みかんのつぶつぶ
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2002年07月27日(土) つぶつぶ

HPのTOPにあるイラストは、
がんセンターで同室だったogawaさんからいただいたもので。


ほとんど眠っていることの多かったogawaさんが、
日中、看護婦さんに身体を起こされたときに目にした光景だったのでしょう。
病室を出て行く私と彼の後姿。
この頃は、まだ点滴をひき、頭にバンダナを巻いて歩いていた時期だった。
4月から5月にかけてだったかな。


これは、少しづつ元気になってきたときに、
手術がもうすぐだからその前に、と、描きなおして。
照れながら、彼の要求に応じてサインも入れてくれたんだったね。


ogawaさんの身内といえば弟さんだけで、時折、弟さんの奥さま、義理の妹さんが世話をされていた。
毎日いる私は、彼が眠っているときにはogawaさんと会話をしたり、何か困っている様子があれば声をかけてみたりと、そんなふうに過ごしていた。
そんな頃が、一番安定した時期だった。
ogawaさんも、彼も、少しづつ会話ができるようになったりと。でも、抗がん剤が入ると、とたんに彼は寝こんでしまい彼が元気になってくるとogawaさんの容態が悪くなったりと、そんなことが日常的だった病室で。
元気であれば食事の制限もなく。ogawaさんの好物だからとその妹さんが持参される豊島屋の小鳩豆楽は私もまた大好物で。
お抹茶にはこれが一番合いますよねぇなどと世間話をしながら、彼が好んで食べていたポテロングと物々交換。
プロの領域に達している腕前の作品を解説付きで拝見させてもらったり、
伊勢佐木町のあの焼肉屋の隣りにあるラーメン屋が美味いんだとか、
美空ひばり記念館のそばにある総菜屋のコロッケが安くて美味いとか。
食べ物の話題で盛りあがったり、中華街の昔話を聞かせてくれたり。



そんな穏やかな、ゆったりとした時間を過ごしていたなかで、
でも、夜が恐いです、と、弱音を私に吐き出していた。



7月に入ると、ogawaさんの病状は悪化していった。
毎日眠っていることが多くなってしまい、食事の時間もひとりで食べることがままならなくなってしまった。
時折、何かを要求されている様子なので声をかけると、
「旦那さんはいかがですか、」と、白血球低下でグルリとカーテンをひかれ隔離されている彼を気遣う言葉をいただいた。
このときが、私とogawaさんの最後の会話だった。
そのうち、ベッドサイドには心電図がおかれ、食事も運ばれなくなってしまい。



個室に移って3日後、ogawaさんの表札は消えていた。













7月は、ogawaさんの一周忌なので、
出会えたことへの感謝と、ご冥福をお祈りして・・・



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