旧あとりの本棚
〜 SFブックレヴュー 〜
TOP はじめに 著者別 INDEX 新着  

はてなダイアリー
ギャラリー




















旧あとりの本棚
〜 SFブックレヴュー 〜
Copyright(C)2001-2004 Atori

連絡先
ICQ#24078473







2004年04月19日(月)
■『南極大陸』(上・下) ★★★★★

著者:キム・S・ロビンスン  出版:講談社  ISBN:4-06-273919-4/4-06-273920-8  [EX]  bk1bk1

【あらすじ】
地上最後のフロンティア、南極大陸。雪と氷に閉ざされたこの地にも、地球温暖化の影響が現れていた。南極条約更新の調査のためマクマード基地を訪れていたウェイドは、大男の作業員「X」、魅力的な女性ガイドのヴァルたちと出会い、想像を絶する「氷の砂漠」へと旅立ってゆくが!?近未来アドベンチャー小説の傑作登場。(上巻カバーより)
極点基地を経てロバーツ油田探査基地を訪れたウェイドは、そこでマクマード基地から移ってきた「X」と再会する。ところが過激派環境保護グループによる妨害工作で基地は破壊され、GPSも使用不能になってしまう。ヴァルたち南極ツアー一行も合流し、脱出をはかるが?希望と感動を呼ぶ、新感覚局地冒険小説。(下巻カバーより)

【内容と感想】
 南極を舞台としたエコ小説。解説では本書を「自然文学(ネイチャー・ライティグ)」というジャンルに位置づけている。

 ストーリーは作者がこの作品の前に書き上げた『レッド・マーズ』、『ブルー・マーズ』、『グリーン・マーズ』という火星三部作と、大筋でよく似ている。どちらも厳しい自然環境の中でテラ・フォーミングを最低限に抑えながら、土地に根ざして生きていこうとしている人々の姿を描いている。

まず南極に恋をする。すると心が引き裂かれる。(上巻P9)
 この小説はこんな印象的な書き出しで始まる。主人公 X はガイドのヴァルに振られたことで傷心していた。しかしマクマード基地は狭く、どこに行ってもヴァルと出会う。またASL社の一般野外作業補助員(GFA)である彼は、全米科学財団(NSF)の科学者(ビーカー)との立場の違いにも悩まされている。GFAは交換可能な部品扱いしかされない。仕事に誇りを見出せず、作業は極限の寒さの中、おまけに報酬も見合わないと感じながら働いている。ある日 X は運転中の南極点陸上輸送車(SPOT)を何者かに奪われる。

 一方ヴァルはガイドの仕事に限界を感じ始めていた。ヴァルのクライアントは南極大陸の歴史に名を残した探険家たちの足跡をたどろうとする。無謀にも貧弱な装備までそのまま真似、自分の体力を過信し、無謀なツアーをしたがる。そして悲惨な結果になるとガイドを責める。

 そんな中、アイス・パイレーツによる一斉テロ事件が起こる。それをきっかけに、これまで隠れ住んでいた「フェラル(野生に返るもの)」と名乗る人々が自分達の存在を明らかにする。彼らは南極という土地で、自給自足をしながら土地に根ざして生きることをめざしている。南極条約が見直され、南極での労働形態も大きく変わっていくことになる。


 こうした物語の筋に絡んで、南極での探検の歴史が紹介される。1911年に南極点に初到達したアムンセン、一ヶ月遅れて到達したスコット、初の南極大陸横断を試みたシャクルトン。これらがとても面白い。

 中でも風水師で詩人でジャーナリストのタ・シュウによって語られるナレーションがすばらしい。何でもいいから一番になりたかったアムンセン、英雄になることを望んだスコット、南極に恋しそこで暮らしたかったシャクルトン。タ・シュウは彼らが何をなしとげたかではなく、彼らが探検のさなかにどう振舞ったかを評価し、それぞれの背負う「宿命の生」について語る。それは人の一生の中の、運命を変えうるある一瞬である。

 特にシャクルトンへの評価が高い。彼は当初スコットと共に南極点への一番乗りを目指した。しかし引き返さざるを得ず、その探検でスコットと決定的に決裂する。アムンセンとスコットが南極点に到達した後、シャクルトンは大陸横断をかかげて試みるが、失敗に終わる。にもかかわらず、ここではシャクルトンの行為が賞賛されている。彼は自分と行動を共にした隊員を気遣い、励まし、目的を果たすことよりも生きて帰ることを選んだ。また極限の状態で自分の食べ物を他人に分け与えた。一方スコットは死を選んだ。

 とはいえ、足跡ツアーに辟易したヴァルは、ツアーの参加者がスコットの探検を無意味だったと考えることに反発する。彼らの探検を「エドワード七世時代のあわれな謬見、あるいはポストモダンのあわれな体現。そのどちらにも選択すべきものはない。」としながらも、少なくとも彼らは誰かの足跡をたどったわけではなく、そこで生活し、自分の真の生を生きたのだと評価する。それは他人の真似をして何かをわかった気になっている人たちに対する批評である。


 かつて南極は軍人により支配されていた。陽(ヤン)の支配が強すぎて、彼らの生活は単純で野蛮だった、とタ・シュウは指摘する。しかし変化が訪れる。
南極点到達第一号をめざした男たちのレースを思い出してみてください。滑稽ではありませんか?ほほえましいながらもやはり滑稽です。一九六九年の休戦記念日、六人の女性はまったくべつの解決策を見出しました。彼女たちは腕を組み、飛行機から南極点までならんで歩いたのです。そうすることで、自分が一番乗りだという主張ができなくなる。彼女達はこの方法が最善だと考えたのでしょう。彼女らの新しいストーリー。こうやって、南極における陽(ヤン)の支配、軍事的ピーターパン的支配は終焉を迎えました。そして南極は、完全なヒューマン・ワールドへと踏みだしていきます。男と女、陰と陽の均衡ある世界、ともにあちらへこちらへとうねる世界、そう、いまわたしが話しているこの世界へ。(下巻P339)

 また彼はアメリカ人が協調と充足を身につけ、破局を避けられるかどうかを憂う。一人ひとりが協調の一端をにない、特に科学は信頼がつくりあげる共同体でなければならないと説く。また別の箇所では別の人物により科学が政治を牛耳っていることも述べられ、科学すら、何を信じるかという共同体により作り上げられていることが示されている。


 ところで、作者は実際に全米科学財団(NSF)の奨励金で南極に行き、その経験を踏まえてこれを書き上げたそうである。火星三部作でも、南極は地球上で一番火星に近い環境であるため訓練地として登場している。作者は火星三部作を執筆中に、南極行きのためのNSFの奨励金に応募したが、当時執筆中の小説の舞台は火星であって南極ではなかったため落選した。火星三部作を書き上げたあと、今度は南極小説を目的に掲げて再び申請し、無事審査に通って南極に赴いたそうだ。そうして書き上げられたのがこの作品である。火星三部作でも彼の風景描写は美しかったが、この作品でも風景の描写はすばらしく美しい。そしてひたすら寒さが厳しく、凄みのある自然の姿が描かれている。


TOPはじめに著者別 INDEX新着