★ 夏海の日記 ★
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2007年02月21日(水) |
これから....岐路かな。 @みかん |
昨日家に帰ってteaといっぱい話をしました。 現実的な話を。
今、letさんが眩暈の為に一人で生活できない状況で、 壁など、つかまり立ちできる場所に行くまで這って行き、 トイレに行くだけでも めーいっぱいです。 当然家事などできず、お昼ご飯を準備したところで、その場所まで行って食べるくらいなら、食べない方を取るでしょう。 なので、今日はteaが仕事を途中抜けしてお弁当でも渡して食べさせようかと思うと言ってました。
私たちは変則的で、私が今の仕事を初めてすぐにteaが仕事を辞めました。 これは私と付き合う(一緒に暮らし始める)前から決まっていたことで、 ただ、私と暮らし始めたので、私のサポートと称して?再就職を見送っていました。 家事も引き受けてくれ、笑顔で見送ってくれ、笑顔で迎えてくれ、温かく栄養を考えた食事を出してくれ、 昼間は実家へ出掛けて実家の両親の世話をする生活をしていました。 # 私はteaが働き始めることに対して緊張はしていたんだけれど、 # 結局は慣れでしかないので、teaが再就職に関しては、 # サポートは有難い反面、私を理由にするな!って思ってましたが。 私は自分ので自分を養うつもりでいたので、teaが働いていてもいなくても得に気にしていなかったので、ズルズル半年以上無職のままでいました。 年末になり、忙しいので手伝ってと誘われ、今の仕事にアルバイトとして入り、 今は契約社員てして雇用契約をしています。 契約社員の今、フルタイムの正社員と違って、労働時間が短く、 だからletさんの世話や病院への付き添いや食事の支度などをする時間的余裕があるのです。 社員にならないか? 1年前にそう誘われた時には父親の介護を理由に断りました。
teaの実家で同居する話をした時も、私の仕事をどうするか?の話し合いはしました。 私の仕事が毎日毎日遅いので、自分まで拘束時間の長い正社員になってしまったら、letさんは一人で食事をすることになる。 寝る時間ですら誰も帰って来ないのであれば、同居する意味がないと。 私もその通りだと思っています。 話の途中でteaの仕事が忙しくなったので、ゆっくり会話をすることができなくなったので、 その話は宙に浮いていました。 年末、teaの帰宅時間が遅く、私も激忙しかったので、帰宅時間が遅く、 letさんには寂しい思いをさせてしまったなぁって思います。 ありがたいことに、健康でいてくれたので、二人とも仕事を休むことなく年を迎えることができたのは幸運でした。
あ、 決して私がteaを養っていた訳ではなく、私の家にteaが住んでいただけで、 食費はteaが出していたんだよ。 現在も、私は生活費を出していないから、私は誰も養ってはいないのです。
Wed, 21 Feb 2007 20:30
私が仕事を辞めようと思ったのは、今に始まったことではなく、 今まで徹さんと2人で仕事をしてきた量を私が一人でしなくてはいけなくなったことや、 私の性格として、段取りを自分で立てて、長期展望でもってモノを見れないこと、 優先順位が判らずに、テンパり、テンパったことにテンパること、 徹さんとの問題で、去年の11月に辞めようと決意し始めたことや、 私がめーいっぱい働いたところで、お給料は知れていて、 家族を養っていくことは無理であり、 ならば私がサポート側に代わって、teaが稼ぎ頭になった方が、 letさんが寝たきりになった場合に備えて、良いのでは?って考えていることを話しました。
3月までは、私がやらなくてはいけない仕事があり、今すぐに辞めることはできないけれど、 それ以降に 徹さんと話し合って辞めることにしようかって話をした。 いつ とは決まってないけれど。
今、『岐路』に立っているんだと思う。
来週の月曜日のお昼ご飯を食べながら、徹さんと話をすることになった。
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