2009年01月15日(木) 【記録】減薬6日め。
今年は表題に【記録】と付けた記事を幾つか書くことにします。幾つ書くかは未定です。思い立ったときに書きます。後にまとめて別の記事に仕立てます。
【記録】と付けた記事は飽くまで「記録」として書くので、読み手に対する配慮はほとんどないと思ってください。読んで愉しくなくても怒らないでください。そのように書いています。
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おそらく他人さまの目には何ら変化はない。自分自身でも大きな変化はないように感じているが、この一週間を振り返ってみると、次第に不調になっているようだ。心療科で出して貰っている薬がどれだけ普段の自分を助けてくれているかがよく判る。
「えいやっ」がなくなってきた。気力と言うか瞬発力と言うか。
たとえば三〇歳も過ぎると座位から立位に体位変換するときに「よいしょ」と発音してしまったりするが、この「よいしょ」を口から出す元気=「えいやっ」だと言える。口から出すことで身体を動かすきっかけをつくる訳だが、これができないので身体が動かない。
だから、細かいところではトイレに立つのも回数が減ったし、食事の回数も減った。こうやって記録を付けようと思い立ったはいいが、キイボードから文字を打ち込むことも「えいやっ」が出るまで随分時間がかかるし、今後はできるかどうか怪しい。
こうやって文章をキイボードから打ち込んでいて思うのだが、まともに文章を構成することができなくなっている。「文章」の体裁は崩してはいないつもりでいるが、おおよそまとまりがないものしか書けていない。
「正常に書ける」状態なら「思いつくままに書いてみた」などと言いつつも小さな「書く」技術を無意識に使っているものである。「小細工」と呼ばれるレベルの技術を意識的に使ってみるくらいのことはできるものである。
それが、いまはない。
筋緊張性頭痛が出はじめたせいもあるだろう。まだ「痛み」というほどではないが、頭頂部から後頭部にかけて、首及び首筋、肩がそれぞれ凝っていて重い。もっとひどくなるとこれが原因で目眩が起こり、「真っ直ぐ歩く」ことができなくなる。多分渡航の日にはそんな状態になっているだろう。前回渡航時もそうだった。
筋緊張性頭痛が出ると、上半身に重い膜を被っているような感覚が常にあり、頭の中までそれが浸透しているように感じて、「考える」ということが困難になる。
実を言うと、既に外出が怖くなっている。予期不安とまではいかないが、自宅を出たら近距離内で目眩を起こし、帰宅に苦労することが目に見えているので外出したくない。自分で動かす乗りものには乗りたくない。自分の運転が信用できない。ほんとうは体力の低下を防ぐために散歩だけでもした方がいいのだが、それもできずに既にほぼ寝たきりである。
目眩そのものよりも、外出中の緊張が疲労感となって帰宅後にどっと出てくるのがしんどい。数時間動けない状態になる。
自宅での運動もできていない。「えいやっ」が出ないのと、起床時に既に身体にある重さ(筋緊張性頭痛によるもの?)と軽い疲労感のせいだ。ずっと屋内にいて運動もしていないために背中の脂肪が厚くなってきているようだ。動きにくい。
眠りが浅くなり、一日の総睡眠時間が長くなった。朝にはぱっちりと目が覚めるのだが、頭の中はなかなか覚めない。頭が覚めないと「よいしょ」も「えいやっ」も出ないから直ぐに身体を動かせない。身体が動かせなくてじっとしているうちに短いサイクル(二〜三時間)で次の眠気がやってくるのでそのまま眠ってしまう。そして短い睡眠の後、次の目覚めがやってきて……と、一日この繰り返し。
陽が傾いてきた頃にようやく覚めて動きまわれるようになり、以前と同じ時間に眠くなる。赤ん坊の生活サイクルに似ている。
空気が乾燥しているせいと、暖房器具のせいで、喉の乾燥がひどい。水をいつでも飲めるように瓶詰めにして居室に置いているが、眠っている間は飲めない。しかし眠っている間に一番乾くのだ。起きて暫くは咳が出続ける。
部屋に湿度を与えるために濡れタオルを吊ってみる。収納スペースに押し込んでいる湯沸かしポットを出してきて蒸気を出させようと思うが「えいやっ」が出ないので収納スペースの扉を開けることも儘ならない。
入浴の回数も減った。汗はかかないし水が湯になるのに時間がかかるし、「えいやっ」と入ってしまう気力は出ないし。入れば温かくてさっぱりして気持ちがいいというのは判ってはいるし、入りたいとは思うのだが、身体が動かないのだ。
しかし、五日も入浴しないと流石にいろんなところがかゆくなってくる。今日こそ入ろうと思ってはいる。毎日思っている。
このように書いていると、ものすごく苦しい毎日を過ごしているように思われるかもしれないが、これは問題点だけを書き連ねているからそのように感じるのだ。外出をしなければいいのなら、取り敢えずは生活できている。いや、こんなにいろいろできないのなら生活しているとは言わないかもしれない。
それでも、間違いなく生存はしているし、苦しいこともない。しんどいけどね。