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2025年02月24日(月)

日本の富裕層の人々でキリスト教の洗礼を受けているひとは少なくなさそうだ。
私の祖父母たちは仏式で送られたが、父方の祖母はプロテスタントの女学校で教えていたみたいだし、
キリスト教を受け入れずしてミッションスクールで働けたとは思われない。独身だった伯母も施設の人に教会に連れていって頂けたことをとても喜んでいた。祖母の働いていたのは英国国教会系のプロテスタントだったようだ。
しかし私の両親は神社に初詣して親を仏式で送るたちだった。若者だった私の父は戦後の精神的物質的混乱の中でカトリックの洗礼を受けそうになったが、受けることを取りやめる心の動きがあったようだった。母もご近所のフランス人の奥様にお茶に呼ばれて笑顔で歓談したことがあったし、私もそのお母様の可愛らしい姉妹とパラソルの下でお人形さん遊びをしたこともあるが、その頃はフランス語が全くわからなかったし、今でも英語ほども全くわからない。ベルサイユのばらなどにハマったのは中学の頃だ。
日本人はマリーアントワネットやルイ16世を悪人とはみなさない向きもあると思うし、中国共産党も傀儡として満洲国の皇帝だった溥儀の首は切らなかったが、フランスやロシアの庶民は許せなかったようですね。腹に据えかねる断絶があったのかな。フランスの人にとって、アントワネットは悪人らしい。バァレンヌ逃亡が国民を怒らせたところはあったかもしれない。
昭和天皇がそういうことはお考えにならなかったのはお心が国民とともにあったように思われたというところはありそうだ。
私は庶民に生まれたことは自分のせいではないと思うし、アントワネットがオーストリアからフランスに嫁いだのも彼女の意志というわけでもなかったので、溥儀を庶民と共に生かした中国人に近いものがある。一党独裁は怖いが。人はなかなか自分が育った環境で感じられる以上のことを理解するのは難しい面があると思う。女性が他家に嫁いだらその文化に溶け込もうとするわけだが、それでも育った環境を完全忘却は難しい。そうした嫁姑の水油を越えて世代は少しづつ移り変わっていくのだと思う。
だから戦後自由民主主義憲法を米軍から賜り、公的にその義務教育を受けても、家督とか家とかいう意識は戦後生まれの私の心の中にも実はいざとなるとかなり残っている。
もし他国のように選択的夫婦別姓になったら、息子たちに自分の心に残っている感覚を押し付けようとしても詮無いことになるが、自分は10代の頃は結婚式は要らないと思っていたのに、いざとなると、2回も結婚式をして自分の心を縛ることにしたのが、一体どういうことなのか、やってみないとわからない馬鹿だということかと思う。しかし、結婚式というのは、女性の晴れ姿というよりは、男性の社会性のために必要なものだと思っているのだが、違うだろうか。
江戸時代から随分経っているにも関わらず、私の母は父よりも家督意識は強かった。
長男を家督と考えていて、家督だった父が後で子供たちに憲法通り均分相続としても、次女だった母は長男を家督と考えて伯母の世話は長兄夫婦に頼んでいた。父の後添えさんのお世話は次兄夫婦になったようなのだが。転勤の多かった母方の祖父は娘たちを家督にしか嫁にやろうとしなかったという。母方の祖父は故郷で家督を継いだ人とは思われない。

日本女性と結婚して赤ちゃんにも恵まれるという親日のフランス人男性YouTuberが、マリーアントワネットは極悪人でしょうとおっしゃったのを拝見したりして、浮かんできた想念です。

ロシアの最後の皇帝ニコライ2世も、ルイ16世も、家庭人としてはおじいちゃんたちよりもかなり善良な夫だったように思われるのだが、人生は皮肉なものだ。

今の日本の憲法において、信教の自由は認められている。
だから、神道系でなく、キリスト教系の学校進学を選んだ眞子さんが、結婚式も何も要らない、ただ心に決めた人とキリスト教国に救いを求めて出ていかれたのは、次男系的家系の人としては、自然な成り行きだったように思われる。
もしキリスト教の助けがなく、日本的だったら、バッシングに耐えられず心中したくなったのではないか?

娘の母親として求められること、息子の母親として求められること、
どちらも私にとってはかなりどうしようもないことだ。

成人式に出席する元気は無かったのだが、私はおそらく実家に居続けることにも無理があった。
若いうちにどこかに売られなければ困る事態だったのだと思う。もし私のペースでいこうとしたら、おそらく私はいつまでたっても結婚などには結びつかないまま仕事も続かず、引きこもりなどになりそうで、きっと母は私をまだ若さが売れるうちにどこかに売れなければ困ると悩み抜いて癌になっていたのではないだろうか?
、周囲に赤ちゃんは?と迫られることもなく自然にできたのだが、そうでなかったらきっと自分で恋愛して母親になるなどということにはならなかったのではないか。
兄弟に子供があったので家の家督という立場で私が母親にならなければたちいかないこともなかったが、
姉弟一人残らず結婚して子を成した母にとっては、何とか私を母親にしたかったのだろう。独身だった伯母と私には同じような障害があるのだが。私はうっかりして、父や母にそのことを伝えるのをすっかり忘れていたのだ。
どうも還暦で亡くなった母の神風精神は、ちゃんと私に受け継がれていない。
というか、私はもはや神風精神に身を任せられないようになっているのだ。
それは10代で戦前の教育を受けた母と、大正デモクラシーを知る祖母や戦後教育を受けた私との違いではないか?
で、私はもはや子供の成長する力を信じるしかないのだが、私の不徳の致ところで
伝えたいことをちゃんと子供に伝えられないかなと思っているし、また私に育たなかったところもたくさんあるように感じている。
私の種も風に吹かれて何処かに根付いたりしないだろうかと期待してしまう。人生の皮肉にも関わらず。


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