plain
DiaryINDEX|past|will
331 名前:ふじわらふひと :03/08/07 11:17 >>330 だから、君タイプがカルトなんだが..
332 名前:名無しさん@3周年 :03/08/07 12:30 >>306 >ハイハイ、それじゃ原発の核ゴミを手かざしできれいにしてくださいよ。 >口で言うより実践が大事なんでしょ。手をかざせとか言われてるんでしょ。 >それが出来たら一生ついていきますよ。
そういう話、(崇教)真光誌にあったよ。 チェルノブイリ原発事故のあとでね、地域的にみて、ヨーロッパ在住組み手がやった ことだったはずだけど、時間を決めて、各々の家から(拠点からも?)チェルノブイリ 方向だか、放射能汚染を受けた地域へ向けて手をかざしたそうで、その後のどこかの 調査では、ちょうど組み手が示し合わせて手かざしした方面(地域?)の放射能汚染度が 他のところより低かったとかいうんだった。
読んだ当時の感想。 「すごいことだ。組み手の一体化の手かざしによる効果なのだな。それに、神様の 御守護があったのだろう」 「だけど、なぜそれを真光誌だけで言っているのだ。政府なり放射能計測をした組織なりに 堂々と説明しにいって、もっと真光が地域浄化に係われるように交渉するべきではないか」 「汚染された地域を浄めるだけでなく、普段から原子力発電所などでもどんどん手かざしを 導入できるようにしていかないのか」
真光の内部だけで奇跡をうたっていることが、不思議だった。 真光誌に載っていることは全て信じる状態だったから、記事の信憑性は疑わず、その閉鎖 性にのみ疑問を感じていた。真光誌には、「(手かざしをした)この地域は汚染後が低い」 という大雑把な説明図があったような気がする。記憶違いかなあ。
チェルノブイリ汚染の浄化をしたと主張はしても、国内の原発の通常運転には 関与しないわけだ。なぜだろう。よーく考えてみよう。
333 名前:294,295,298,300 ◆yFDsQEP9.k :03/08/07 12:33 >>331 もっと燃えるレスきぼんぬ。C重油みたいな低質燃料はイラネ
334 名前:名無しさん@3周年 :03/08/07 12:34 >>330 先週末なら、月始祭の時期かなあ?
335 名前:名無しさん@3周年 :03/08/07 12:39 昔組み手だったんで、興味本位でときどき覗きますが、だんだん ■■■(アンチ)真光関係者集合!!■■■ になってきましたねぇ。 現役の方々、もっと一般社会に受け入れられる発言をした方が良いですよ。 ここは、公共掲示板だし。ますます市民権を失いますよ。 ま、おれは既にあきれはてているんだが。
336 名前:中外日報1982年9月3日8-9面 :03/08/07 13:05 〔ニュース追跡:世界真光文明教団事件(上)〕
<”二人の後継者”に教団分裂の危機> <法廷で争われた代表権――二代教え主に関口栄氏> 歴史の浅い新宗教教団にとって、教団創立者から二代目への転換は、教団消長につながる大きな鍵と見られている。世界真光文明教団では、創立者の遺言をめぐって”二人の後継者”が現われ、八年余りの裁判を経てこのほど和解が成立した。 紛争は昭和四十九年、岡田光玉初代教え主(創立者)の死去を契機に、当時の崇教局長(布教責任者)・関口栄氏と初代教え主の養女・岡田恵珠氏が各々代表役員の地位を主張して争われ、 同五十二年に東京地裁民事八部で関口氏が勝訴し、仮処分も行なわれたが、岡田氏は更に高裁に控訴し、最近まで法廷で争いが展開されていた。 七月十日に和解が成立し、関口栄氏はこれまでの東京地裁、高裁、最高裁での仮処分判決においてもすでに認められていたとおり世界真光文明教団の教え主(代表役員)であることが確認された。 他方代表役員としての職務執行をすでに停止されていた岡田恵珠氏は名実共に教団から退き、今後は別法人の「宗教法人真光」で活動することになった。 八年余りにわたる紛争の経緯を取材すると、岡田恵珠氏を擁立する一部幹部の言動に”陰謀””策略”をめぐらし、教団を私物化する動きまで感じられる。 こうした動きが社会から宗教界の風潮と見られることを恐れ、もって他山の石とする意味から、以下、四回にわたる裁判所の審理、判断と関係者の証言等を基に、八年間に繰り広げられた世界真光文明教団の”点一坊〃事件を再現し、連載する。
337 名前:中外日報1982年9月3日8-9面 :03/08/07 13:05 <やっと”光”さす――教祖の養女(岡田恵珠さん)と和解> <教祖没後の”正統”争いに八年目の終止符> 【”苦悶”の八年――】 <昭和四十九年> 六月二十三日・初代教え主死去。同二十五日・幹部通夜の席で、恵珠氏は「二代は関口さん」との初代の遺言を発表。七月五日・恵珠氏名義で虚偽の代表役員登記。 同十三日・初代の教団葬で、関口氏の二代教え主就任を公式発表。八月一日・”ご神示”と称するメモをもって、恵珠氏は教団最高位を主張。 九月十八日、関口教え主は、代表役員の地位保全と恵珠氏の代表役員の職務執行停止の仮処分を申請。 <昭和五十年> 七月・東京地裁判決で、関口教え主の代表役員は認定されたが、仮処分措置をとる緊急牲、必要性が明確でないとして仮処分申請は却下。 同八月・関口教え主は、仮処分申請について東京高裁に控訴、同時に確定判決を得るため東京地裁に本案訴訟。 <昭和五十二年> 二月・東京地裁判決で、関口教え主の代表役員を確認。同三月・東京高裁判決で、仮処分が認められる。同九月・恵珠氏は仮処分について、最高裁に上告したが棄却さる。 <昭和五十四年> 五月・関口教え主は、恵珠氏側に対して、七億六千万余円の業務上横領を告訴。 <昭和五十七年> 七月・和解成立、関口教え主の代表役員を確認、恵珠氏は教団を退く。
338 名前:中外日報1982年9月3日8-9面 :03/08/07 13:06 (1)教団の歩み 世界真光文明教団は、昭和三十四年、岡田光玉氏が前身である「陽光子の友」団体をつくり布教活動をしたのが始まりで、 当時、東京・世田谷界隈を自転車を乗り回し、病気、貧困等を”真光の業(わざ)”という手かざしによって救い、教団の教えを説いてまわった。 数年後には一万人を超える組み手(信者)が集まり、同三十八年、「宇宙天地、人類創造の元主大神、天祖皇祖人祖を奉斉し」その教義の宣布、実践を目的に、 東京・田園調布に本部を置き、宗教法人「世界真光文明教団」を設立、岡田光玉氏は初代教え主となった。 その後、教線が拡大し、同四十九年には組み手(会員)三十万人、全国五百カ所の拠点、二十カ国に支部、道場を設立する等、めざましい発展を遂げる。
<不可解な”一夜の変身”――「二代は関口」の遺言伝えながら> (2)創立者の死 昭和四十九年六月二十三日、岡田光玉氏の死去によって後継者問題が始まる。二日後の二十五日、初代教え主の通夜が幹部によって営まれた。 この時、恵珠氏は教団本部「教え主室」に関口栄崇教局長を招いて、「二代は関口さんにお願いしなさい」との初代教え主遺言を伝えた。 教え主の指名を受けた関口氏は「これは大変なことですから、本部の局部課長にも聞いてもらいたい」と申し出、恵珠氏は要請に応じて冨田萬美秘書課長に約三十人の最高幹部(本部局部課長、方面指導部長)を集めさせ、 同夜十時四十五分頃、再び遺言を次のように発表した。 六月十三日朝、父(初代教え主)にご神前に呼ばれた。父は、昨夜、神様から「遅い遅い、もう間に合わん、ヤマト人遅い」と叱られたとおっしゃった。
339 名前:中外日報1982年9月3日8-9面 :03/08/07 13:06 そして、父がかけておられた「父の御み霊(ベンダント型)」を私(恵珠)にかけて下さった。 私が、もしお父様がご昇天されたら後はどうしたらよいでしょうかとお伺いすると、「二代は関口さんにお願いしなさい」といわれ「二代様用の御み霊」をお預かりした。 父は続けて、「この御み霊は、二代、三代と続くものである」とおっしゃった。いつまでもお預かりしていると怖いので早くお渡したいのです。 皆さん、私の言っていることをわかって下さい。私はこのような大変なことですから、私情を交えないでお話いたしました。 父は三つの御み霊をかけておられました。一つは二代様用の御み霊、一つはラーム氏から頂いていた分、今一つは私がおかけしている父の御み霊です。 そして父は、パリに行かれる前に、二代様用の御み霊を、私におかけになって「もし何かあったら二代目を嗣ぐように」と言われました。そして無事に父が帰国なさった時、「預けておいた御み霊を返しなさい」と言われて、二代様用の御み霊をお返し致しました。 私がおかけしている御み霊は、父の御み霊であって二代様用のものではありません。これは大変なことですから私情を交えずにお話し致しました。 (以上の内容は、七月十七、十八日の両日、発表に出席していた本部局部課長、方面指導部長に、文書によって確認し、署名、捺印を求めたもの。資料1参照) 重大な発表だったため、幹部の一人が再度遺言の確認を求める。と、恵珠氏は「二代は関口さんにお願いしなさいといわれました」と繰り返した。その後、関口氏が二代の指名を受けるとの挨拶があった。 恵殊氏は二代用の御み霊を預かっているのは怖いから一刻も早くお渡ししたいとして、その場で渡そうとしたが、 その時、夜の十一時を過ぎていることもあり、関口教え主が「もう遅いですから、明日、神殿で初代様のお柩の前でお受けしたい」と提案し、出席者全員の賛同を得て、翌二十六日に行なわれることになった。
340 名前:中外日報1982年9月3日8-9面 :03/08/07 13:11 二十六日早朝、上級幹部等は二階神前広間に集まっていた。ところが幹部を一旦二階から退出させ、 恵珠氏の側近である有間たまえ経理部長と富田秘書課長の二人のみが立ち会い、御み霊渡しが行なわれ、当日出席した幹部等は重大な立ち会いの席からはずされてしまった。 全幹部への二代指名発表が、急遽中止となり、変則的な形で「御み霊渡し」が行なわれたことについて、疑問を感じた幹部等は、初七日の二十九日、中止になった原因を追求、 その結果友森清晴警衛警備部長の指示によるものと判明する。その後の推移を見ると、この友森部長の”不可解な指示”が、後の許反計画を想起させる。
<「み霊渡し」の後で――こっそり代表役員の登記> (3) “天一坊事件”の発端 教団規則第六条一項および二項によると「その代表役員は、この法人の教え主をもって充てる。 後任の教え主は、現在の教え主があらかじめ指名した者をもって充てる。あらかじめ指名していない場合は、責任役員の互選により選定する」となっている。 ところが七月五日、関口教え主に何の相談もなく、恵珠氏、友森部長、山本正彦経理局長、岡本洋明調査部長の四人は、「初代教え主の遺言の如きもの及び責任役員の互選によって代表役員は決定された」 という文書を作成し、恵珠氏の名前で代表役員の登記をしてしまった。世界真光文明教団の”天一坊事件”は、これを発端として紛争に突入する。 関口教え主はじめおもだった教団幹部は、恵珠氏を擁立する一部幹部が画策した”虚偽登記”を知らないまま、七月十三日、「みたまおくりの祭」(初代教え主の教団葬)当日、 一万五千人の組み手が東京・九段の日本武道館に参集、その席上、松平定堯事務長から次のように発表されている。
plain

|