仕事がアウトプット系なので、たまにインプットしてやらないと 電池ギレになる。
ずーっと行きたくて でも行けずにいたセミナーへやっと参加表明ができ 銀座と月島の間にあるイナセな土地へ先週から通っていた。
つくば大学の先生が主催のとあるメンタルヘルス関係の勉強会。 参加者はいわゆる援助職の方々が多かった。 皆さん仕事がらみなのだが、その実自分の中に「ポチっとある」 普段たいして気にならない問題が セミナーが進むにつれて クローズアップされていく。
大勢の前で話すと 論点があっちこっちへ行く養護教諭 足の手術で杖が話せないことが劣等感の看護婦 無意識に人に示唆的指示的話し方をしている自分に気付く婦長 あることがきっかけで水が飲めなくなった学校の先生 古いものが捨てられない捨てると罪悪感がわく栄養士
数日間のセミナーだったのだが、わたしのパートナーは30代の設計士。 その人は 毎日個人的な勉強をする という目標を目指すために 「何がそれを妨げるか」という深堀をしていく。していくのが私の役割。
はじめは なんてことない日常の話しが どんどん遡っていく。
勉強を始めると それに理解を示さない奥さんの目が気になって集中できない その時の気分を何度も確認していく。 その気分と同じ気分を味わった過去の出来事を探していく。
やった人は皆体験するのだが「ピン」と琴線にふれる過去の出来事が 完全に忘れていた過去の出来事が 映像化して浮かぶ。 (浮かぶような構造化されたしくみにのっとって作業を行なう)
誰も知らない 自分だけがしまっていた 自分だけが傷ついていた 傷ついていたことすら自分は気がついていなかった出来事。
その人は 8歳の時父親に蹴られている自分、 親父の愚痴をいう母の言葉を黙って聞いて我慢している自分 そのくせ親父とまたよりを戻した矛盾だらけの母親の愚痴に 小さな身体を固めて耐えている自分が浮かぶ。
彼は、絶対に泣かなかったらしい。 どんなことがあっても 泣かなかったらしい。
その彼が ワークの最後 始めて泣いた。
今 彼の子供が、妻から言葉や力で暴力を受けているらしい。 耐えることで均衡を保っていた父は 子供を助けてあげられなかった。 その子供は、今8歳。あの頃の彼と同じ8歳。
彼の目標は「毎日勉強すること」から 「子供を抱きしめてやること。 そして 暴力をふるってしまう自分に傷ついているはずの 奥さんを抱きしめてやること」に変わっていた。
まさがこんなことが、というような生活上でのことが 幼少期のある出来事につきあたる。
私自身 日常苛まれている誰かに責められているような意識。 家事がスムーズにこなせないことを異常に劣等感に感じている自分があった。 「どうせうまくいかない」 この刷り込みのような意識が どこからきたのかを自分で見つけたときは 幼稚園時代での鉄棒にまつわる話しだったので 意外すぎて唖然とした。
あぁ こんなにはしょって言うと 伝わんないねー。 とにかく わたしは外部からインプットもされ自分自身で養分も与え 色々な人々と出会い また頑張ろうと思ったのでした。
来月は また違う先生のところで全然違う勉強会に行ける♪ こういうものは 自分がその気の時にいっぱい参加しておくに限る。 でないとまたお尻がひけちゃうもんなー。 あーわくわく
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