兼松孝行の日々つれづれ

2002年06月21日(金) サッカーは演出の糧になる

演劇の演出とサッカーの監督は良く似てるなあと思うことが良くある。

11人という限られた枠の中で、誰がどんな長所と短所を持っていて、どのポジションにすえるのが一番いいか常に考えている。
そして、相手チームによって相性もあるのでそれも加味して考えて行かなくてはいけない。
それは、芝居のキャスティングが台本が変わる度に変わって行くようなものである。
そして攻撃的に行くのか守備的に行くのか、それは台本によってどんなアプローチをして行くかという点に似ているのである。

そして、今回こうやってサッカーを見ていると、戦っているのは選手なんだけど、その向こうにいる監督の気持ちがひしひしと感じるのだ。
たとえば、トルシエ監督の決勝トーナメントでの選手起用を見ていると、彼自身未経験の領域でることと、チュニジア戦での神がかり的な選手起用の成功などのいろいろな要因が加わって、結果世間を驚かせる先発メンバーになった。
オイラはやってはいけないことをしてしまったなあという思いがあった。

芝居についても劇団が成長して次のステージに上がっていくきっかけの公演や初めて芝居を行なう場所での公演は、やはりレギュラーメンバーを中心に考えて行くのである。
そうでないと、いつもの感じがなかなか出来て行かなくなってしまう。

そしてトルシエはその過ちを犯してしまった。
サッカーファンの間ではこの段階で議論は終わり、トルシエが戦犯に祭り上げられておしまいである。

でも、でもね。

オイラはトルシエのことを責める気になれないのである。
彼の決勝トーナメントという大舞台に対する色気や、このメンバーでもう一つ勝てればこの先あっという間に決勝トーナメントを勝ち進んでいけるだけの力を持てるという確信めいた閃きがあったんだと思う。
そして、彼の目標はあくまで高かったんだと思う。
それが見えたからこそ、この国のサッカーをとても高いレベルに持ち上げる戦いを本番の舞台でもやって行ったんだと思う。

そしてそれは、演出であるオイラもやはり考えることなのである。
このメンバーで成果をおさめることができれば、このやり方で結果が出ればこの先の苦労が少しでも少なくなってくと。

そして、トルシエは16強で結果は終わったものの、その先の夢まで見せてくれたのである。
数年前まで考えられなかったことであり、ものすごい成果である。

オイラはそんなことを思いながらワールドカップを眺めていた。

有り体の言葉でまとめるならば「サッカーは演出の糧になる」ということだ。


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