| 2005年04月15日(金) |
言葉の次に来る言葉。 |
まず最初の段階として言葉がある。 人間はまず言葉を持って世界を構築する。 そして、次の段階として言葉の向こう側にあるものを見る。 言葉そのものではなく、言葉が記号として志向する対象そのものを見出す。
つまり、それは小説も同じはずだ。 まず、言葉があり、その次の段階として言葉を通じて伝えるメッセージが生まれる。 言葉はメッセージを伝えるメディアとなる。
だが、僕が求めているのはそこではない。 僕が求めるのは存在の確認ではない。 僕はそれの存在を確信している。 ある人はそれを「スピードの向こう側」と言った。 存在が内包する真実。 それは存在するものではない。 真実が存在するなら、それは掴めるはずである。 認識できるはずである。
だが、僕は真実を未だ明確に認識できない。 つまり、それは言葉による志向作用では捉えきれない。 方法論が間違っているのだ。 あるいは、もはやそこに言語の限界が存在するのかもしれない。 だが、存在するのならたとえ限界であっても到達可能なはずだ。 捉えきれないのは方法論が間違っているのだ。 もはや言語を基調とした思考全般に拠る事が根本的に不可能を孕んでいるのかもしれない。
僕が求めるのはその先にある言葉だ。 もはや言葉では到達出来ない真実という仮称を与えられた何か。 そこから戻ってきた先にある言葉。 アルターの森で新たな力を手に入れたカズマのように。 僕はそれを求めている。
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