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2002年01月29日(火) フサちゃんと路木悟史←もと須賀ちゃんともいう

 「ラブレボ」の須賀ちゃんで、人気に拍車がかかり、キレイさに磨きがかかった、藤木直人。今日は、「もと須賀ちゃんにめろめろDay」。といっても、来週までだけど・・・。

 ドラマ「初体験」で藤木直人が演じるのは、とってもキレイな男、フサちゃん。主人公たち女子が、小学校の時憧れていた男子。房野拓海は、両親が離婚して広田拓海になったこと以外、ナゾである。ルークという猫を飼っていた女のヒモみたいな生活をしていた様子だけど、その女にも捨てられ、今はルークと二人暮し。でもさ、フサちゃんの家は家賃が15万円なんだよ。同居猫ののみ騒動で、引っ越そうかなって口走った時、「でも、お金ないからな」って、途中でなくなってきたのかな?だって、最初からお金なかったら家賃15万のとこになんか住めないよね。ストロングビルって名前がついてるけど、なんか、暖房効いてなさそうだけど、不思議な間取りの部屋だけど、わりと好き。でも、フサちゃんがいるからっていきなり15万の部屋には住めない。いや、フサちゃんてわかってたら住めるか?うーん、彼女たちと同じノリで見てるな。昔、昔、子供の頃憧れた男子が、ある日突然自分の近所に住んでいたとわかったら、しかも、スゴクキレイになってたら。おぉ、ドキドキで前が見えないっ!だな。

 で、フサちゃんは、昼間パチンコしてるんだね、結構。そして夜、ボーリング場で、お掃除してる。藤木直人がボーリング好きだからボーリング場なの?ほんとバイトなのかな?実は持ち物だったりして。それって「エド」の見過ぎ?フサちゃんは、今、夢なんて別にないって言ったけど、世捨て人っぽい風情で暮らしてるけど、ほんとはどうなんだろう。以前、奴隷と自分で言った、アシスタントの仕事の先に、フサちゃんの夢があったんだろうか

 ところでフサちゃんは、突然現れた昔の同級生に自分の事を久し振りに「フサちゃん」と呼ばれて、どんな気持ちなんだろう
 あぁ、どうでもいいんだけど、そんなことを考えて見ています。真智や由加里とおんなじに。あぁ、どうでもいいんだけど、お願い、つまらない最終回だけは止めて、とか、今から考えて見ています。あぁ、どうでもいいんだけど、勝手に心で叫んでしまう。フサちゃん、フサちゃん、フサちゃーん!!・・・ばかである@わたし。

 でも、キレイなだけでは、色気は無いんだよね。惹かれてしまうのは、清濁持ち合わせている男だったりする。女もか。

 藤木直人はラッキーである。それは「喪服のランデヴー」の路木悟史ができて。藤木直人を路木悟史にもってきたから、更に「喪服のランデヴー」が成功したのかもしれない。ニワトリと卵。でも、とにかく、近年まれにみる秀逸なドラマである。脚本、演出(キャスティング含む)、音楽三位一体で、出来上がっているという意味でも。面白いドラマ、泣けるドラマ、よく出来てるなぁと思うドラマ、上手い俳優、そのドラマで成長した俳優、ドラマから出たヒット音楽。きっと他にもたくさんある。でも、この「喪服のランデヴー」は、私にとってどうしようもなく心に残ってしまう、秀逸なドラマになった

 コーネルウールリッチの原作を知らない。本気でさがしてないから、まだ見つからない。どういう作品なんだろう。どのくらいへだたりがあるのか、ムードは同じなのか?わからない。ただ「喪服のランデヴー」は、本格推理ドラマとしては、例えば「なんで路木悟史はあの4人の犯人をわかることができたのか?」語っていないので、欠けているのかもしれない(ヒントはあるけど、あれだけでは少ない)。

 しかし、このドラマの基調になるムードが、脚本も演出も、演じる役者も、そして映像も一貫している。そこが素晴らしいと思う。それを支える大きな軸が雅楽師・東儀秀樹による音楽だと思う。彼の音楽がなければ、ここまでの一貫性は得がたかったかもしれない。ドラマに寄り添うようにして流れる彼の音楽、そしてエンディングに流れるメインテーマ。これが、見終わった後も、深く、長く、心の中に残るのだ。離れないといってもいい。非情な切なさややりきれなさや、人間の業みたいなものまでも描いているような気がする

 婚約者、「一番愛する者」を突然奪われた男が、犯人4人に復讐する話である。直接4人の命を奪うのでなく、4人の「一番愛する者」を奪う事で、復讐しようとする話しだ。法で裁かれなかった者達へ、仇を討つ、ということは、現代の日本では許されていないし、許されることもまた、危険だと思う。新しい殺人は殺人である。吉岡秀隆演じる若い刑事が路木悟史に訴えたとおり、路木悟史の婚約者と同じに(すでに3話が終)、3人に復讐を果たし終えたのだが、つまり殺された3人の女性は「なぜ、自分が殺されなければならないのか」わからないまま殺されていった。なんの罪も無いのに。ただの殺人である。しかも、路木悟史は、やりとげるために、彼女達の心の中に「良い人物」として入り込んでいるのである。彼を愛した女もいた。愛する男の手で、自分を一番愛した男のやった犯行の仇で、殺されるとも知らずに死んでゆく。許される行為ではない

 美しく描くべきでもない。路木悟史の時計は婚約者が殺されて待ち合わせに来れなかったあの年の5月31日午後8時で、止まっている。今、冷酷な復讐を遂げようとしている男は、路木悟史が生きている理由、憎悪だけの殺人鬼である。彼の心に2人の路木悟史がいる。憎悪にまみれた路木悟史はまた、裁かれるべきである。彼の婚約者を殺した犯人と同じように。

 悲劇は、路木悟史が純粋すぎたこと?路木悟史が彼女を愛しすぎた事?路木悟史が待つ事に慣れすぎた事?他に誰も頼らずに生きてきて、仲間を持たなかった事?精神が破綻してしまった事?「一番愛する者を奪われる悲しみ、恐怖」それを味わわせる事でなく、ただ罪を償わせるために時間をかけ、待つ事が、できていれば。

 非人間的に、自分の地位や名誉や生活を守るために、関係無い人の命を奪っておいて、のうのうと生きている人間。しかも、地位や名誉があるからこそ、その犯行を隠匿できて。被害者の遺族はどれだけ償われても還らない命にどうしようもない葛藤をするのに、償いもせず、罪すら認めず。「どんな気持ちかわからせる」方法しか選べなかった路木悟史も同じ罪を重ねる。全ての犯行後、自殺を選んでも、それは償いにはならないのに。

 やりきれない思いが残る。最終回は意外な顛末を迎える。あえていうなら、報いと新たな悲劇との混沌の中、これが、せめてものせめてもの、奇跡的な幸福的幕。過去の恨みに生きた男の物語に、未来、という言葉が残されるのかもしれない。

 とにかく、東儀さんの音楽は、素晴らしい。このドラマは再々放送であるが、この間、ずっと私の心に余韻としてドラマを残してくれている。そして、藤木直人の好演が、キレイで誠実でいい人な路木悟史と、彼の清濁の「濁」の部分を内包したキレイな虚像が、自分の婚約者を殺した人間達の「一番愛する者」を自分に惹かれさせるという、一種、色気を感じさせることができた事とで、この復讐を可能にしてしまったといえるのではないだろうか。

 路木悟史を演じたことは、藤木直人にどういう影響をもたらしたか知ることは出来ない。ただ、「喪服のランデヴー」の成功の一端に、彼もいる。最終回は見逃さないで!!

 同じナゾの多いキャラでも路木悟史に比べれば、フサちゃんなんて、フサちゃん、フサちゃん、フサちゃーーん!!と、言ってられるだけ、見ていてとっても楽なのだ。妙に色気はあるから、キレイなだけじゃなさそうだけどね。

フジッキー話のはずが、ちょっと「喪服のランデヴー」は、力はいってしまった。


もっちゃん |M@IL( ^-^)_ヲタ""日常こんな劇場( ^-^)_旦""

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