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私は麻酔で無痛分娩というのには多少怖さを感じているが、もし自分が今度出産する時には、自宅に助産師さん立会いで、バスタブの中で水中出産をしたい。仰向けでなく、犬が陣痛に息むように、下を向いて産みたいのだ。赤ちゃんはそれまで羊水の中にいたわけだから、水中に生み出されても大丈夫だし、水又はぬるま湯の中ならば、産湯で洗う手間も省けると思う。ちょっと胎盤を破って拭いてやればいいと思う。アメリカ人のご主人とハワイで水中出産をしたお母さんがとても楽よと語っていたし、クリスマスパーティーの時もとても幸せそうだった。この頃はどうしておられるだろうか?
思えば父も両親の期待と友だち付き合いとの兼ね合いに悩んで中学の時に神経衰弱になった。 父は私に人の思惑を気にするなと言った。彼は私の気の小ささを理解していたのかな。
今日は娘のお父さんのお誕生日だ。 彼の一歳の時の笑顔の写真を私は見失ってしまったのだが、 その写真の彼の満面の穏やかで偏りのない笑顔の面影はよく覚えている。 彼は祖父母にもまた家族以外の人にも何かと大切に思われていたから、生まれた時に喜ばれたものは彼の笑顔を円満にしたように思われる。色々苦労もあって、彼は自分を円満な人柄とは思っていないような言動もあったが、基本的には私はあの赤ちゃんの円満な笑顔が忘れられない。
私自身も写真を撮ってもらっていたが、私は子供の頃七五三の着物姿でも割と不安な表情だったように見える。父と母は見合い結婚にしてはラブラブだったが、父方の祖母から離れていた。母は成人する頃終戦だったから、新婚生活は自由民主主義の時代になっていた。彼らは都会の街の人だったしな。
しかし今考えてみると、やはり私は神仏習合の日本の多神教の中でしか生きられない。カトリック教会に通うエネルギーは持ち合わせていないし、新約聖書にはとても惹かれたけれど、私の実家とは違う社会だった。もし私にカトリック信仰があったら、医師にも看護師にもなれる力が授かりそうな気もしたが、その力は無かった。父はしかし日本の農業経営について心を砕かざるを得なかった。東畑精一という人名を父が口にしたことを記憶している。とても尊敬していたようだ。
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