★ 夏海の日記 ★

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2001年11月01日(木) 思い出したこと

例によって例の如く、コレを書いている今日は、11月19日ですの〜。これも例の如く、長くなりそうだったので、まさか『過去に向かって続く...』なんてできないから、ここから書き始めようと思います。

思い出したこと、そのきっかけは、例の如く新聞からでした。
アメリカの ある州に住んでいるA君(小学生)は、同時多発テロが起き、炭阻菌(字、合ってる?^^;)事件が起きたある日、上空を飛ぶ軍の飛行機におびえて、「もうすぐ戦争が始まる。学校になんて怖くて行けない。そんな場合じゃ、ないんだ」と言って、学校に行けなくなりました。
彼は過去にトラウマを抱えています。それは、当時離婚していた母親が、自分の恋人に向かって、ナイフを突きつけ「殺してやる!」と向かっていったことです。精神科の先生によると、これは『家庭内暴力』であり、『DV(ドメスティック・バイオレンス)』なのだそうです。小学生の彼が、それを実感した。そしてそれが心の傷になり、学校に行けなくなりました。
心の闇を吐き出させ、何度も『もう大丈夫だ』『自分は安全だ』と繰り返し自分に教え込み、彼は学校に行くことができるようになったのだそうです。
 そして、テロが起こった。
その時の彼は、精神科の先生曰く、『過去の異常な体験を思い出し、その心の傷まで思い出し、その当時を追体験してしまったため、また学校に行けなくなった』のだそうです。
まさしく、PTSDですね。
まだ小学生の彼が、現在どうしているか?
『自分には守ってくれる母がいる』と、彼は心から信じることができるので、精神科の先生が思っていたよりも、彼の心は強く逞しかったという言葉で、その記事は終わっていました。

さて、私です。
家庭内暴力
DV
私の家族は、誰1人暴力を振るう人は、いませんでした。体罰は確かにあったけれども。(私より、妹や弟が酷くやられていましたが)

では、なにを思い出したのか?
生命の危機を絶えず感じていたし、平穏な心で生活なんてしていなかったことを思い出しました。
誰に?
父親の存在に。
現在母に生活費を渡さないロクデナシの父は、私に手を挙げたことはなく、父の『良しとするレベル』に達していた私を大好きで(今も大好きで)、でも私は一般常識から外れている父が嫌いでした。
父の『良しとするレベル』とは...?
・自分の機嫌を損なわない(余計なことをしない・言わない)
・自分の意を感じて、一歩先を読んで不快にさせない
・教えたことをちゃんと覚えて、教えるに値する手応えがある
・言葉の裏を読んで、それに応える(ヤツは『嫌み』が得意ワザ)
・反抗的な態度をとらない。逆らわない。
つまり、父は『お山の大将』でいたい人でした。
それに対して私は、勉強も運動も好き(与えられたメニューをこなす方が楽だったので)だったので、そして小さいときから大人の機嫌を伺うのが得意だったし、父の言う嫌みの本当の意味をちゃんと理解するのが家族で唯一私だけだったので、父が愛情を掛ける価値のある対象として存在していたようです。

でも私は父のことが大嫌いで、そして怖かった。
その理由は、彼はキレる人だったから。キレると、手近にあるものをその対象人物に向かって投げるんです。ティッシュの箱、お箸、ハサミまでも。(手近に包丁があったら、それすらも投げたでしょう)
私は細心の注意を払っていたので、父の『地雷』を踏むことはなかったんだけど、妹や弟は、よく『地雷』を踏んでは、モノを投げられたし、自分のものを窓から外に捨てられたりしたの。それを私は目の当たりにしていました。
いくつ頃からかは、覚えがないのだけれど、子供の頃から、父は『キレると何をするか判らない』『カッとなったら、見境なくなって殺されるかもしれない』と思っていた。(実際、そういうヤツですが)
姉妹弟ゲンカをすると、「バット持ってこい!」とか、「包丁持ってこい!」とか言って、私たちを煽った。殺されるかもしれないと思っている父が言うと、私にとってそれはシャレにならない言葉だった。恐怖だった。
ずーっと恐怖だった。
新聞を読んでいて、それを思い出したの。
何がキーワードだったか?
前出のA君が、家庭内暴力によって感じた、
家庭と言う場所が
『自分にとって安全な場所では ない』
『身の危険を感じない場所では ない』
『安心して暮らしていける場所では ない』
ということ

まさしく、私にとって家庭は、ハウスであってホームでは なかったんです。
そして絶えず身の危険を感じて、ビクビクしていた。


長くなったので、明日に続きますm(_ _)m


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