兼松孝行の日々つれづれ

2003年05月25日(日) メガトンロマンチッカーact4「世界の果てには君と2人で」

以前、うちの劇団員が七ツ寺の公演に出させてもらった時に、作・演出してた刈馬カオス君の主宰する劇団メガトンロマンチッカーを見にいく。

場所は同じ七ツ寺。
劇場に入ってアット驚いたのは、セットが何もない空間だったということ。
本当に何の小細工もしていない・・・どころか、バラシ終わった後の舞台みたいだ。
ある意味かなり挑戦的なセットだ。

期待に胸をワクワクさせて芝居に入っていった。

芝居の全体的な印象としては・・・・稽古不足なのかな?
なんだかいろんなものがかみ合っていない感じだった。
役者同士の会話の間、芝居のスピードと音楽のスピード、今の場面と次の場面のスピードのつながり。
そういったものが微妙にかみ合ってなくて、舞台を見ながら盛り上がりどころをつかめず集中力が切れている自分がいた。

お話については目の前の芝居そのものとは違うところでいろんなこと考えながらみてた。
目的を手段にしてアイデンティティを確立してくってどういうことなんだろう、そして雅は最後までそうだったんだろうか?稲田のことを愛せたんだろうか?
芝の背負っているものはなんだろう?
今、目の前にいる彼等がオイラたちの世代になった頃、どんな芝居をするんだろうか、それとも、していないんだろうか?
とにかくいろんなことを考えた。
芝居が終わった瞬間もアンケートを書いているときも劇場を出るときも出た後もずーっと考えた。
こうして、芝居を見終えて家に帰った後もずーっと考えている。
人に芝居の印象を聞かれても、「よくわからん」としか答えられない。

こういった難解な印象も持たせる芝居には三通りある。
一つは本当に難解なことを意図して種明かしを見せなかったり、わざと難解なつくりをする芝居。
一つは演じきれていないため、お客さんが物語から取り残される芝居。
そしてもう一つは、大人の芝居を幼稚園児が見るように見ているお客さんの理解がついていかない芝居。

今回はこの3つの複合形だと思われる。

芝居の見せ方そのものについては、いろんな意味で参考になった。
映像や音の使い方、その善し悪し、明かりの使い方、装置がうまく動かなかったときの対応の仕方など。
今後の自分の芝居づくりに大きなインスピレーションを与えてくれた。

とても散漫な感想になってしまったが、好き嫌いの話でいえば、わりと好きな方の芝居だ。
今後もがんばってほしいものだ。


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