2009年01月20日(火) 【記録】減薬11日め。
今年は表題に【記録】と付けた記事を幾つか書くことにします。幾つ書くかは未定です。思い立ったときに書きます。後にまとめて別の記事に仕立てます。
【記録】と付けた記事は飽くまで「記録」として書くので、読み手に対する配慮はほとんどないと思ってください。読んで愉しくなくても怒らないでください。そのように書いています。
------------------------
昨日のことに「明日は薬を減らしはじめて10日めだから経過を書いておかにゃあなあ」と思っていたのだが、カレンダーの桝目を数えてみると今日は11日めだった。こんな簡単な計算もできなくなっている減薬期。半分は薬が減ったせいではないのだけど(もともと数字キライ)。
日にちの経過が把握できなくなったのもある。一回眠ると眠っている時間が三〇分だろうと八時間だろうと「一ト晩経った」と認識してしまうのだ。一日という実時間の間に私個人が感じる時間は数日過ぎてしまったりしているので、もう日にちも曜日もよく判りませんという状態。
薬を減らしはじめて一週間くらいはどんどん不調になっていく途上で、その変化が心身両面につらかったのだが、だんだん身体がしんどいことに慣れてきた。だからといってきちんと服薬していたときと同じように何もかもができるかと言えばまったくそんなことはなく、朝目覚めることから日常の自分の世話などいろいろ順調にできなくなっている。
それでも「じっと横になっていれば苦しくない」という、あまりつらくない時間が存在するだけで一日の長さが随分変わる。
昨日雨、そして天気予報では明日も雨が降るというので、その隙の今日のうちに洗濯をしておかねばなるまいと、午前八時過ぎにごそごそと動き出した。洗濯なんて大部分を洗濯機がやってくれるのだが、どうがんばっても「たたんで箪笥に入れる」というところまではやって貰えない。
そこまでがんばれるか判らないけれど洗濯はしないと「着替え」という行為ができなくなってしまうので、とにかくやる。たたんでいなくても乾いていれば「洗濯もの」は「着替え」になる。
洗濯ものを干し終わってまだ動ける余裕があったので買いものに出掛けた。ちょっと遠い方のスーパーマーケットに行った。自宅直近のスーパーよりちょっと遠いスーパーの方が平均価格設定がお安いのだ。今日は何となく行けるような気がした。
行ってみると案の定早い段階で目眩がはじまり、それでなくとも筋緊張性頭痛のために頭がぼーっとしているので、手に取った品が必要か否かの判断が甘く、余分な買いものをしてしまう。
売り場遊覧中にショッピングカートに入れた品の合計金額を暗算するも実際に支払った金額は暗算額よりも一割くらい多い金額だったり。ちゃんと薬を服めないときには自分で買いものをしないのが良策だと思った。計算もできなければ適切な判断もできていない。ぐだぐだとはこのことか。
ひどく疲れやすい。二時間起きて活動したら二時間横になって休む、というのを繰り返すこの頃。二時間以上起きていると肩が重くなり首筋が痛くなり頭が痺れて、目眩と頭痛で身体を起こしていられなくなる。二、三時間ほど横になればまた起き上がれるようになる。でもタイムリミットはだいたい二時間。これが行動の幅を制限する最大要因。
気分の落ち込みはない。世間さまは鬱病というと「落ち込む病気」だと信じ込んでいる節があるが、落ち込まない鬱だってある。鬱病患者のすべてが「もお死にたい」とか考えている訳ではないんである。
「入力」と書いてあるのを「スカ」と、「ソニーブランド」を「ソープランド」と、「UFJニコスとディーシーが合併」を「USJとディズニーシーが合併」と読み違えてしまう。判読能力も弱っているようだ。これも多分、薬が足りていなくて脳が巧く働いていないせいだと思う。三番めのやつなんて東西のテーマパーク再編かと吃驚して友人にメールしそうになった。
ここ数年のうちに登場人物の名前が片仮名の御話(外国が舞台のものとか、ファンタジイものとか)が読みづらくなってきている。片仮名の文字列は記憶しづらい。これは脳の経年劣化と思われるが、これを考えると先の読み違えも薬云々ではなく経年劣化のせいに思える。
角さんの「ちちんぷいぷい」が何となくしんどい。木・金曜日の西くんの「ちちんぷいぷい」はすっきりと見られる。
もう一つ何か書いておこうと思っていたのだが、上段の「ちちんぷいぷい」の短い文章をタイピングしている間に忘れてしまった。直ぐ忘れる。と言うよりも憶えていられない。昨日も日中に本を一冊読んでしまったのだが、陽が落ちる頃には読んだ内容をすっかり忘れていた。健忘が鬱病の症状の一つだと判っていても困るものは困る。
何か思いついて「これは忘れないようにメモしておかなければ」とメモ帳を手に取った瞬間に「メモしておかなければならない何か」が脳裏から消えてしまう。「忘れる」ということは何と寂しいことなのだろう。