兼松孝行の日々つれづれ

2001年12月24日(月) クリスマスイブ!

けさ、友達のお父さんがなくなったという知らせが届いた。
そんなわけで朝からみんなに連絡。
久しぶりに聴く声ばかりで、不謹慎だけど何となく嬉しかったり・・・

クリスマスイブということで、劇団Beans公演「サンタクロースが歌ってくれた」にごあいさつを・・・・・

『みなさんこんにちわ。劇団Beans代表の兼松です。

唐突ではありますが、日本人には宗教観がないといわれています。
クリスマスの時期にとても顕著にあらわれます。
原宿の表参道はクリスマスが近付くとライトアップされるのです。
ですが、表参道とはその名のとおり明治神宮への参道なのです。
巷の恋人はクリスマスが近付くと、なぜか二人で一緒にいなければいけないような強迫観念に捕われます。
独り者はなぜか寂しい思いをします。
街はなぜか賑わいを見せます。

そこに、神様はどこにもいません。

御多分にもれず、我が家でも子供にプレゼントを渡し、家族揃ってケーキも食べました。

やはりそこにも神様はいませんでした。

そして、みんなお正月になると民族大移動のように初もうでにいきます。
そこに神様はいるのでしょうか。

僕は「お前の信じている神はなんだ」と聞かれれば「八百万(やおよろず)の神」と答えることにしています。
それが僕の宗教観です。
本来の意味とは少しずれてはいますが、お祭りのようなクリスマスも、僕にとっては「八百万」の一つとしてかたずけています。
そうした方が僕のなかで様々な出来事が説明がつくのです。
要するにキリスト教の神様ではなく「クリスマスの神様」が存在するということなのです。
クリスマスに独り者だった頃、クリスマス気分で盛り上がってるカップルを観て、「あんなの外国のお祭りじゃないか、オイラには関係ない」と強がらせた気持ちや、カップルが「クリスマス気分で盛り上がってる」気持ちや、マスコミや資本家がここぞとばかりに盛り上げようと気持ちが、きっと「クリスマスの神様」の仕業じゃないかと。
そして、この「神様」は手を差し伸べれば救ってくれるような生半可な存在ではありません。
怠けてると怠けただけの仕打ちをしてきます。

今回のお芝居もそんな「クリスマスの神様」の仕業で作られたお芝居じゃないかと思います。
芝居の中でゆきみがすずこに問いかけます。「何故クリスマスイヴだと大丈夫なのか」と。
すずこの答えが劇団Beansのクリスマス観なのかもしれません。』

以上。

そしてオイラのクリスマスイブは稽古だった。
何の思い入れもないので、ただただダンス!

「クリスマスイブ何してたの?」
「踊ってたよ!」

何となくかっこいい会話だ。
しかし実体はダンスの稽古。
みんなサンタになり切れないやつらばかりだ。

ウーム、現実は厳しい。

そしてサンタになれなかった男がここにも一人。
家に帰って子どもを風呂に入れて、寝かし付けて・・・・・あれ?
・・・外があかるいぞぉ。
起きたら枕元に子ども達のプレゼントが置かれていた・・・

とほほ・・・・


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