかな〜」みたいな、暗に連れて行けと言っているような女が多かったらしく(それも凄い確率だと思うのですが)、私のように「今度、○○に一緒に行きませんか?」みたいに聞いてくる女が新鮮だったとかで。
確かに、恋愛するにしてもそういうテクニック的なものには無縁でしたが…でもそれを好む人もいますもんねえ。やっぱり相性なんだなあと。
けど、自己評価が低いと、浮気されても離れられないとか自分のことも色々困るし、傷つかないでいい所で傷ついて社会に長くいられない(人に迷惑をかける)とか、色んな弊害が出てくるのも確かで。
「悪いことばかりじゃない」っていうのも新たな発見だったのですが、かといってこのままでいいとも思えない、訳で。
とりあえずは自己評価を上げること。
自己評価を上げるには、自分で行動すること。そしてその結果をきちんと受けとめること。
今、試験勉強をしていますが、まあさっくり適当にしていたせいで、直前になり焦っています。
だけど、これに落ちても受かっても、自分のした結果として、ただ受けとめればいいんですよね。
落ちたとしても、それで自分の全てが否定される訳じゃない、否定される訳じゃないから「勉強しなかったから〜」とかって言い訳を思わなくてもいいわけですよね。(←寒いです)
落ちちゃった、次は頑張ろう、でよいと。
何ていうか、こういう試験とかでも、受けることを私、中々人に言えなかったんですよ。
「落ちた」って報告するのが恥ずかしいし、とても自分がダメな人間だって見られる気がして。
だから、受かった後でないと言えなかったんです。親しい友達でも。
今度○○の試験受けるんだ、って言える友達を、凄いなあって尊敬の念で見ていました。
けど、自己評価がちゃんとあると、そういうことに左右されないんですよね。それは沢山ある中のたった一つのことで、受かっても落ちても自分がやったことだと。
教科書(?)を2回読んで、問題集、やっと2冊解きました。範囲が違うので、それぞれ1回目にしかなりません。
3回は繰り返せっていうのに…出来るのか不安ですが、とりあえず受けてきます。
落ちるから受けるのやだな…。いやいや、落ちてもいいじゃないか。
そんな思考の繰り返しでございます。(←ならもっと前から勉強しておけよ)
| 2007年10月12日(金) |
旦那の好みの謎が解けた。 |
我が旦那は、「ぶりっ子」とか「媚びてる」とか言われるタイプの女の子が余り好きではございません。
っていうか多分その逆な勢いなのですが、ふと本日。
昔、旦那が好きだった人について、私が何となく思いついたのです。 旦那に聞きました。
「もしかして、その人も、自分に自信なかった?」
と。
どーーーも、自分に似たものを感じると思ったその人。
もしかして、似ているというのはそこでは? と思ったのです。
旦那の答えは、
「無かった無かった! そういえば。飲み会とかでも誘うと、『私なんかが行っていいの?』って言ってた」
と。
一緒だ。
私、その気持ち凄い分かるもん。「私なんかが」って気持ち。
そこから、あれこれあれこれ話しました。
旦那の好みというか、どうして彼女と私に惹かれたのか、分かったような気がします。
要するに「自信ない系」って、「ぶりっ子」と対極なんですよね…。
そして、シゾイドの旦那と依存性の私が惹かれあった訳も。
シゾイドというのは、自分の世界に侵入されるのが嫌いで、頼られたり、求められたりするとうざくなるんだそうです。
だけど私は、依存していたけど頼っていた訳じゃなかった、らしいのです。
話した結果、その違いは、頼るっていうことは、「相手を自分の思うように動かそうとする」ということに近く、依存というのは「相手を自分の思うように動かそう」という意志はないのではないのかと。
旦那は、頼るということは、どこか自分を理想化されているようで、それが重いといいます。「理想の相手になれ、自分を支えろ」と言われているようだと。
書いてて思ったんですが、「自分で出来る」のに相手にさせるというのが「頼る」で、「自分で出来ない」から相手にしてもらうというのが「依存」なのかなと。
そういう「自分」のスタンスの違いがあるから、旦那がそれを感じ取ったのかもなあと。
いや、どっちがいいとか悪いとかじゃなく。
ただ、旦那は「貴方は私にふさわしくなりなさい」系は非常に嫌うということなのだと思うのですよね。
依存性は、そもそも自己評価が低いので、「私にふさわしく」なんて考えないもんなあ…。
基本、自分はダメで相手は優れている、という目で見ているもんなあ…。
旦那は、依存は平気らしいです。
つまりは、旦那もおかしいんですよね(しみじみ)。
が、旦那は私の凄いところは、「シゾイドだもんね〜」って私があっさり旦那のことを納得するところだと。
いや、むしろそっちのが分かりやすいんですが。
何でこの人?? って思って自分には理解できない時も、大体その本を読めば「ああ、こういう性質があってこういう思考になるからこれが苦手なんだな」とか分かるんですよね。
例えば飲みを凄く苦痛だと言っていて、「面倒なのは分かるけど、そこまで嫌なもの??」とか疑問に思っていたときに、
「元々孤独を好み、深い人付き合いは苦手」
という性質を読んで、「なるほど! ってことは、とても今この人は苦手なことをやらされている訳だな」って分かるんですよね。
何というか、「世間の常識」じゃなくて、「この人の常識」を考えたら分かることなんですが、どうしても「世間の常識」しか知らなかったら、「飲みが嫌い」だという「旦那の常識」について想像できないんですよね。
「飲みが嫌い」という常識が存在することすら分からない訳です。
んで、その飲みが嫌いを掘り下げていくと、自分の好きな人とはそうでもないのだけど、それ以外の「ずかずか自分の中に入ってくる人」に対してとても苦痛に感じる傾向があるとか、そういうのが分かってくる訳なのです。
どんどん、お互いに、お互いのことを知っていっています。
凄いなあ、と思います。
| 2007年10月11日(木) |
こりゃ多分不安定に違えねえ。 |
そりゃそうだよな、元々人に嫌われることが苦手(相手に正当性があったとしても)なのに、嫌われることを盛大にした挙句に自分の欠点に今更気付いちゃったらなあ…。
けどまあそこを「人は人、私は私」って思えないのが欠点の一つでもある訳で、ここは嘘でも「別にいいし」って思ってた方がいいんだろうなあ。
しみじみ思うのは、正常な人に「異常」は分からないし、異常な人には「正常」が分からない(のではないか)ということでございますな。
どっちも自分が「正常」と思ってるからなんだよね、多分。
私が目指すのは、「ニュートラル」だと思う。
私の友達が持っていてくれるような、「ぼむって人間はこういう人間なんだな」っていう目。
そのまま、ありのままを受け入れる、チカラ。
否定も肯定もせず、「こういう人なんだな」っていう理解をするということ。
いいか悪いかとか、正しいか間違ってるか、じゃなくて。
多分、その上での「私はこういう考え方は共感できる」「私はこういう考えは苦手」なら、いいんだと思う。
私は今まで、相手を否定してきたなあ。
まずは「相手の考えはこういうものなんだな」「相手はこういう人なんだな 」ってそのまま受け入れて、そこから「その相手と、自分は合う」「自分とは合わない」って判断すれば良かったんだなあ。
合わないなら離れる。合うから近付く。それだけでいいのに。それだけのことなのに。
気付かせてくれた多くの人に、今、感謝しています。
ちょっと遅すぎましたがな。
でも多分、遅かった、もうダメだったのにって考えるより、今気付けて良かったって思った方がいいと思うから、これからの出会いを大事にしていきたいです。
今まで傷つけてしまった人、ごめんなさい。
っていうか、基本的に「自分は人より下」という価値観だったので(そして今でもそれが中々拭えないので)、何ていうか、こんな私の言うことで傷つく人なんているのかな? って思っちゃうんですよね。
変かなあ…変なんだろうな。←自覚まだ全然できてないじゃん。
同じように、「嫉妬」という感情に対しても、自分が人にするのは当たり前だったけれど、人が自分にするというのは信じられなくて、パートのことでもAさんやBさんが「Cさんは、ぼむさんが仕事も出来るし夫婦仲もいいから嫉妬してるんだよ」なんて言葉をお世辞だと思ってたし、「そうかなあ?」なんて全然信じていなかった。
嫉妬されるような存在じゃないと自分を感じていた。
けどそうじゃないんだよね。自分が何も出来ない人間じゃないよと、自分を認めてあげて初めて分かる。
えっと、何ていうか、自分が価値のある(何かが出来る)存在だと思うと、嫉妬される可能性も、逆に自分が人を傷つける可能性も理解できるというか。 嫉妬されるかも知れない、ってことは、自分の言葉が相手に対してある程度重みを持つかも知れないってことなんだよね。 それは、きっと、自分がそれだけの重みがある、自分が認める自分という存在を認識できると分かることなんだよね。(もう意味不明ですみません)
そして皆は当たり前のようにこの「自己肯定感」があって、私には無くて、どちらもそれが当たり前だったからずっとすれ違ったというか。
だけどこれは私にとって免罪符じゃなくて、今まで傷つけた人にも振り回した人にも申し訳ないと思って生きなきゃいけないし、この反省を活かして、人に左右されない、「変わらない、代われない、自分」というものを認識して、いかなくてはと思う訳でございます。
ところでタイトルに繋がってますかね?
何かもう言ってること自分でもぐちゃぐちゃだから、それで不安定っぷりが伝わりますでしょうか?(笑)
「これは不安定かも?」と思ったら不安定かもと書いてしまうのは変わってないです、ハイ。
何故、お金が無いの!?
と叫びそうになる今日この頃。
ふとキッチンを見てみました。
・ミキサー ・ルク○ーゼ×2 ・レ○パン ・テ○ファール ・ホームベーカリー
などなど、一揃い…。
まあ勿論散財ぐせはこれだけじゃすまないのですが、多少ネットで安く買うからって、これだけ買えば…そりゃあ、ねえ…。
けど、レ○パン中々便利です。焦げ付かないし。今日餃子を焼いたのですが、いつも失敗する私が失敗しませんでした。(単に焼き方を守ったせいもあるかもですが)←って言うか餃子で失敗って一体。 大きくて、洗いにくいのでティフ○ールよりも使う頻度は低いですが…。
っていうか、ついにテ○ファールが焦げ付くように!!
酷使しているせい!? 表面の加工みたいなのがちょこちょこはげてきてるし、10年は使うつもりだったのに…頼むよって感じです。
今までは油が無くても全然焦げなかったんですけどね…底に引っ付くようになってしまいました。
ミキサーとホームベーカリーは全然使ってないです。
ホームベーカリーは温泉卵作るかピザ生地作るかどっちかしか使われてなかった訳ですが、最近どちらも…おおう。
美味しいスープが飲みたいから、ミキサーも使わないと…だけど、ヴィシソワーズ(これしか作ったこと無い)が美味しく作れた試しがないんですけどね…。ポタージュとかも好きなので、これからチャレンジしてみようかなあ。
| 2007年10月09日(火) |
そんなに簡単じゃない訳で。 |
大人になろう計画、一生実行中の今日この頃。
やっぱりそんなに、簡単にはいきませんよねえ…。
自分の過去を認めてやる方法は、「これって傲慢にならない??」と不安になるものの、何とか続行中です。
気付いたんですが、私のこの嫉妬心や、人の事をあれこれ批判する癖も、自分の自己評価が低いせいなんですよね、多分。
んで、なるほどーと思って、批判したり嫉妬したりするたびに、「いや、そんなことしなくても、お前だってそこそこいい人生送っているじゃないか」と言い聞かせているのですが、やっぱり根本の自己評価に届けるのは難しく、それでもそれなりに成功していると思うのですが、これをやっていると
過去が恥ずかしく
なってくるんですよね…。
うわ、めちゃめちゃ恥ずかしいことしてきたじゃん! と思って、もうそれから目をそらしたい訳ですよ。
けど、それをしたら意味がなくなっちゃうし、変わることは出来ないと思うから直視しようと思うのですが…うーん…それがすぐに出来たら苦労は無いのですよね…。
それでもやらないとなあ。
自己評価って、本当に大切なものなんですね…。
自立がキーとなっております。←他人事のように。
只今「自分を認める」訓練中のぼむでございます。
早い話、「自分は何も出来ない奴だ」という認知から、「いや、こういう所は結構出来るじゃないか」という認知へスライドさせていこうという試みです。
これを行なって1週間。
嘘くさいですが、気持ちに変化が出てきました。
まず。「決め付け癖」に変化が!!
といっても、「この人こんなこと言ってるけど多分これはこうだからこうに違いない!」で今まで終わっていた思考が、「いや、でもそうでない可能性もあるよな…」で終わるようになっただけなのですが、でも確かな変化です。
あと、「批判癖」もちょっとずつですが引っ込んできました。
「この人こんな感じでこうだしありえない!」から、「まあ、そういう人もいるよね…。この人から見ればこういう事になるんだよね」という思考へ。
っても最初に決め付けたり批判したりはは変わってないんですけどね…。という、この「自分は出来ないやつだ」という認知を変えたいので、変化だと思うことにします。
何だろう。余裕が出来るのかなあ。自分に。
一過性のものでないと嬉しいです。もちろん、3歩進んで2歩下がることは覚悟しておりますが…。
何というか、物事を多面的に見ることが出来るようになったというか。
決して一面だけじゃないという事が、おぼろげながら分かってきました。
分かった気になってるだけかもしれませんが…という認知をを変える訳で、いやいや少しでも分かったんですよ、今までそういう意識を持ったことは無かった訳だから、変化だと思うよ自分。(以下エンドレス)
転勤族だと思って、
本を増やしちゃいけないと思って、
本当に好きな本だけ買う生活で1年半我慢してきましたが、
無気力状態が回復して最近読めるようになったら、
歯止めがきかなくなりました。
増える増える増える…。
けどまだ、小説を読む気がしないんですよね。
特に、6月ごろに買っていた(Cさんとのこともピークに近かった)、楽しみにしていた本の最終巻がどうしても読めない。
開いては閉じ、開いては閉じ。
漫画は楽にアタマを使わず読めるので、これと、興味ある分野(笑)の新書を読んでいます。
何故あんな小難しいのが読めてあの小説が読めないのか、自分でも謎です。
けど、家事は大分できるようになりました。
お弁当作りも復活しました。
料理も時々、新しいバリエーションのものに挑戦するぐらいに。(この間肉じゃが作りすぎて4日間肉じゃがでしたがそれはともかく)
前のパート先のBさんとも、またお茶しようねってこの間話をしました。
Aさんにも偶然会って、「最近ぼむさんに会ってないなって考えてたとこだったの!」と言ってもらいました。
回復して、家事もできるようになって、お金も大事だしなけなしの貯金が明らかに目減りする生活だけど、これは多分この機会に自己確認をしろってことなのかなあと最近思います。
旦那と、ここまでたっぷり会えるのも今のうちだろうし。(忙しい部署に回されたらかなり忙しくなるので)
夫婦で沢山話して、お互いのこと知って、気を遣って、気を遣わないで、分かったり分からなかったりして、今のうちにしっかり「足固め」をしておこうと思います。
私の持論なんですが、新婚ってそういう「足固め」の時期なんじゃないのかなあと。
お互いが向かい合って、常に(べったりとかいう意味でなく)二人でいて、色んな相手の姿を知っていろんなこと話して、この先お互いの気持ちがすれ違うことがあっても二人の間に「基礎」が出来ていたら、例え違う意見を持ったとしても、最終的には誤解無く分かり合えてまとまっていけるんじゃないのかなあと思います。
そういう意味でも、結婚してからの二人の時間ってとても大事だと思うのです。
…とまあ、そんな訳で、専業をしばらく続けながら、「自分を認める」企画続行中のぼむでございました。
人の顔色を伺わない、そんな人になるために。
脱・びくびく!! でございます。
| 2007年10月03日(水) |
脳内垂れ流し。&パーソナリティ障害�� |
結構メンタル的な脳内を垂れ流しますので苦手な方は「戻る」で!!
パーソナリティ障害�△呂海療誓�の2つ目以降です。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
今まで、自分が「謙虚」だと思っていたものは、単なる「自信の無さ」だった。
人に嫌われたくない、なるべくなら好かれたいと思いながら文章も書いていた。
自分を思い切り出したら、昔から嫌われることが多くて、中学の時からずっと無理して繕ってきた。
私は幼くて、そのことに無自覚で、人は自分より優れていて、そんな周囲にサポートされて生きるんだと、何の疑問もなく思ってきた。そんな自分の心さえ、無意識だった。
どんな世界でも、私のこの依存性、被害者意識を前面に出せば、離れていく人がいる。
だけどそれは当然のことだと、旦那が言った。
合わない人は離れていくんだよと。それでいいじゃんと。無理に付き合ってもボロが出るよと。
そうだよね。きっと私が相手の立場なら、こんなぐずぐず言い訳する奴「切る」だろう。「ウザイ」と突き放すだろう。
友達にも見せない本音を書ける場所。
だけど、絶対に出さないと決めていた、最後のラインまで出してしまったからには、仕方の無いことなんだろう。
皆に好かれたいと望むのをやめよう。
人に好かれていると感じなくては、自分の足で立てないような気がするこの感覚を、少しずつ矯正していこう。
うつや依存性については、少しでもその情報を知りたいと思っている人の役に立てればいいと思う。
依存性を知らない人については、うつの人に「ただの怠けじゃない」って思ってしまう人のように、「ただの甘えじゃない」って思われてしまうのだと思うし、それならそれでそういう人もいるよね、ってだけの話だ、と思った。
依存性を知らなきゃ、どれだけ説明しても「甘え」だと思う人はいる。そういう人に幾ら説明しても無駄だと。
私の考えでは、「うつ」になった人に責任などない、と思う。 同じように、パーソナリティ障害も、性質や環境によるところが多く、これも自分で何とかできる問題ではない、と思う。
だけど、「うつ」になったと分かった、あるいは自分がパーソナリティ障害だと分かったとき、そこからどうするかは、その人の責任だと、思う。
本にもあったけれど、ある程度の年齢がいってからは、パーソナリティは自己の責任だと。
「だって仕方ないじゃない」と思えば、そのままいってしまう。
だけど私は、治したいと思う。
旦那も、毎日きちんと薬を飲んで、通院してうつを治そうとしている。 私が「うつ」関連の本を読んでいるのをちょっと覗き込んで、
「精神の問題だと思うから周囲に理解されにくいんだよな。これは脳内物質が不足する、神経系の病気なんだから、そう思えば理解も少しはしやすいんじゃないのかな」
と言えるようになった。そうなんだよね。胃痛にしても、同じこと。どちらも体の作用。「胃が痛い」のも「やる気が出ない」のも一緒なのにね。
なんて言いながら日々が過ぎる。
私の薬は、自分に自信を与えること。自分で何でもやること。
昨日とどこが違う? 少しでも進歩している所を、認めてやること。
好かれることを望まないで、文章を書けるようになった。(かどうかは分からないけど、以前だったらもっと色々考えてたので)
朝自分で起きるようになった。(←ええ!?)
それから、過去へも目を向ける。
自信の無さで、自分が大して評価してこなかったこと。
大学をちゃんと受けたじゃないか。
それなりに勉強して、努力して受かったじゃないか。
きちんと卒業したじゃないか。
就職も、自分の手で決められたじゃないか。(以前の自分なら「学歴(※大卒が珍しいというか何というか)で受かった」と思っていたのだけれど、そこを「たとえ学歴があったって、本気で嫌な奴っぽかったら採らないよと思うように)
物凄く当たり前のことなんだけど、今まで全部、多分他の人が自己評価するのより低く思ってきたこと。
大学に受かったのは運。
卒業は、ノートを貸してくれた友達のお陰。(そういう部分はもうありまくりなんだけども)
就職は学歴。
全部自分の力じゃないと思ってきた。
周りのお陰だと思って、そう思って頼る、相手を啓蒙することで、ずっと自分を頼らせて欲しいと。
嫌われたくないとずっと。
合わない人は離れていく。自分を嫌う人だっている。
自分が自分の足で立てれば、きっと自然に受け入れられること。
まずは自分で決めること。自分で行動すること。困った時に人を頼らずに、失敗してもいいから。
どんなに道が長くても。
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はい、という訳でシゾイドパーソナリティの話でございますね。
まずはパーソナリティ障害について、私がここであれこれ語るより、誤解無く要約し、かつ色んな文献を引用して説明していらっしゃるページを見つけたので、紹介させて頂きます。
http://www.moricomo.com/pesonality.html
さて、こちらがシゾイドパーソナリティの基準でございます。 7つのうち、4つ以上あてはまればその可能性があります。
(1) 家族の一員であることを含めて、親密な関係をもちたいと思わない、 またはそれを楽しく感じない。 (2) ほとんどいつも孤立した行動を選択する。 (3) 他人との性体験をもつことに対する興味が、もしあったとしても、 少ししかない。 (4) 喜びを感じられるような活動が、もしあったとしても、 少ししかない。 (5) 第一度親族以外には、親しい友人または信頼できる友人がいない。 (6) 他人の賞賛や批判に対して無関心に見える。 (7) 情緒的な冷たさ、よそよそしさ、または平板な感情。
旦那が「オレだ…」と言っていたように、うちの旦那はほぼこれに当てはまります。
ど、通りで他の女に異様なほど興味が無い筈ですよ…!!(←注目するべきところはそこかよ)
ちなみにこれ、旦那のお父さんもこの気があるそうです。
このタイプにいえるのは、浮世離れしている風があるということで。
現実処理能力、に対して凄く弱いです。
うわあそれで、書類を書くのが苦手だったり、引越しも苦手だったり、何ていうか時々「何でそれを知らないの!?」みたいになることがあったんだ、と…。
このタイプ、人といるより一人でいるほうが心地いいそうです。
旦那いわく、精神的な孤独は全く怖くないと。物理的な孤独は嫌だけどと。(なぜ?)
ちなみに、『パーソナリティ障害』(岡田尊司著、PHP新書)に紹介されていた「向いている職業」で学者、林業などに続き、
僧侶
でお互い爆笑。
まあしかし、それでよく分かりました。
旦那、職場は職場として、プライベートな付き合いは一切したくないらしいのです。職場の人間関係は職場に行った時だけでいいと。
その旦那にとって、職場をプライベートにどころかその配偶者まで巻き込むようなこの土地の意識が耐えられるものではないということを…。 そういう意識、物凄くストレスになるそうです。
アドバイスとしては、この性格を無理に変えようとせず、自分の向いている道に行った方がいいとのこと。
自己のパーソナリティを知ること、やっぱり私がいいなあと思うのは、これを知らないでいたら旦那がこの土地で無理を続けたかも知れない訳で、こういう性質を知っていたら、自分でも無理をしないようにすると思うからです。
自分を知る、って凄く大事なことなんだなあと思います。
そんな訳で。
これからも、この調子で好きなことを書いていきます。
ここは、「私」の記録です。
成長したり、退行したり(おい)、変わったように見えて変わらなかったり、色々するとは思いますが、付き合ってくださる皆様に感謝致します。
無理せず、付き合える範囲で(笑)付き合ってやってくださいませ。
いつも、ありがとうございます。
| 2007年10月02日(火) |
パーソナリティ障害。 |
最近この方面につっぱしっているぼむでございます。
さーっと潮が引くように人も引いていきますが、現実ではこんな話中々力説できませんし、この話したいのでそのまま書きます〜。
苦手な方は「戻る」ボタンをとか言う前に多分押されてると思いますが。 というか、見てないって話ですがね。
不快な話であろうと思われますので、ご注意くださいまし。
そんな訳で。
『パーソナリティ障害』(PHP)
を読みました。
非常に分かりやすく書かれた本で、なるべく誤解のないよう、なるべく分かりやすいよう、という筆者の思いが伝わってきます。
全て(?)のパターンを網羅しているので、どうしても各パーソナリティについて充分ではない部分も出てきますが、基本的に忠実に書かれた本です。
何より画期的なのは、「対処法」と「克服法」がそれぞれ載っていることです。結構、どの本も解説に終始してしまって、ここまでは中々載ってないんですよね…。
そして、筆者の豊かな経験に裏打ちされた内容かつ、この筆者のパーソナリティ障害を見る目が温かいんです。私が感じただけなのですが。
この方、終わりで述べていらっしゃるように、障害とされるものを持ちながらも、尚それを克服しようとする人間の姿に感動する(私の解釈)そうです。
人間そのものを、愛していらっしゃるのだなあ、というのが私の感想です。
んで。
その本に載っていたシゾイドパーソナリティというのに、うちの旦那が7項目中6.5個あてはまるのです。
旦那自身も、「これ俺かも」と言っております。
シゾイドパーソナリティというのは、簡単に言えば「孤独を好む」性質だそう。
次回はこの性質を紹介してみたいと思います。
旦那が、「やっと10月になった。いつもはもう10月って感じなのに、やっとだ…」と言っております。
「2年目はあっという間だよ」
と周囲に何度も言われて1年半、ここまで本当に長かったです。
転勤まであと半年…。
長え…。
そういえば、旦那と付き合ってからならもう3年4ヶ月を越えることに最近気付きました。
長く付き合ったなと思っていた元彼ですら、2年半。
元彼とは、思い返してももっと長く付き合ってたような気がするのですが、そんなもんなんですよね…。
逆に今の旦那とは、「うそ!? もうそんなになる!?」って感じであっという間って感覚があります。
楽しい時間はあっという間に感じる、って言いますものね…(つーかむしろそうであれ)。
これからもずっと刻まれていくばかり(であろう)年月に、ただただ感嘆するばかりです。
今年もあと3ヶ月。←こう考えると早っ!!
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