創意と工夫

最近昔の映画を観ると心が落ち着くのである。
特に特殊撮影技術を凝らした作品を見ると
どこかホッという安堵感を覚えてしてしまうのである。
一見すると変な話だが、しかしよくよく考えてみると
なるほど、合点がいく。
というのも昔の映画と現代の映画における特殊技術の違いで
大きな相違があるからだ。現在の映画では特殊技術=CGという
簡単な図式になってしまっているが、CGなど皆無の時代においては
どのようにすれば創造の世界に近い映像を撮る事ができるかという
いわば創意と工夫を凝らした結果の映像であったのだ。
円谷英二は食卓の味噌汁が分解している様子を見て
水中に顔料を溶かして雲を生み出す技術を思いついた。
この逸話に代表されるように人の知恵をフルに活用することによって
素晴らしい映像が生まれてきたのである。
スターウォーズの特別編があまり面白く無いのは
昔のチャチいながらも持てる技術をふんだんに使い
我々の度肝を抜いた劇場公開版が知恵と涙と努力の結晶であったのに対し
特別編がCGによる紙芝居に成り下がってしまったからでは無いだろうか。
つまるところ映画界はCGによって思考停止に陥りかけている。
脳を使わなければ細かいシナプスが死滅してゆき、
思考の活動範囲が狭くなっていくのと同じで映画界も
いずれは滅亡に向かっていくのではないかとふと考える今日この頃である。
どうでも良いが眠いままでこの文章を書いたので支離滅裂な内容に
なっているかもしれません。あしからず。
2005年04月10日(日)

Dag Soliloquize / tsuyo