★ 夏海の日記 ★

目次前の日次の日


2006年09月05日(火) 何にも属さない私

毎朝自転車で通っていると、すれ違う顔ぶれは大体同じになります。
私は時間が適当なので、すれ違う場所は違ったり、
相手が自転車だとしたら、すれ違えなかったりはするんだけどね。

で、時々目が合ったりします。
乙女チックな私は(すんません。自分で言ってみました^^;)少女漫画のように、ここから恋が始まったりしてねーなんてバカなことを考えたりします。
駅までの道のりは、考え事や妄想をしたりして、結構楽しい時間です。
で、今朝の妄想を(笑)

今朝、すれ違う常連さんと目が合いました。
彼のことが特に好きとかではないのですが、妄想の開始です。
出会うとしたら、どういうシュチエーションがあるだろう?って色んなパターンを妄想して...。
で、私って恋をするのが好きだなぁと、しみじみと思いました。
『ただ恋をするだけ』 では、相手を選ぶ必要はありません。
結婚していようと、TVの中であろうと、おぢさんであろうと、学生さんであろうと。
話をしたことがあるとか ないとかも関係なく、
この人の笑顔が好きとか、
この人は、ドアを開けて私が通るのを待っていてくれたとか、
本当にほんの些細な事から始まります。
っつーても、私の中だけの話なんだけど。

付き合うのが前提ではなく、『恋をしていること』を楽しむのが好きで、
だから尻が軽いとか惚れっぽいとかってのではなく、
ドキドキしたり、ワクワクしたり、キュンとしたり、幸せな気分だったり、ラッキー♪って思ったり、
そこに『恋のエキス』があるのとないのとでは、ただその場所にいるってだけでも気分が違います。
毎日が楽しくなる恋って、思うだけならタダだし、誰にも迷惑もかけないし、
私の中だけって言う ちっちゃな世界限定の ほんの小さな楽しみ。

で、考えました。
昔と違って、寂しいから誰かと一緒にいたい と思って 相手を探しているのではなく、
楽しい毎日を送るだけの『恋』をするのが楽しい に変わったんだなぁって。

○○の彼女 ではなく、○○さんちの奥さんでもなく、○○会社の夏海でもなく、何にも属さない私でいられる気楽さ。
『PO』では、性別でさえ問題ではなくなります。
背負っている家庭や、会社やその役や、背負っている事情や 学生や無職や何千万円の契約を取引している有能な営業であろうと、
『そこにいるその人』が、全てであって、他の何もいらない。
全てが平等に扱われ、何の偏見もなく、みんなが同じ土俵にいる。
(自分ではありえないけど)それもアリだよねって言ってもらえる寛容さ
もしくは、それを言葉に出して言ってはいけないだろうってことを有頂天になって話していると、ペン!って叩かれる爽快感。
決して甘やかされている訳でもなく、何か話さなくてはいけない訳でもなく、笑っていなきゃいけない訳でもなく、
怒っちゃいけない訳でもなく、泣いちゃいけない訳でもなく、お喋りに加わらなくてはいけない訳でもなく、
ぼーっと一人で自分の考えに浸っていても良いし、
そこにいる 何にも気負わない自分 何も飾らない 強がったり見栄を張ったりしなくて良い『素の自分』でいても良い空間。
何にも属さなくても良いってことは、私が私でさえあれば良いってこと。
何かができる振りをしなくても 何かができない振りをしなくても良い。
電車に乗れなくても 私は私。
エレベーターに乗れなくても 私は私。
傘をさして 自転車に乗れない不器用な私も私。
部屋を片付ける才能がなくても 私は私。

teaが言ってた。
阪神淡路大震災で、生き残った中年の男性の死亡率は高く、それは『会社』という日常がなくたってしまって、自分の居場所を失ってしまったストレスによるものだと言う。

会社を引退して うつになる人は多いと聞きます。
会社の中で、部長さんとして扱われてきた『自分の肩書き』がなくなり、『素の自分』になってしまって、どうしたら良いのか分からないのが原因だそうな。
何にも属さない『ただの自分』でいることの居心地悪さ。
会社ばかりで地域に密着していなかった人に多いのだそうな。
近所の人や町内会の付き合いは 全て奥さんに任せてあって、会社だけ頑張ってきた人。
家族の為と言いながら、会社を理由に逃げていはしないですか?

何かに属しているのは、とっても楽です。
でも、その『何か』に依存してしまうのは、とっても危険だと思います。
何かに属しているのも自分。
そして、何にも属さないでも 自分は自分。
なにも飾りを付けない『素の自分』を認めてしまうこと。
それが、自分を好きになる一歩かも知れないね。


夏海@夏海のお部屋 |★お手紙★夏海のお部屋★

My追加