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2025年05月16日(金)

ペリーの黒船がやってきた頃、日本人は長崎の出島から外国の噂や知識は多少得ていたろうけど、やはり幕府にしても新政府にしても、西欧の文明は抗いがたい魅力を持っていたんだろうな。
だから鹿鳴館を建てたり社交ダンスをする為のドレスを着たりして、どんどん取り入れたんだろうな。
江戸幕府はイエズス会キリスト教の布教を禁止したから三百年近く平和を享受出来たけど、富国強兵策にしてキリスト教を取り入れた途端どうだ。戦争への道を突っ走ったじゃないか。ナザレのイエス様は、親子兄弟を捨てて自分についてくるのでなければ自分に相応しくない、自分はこの世に平和をもたらすために来たのでは無い、親子兄弟嫁姑の仲を割くために来た、と堂々と新約聖書の中で謳っている。だから日本が隠れていた間も、世界では絶え間無く戦争が続いていた。そしてどうだ、その弱肉強食の世の中に納得できずに日本が自滅戦争を始めたら、原爆を発明して落とし、ソ連が寝返らなければ戦争は終わらなかった。

人は一見そうなのかなと思ってしまいそうな理由づけをする。
例えば、お子さんが女の子ばかりだったお祖父さんが糟糠の妻を捨てて若い女性に走ったのは、もし男の子が生まれていたらそんなことにはならなかったのではないかとか。
若かった私は、妊娠中で神経質になっていたせいか、男だという思い込みが大事だ、と若かった夫が笑顔で私に言った時、親戚の人の言葉を思い出して、もし男の子でなかったらうまくいかなくなるのだろうか?という恐怖に駆られて、女の子だったら離婚する、と五分前までは考えもしなかった言葉を発してオイオイと泣いた。実家では誰も男でないと駄目だとか女の子は駄目だとかいう事が言われたことは全く無かった。嫁ぎ先だってそうだったに違いない。しかし悲しいことがあると、人はもしあの時こうしなかったらとかもし一人でも男の子があったらなどと悔やんでしまいがちなのだ。そうでなければあんな良い人があんなことになるはずはなかったとか。
しかしながら、時が経って、他にも色々なケースがあることを知ると、例えば、竹内結子さんは最初も男の子だったけど、離婚されたじゃないか、男の子が生まれれば上手くいくとは限らないんだ、と思った。
それまでは、狭い世間で親戚や友人に離婚話などなかった私には、男の子が生まれていれば、という夫の親戚の人の言葉は、とても強いインパクトを持って迫ってしまったのだ。しかしとにかく合わなかったのだろう。何かご先祖の違いの関係か何かわからないが、実家の価値観とはとても違っているようだった。
やはり愛があれば年の差なんてとか、宗派の違いなんて、とか、信じて生涯の誓いをした私の器はあまりに小さかった。もし私が本当に利発で健康な少女だったら、恋をしていたわけでもないのに、縁談と知りながら遊びにいらっしゃいと言われてはいそれならばと遊びに行ったりはしなかったに違いない。CAになりたいとか外交官になりたいとか夢を語っていた女の子たちを眺めながら。

しかし世の中には本当に才能の豊かな人があるなあ。

うつ伏せにならないと思い切り咳をして痰を切れないと思っていたが、うつ伏せになろうとして、身を捩ったら、ボキボキボキっと音がした。肋骨が折れたかな?
左胸が狭心症の痛みとは違った痛みで今非常に痛い。


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