みかんのつぶつぶ
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| 2002年06月22日(土) |
変人による変身する理由 |
抗がん剤4クール目開始。 この頃から彼の精神はバランスを崩し始めて。 どうしてか。
それは、もうすぐ7月だというのにこうして病室で毎日のんびりしている自分に焦り始めていたから。研修所は夏になると保養客で満室になる。責任者として段取りをしたままその場から離れた自分が行かなければならないという責任感。だから、失見当識のなかで、病院を職場だと想い込み、ベッドは彼のデスクになったのだ。その時期に、もうひとり脳腫瘍の術後で、回復したひとりの女性が同じ病棟にいた。歳は50ちょっとくらいだろうか。看護婦をしていた、しかもその病院で。職場で倒れたという。彼女は術後なかなか病室から姿をあらわさなかった。だが、1ヶ月、2ヶ月が過ぎ、ようやく点滴をひいて歩くようになった。そして、その点滴をひきながら、病棟へ戻り勤務をしなければならないからと、看護婦さん達を困らせていた。目を離すとエレベーターに乗り、自分のいた病棟まで行ってしまうのだ。同僚でもあった看護婦さん達は、とても辛い想いで彼女を監禁しなければならなかった。 そんな様子を見ていると、もしも彼が自由に動けたならば、きっと同じように自分の職場を求めてさ迷い歩くのだろうと、胸が痛んだ。動いて探して自己の世界を堪能できたら、どんなにか彼は救われるだろうと。 それさえも許されない彼に、追撃ちをかけるように抗がん剤治療の日々。 彼は、虫になるしかなかった。 そして私はその責務感と罪悪感渦巻く気持ちを押し殺しながらそばに寄り添うしかなかった。時折涌き出る焦燥感で、バランスを崩している自分に気づき、現実を見るという状態だった。 余命5ヶ月。いま思えばそういう状態であったにもかかわらず、彼に治療を押し付けて、希望という文字に縛り付けていたのかも知れない。彼のなかでは、すでに安息する時間を求める気持ちが膨らんでいたのかも知れないのに。しかし彼には、その病状ゆえに表現することができなかった。脳疾患の残酷さ。
動きたいと要求する彼に、どこまで追いつけるか不安だった。 その要求する気持ちがわかるだけに悲しく、その悲しみで私の思考は冴えなかった。 泣いたらダメ。泣けば彼のその姿がとても悲しい物になってしまうから。 誰にも非難なんかさせない。 させるものか。 こうして車椅子に乗る彼を、可哀相だなんて誰にも言わせない。 中途半端に気の強い自分がいた。
貨物列車の汽笛が響いてくる。 彼と過ごした日々を思い出す。 想い出は、貨物列車に運ばれて。
汽笛をひとつ鳴らして、生きていた日々は一瞬に過ぎてしまったようだ。 死ぬ瞬間とは、そんなものだ。
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