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341 名前:中外日報1982年9月3日8-9面 :03/08/07 13:12 「恵珠様のおことばを謹んでお伝え申し上げます。『救い主様(初代教え主)より二代教え主は”関口さん”にお願いしなさいといわれました』。 おことばそのままを、みなさん方にお伝えいたします」(当日の録音テープから転記) その後、一万五千人の組み手の前で、関口教え主の就任挨拶が行なわれている。 翌十四日、関口教え主は「七月度月始祭」を斎主として教示を行なっている。 十三日の公式発表、十四日の月始祭を終え、本部(田園調布)で執務についた関口教え主に対し、本部員、特に教え主を補佐すべき秘書課が非協力的で、関口氏を二代教え主として迎える雰囲気が乏しかった。 十七日、不審を感じた関口教え主が書類等を検討すると、既に五日付で岡田恵珠名義で代表役員登記がなされているという事実が発覚する。 事態を憂慮した関口教え主側の側近幹部等は、今一度、六月二十五日夜の遺言を確認する必要を感じ、同夜出席した局部課長、指導部長等に確認を求め、 その結果、「ニ代は関口氏である」という署名捺印のはいった確認書(資料1参照)を得た。しかし、関口教え主は、恵珠氏との対立による教団内部の混乱を防ぐと共に、 恵珠氏の名誉に傷がつかないようにとの配慮から、虚偽登記の件を伏せたまま、十入日、第一種会議(本部局部長、方面指導部長会議)を開いた。 議事録(議事録記責任者=松平事務長、資料2)によると、出席した大方は、虚偽登記の件を知らないまま、恵珠氏の処遇について諮問している。 同会議では無論だれも関口氏が二代教え主であることに異議をはさむ者はなく、それどころか、虚偽登記を画策した友森部長、岡本部長の両氏も、関口氏が初代教え主の一切を引き継ぐことを認めており、 �ヾ惴�二代教え主が霊、体の面とも初代教え主より継承し、教え主として活動する��恵珠氏の立場については、関口教え主と恵珠氏が話し合いの上で決定する�4管�組み手は、教え主の裁可のもとに行動していく――とのことが確認されている。
342 名前:中外日報1982年9月3日8-9面 :03/08/07 13:13 <私物化の動き?――側近者たちの”画策”> (4)影の”演出者” 二十五日、金子明弘訓練教学部長補佐と工藤高裕同課長は、虚偽登記の事実経過を確認するため、田園調布の梅林旅館で、友森部長と会見し、真意を糺した。 友森部長は、教団規則を知りながら虚偽登記したことについて「僕も疑義があった。規則に抵触しはしないかと。 実際のところ山本局長より、教え主というのは内部的なことで、代表役員は法律的なことである。本質的に違うという説明を受けて納得した。関口さんは二代教え主に間違いない、 こっち(恵珠氏)を僕は教え主とは思わない。代表役員を関口さんに正さなければいかんと思っている」(同会談の録音テープの要約)と説明している。 同説明を聞くと、虚偽登記を画策し、”教え主(内部的)は関口氏、代表役員(外部的)は恵珠氏”という教団規則に反した理論を主張しているのは山本局長で、友森氏は引きずられた形になっている。 しかし、彼の法廷証言によると、友森部長こそ隠れた”演出者”と見られる節がある。 証言によると、友森部長は初代教え主の亡くなった翌日、恵珠氏に対して、”重大なことの返事は、自分の承認なしには絶対にいうな”との旨述べているわけで、これではまるでフィクサー同然である。 二十四日に続いて、二十五日の遺言発表直後も、友森部長と恵珠氏は、深夜の二時頃まで会談している。 二十五日夜、自ら、”ニ代は関口さん”という初代教え主の遺言を発表し、二代用の御み霊を持っていることに恐怖さえ感じ、早く関口氏に渡そうとした恵珠氏が、 翌日の「御み霊渡し」、七月五日の虚偽登記へと大きく変節した理由を考えると、そこに友森部長の”意見”が大きく影響しているものと見られる。
343 名前:中外日報1982年9月3日8-9面 :03/08/07 13:14 一方、関口教え主はあくまで穏便に事態解決をはかろうと、恵珠氏に直接話し合いを求めた。しかし恵珠氏側は何度か「ご神業多忙」を口実に関口教え主の要請を拒否しつづけた。 しかしようやく二十九日になって、面会が実現をみた。席上、恵珠氏は終始無言で通し、ただ関口教え主の言葉をノートにメモするだけだった。同席した天野正勝顧問が受け答えし、関口教え主の問いに対しては、文書で回答(資料3参照)することを約した。 翌三十日、天野顧問から寄せられた回答書では、関口教え主を”ニ代様”とよんでおり、また月始祭での着席位置について、関口教え主が恵珠氏より上座であると回答している。 ただし、代表役員については恵珠氏ということで、とりあえず関口教え主には責任役員に入ってもらうと回答している。
<”神示”の登場――「秘発一号伝達書」の怪> (5)二人の教え主 八月二日、恵珠氏は熱海元み魂座に関口教え主を招き、「ヨのみ霊もちて娘に与えよ」と記されたメモを呈示した 。同文書は八月一日、元み霊座の初代教え主の部屋を整理している時に発見されたもので、初代教え主が六月十三日に記した”ご神示”であると主張した。以後、恵珠氏側は同メモを”ご神示”と称して関口教え主の排斥に取りかかる。 同メモの発見によって恵珠氏は一段と高姿勢に転じ、四日の月始祭では、関口教え主より上座に着席することにしてしまった。 続いて恵珠氏は、八月七日付で「秘発一号伝達書」を出し、同メモの意味について「ヨのみ霊を与える」とは「父の御み霊を与える」、すなわち「恵珠様にヨニマス大天津神の地上代行者のみ役を与える」と解釈し、 ”恵珠様はこのご神示により、六月十三日にヨニマス大天津神の地上代行者となり、神事一切を取り行うことができ、代表役員として教団の頂点に立ち、関口氏には本山造営と教線拡大の陣頭指揮を命じ、恵珠様を補佐代理させることができる”と主張しだした。
344 名前:中外日報1982年9月3日8-9面 :03/08/07 13:18 ここまでの経過を見ると、恵珠氏側も七月末日までは関口氏を”教え主”であると認めており、代表役員については、それが虚偽であるがとりあえず恵珠氏のままで体面を保とうと考えていた 。それが八月一日に”ご神示”と称するメモを発見したとして、恵珠氏を名実共に教団最高位につけ、関口教え主を下位におかんと画策し始めたわけである。 こうして恵珠氏の側近者等は、恵珠氏を教団最高位に置き、関口教え主をその代行者であるとする主張を強引に推し進め、幹部の離反を画策し、関口教え主が本部での職務執行が不可能な状態に追い込んでいく。 関口教え主は、八月末にはとうとう公式行事に出席できない状態に追い込まれ、九月度の月始祭では、教え主が斉主するのではなく、ヨニマス大天津神のただ一人の代行者と主張する恵珠氏が、斉主代行を事務長に命ずるという異常事態となった。 関口教え主は、この事態改善の最後の手段として、九月五日、全国に”教え主の承認(印)なき文書・通達は無効である”として、教え主の絶対性を強く打ち出した。 ところが恵珠氏は二日後の七日付で、「代表役員『教え主』岡田恵珠」よりの通達で、五日付で出した関口教え主について、教団は関知せずと告示し、 ついに恵珠氏は関口教え主を教団かち追い出した如き見解を示すと共に、初めて公式に自らを”教え主”であると称する。 ことここに至ってやむなく関口教え主は、九月十八日、裁判所への問題提起の意志を固め、関口教え主の代表役員地位保全と恵珠氏の代表役員の職務執行停止の仮処分申請を行なった。 (以下次号、文中の役職名は当時のもの) =つづく=
345 名前:_ :03/08/07 13:18 http://homepage.mac.com/hiroyuki45/hankaku09.html
346 名前:中外日報1982年9月3日8-9面 :03/08/07 13:19 【資料1】6月25日の初代教え主遺言についての確認書 (写真:朝熊俊文氏の全文自筆署名捺印文書)
二代教え主様のご指名について 昭和四十九年六月二十五日午後十時四十五分頃、世界真光文明教団本部(場所 東京都大田区田園調布二ノ二十五ノ十)の教え主控室において教え主様お代理の岡田恵珠様が、 本部局部課長及び各方面指導部長の参集を求め、参集した別紙の者に対して、初代教え主岡田光玉様のご遺言について左記のようなお伝えがありました。 記 父のおコトバをお伝え致します。六月十三日の朝、父にご神前に呼ばれました。そして父は、昨日(12日)神様から「遅い遅い、もう間に合わん、ヤマト人おそい」と言われたとおっしゃいました。そして父がいつもかけておられた父のおみ霊をお預かり致しました。 もし父が昇天なさったら、後はどうしたらよいでしょうか、とお伺い致しましたところ「二代目は関口さんにお願いしなさい」と云われ二代教え主様用のおみ霊をお預かり致しました。そして続いて「このおみ霊は二代、三代とつづくものである。」とおっしゃいました。 いつ迄もお預かりしていると恐いので早くお渡ししたいのです。皆さん、私の言っていることをお判り頂きましたでしょうか。 判って下さい。私はこのような大変なことですから、私情を交えないでお話致しました。判って頂きとうございます。 父は三つのおみ霊をかけておられました。一つは二代様用のおみ霊、一つはラーム氏から頂いていた分、今一つは私がおかけしている父のおみ霊です。 そして父は、パリに行かれる前に、二代様用のおみ霊を、私におかけになって「もし何かあったら二代目を嗣ぐように」と言われました。そして無事に父が帰国なさった時、「預けておいたおみ霊を返しなさい」と言われて、二代様用のおみ霊をお返し致しました。
347 名前:中外日報1982年9月3日8-9面 :03/08/07 13:20 私がおかけしているおみ霊は、父のおみ霊であって二代様用のものではありません。これは大変なことですから私情を交えずにお話し致しました。
以上 右のとおり相違ないことを認めます。 昭和四十九年七月十七日 役職名 東部近畿方面指導部長 氏名 朝 熊 俊 文 (印)
【資料2】第一種会議の議事録(写真)=省略= 【資料3】天野顧問名の回答書(写真)=省略=
【Web解説】 「宗教関係判例集成」第5巻によると、金子訓練教学部長補佐と工藤同課長の証言は、関口氏勝訴のための証拠となった。 この時岡田晃弥氏は、訓練教学部教官だった。つまり、真実を証言した直属の上司を彼は裏切ったわけだ。
348 名前:中外日報1982年9月6日8-9面 :03/08/07 13:23 〔ニュース追跡:世界真光文明教団事件(中)〕 <長引く決着”荒廃”の色増す教団――後継者めぐる法廷闘争”八年”の教訓> <つくり変えられた「確認書」のあきれた”証言”> <二人の教え主に・・・二つの大祭> (6)法廷闘争 初代教え主の遺言に背き、教団親則を無視して、恵珠氏を代表役員とする虚偽の登記を行ない、正統な教え主、関口氏を排斥し、教団を”私物化”しょうとする恵珠氏等の画策をみて、 関口教え主は、このままでは教団使命の遂行が危くなり、三十万組み手(会員)を欺くことになると判断し、九月十八日、やむなく東京地裁に「(教え主・代表役員としての)地位保全の仮処分申請」に踏み切った。 その申請趣旨は、�ヾ惴�氏が初代教え主岡田光玉氏より指名を受けた「二代教え主」であるから、教団規則にもとづき、教団代表役員の地位にあることを、 とりあえず仮に定めてほしい��岡田恵珠氏の代表役員としての職務執行を停止してほしい――というもの。 九月二十六日、仮処分裁判第一回審訊が行われた後、恵珠氏等は、裁判に有利な証拠づくりを画策し、十月二日、臨時幹部会を開く。 その席上で、六月二十五日に恵珠氏自らが発表した「ニ代は関口さん」との初代教え主の遺言を否定し「二代は恵珠様」とする内容の確認書を作成する。 つくりかえられた確認書によると、六月二十五日に恵珠氏が発表した初代教え主の遺言は次のようになっている。
349 名前:中外日報1982年9月6日8-9面 :03/08/07 13:25 六月十三日の朝、父(初代様)にご神前によばれまして(中略)。父がいつもお身体にお掛けしておりました御み霊(ヨのみ霊)を私(恵珠様)に掛けて下さいました。 そこで、父にもしもの事があったらと申しましたところ、ニ代は女(恵珠様)だから荒仕事は関ロさんにお願いしなさいといわれ、二代のお代理用の御み霊をお預かり致しました。(中略) 私の今お掛けしている御み霊は父の御み霊(ヨのみ霊)であって、お代理用とは違うものであります。その他のことは追って示します。 六月二十五日の遺言については、七月十七、十八日の両日、出席者全員が署名捺印した確認書(本紙九月三日付、第一回の【資料1】参照)を提出している。その一月半後に、その確認書を否定する第二の確認書をつくったわけである。 その上、恵珠氏等にくみした幹部等は、最初の確認書に対しては、次のように説明書をつくり、裁判所に提出した 「先般(昭和四十九年七月十八日)二代教え主様指名に付ての書面に署名捺印致しましたが、その内容も良く見ない中に、早く早くと急がされて提出したものであります。 又、その使用目的も別に何にも使わないから心配は不要との事でありましたが、事が重大になりましたので、改めてその内容を検討致しましたところ、事実と相違致して居りますので、改めて今回の署名捺印に及びました」(資料1参照)。 無論、こうした真実を被い隠した言いわけ文を、裁判官が納得する筈もなく、真実は後の判決で明らかにされるわけだが、 ここでは恵珠氏等一部幹部の”陰謀”にのせられ、三十万組み手を欺いた幹部指導者の行動を追跡する。彼等は七月十七、十八の両日、真実の確認書に署名捺印しているが数名を除いてあとは全て実印である。 いやしくも教団幹部として組み手を指導すべき立場にある者が「内容も良く見ない中に早く早くと急がされて」大事な実印を押すものだろうか。
350 名前:中外日報1982年9月6日8-9面 :03/08/07 13:25 内容は五分もあれは充分読めるもの(本紙九月三日付で全文を掲載)、まして確認書の内容は”二代教え主の指名”という最大重要事である。 二通の確認書を見ると、一部語句の変更ではなく、「二代は関口さん」とあるのを、「二代は恵珠氏」と書き改めるもの。その無定見、無節操には驚くはかりである。 彼らさえしっかりしていたら一部幹部がいくら画策しても、教団全体が翻弄されることなく、世界真光文明教団の”天一坊事件”も存在しなかったであろう。 こうして十月二日を機に大方の幹部が、教え主と自称する恵珠氏を、あえて”教え主”と崇め、一体化して恵珠氏をフキ上げようとした。 その後、十月二十七日に恵珠氏を斎主とする第十五周年秋季大祭、十一月二十四日に関口教え主を斎主とする第十五周年秋季大祭が各々別の場所で開かれるという事態に発展してゆく。
<占拠された本部> (7)仮処分却下 十二月五日に第一回証人尋問(工藤、友森氏)が開かれ、就いて昭和五十年二月二十七日の第二回証人尋問(植松、工藤峯子、金子、石毛、富田、山本、白崎氏)、 四月十日に本人尋問(関口、恵珠氏)、四月二十一日の第一回和解調停、五月十三日の第二回和解調停、六月二十三日の第三回和解調停、六月二十六日の第四回和解調停そして、 仮処分申請にしては異例の十カ月の長きにわたる慎重審理を経て、七月二十四日、東京地裁民事第八部において判決が言いわたされる。
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