�蠧�記
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きょうびどの国にも分断があるように、一人の人間も、一個の人格がどうかはわからない。
矛盾のない人ってあるのかな?
例えば私は神社に初詣に行くが、お念仏を称えたりもする。 お念仏一筋の人々からすれば信じられないかもしれないが、日本人としては、多神多仏神仏習合も矛盾ではない。 許し合いの精神が盛り込まれた主の祈りは魅力的なのだが、絶不調の時に称えるのは、主の祈りではなく、お念仏だったりする。親鸞さんは先祖供養のためにお念仏申すことはないと述べている。この言葉は私を両親や先祖から自由にしてくれるかもしれない。 主の祈りを落ち着いてするのは体調が良くない時には通すのが大変だったりする。その点お念仏はさほど難しくない。有難いことだと感じている。
時折年配の方は、不思議なことをおっしゃる。 またお会いできると思いますがな。そうおっしゃったのに、しかし逝かれてしまわれた。 一体どちらでお会いできるのだろうか?五十六億七千万年後に生まれ変わって何処かで再会したりするのだろうか?
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