| 2004年09月11日(土) |
屋久島を出て鹿児島本土へ。 |
昨晩は古田が生出演するというのですぽるとを見てしまったため 7時には起きられず、7時半に何とか起床。
食事の後、ばたばたと荷造りをして9時20分にチェックアウト。 異様に荷物が重いのはなぜ? ・・・それはパッションフルーツワインとか屋久島焼酎とかを買ったから〜。
宿の人に空港まで送ってもらうが、途中で不泊証明書をもらい忘れたことに気付き いったん宿に戻る。 これがないとキャンセル料が戻ってこないもんね。気付いてよかった。
宿を出る時にはいい天気だったのに、道中急に土砂降りになった。 飛行機大丈夫かなと思ったけど、ほんのちょっとしたらすぐに止んだ。 結局空港に着くまでの間に数回その繰り返しがあった。 屋久島の天気は本当に変わりやすいんだなと実感。
空港に着いたら、到着時と違ってがらんと空いていた。 大量発生した台風難民も皆無事に帰宅できたようでよかった、よかった。
帰りの飛行機は、行きの飛行機(YS機)じゃない新しい機種できれいだった。 こんな新しい飛行機なら揺れないかなとちょっと期待したけど甘かった。 やっぱり新しかろうが古かろうが小さい飛行機は揺れるのね。
さて、本日は鹿児島市内で昼食を食べてから、鹿児島郊外にある 私の母の実家に遊びに行く予定。 まずは鹿児島空港到着後、バスで鹿児島市の中心、天文館へ。 コインロッカーに荷物を入れて身軽になって移動開始! 目指すは、最愛のラーメン店、「こむらさき」!
こむらさきは私が幼少のみぎりから愛してやまないラーメン屋さん。 ちなみに以前横浜のラーメン博物館に出店してたのとは違う店。 メニューはラーメン1種類だけ。 豚骨と鶏でとった濃厚なスープと、ちょっとそうめんみたいな食感の麺との ハーモニーがたまらない。 そして具のチャーシューと椎茸、キャベツがまたうまいのだ。 鹿児島に来た時しか食べられないのが本当に残念。 テイクアウトもあるので、自宅と家族に発送する。 店を出ると既に2時近いのに長蛇の列が。 私達は割とスムーズに入店できたのに。ちょうど谷間の時間帯だったのかな?
この後、腹ごなしに少し歩いてデパートで化粧品を購入。 化粧水と美容液がなくなりかけてたのに、全然デパートに行く暇がなかったので ちょうどよかった。
そして、今度は鹿児島名物の白熊を食べるため「むじゃき」へ。 白熊とは、山のように大きなかき氷。 ミルクをたっぷりかけてフルーツがわんさかのってるのが特長。 白熊を初めて見たK氏はその大きさにちょっとひいてたけど、2人がかりで 何とか完食! (とても1人で食べきれる量ではありません。) おいしかったな〜。
祖母の家に行くためにはバスとフェリーを乗り継がねばならないので 3時には天文館を後にする。 従姉妹のK子ちゃんがが港まで迎えに来てくれることになっているので 時間を知らせるために電話してみた。 すると出たのは祖母。 ちなみに現在92歳。 耳が遠いので大声をはりあげて(携帯なのに周囲に迷惑) 「3時15分発のバスで港に行くって、K子ちゃんに伝えてね」と言うと、 祖母は「うんうん、3時15分のバスね」と返事した。
ちゃんとわかってるのかやや不安を覚えつつも、きちんと復唱してたので まあ大丈夫かと思い、バスに乗り込んだ。
バスで港に着くとフェリーの出航直前。 急いで駆け込んだので、乗る前にフェリーの時間を連絡できなかった。 でも、「バスの時間から考えれば、バスとフェリーは接続してるんだから 何時に港に着くかはわかるよね」とちょっと安心していたら甘かった。
暫くして母からのメールが。 「すぐに叔母さんに電話してください。お祖母さんは『あの子から 電話があった』としか言わないから、叔母さんとK子ちゃんがどうすれば いいか困っています」と。
お祖母ちゃん・・・。 私であることだけでも認識してくれたからよしとすべきかしら。
その後、今度は直接叔母に連絡をとり、無事K子ちゃんとご対面。 ここから祖母達の家に行く途中、あのアテネで金メダルの柴田亜衣の母校、 鹿屋体育大学の近くを通った。 アテネ以降、俄亜衣ちゃんファンになったK氏たっての希望で敷地内に ちょっと寄ってもらった。 当然のことながら亜衣ちゃん本人はいなかったけど(K氏ややしょんぼり) 「金メダルおめでとう」というでっかい垂れ幕が講堂の前に飾ってあったので その前で記念撮影。
そんな寄り道しつつやっと祖母の家に到着。 先日送っておいたお土産が無事届いていたので、皆に配った。 祖母がクッションを気に入ったようだったので嬉しかったな。
夕食は叔母が鹿児島名物をたくさん用意してくれていた。 黒豚トンカツに鶏刺し、キビナゴ入りみそ汁。 それにトイモガラという里芋の茎みたいな野菜が出た。
祖母は年のせいかかなり呆けが入ってきているみたい。 そんな祖母が、何度も思い出したように「そういえば、あんたのお母さんは 遊びまわっとりゃせんかね」と聞いてくるのが何だかおかしかった。
ちなみに、祖母は、私の母が遊びに行った時には、私のことについて 「あの子はちゃんと仕事があるのかね」と何度も言ってたらしい。 それを知っていたので、祖母に「心配しなくてもちゃんと仕事あるよ」と言っても、 祖母曰く「私はそんなことは心配していない。」 そして、私には、私の母のことばかり話すのだ。
目の前にいる人のことは言わないという気遣い(?)が出来るんだから 祖母もまだまだ完全にぼけてるわけではないんだなあと思う。 人の頭って不思議。
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