ほっこり日記
ふー



 今、読んでいる本。

私は本当は名前をかすかに聞いたことがあるだけだった「吉兆」
職場の書庫の整理をしていて、偶然目に留まってそのまま
自分の前において時々読むようになった。

吉兆味ばなし

吉兆という日本料理のお店の創業者、湯木貞一。
彼の話を花森安治が書きおこした本で、装丁が美しい。
死蔵されていたものを処分するためにひたすら右から左へと
本を運んでいたときで、どうしてこの本が私のところにきたのか
わからない。

でもちらちらと読んでいて、こんなにも時代の言葉を
体とその仕事で体現した湯木貞一という人、そしてその言葉を
正確無比に書き起こし、この価値に目をつけた花森さんといい
なんとも、手放せない一冊になった。

真っ黒な地に銀の文字という、およそ料理の本にはない渋い装丁が、
そして内容が料理のことばかりなのにただただ、テキストだけで
味や見栄えや、その空気が綴られた料理の本が、あっただろうか?

たぶん、この前にもないし、この後にも出ないだろう。

近頃の料理の本といえば、写真ばかり大きくて、アイデア優先で
すぐ飽きてしまうのだけど、季節の移ろいを、
味や匂いや色といった、食べるときには言葉を受け付けない快楽の瞬間を
言葉にしてしまうだなんて。

なんだか、手放しで感動している自分が恥ずかしいけど、
だから、なにか身につけたくて、子どもの漢字ノートの残りを使って
その中に出てくる漢字を書き留めだした。

料理のヒント自体は、作っている最中に思い浮かぶ程度で十分だけど
くっつり煮(た)きこむ、とか、なすのうてながどう、とか、
関西人の私が見てもなんと、豊穣な昔言葉よ、と感動してしまうもの。
今は文を書くのはパソコンばかりだから、手が飢えていたみたい。

瀟洒、だの、削がれる(そがれる)、だの、
次々にノートが埋まっていく。
ああそうだ、字が書きたいんだ。

学びたいのだとかは、思うまい。
ただ、体が、字を書きたがっている。
インターネットで日記を書いたりメールを書くのとは違う、
なにか、身体的欲求なんだな〜。









2005年07月03日(日)
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