休養。 - 2002年08月31日(土) 今日は八月三十一日、何となくこの日付ってば重いんだよな大人になっても。 夏休み最後の日。 と、子供の頃はずっと思って来た。 その日が最後で、それからは結構しんどいなと。 学校始まるのしんどいな、とずっと思っていた。だから、最後の日、はいつもあっという間で、早くて、気がついたら日が暮れてた。そんなイメージだ。 今日熱でも出ないかなと思ってたりしてた。 でも実際には、熱なんか出なくて、私は元気で、学校に行ってた。 なんであんなに学校嫌いだったんだろう、と思うけど、それはあの特殊な社会から完全に脱出した私が思う事で、当時の私にそれを聞いたらムキになって怒られるだろう。 あの社会に身を置く事は、80年(気が遠くなるほど長いよね実際)人生だと考えたら、ほんの一瞬だ。仮初に、そこに身を置いてるにすぎない。 でも、子供は他のカテゴリーを何ひとつ知らないで、選んだ訳でもなくそこに放り込まれる訳だから、それが永遠だと錯覚してしまう。 『卒業』という言葉は、『次』への一区切り、以上の意味を持たない。 小学校を卒業しても中学校があるだけ。中学校を卒業しても高校があるだけ。高校を卒業しても大学があるだけ。 いくら『卒業』しても、次の学校、が待っていた。 『社会』の意味が解るようになる大人になってから、やっと逃げられる。解放される。 だから、大人になる前に、『別の社会があるんだよ』と言われても、そんなことは信じられない。学校、が全てだった。 なんて特殊な社会。 あんなにも学校、の全てを掌握しているように見えた『先生』でさえも、同じ『社会』の中で見ると、一つの職業に過ぎない。何も掌握してなんかいない。 同級生が『先生』になった、という、そういう年齢になったら、もうそれは『職業』以上の響きを持っていなかった。 なのに、すごい影響力で『先生』は、その『社会』の中では生きている。 子供たちは、社会の縮図を、学校の中で見る。 結局誰が悪かったのか解らない、とか、そういう事も、学校で、知る。 社会の縮図の中で生きていく子供たちは、縮小された世界の中で息苦しい。 けれど今は、その縮小された世界が、懐かしかったり、愛しかったりする。 あそこにしかないものにも、たくさん出逢ったと思えるからだ。 でもそれは、『大人』の意見だなとは思うけれど。 さて、八月三十一日。 明日から熱を出したいなどと思いもしない大人の私は、今疼いて眠れないほど痛みを訴える体を、ほんの少しでも回復させるべく、今日は一日眠って過ごそうと決めているのだった。 -
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