★ 夏海の日記 ★

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2006年01月27日(金) 命の値段

私の命の値段は 3000万円。
私が 今 死ぬと 3000万円が 保険会社からおりてくる。
安いのだろうか?
高いのだろうか?

私は女で、誰も養っていないから、3000万円は 高い?
でも、命の値段として考えると 果たして高いと言える?
自分の価値は、3000万円 ある?
3000万円。
家が 微妙に買えたり 買えなかったりする値段。


ルームメイトのteaは、「このままじゃ 狂う」って思って 日本を脱出して海外を放浪していた時期がある。
その当時、インドでは、車の前に人と牛が飛び出して来たら、迷わず人を轢く程度に 人の命より牛の方が大切に扱われていたそうだ。
人の命の価値は 国によって違い、戦争によって とても軽く扱われてしまう。

安宿に泊まって旅を続けていると、色んな国の 色んな人に出会って、それぞれ別れて 違う国で また出会ったりして、行きたい場所が同じだったりすると、一緒に行動したりするそうだ。
それは 日本人に限らず、色んな国の人と色んな場所に行き、生きる為に神経を研ぎ澄まし(気を抜くと、だまされたり 殺されたりするからね)勘を養うのだそうだ。
どこに泊まるか は、現地で、その日に決めていたそうだ。 値段の交渉もし、そこは 安全か(宿の中でも 平気でものが無くなったりするし)を判断するのは、自分の野生の勘しかない。
ドミと呼ばれる相部屋で一緒に寝泊りする 初対面の赤の他人が安全な人だという保証はなく、運であったり、勘であったり、経験であったりして、あの遺跡を破壊された直後のアフガニスタンにも入国して無事帰ってきた強者だったりする。

ある時、隣の部屋で 自殺者が出たそうだ。
誰も知らない異国の地で、領事館?を通じて取り合えず本国に連絡を入れ、でも遺体は そのまま放置しておけないから 火葬となり、一緒に泊まっていた仲間と見送ったらしい。

人が もの に変わっていく瞬間に立ち会ったと言っていた。
あ、今 人間ではなく もの に なった。と思った瞬間があったらしい。

人は 結構しぶとくて なかなか死なない が 何とも あっけなく死んでいきます。

今読んでいる仏陀が言います。
私はシッダールタです。
では、片腕を切り取った、その片腕は、シッダールタですか?
体を縦に正確に半分に切り裂いたとしたら、右側がシッダールタですか?左側がシッダールタですか?

首から上が シッダールタですか?
では、下は、シッダールタでは ないのですか?
心臓が シッダールタですか?
心がシッダールタですか?
魂がシッダールタですか?
体をどんどん 小さく切り刻んでいった時、どこから シッダールタでは なくなるのですか?

私は 私の体があって、この心があって、私として存在しています、

昔、『ポケットビスケッツ』というグループが歌っていた歌詞が好きでした。


もしも 生まれ変わっても また私に生まれたい
この体と この色で 生き抜いてきたんだから



私の 戦いの歌でした。
私の 戦いの テーマソングでした。
この体で生き抜いて来た。
まさしく 死にたがった私が 生き抜いてきたのだから。

命の価値は 自分で決める。
その為には 私は闘えます。
相手が誰であろうとも。

世界中の誰もが 同じ価値の命であって欲しいと思います。
それは 理想なのかも知れないけど、
戦争などという バカげたもののために 命を軽く扱われたくないのです。


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