兼松孝行の日々つれづれ

2013年07月29日(月) 高校演劇尾張地区大会総括

四日間見て感じたことは、どの高校も共通して「好きな芝居はあるのかな?」ってこと。
言い方を変えると、出来の善し悪しはともかくとしてこんな芝居が理想ですって言う形が見えてこない。
誰か指導者が他に居てやらされてる感満載の高校もあれば、いろんなことをやってるんだけれど様式として破綻している高校もある。
結果として行き着きたい目標(中部大会や全国大会)が野心として見え隠れする高校はあるのだけれど、こんな形の芝居を作りたいんだって言うのが見えてこない。
それは、オイラが芝居空間は祝祭空間だって思っていて、目の前にいるお客さんを芝居の世界に連れて行ってその世界を楽しんでもらうって言うのが基本で、勝負なんか二の次だって思っているから余計そう思うんだろうけれど、目の前のお客さんを楽しませようって気持ちはあんまりなかったなぁ。

大事なことは、見てくれる人がいるから芝居ができる。
だから見にきてくれた人たちがスッキリした顔で劇場を後にしてくれるような芝居をみせたい。
そのための手段として、こんな世界を創りたいっていう理想を持って欲しいなって思う。

オイラが思うに、芝居は芸術ではない。
時代を映す鏡だから、時代に合ったエンターテイメントであって欲しい。

そう願いながら、一方で大会という評価のシステムでいい評価を得たいという気持ちも分からないわけではない。
具体的に人に誉められるわけだから、そこを目指すために芝居するのもありかなと思う。
だけど、オイラはその評価する側の人がどうなのかなと思う。
いい芝居はいいと思うし、そういう芝居が県大会に行ったと思う。
だけど、どうかなぁと思っていることは、残念だった学校に対する評価をどんなふうに行なったかって言うことだ。

技術的なことをどこまでアドバイス出来てるんだろう。
芝居と向き合う気持ちをどんなふうに具体的な言葉として伝えているんだろう。
先に言ったとおり理想の芝居を本人たちがもっていない状況で、精神論を言ってみても路頭に迷うだけだ。
技術的なダメ出しは誰でも出来る。
大事なことはその先の解決方法まで提示出来てるかってことだ。
頑張れって言う精神論だけでは技術的な問題は解決出来ない。
例えば強豪校の生徒や指導者がアドバイス出来る環境を作ってみたりすることが合ってもいいんじゃないのかなって思う。
短期的に見れば自分たちのノウハウを何で他に渡さなきゃ行けないのかっていう思いもあるんだろうと思うけど、他のレベルが上がれば、目指すべきテッペンのレベルも自ずと上がるし、地区全体の芝居のレベルも上がっていくのだ。

あらら、いつの間にか評価の話になってしまったけれど、祝祭空間という性格と、評価をして優劣を付けるという性格がなんとか解合ってくれないだろうかって高校演劇のことを考える度に思う。


 < 過去  INDEX  未来 >


兼松孝行 [MAIL] [HOMEPAGE]

My追加