兼松孝行の日々つれづれ

2006年07月18日(火) 日々つれづれ

21世紀は「環境の時代」だといわれているが、確かにそんなニュースが飛び交っている。
「心の時代」だともいわれている。
やっぱり、同じように心や精神に関するニュースも飛び交っている。
その時その時、何か問題になっていることや、世界的に取り組まなければならない課題がこうしたトピックとして取り上げられたりもしていく。
言葉一つの問題かもしれないが、「平和な時代」と「平和の時代」では言葉一つで大きく意味が変わってくる。
心の時代に関しては、実はかなりやばいところにきてるんじゃないかと思う。
親や子供を殺したりするニュースを見ながら、その人の家庭環境のことなんか考えて、自分のところはどうなんだろうと心配になってみたり、ニュースにでた人と自分との距離を考えて、あの人とは違うから大丈夫だろうって安心してみたり。
でも、ニュースばかりじゃなくて、身近なところに目を移したりすると、職場で精神を煩った人がいたり、学校であれる子がいたり、教室そのものがあれていたり。
ニュースにでるくらいかなりやばいところにきていると思う。
(日本での)原因は昔ながらのコミュニティーが崩壊したからだとよく言われるけれど、それを望んだのもそこに住んでいる我々自身だ。
同時に、時代の変化にあわせてコミュニティーのあり方を変化させられなかったのも事実だ。
古い人が排他的であり、新しい人が柔軟ではなかった結果だと思う。
でもそれは積極的に変化を求めなかったわけではない。
変化を意識できないくらいの速度で時代が変わっていったんだと思う。
「今」にあわせた活動を展開すると、その活動ができあがった頃にはすでに「今」の活動ではなくなってしまう。
「将来の今」にあわせた活動は、受け入れてくれる人は少ないだろう。
それにどんな風に変化していくか誰にも予想はつかない、そこが痛い。
こうして悩みながら、時間は過ぎていく。
何かの始まりは何かの終わりであり、終わりは始まりだ。
そろそろ「○○の時代」がその時代の繁栄を映し出す言葉に代えていけるような変化をしなければならない。


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