日々、ポケットへつめこんでおいたこと。
DiaryINDEX|past|will
| 2004年11月24日(水) |
本を読むということ。 |
松浦弥太郎さんの『くちぶえサンドイッチ』がちっとも読み終わりません。 なぜかというと、いろんな本をあっちこっち手をつけてしまい、弥太郎さんのこの本は少しずつのエッセイだから、ちょっと読んで満足しては次の本、といった感じでついつい後回しになってしまうのです。それにわたしも、いつも何かを読んでいるというわけでもないし。 でもこの本はこういう読み方で良いと思っています。 なぜなら弥太郎さんの言葉は、小さなエッセイひとつでも、スっと深く自分の中に入ってくる何かがあるからです。 何かが足りなくて不安でいっぱいなとき、弥太郎さんの言葉が答えてくれることがたくさんあるのです。
最近また、この本を持ち歩いています。久しぶりに読みたくなったのです。今朝、地下鉄の中で読んだ頁にこんなことが書いてあって、はっとしました。 “考えてみたら、自分の生活が満たされているときって、あまり本を読まないかも。だって、他に楽しいことや大切なことがあって、読書どころでないように思えます。”
そう言われてみればそうなんです。わたしも、弥太郎さんの本に限らず本を読むというのは、足りないものを補っているような感覚がたしかにあります。楽しむためばかりでは決してありません。それならお笑い番組でも見てる方がよっぽど気楽でいいよ(それはそれで大好きだけどね)。 何か答えを探しているのです。 安心したいのです。 どうしょうもなくつきまとう不安、これはたとえばヤケ買い、ヤケ食い、ライブで暴れる、大声で歌う、などなど、そんなのではなんともなりません。不安を吐き出すことなんてできないじゃない。ぽいっとしたくても、できないじゃない。 不安は、誰かに、言葉で、足りないとこを補ってもらうのがいちばん安心できるのです。
弥太郎さんのやさしい日常、つよいおもいの綴られたこの本は、たしかな言葉のひとつひとつが、ふわりとわたしの背筋を伸ばして、前を向かせてくれます。
もうすぐ、やっと、読み終わります。 でもきっと読み終えてもこの本は、何かが足りなくて不安の波がざぶんと押し寄せてきた時、わたしはあっち開きこっち開きして、助けを求めにくるのだろうとおもいます。ほっとしにくると思います。好きなカフェで、あったかいコーヒーを飲むのに似てるね。
|