もうずっと昔から私たちは葬儀やその後のことを話し合っていた。 息子が小学生の頃には既に「葬儀は家族だけで」と決めていた。 家族に互いの兄弟姉妹は入らない。 夫婦と子のみという設定である。
夫がこだわったのは死に顔だった。 死に顔を他人に見られたくない。 腹で自分のことをどう思っているのかわからない者に晒したくない。 死んだ後とはいえ最後のときを、お前たち以外と過ごしたくない。
それは理想だけでなく具体的に二人で話し合っていた。 とはいえいざとなったら気が動転して葬儀屋さんの「みなさんこうなさいますよ」トークの言いなりになるのだろうが、私はきちんと要望を伝え自宅で息子と共に最後の時間を過ごした。
寝ているように、いやそれ以上に穏やかで笑みさえ浮かべたような表情だった。 寝ずの番では息子にこれまで話したことのなかった、私たちの出会い話を初披露して盛り上がった。 思い出話など尽きるわけもなかった。
翌日、納棺後に息子が言った。 「とーちゃんが死に顔にこだわっとったのは分かるけど、でもめちゃくちゃ顔穏やかで綺麗やしカッコいいまんまやん?やけんさ、○○さんたちには連絡せん?とーちゃんもコロナやらなかったらさ、一緒に酒飲みたかったっちゃない?」
しばらく考えたが、夫の顔は口角があがっていて「おお、呼べ呼べ」と言わんばかりのご機嫌な様子に見えた。 そこで数人にだけ連絡をとった。 皆泣いてくれて共に飲んでくれて笑ってくれて牛タン食ってくれて(←ジャパネットのやつw)思い出話が尽きることはなかった。
次の日、皆に見守られながら彼はさっくりと骨になった。 最後、みんなと飲めて良かったねと息子が言った。 嗚呼、やっぱり君がいちばんとーちゃんのことをわかっているんだなとしみじみと思った。親子だね。血には負けるわ。
読経もない。 戒名もない。 ただただ愛と酒と涙と笑いと牛タンだけの最高の送りでした。 めでたしめでたし。
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