兼松孝行の日々つれづれ

2006年12月23日(土) 日々つれづれ

ここで、関東で過ごした先週1週間について振り返ってみたりする。

市町村アカデミーは「陸の孤島」「監獄」と形容されている。
何故か?
研修中は外に出ることができないからだ。
急病などよほどのことがない限り、建物の中に監禁(?)され、目の前の課題に取りくむしかない状況が作り出される。
それは1週間程度でお別れする関係性の中だから成立する状況だ。
もう少し時間があったら、どうなっちゃうんだろうと思うと、心配の種が芽生え始めてしまう。
あと2・3日一緒に過ごすと、きっとその人の嫌な部分まで見えてきてしまうんだろう。
だから間に土日を挟んだ1週間という犬種としてはちょっと短いかなと思う日程ゆえの感動がそこにはあるんだろうと思う。
それ以上長く滞在する自治大学などは、必ず外に出られるようになっている。

久しぶりの東京は、やっぱりワンダーランドだった。
異常に高い建物たちは、田舎ものを威圧するに十分すぎる迫力を持っている。
かつてオイラが東京に足を踏み入れた頃は、池袋と新宿にしかなかった高層ビルが、山手線沿線に点在するようになってきた。
特に東京駅から南東側はものすごい勢いで再開発が進んでいる。
巨大な積み木のような街だ。

今回は交通機関で初めて使うものがあったが、同じ地域を結んでいるのにこうもマナーが違うのか、と思うような場面に出くわした。

東京と成田を結ぶ京成電鉄は特に衝撃だった。
禁煙のホームに座り込んで、くだを巻きながらたばこを平気で吹かすおじさん。
電車内で床面にどっかりと腰を下ろして座るおじさん。
お互い対面に座って、車両内に響く声で大学の研究について語りまくる若者。
いろんなマナー違反をわずか30分足らずの間に目撃した。

その後乗った都電荒川線は別の意味で衝撃だ。
車両内はたくさんの人がつり革を持って立っているにもかかわらず、シートには空席が目立つ。
これはどういう事かと観察してると、駅毎に70をこえたかと思われるお年寄りが乗ってくる。
この人たちが座れるように席を空けていたのだ。
それも、誰が何かを言っているとか、つり広告で啓発しているわけではない。
東京の昔ながらの下町を走る電車ならではの光景だ。
京成→都電と乗ったので、気持ちは穏やかになったが、逆だったら京成でのショックは計り知れなかったであろう。

渋谷、秋葉原、池袋という街を体験した。
それぞれ強烈な個性のある街だったが、こうしたメガロポリスで、「あるコアな部分」を集積するとこんな街ができますよ、と言う見本みたいな街が、秋葉原だった。
名古屋で言うと大須の電気街だが、そんなの目じゃないくらいすごかった。
オタクの量も並半端じゃない。
メイドの数も並半端じゃない。
電気店の規模も並半端じゃない。
何もかもが並半端じゃない街だった。
これはほんとすごかった。
完璧に田舎もののお上りさんと化してしまった。

同時に感じたのは、この町ではいろんなものがものすごい勢いで「消費」されていると感じた。
それは、店頭でプレゼンをしているキャンギャルだったり、駅前でティッシュ配りをしているメイドさんだったり、街角の大型ディスプレイの映像だったり、果てはこの街を訪れた人間の行動までもが「消費」されているような感じだ。
そこに「癒し」はない。
たとえばメイド喫茶に言って癒されたと言う話を研修生から聞くが、その行動自体が「消費」に向かっているから、感動や本当の癒しは存在せず、経験と徒労しか残らない。
人がたくさんいるという、そのことだけで驚異の世界が作り出されるのだ。

またいつかこの不思議な巨大都市東京を見に行きたいと思うのだった(生活はしたくないな・・・・)


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