「硝子の月」
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2002年04月08日(月) <蠢動>瀬生曲、朔也

 ウォールランが言うと、その人物は立ち上がって彼の傷口のあたりに触れる。背の高い青年よりも頭二分は背丈が足りない。頭からすっぽりと黒い布に覆われているが、声の調子から見ても女であろう。
 彼女の唇から低く呪文が紡がれると、青年の傷口は淡い光を発する。
 やがて、鉄錆の匂いが消えた。
「お召し物を繕いましょう」
 破れたままの袖を引き、女はそう言った。
「私は無生物の復元魔法は不得手ですので」
「魔法使いに繕い物か。似合わぬな」
 微笑を浮かべながら青年は上半身を露にする。彼の痩身がただ痩せているのではなく、鍛え上げられたものだということが窺い知れた。
 左の二の腕の傷は、跡形もない。
 脱いだ服を彼女に渡すと、彼は「お前にやる」と言った。
「仮にも一国の宰相が繕った服を着るわけにはいかんのでな。雑巾にでもするといい」
「随分贅沢な雑巾ですね」
 女は受け取った衣服を立ったまま器用に畳むと右腕に抱え、着替えを取りにいく青年の背中を見る。
「宰相閣下」
「何だ」

「『ツイン』はこのまま放っておかれるのですか?」
 女の問いに、青年はわずかに眉根を寄せた。
「あれは諸刃の剣です。いつか大きな災いとならないとも限りません」
「……わかっている」
 青年は首を振る。扉の前で、一瞬だけ歩調を緩めた。
「今はまだ、あれが必要だ。
 しかし、そうだな……いずれ、災いとして立ちふさがることがあれば……」
 先ほどまで傷口のあった二の腕にふれ、彼は目をほそめる。
「その時は、我が名にかけて容赦はしない」
 叩き潰すのみ、と。
 唇を冷えた笑みの形に歪め、彼は部屋を後にした。


紗月 護 |MAILHomePage

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