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2025年05月22日(木)

 娘の父親と、まだ娘が生まれる前、私はまだペッティング以上の性交に痛みを感じがちで、そのせいか、カンジタとトリコモナスにかかった。その当時、夫以外の人とそうした行為は全く無かったが、夫は、叔母さんなどに、あんたもしかしてなんか悪さしてたんちゃうんか、と言われた、と大変心外そうだった。そう言われても私としてもどうしようもなく困った。
私は思うに、経験が少ない男女の場合、受け入れたくても痛みになるということはあるのではないかと思う。例えば私が子供の頃の傷のために、何か恐怖症のような症状だったとか、あるいは、夫の弟さんの自死についての精神的な疑惑など、夫に対しては婚約時からの愛情はあったが、夫も経験の無い女性には戸惑いもあって彼の期待には添えていなかったのではないかと思う。それによって信頼感によってリラックスすることが難しかったかもしれない。
 しかしながら私は、聖書にイブ女性というものは、好奇心によって蛇の言葉にだまされ、神の戒めを破り、アダムを罪に誘った罪のために、神は女性の産みの苦しみを増した、とあったので、それがいかに男性中心社会のものであろうと、生存や種の存続の実存として、必要な理屈と考えて、夫や兄や父の女性に対する理不尽を糾弾しようとはあまり考えていなかった。むしろ無骨さ男性の無垢さと感じて愛した。
しかし皮肉なことにこうした妹愛は、日々人生において内面的葛藤を抱えていたかもしれない兄たちにとっては、年下のオムツをしていた赤ん坊だったくせに、かなり上から目線の馬鹿にした態度に見えたかもしれない。私が相手に好感を感じていた時に特に、姑などに、いやだ、やらしいわあ、と突然私からすると何か勝手に訳のわからない羞恥に駆られたお怒りのようなものにあたふたしたこともあった。
私は夫のご自分のお母様をどんな風に愛らしく感じているかを説明されて、なるほど何と愛らしい方であろうかと感心していたのだが、それは姑にとっては、息子とその嫁とが何か自分の知らないところでご自分を小馬鹿にしていたような雰囲気を感じてしまったような瞬間だった。これも皮肉な展開だった。
そのため、世間では笑顔を施すという考え方もあるが、私は個人的には、笑顔が必ずしも相手を喜ばせるとは限らないという経験をしてしまい、そんなわけで、あまり笑わないロシア人というものにかえって、何か安心感を感じたりするようになってしまった。
娘の父親も、親鸞さんはあまり温厚という印象でもないところが、それでもいいのかなという安心感を持てると語っていた。

女性の外見よりは内面や考え方に関心を持つ教養、三浦綾子さんの小説に出てくるようなだんせいもあろうが、日本人男性は人は外見が九割と言って恥じない人もかなりあるようだし、またリビドーが視覚的な刺激による場合も大きい人も多そうだが、娘の父親が、私の外見に限らず、私の関心のある小説などについて関心を持ってくれたというだけでも、自分の心に関心を持ってくれたと感じて、私はとても満足していた。彼から見た私というものが、私自身にとっての自分とまた違った捉え方だったのが新鮮でもあった。だから子供が生まれて一段落した頃には、少しは実家と全く違った世界の環境の良さも感じ始めていた。しかし私は新聞も取っていないところに何年もいたので、外界については実家関係についてしか関わっていなかった。夫の家族の世界を否定するような向きついては全く頓着していなかった。

私の母には異腹同腹のお姉さんたちが五人あったので、おそらく母は、指導する姉タイプではなく、かなりお転婆姫だったのだろう。子供の頃毎朝早く起きてみんなのごはん十一人分?を炊いたのは、お腹が空いて早く目が覚めちゃったからだったそうだった。
私には母のように同性の姉妹が無かったので、母は私に女友達を作ることを第一義的に考えていた。それで小学校に入ると、お友達とお外に出て遊びなさい、と言うのが大真面目な課題だった。新しい環境に馴染むのはしばらく時間がかかるものだから、できれば休み時間は自分の席でじっと大人しくしていて、体力を温存しておくのが得策だったと思う。でも私は母に言われた通り、休み時間になる度に校庭に出て鬼ごっこや花一匁の遊びなどに頑張ったので、40℃以上の熱が出て、急性腎盂炎で入院する羽目になった。
それで女の子は衛生上前から後ろに拭かねばならないということはわかったが、母はあまり大人の話が得意ではなかった。お風呂の時、おへそはきれいに洗っておかなくちゃだめよということを言われたが、母の言うお臍とはちょっと違うところだったようだ。私はおへそを洗えということが頭に残ってはいたが、今ひとつわけがわからなかった。その上中学の初潮指導で生理の血液は教育映画の図の中で青色で表現されていたので、私は初潮前だったので、月経というものは青い液体が月に一度出てくるものかと勘違いしていたのだ。血が出るんでしょ、と母に言われて、違うよ、赤ちゃんの栄養だよ、と私は言い募った。

私は子供の頃遠慮なく食卓で兄たちに負けない量食べていたし、牛乳も沢山飲んでいたので10代の頃も二十歳過ぎても、あまり細くはなかった。しかし心の中では私の自分の理想は少年体型の中性的な少女でありたかった。
あるグループにおける男女の比率は、どちらかの論理の勢力の強さを決める。だから働く女性の数を増やそうというわけだが、


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