�蠧�記
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私は確かに友だちを傷つけたことがあったと思う。 夏休みに一緒に自由研究をしたクラスメイトがあった。 その子と私は帰り一緒に帰ろうと約束したらしいのだが、私は一人で帰ってしまったらしい。 空想の話を帰宅途中に考えてノートに書くのに熱中していた。たいした話ではないのだが、その頃椋鳩十とか戸川幸夫などの児童動物文学にはまっていて、雀の話を作りたいと思っていた。私には何かが欠けていて、雀の話もそんなに面白い話ではなかった。 脳血栓で倒れて口がきけなくなって介護されていた祖母が亡くなった後で暗い気持ちだったかもしれない。彼女は女学校の教師だったが、背の高い米軍将校が二人彼女がベッドで寝ていた2階の部屋までお見舞いに来た時に、涙ぐんでいたのを見て、彼女の人生についてもっと知りたかった気がした。祖母の涙を忘れられないというのはそういうことだろう。もっと彼女の昔話を聞きたかった。 しかし介護していた母にとっては大変な毎日だったから、その苦労を理解してあげることが必要だった。 しかし幼い私は彼女の苦労をさらに重くすることしかできていなかったと思う。彼女はもっと周りの人に助けて欲しかったろうが、それを期待すると裏切られた気持ちになるのが嫌で全部自分が背負おうとしていた、子供に頼むよりも自分がやってしまった方が気が楽、と言われたことがあって、私は内心とても傷ついた。廊下の雑巾掛けでも何でも頼んでくれたら彼女の精神的肉体的負担を担えたんじゃないかと思うが、どうしたらいいかわからなくて、祖母の介護を手伝おうという気持ちが育たなかった。ただ祖母が夜中に徘徊して父や母が右往左往していた記憶、母が居ない時に祖母や伯母が大変なことになっていた記憶などがいつまでもこびりついているが、母が祖母について女子師範出の偉い先生で教え子の人たちには神様みたいに思われていたけど、自分は人格を疑ったという話に、心が痛くて、でもね、お母さん、おばあちゃんたちだって大変だったんだよ、とかなり大人の年になった頃に反論してみても良かったと思うが、言えず仕舞いで終わってしまった。反論したらまた違った展開に好転したかもしれないのに、できなかった。てきるかできないかではない、するかしないかだと言われる。しかしできない時もある。
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