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| 2002年07月31日(水) |
『ローマ人の物語�后.罐螢Ε后Ε�エサル ―ルビコン以後―』 |
『ローマ人の物語�后.罐螢Ε后Ε�エサル ―ルビコン以後―』読了。塩野七生。新潮社。 �検↓垢�2巻900ページに渡ったカエサルの物語もついに終了。その激動と呼ぶにふさわしい生涯と、彼の果たそうとして果たせなかったグランド・デザインにふれることのできた魅力的な巻だった。 本書ではルビコン川を渡って以後のポンペイウスとの内乱から、その平定、そして終生独裁官となり、暗殺されるまでのカエサルが描かれる(暗殺後の後継者争いにもふれられている)。よく歴史で言われるように、時代を変革する人は、その時流にどれだけふさわしいタイミングで現れるのかということが重要なのだろうけれど、カエサルの場合は、ほんの少しだけ早く、けれどもほとんどは絶妙のタイミングだったのだと思う。 たとえば、その前提となる統治面積の圧倒的な増加に対して、疲弊し多くの矛盾の現れていた従来の寡頭制を脱却し、個人に権力を集中させるやりかたに変革しようとしていたこと。それも当時の情勢を考えると必然だったのだろうし、結局それは帝政にアレルギーを持つ旧体制によって暗殺という形で一時的に打破されるのだけれど、結果としてはカエサルの後を継ぐオクタヴィアヌスによって実現することになるのも興味深い。結局は、カエサルの力で時代を変革し、次の時代への橋頭堡を築いていたようなものなのだから。 人物には平時と乱世向けの人物がいて、それぞれにふさわしい時代が本来であればあるはずなのに、カエサルがすごかったのは両方に強かったことだ。戦争にうって出ればそれこそ負けなし(実際には負けもあるが、必ず雪辱を期している)だし、平時の統治体制を乱世の間からイメージし、そのための手をひとつずつ着実にうっていた(税制改革から暦の太陰暦から太陽暦への変革まで)。また、優れた人物であればローマ市民権を持つ者以外にも門徒を開き、かつての属州民を元老院に招き入れるなど、非常に開けた考えの持ち主でもあった。 また、本書は、いままで疑問に思っていたことをいくつか解消することのできた巻でもあった。 それは、有名な「ブルータス、お前もか」がいったいどのような状況下で発せられた言葉なのかということと、クレオパトラとカエサルと、あるいはアントニウスとの関係がどのようなものだったのかということ。もちろん、一冊だけだとある意味一面的な見方になってしまう部分はあるかもしれないけれど、それでも知ることができたのは興味深かった。 最後の方は、読み終えるのがもったいなくなってしまったくらい。 また青葉台に行って�困痢悒僖�ス・ロマーナ』も購入してきたので、次はそれを読もう。 いくつか、引用。
並の司令官ならば、敗北の因は自分にあるとして、部下の責任は問わなかったであろう。ドゥラウム包囲戦自体が、ナポレオンの指摘を待つまでもなく、戦略そのものの誤りではなかったかと思われるから、それを正直に兵士たちに告げていたならば、カエサルも後世から責任転嫁と非難されることもなく、人間としての潔さをまっとうできたのである。 しかし、この時点での最優先事項は、敗北を喫した軍の再建であって、カエサル個人の潔さをまっとうすることではない。人間は、気落ちしているときにお前の責任ではないといわれると、ついほっとして、そうなんだ、おれの責任ではなかったのだ、と思ってしまうものである。こう思ってしまうと、再起に必要なエネルギーを自己生産することが困難になる。ついつい、指導者の判断待ちという、消極性に溺れこんでしまうものだ。カエサルは、これを避けたかったのだと思う。責任はお前たちにある、と明言することで、兵士たちが自分自身で再起するよう誘導したのだと思う。 実際、最高司令官の訓辞が終わった後で、兵士たちの胸にわきあがってきた想いは、「恥」であった。(129ページ)
カエサルは、『内乱記』の中で、「人間は、自分が見たいと思う現実しか見ない」と書いている。(189ページ)
古代人の考えた帝国、(……)の形こそが、カエサルがローマ人に指し示そうとした、将来のローマ国家のあるべき形であったのだ。つまり、ポリス(都市国家)を超越したところに生まれる、コスモポリス(世界国家)である。 この意味では、カエサルは帝国主義者であり、アレクサンダー大王の後継者でもあるのだった。(……)パクス(平和)とは、優劣なき国々の相互の話し合いによるよりも、絶対的に優勢な国による調停とか裁定とか、やむをえないとなれば力で押さえつけるとかで成り立つ確率の方が高いのが、人間世界の現実でもある。パクス・ロマーナ、パクス・ブリタニカ、パクス・アメリカーナという呼称からして、この「現実」を示している。(201-202ページ)
望んでポンペイウス側に立ったアテネの市民には、一言だけだが皮肉を言った。 「諸君は死罪に値することをくり返すのでも有名だが、そのたびに、輝かしい業績を遺した祖先に免じて許されるのでも有名だ」(204ページ)
「歴史はときに、突如一人の人物の中に自らを凝縮し、世界はその後、この人の指し示した方向に向かうといったことを好むものである。これらの偉大な個人においては、普遍と特殊、留まるものと動くものとが、一人の人格に集約されている。彼らは、国家や宗教や文化や社会危機を、体現する存在なのである。…… 危機にあっては、既成のものと新しいものとが交ざり合って一つになり、偉大な個人の内において頂点に達する。これら偉人たちの存在は、世界史の謎である」ブルクハルト『世界史についての諸考察』より(261ページ)
遺体を焼く炎が消えかかる頃になって、今度は激しい雨が降ってきた。カエサルの遺灰は、誰かが集める前に、しのつく雨で流されてしまった。後継者のオクタヴィアヌスがようやく内乱を平定した後で皇帝廟をつくるが、そこに入るべき最初の人であるカエサルを埋葬することができなかったのは、遺灰が流れてしまっていたからである。 ゆえに、カエサルの墓はない。カエサルの遺灰は、ローマの地にしみこんでしまったのかもしれないし完備した下水道を通ってテヴェレ河に流れ、そのまま地中海にとけこんでしまったのかもしれない。しかし、月並な墓などはないほうが、カエサルには似つかわしいように思う。(374ページ)
たとえあと十数年は生きられると思っていたとしても、カエサルが自ら創設しつつあった帝国を遺したのは、十八歳でしかない若者である。まだ何も業績をあげていない自分なのに早くも認めてくれていたという一事だけでも、感動にふるえたとて当然ではないか。十八歳の若者をゆり動かしたに違いないこの感動が、その後の彼を支えつづけた、強烈で持続する意思の源泉ではなかったかと思う。オクタヴィアヌスのこの心中の想いを、ブルータスもカシウスも、アントニウスもキケロも、気づくことさえなく終わった。(383ページ)
競技会も最後の日の夜、紺青色のローマの夏の夜空いっぱいに、大きな彗星が現われて消えた。人々は、これでカエサルも天に昇ったのだ、と言い合った。 ちなみに、後の天文学研究では、このときの大彗星は「ハレー彗星」であるという。(394ページ)
カエサル暗殺の真の首謀者は、ブルータスではなくてカシウスだった。だが、暗殺グループは、ブルータスがリーダーになることではじめて機能したのである。どの方向に向けて発揮されたかへの批判は措くとしても、ブルータスには、高潔な精神は不足していなかった。 しかし、キケロの教養が先見性を欠いていたのに似て、ブルータスの高潔な精神も、ローマ人に、進むべき道を指し示す役には立たなかった。イタリアの高校の歴史の教科書ですら、「三月十五日」を次のように言い切る。 <懐古主義者たちの自己陶酔がもたらした、無益どころか有害でしかなかった悲劇> 「三月十五日」は、カエサルにとっての悲劇であるよりも、ブルータスにとっての悲劇ではなかったか。ただし、時代に受け容れられなかった高潔な人の悲劇ではなく、時代の変化を見ようとしなかった高潔な人の悲劇として。(422-423ページ)※三月十五日は、カエサルが暗殺された日。
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お知らせ
『ローマ人の物語』は引用にもあるように簡潔な文章で、非常に魅力的です。
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