忘れたくないこと。 - 2006年03月14日(火) 思考をする、ということ。 私という生き物は、考える事で成り立っている。 いつか書いた気がするが、私は、ものを考え、書くことで、『私』という外廓を保っていられる。書き記す、それは足跡だ。 手で書こうと、指先から零れ落ちようと、それは私の心の片鱗だ。 いろんなものが、私の心を暗くさせる。 いろんなもので、私の心は救われる。 こんなにも、剥き出したままの『心』で生きる事はあまりにも痛いから、暫く、それを忘れていたような気がする。 忘れようとして忘れる―――私も、少しは器用になったものだ。 10年位前は、『忘れる』事を『消す』事だと信じて、私は別の人格を創った。 その別の人格は、隠し方も飾り方も巧くないから、ツギハギだらけで、デコボコだった。 『それ』は失敗作だった。 だから、今度こそ成功させようとして、なんだかあまりにも中途半端な、オドオド生きているだけの人格が出来上がってしまった。 しまった―――と、悔恨の言葉で飾るのは、いま『それ』を剥がす事に失敗し続けているからだ。 『それ』は私の『顔』だと信じられて、今の私の外側に貼りついている。 内側に閉じ込められた私は苦しくて、息苦しくて死んでしまいそうで吐き出すように物語を紡ぐ。まるで、目的が『吐き出すこと』だとでも言うように。 それは、正しくない。 そんな創り方は、正しくない。 脅迫観念に駆られたとき、いわゆる『スランプ』というヤツに陥る。 人が、嘔吐するときに苦しむように、私は物語を紡ぐ。 嘔吐を止められないような気持ちで、紡ぐ。 それは、正しくない。 そう思ってしまったら、内側にまで、あの中途半端な仮面が貼りつこうとする。 そうして生きていくことは楽そうだなと、思ってしまうから、仮面は内側を侵食する。 楽に生きて生きたいわけじゃなかったんだよ、ということを思い出せるまで、私は心の中を洗浄しようとするだろう。 楽に生きようと思ったのか、と、まるで恋のような熱情で自分の紡ぐ物語に焦がれたあの感情を思い出せるまで。 あの感情は、消えたりしない。 あんなに確かだったものが、消える訳が無い。 外的要因のせいで苦しんでるんだと自分に言い訳する自分こそが、悲しくて堪らない。 あれは、私の内側から湧き出すものだったはずだ。 あれは、私の根に巣食うものだった筈だ。 快感へと変化を遂げる痛みに、私は何度も触れたはずだ。 その痛みと、その上にある快感の為に、私はどこまでも貪欲だった。 それに触れられないなら、命を消してしまおうと思うほどに。 何の手段でもなかったはずだ。それは、ただただ私の為に、私の中から浮き出してくる、救命装置のようなものだったはずだ。 頭の中が、シグナルを鳴らす。 頭の奥で、シグナルが鳴り続ける。 消えてしまうよ、と。 頑張らないと、消えてしまうんだよ、と。 どこまで頑張ればいいのと吐き棄てるように思った10年前から、変わっていないものを抱きしめて、触れた箇所がひりひり痛む。 剥き出しの神経を空気に晒すことが怖いのと同じような力で、出してと、何かが叫ぶまで。 先生、私は変わっていませんか。 確かめる人は、もう居ない。 それからもう10年も経っていて、私がまだ生きていること、どうやって想像できただろう。 痛みに耐えて、耐えて、壊れて壊れて繰り返して、そうやってまだ私が10年先にも生きているなんてこと、10年前には想像もつかなかった。 10年経って、まだ、涙は涸れないで流れるのに。 10年経ってもまだ、先生、と問い掛けるのに。 もうすぐあの季節が、来る。 だから春は、嫌いだ。 あの、この世の終わりのような季節が、狂ったように桜が舞い散って濡れる、あの痛覚が剥き出しにされてしまう季節が、来る。 でもこの痛みを、絶対に忘れたくないから、私は毎年、同じ涙で頬を濡らすのかもしれない。 忘れない為に。 -
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