芝居づくりで色々とお世話になっている方のお父さんがお亡くなりになったので、夫婦と昔の芝居仲間でお通夜に赴いた。
ついてからビックリだった。 いやあ、とんでもない忘れ物をしてしまった。 やむを得ずその忘れ物を参列者から借りて夫婦共々事なきを得た(ふう〜)
奥さんの方から色々と話を聞いたのだが、家族の誰もが死に目に会えず、なかなか割り切れない最後だったようだ。
先日うちおじさんがなくなった時もそうだが、最近は医療が進んできた分、延命するもしないも医者側のさじ加減一つになってきていて、臨終間近の医療が医者側と患者側に微妙な壁となって横たわっているような気がしてならない。 説明責任を果した上での納得尽くの医療なのか、それとも医者側主導の医療なのかによっても患者側の印象が変わって来る。 また、一生懸命医者が治療をしてきたとしても、説明時の話し方一つで印象はがらりと変わってしまう。 何処までいっても医療に一番詳しいのは医者なわけで、患者側が同業者でない限り素直に話を聞くしかないのだ。 どんな薬を使うとどんな作用があって将来どうなるのか、あるいは手術した結果どんな結果が出たのかなどを納得の行くまで説明を求めて行かなければ、何処かで行き違いが起こってしまうような気がする。
もしも自分の家族がそういう状況になった時、いったい自分自身はどんな気持ちになるかは想像が出来ないが、些細な行き違いで割り切れない思いを残したままにしたくはない。 自分の家族が亡くなって行く痛みは堪え難いに決まっているし、簡単には癒えない、一生癒えないかも知れない。 だからこそ、せめてそこで行なって行く判断くらいはこれでよかったんだと思えるようにしたい。
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